第8章 モリアーティ
サイコロ課では、毎日、各県警からあげられたデータを入力している。通常、その他の方法は取っていない。
ところが、珍しいことに、今回は課長が上層部から直接事件のデータ入力を依頼されたらしい。
それは、和田の友人男性と元妻の案件に非常によく似たものだった。
和田の友人が出くわした災難と違っていたのは、『堕天使サイト』に書き込みをした、という筋の話だけ。
「上からの命令事項が来ている。どうやら堕天使サイトなるものが開設されている、とのことだ」
和田が、がっくりと肩を落とす。神崎は早速データを入力するために席を立つ。
「今度は堕天使ですか」
「願望あれば、叶えてくれるってやつですかね」
「神崎、URLから追えないの?」
「もう警視庁の中で追ってると思います。また計画者とか指南者とか出てくるのかな」
市毛課長が、ひとこと付け加えた。
「計画者や指南者があるものとして動いてくれ」
雀たちは五月蝿い。
「人騒がせな事件とか、起こる気配濃厚」
「今度は何だよ」
「どれ、ちょっといじってみようかな」
「堕天使サイトで検索してみれば?」
神崎がパソコンを弄っていると、何やら、パスワードを入力するような画面が出てきた。
白い画面の中に、長方形の箱だけがある。
麻田が目を細めながら画面に近づいていく。
「なんだろ、これ」
須藤はもう何も考えていないかのように他人事。
「竜宮からの土産物だったりして」
「開けたら、ズドン!」
麻田の究極のジョークに、神崎は真面にとりあっている。
「まさか。何かのパスワード入力画面だと思うんですが」
「だから、竜宮の土産」
「竜宮はあっちに置いといてください」
「何入れる?」
「堕天使」
「入れてみますね」
神崎が日本語から外国語まで、色々な堕天使関連の用語を入れてみるが、画面は白いままで変わる様子もない。
うんともすんとも言わない画面。
「このまま、科警研持って行ってみます?何かわかるかも」
神崎は立ち上がり、URLをメモしながらノートパソコンを閉じる。
「じゃ、僕が行ってきます」
神業で、神崎は消えた。
戻ってくるときに、髭の生えた老人になっていないと良いが。
ところが神崎は、それきり戻ってこなかった。
またしても課長に、電話で休暇の旨を伝えてきたようだ。
「不思議よねえ。突如として消えるんだから」
「ま、いいだろ。世間騒がす様な事件、起こってねえようだし」
和田は皆の態度に不満げだ。
「僕の友人に、何かいいアドバイスないですか」
「悪い女に捕まったんだ、諦めるしかない」
「だって、子どもさんがこれからも虐待のターゲットになるかもしれないんですよ」
「そうだよな、可哀想だ」
「でしょう?いい案、ないですか」
「裁判しかないでしょう。で、その場で検察から証拠書類として精神監察医の判断仰ぐとか、あとは起こったことを時系列で並べて、DV疑惑晴らすとか」
「いずれ、かなり難しいと思うぞ」
泣きそうになって、トナカイのように鼻を真っ赤にしている和田。
麻田が肩をドンドンと叩いて和田を慰める。
「見合いも怖い時代ね。変なのに引っ掛かっちゃ駄目よ」
須藤も和田の腹にズシンと重みのあるパンチをかます。
「おう、そうさな。どれ、今日も終わりか」
サイコロ課の帰宅時刻になった。警察機構に定時退庁などあってなきものだが、サイコロ課だけは別だ。
警察官の中でも、サイコロ課員は鐘とともに去りぬ。他では徹夜で働いている部署もあるのに、サイコロ課に限って言えば、そんな重労働は本当に稀なのである。
そんな中でも、特に麻田は愛する家族の下へと急ぐ。
警察庁の庁舎を出て、駅に向かう途中、麻田は意外な組み合わせが向かい側の歩道を揃って歩いているのを見た。
以前サイコロ課にいた牧田の子ども二人と、解離性性同一障害のあの双子である。
(知り合い?)
(ああ、そういえば、ラソにいたのをテレビ画面で見た。皆、今もラソにいるのだろうか)
気になりながらも、向こう側の歩道だったこともあり、声も掛けずに麻田は帰路を急いだ。
「ただいま」
「麻田さん、お帰りなさい」
「チビ元気?」
「元気ですよ。インターホンなったら、玄関まで行きたいって顔してた。こら、理、聖。ご飯たべるの」
「はい、ちゃーんと食べてね。そういえば、牧田の子ども二人と、あの双子見たわ。知り合いだったみたいね。ラソで知り合ったのかな」
「ふうん。ラソか。生きづらかったんですかねえ、現世は」
「何、やっぱりあの教え信じてるの?」
「信じたい人には、あれが鎖でもあり、縄でもあるんですよ」
「鎖?」
「一生逃げられない。逃げたくない」
「そんなものなのかな、宗教なんて」
「僕は無宗教ですから、わかりませんけどね。ただ一つ、あの4人、会ってみると意外に何か出てくるかもしれませんよ」
「ヤク、ってこと?」
「それも含めて。まあ、いつもの勘ですけど」
次の日、出勤した麻田は、昨日の弥皇との会話を課長に進言した。
ラソに行って、もしくは、ラソから出て来てもらって、4人と話をすべきだと。
「弥皇は何か疑っているのか。例えば、ヤクとか」
「その辺りは、勘、だそうです」
「まあ、容疑者ではないのだから、近況を聞いてくる程度ならいいだろう」
早速、麻田と神崎がラソに出向いた。
ラソの建物は、教祖が逮捕され一時期騒然としたが、幹部の一人は逮捕されなかったため、その者を中心に今も活動を続けている。
覚醒剤や大麻が教団内にあるのかどうかは、不明である。
ラソの敷地内に入る。何人かの信者が、掃除やゴミ集めに追われていた。その中に、牧田の子どもや双子たちを見つけることはできなかった。
建物に入ると、受付のような机が一つ、電話機の子機が一つだけ置かれていた。『御用の方は○○番を』と張り紙がしてある。麻田は徐に受話器を取り番号を押した。
案内役なのだろうか、男性が一人現れた。警察手帳を見せると、その男性は眉を顰めるような表情に変わった。決して外来者用の良い顔とはいえない。
建物本体に入り込み、右手直ぐの場所にある応接間のような一角に通された。
覚醒剤を扱わなくなったのは本当なのか。カーテンは古びれ、卓袱台と思しきテーブルは自分たちで作ったような形。座布団も所々穴が開いていた。
「牧田裕司さんと牧田杏子さん、今井亮太さんと今井亮二さんにお会いしたいのですが」
「教祖に報告の上、OKが出たら連れて参ります」
「よろしくどうぞ」
テーブルも椅子もない応接室。麻田と神崎は座布団に正座する。
案内役が、廊下奥の部屋に速足で駆け込むのがわかった。
牧田達が出てくるものだとばかり思っていたところへ、新教祖と名乗る男性が姿を現した。
「本日は、牧田さんと今井さんに、どういったご用件ですか」
「以前お会いしたことがあったので、お元気でお過ごしかどうかと思いまして。ちょうどこの辺りに仕事で来たものですから」
「そうでしたか。では、連れて参りましょう」
牧田の兄妹と、今井の双子が、おどおどしながら姿を現す。警察が来ると、教祖から、罰を受けるということなのだろうか。
本当に4人が4人とも、明るい表情は見受けられず、ぼんやりとした顔で、転寝の最中かと麻田や神崎が勘違いしたほどだ。
「牧田さん、今井さん、お久しぶりです」
「はあ」
「お元気でした?」
「はい」
「どういった経緯でこちらに?」
「・・・・」
言いたく無いらしい。
そんな雰囲気が4人のオーラから滲みだしている。
「構いませんよ、取り調べではありませんから。言いたくないときはそのままで」
「はい」
「こちらでは、充分に食べていますか」
「はい」
「何か困ったことなどありますか」
「いいえ」
「そうですか。それでは、困ったことがあったらこちらにお電話くださいね」
麻田と神崎の名刺を渡す。
「神崎、お暇しましょう」
立ち上がる麻田。
「最後にひとつだけ。4人はお知り合い?」
「・・・・」
無言を貫く4人。
知り合い、決定。
今井の弟が立ち上がったときだった。
信者が揃って身に付けている上下オフホワイトのジャージ。そのポケットから、何かの紙切れが落ちてきた。
今井弟が急いで拾おうとする前に、神崎が紙きれを拾い上げる。
メモ帳に殴り書きしたような字。
そこには、『ジキルとハイド』と書かれていた。
「返して、ください」
余程、大事な物らしい。
「わかりました。はい、どうぞ」
神崎が、今井弟の手に紙切れを握らせる。双子の弟は、おどおどしたような態度ながらも、ぺこりと頭を下げた。
麻田と神崎は、案内役の男性に礼をいうと、座布団を整え部屋を出て、足早に玄関に向かい靴を履く。
そして、誰も玄関に居ないことを確かめて、挨拶もそこそこに教団を出た。
「前より元気なくなってましたね、4人とも」
「教団の教えとやらに、洗脳されたかな。そういえば、なんだろう、あの紙切れ」
「ジキルとハイドって書いてありました。まるで和田くんの友人の元妻状態ですよ」
二人は同時にピーンと来た。
「帰ってあのパスワード調べるわよ、神崎」
「了解です」
二人はタクシーを使って、急いでサイコロ課に戻る。
神崎がメモしていたURLからパスワード入力画面を開き、『ジキルとハイド』と入力した。
パソコンが別のURLを開く。そこには、堕天使サイトが閉鎖されないまま残っていた。
誰かが書き込みしたのかどうかまでは、今の段階では知りようも無い。
「神崎。これ、閉鎖できる?」
「無理ですよ。何処かのサーバーと契約しているかどうかなら、もしかしてわかるかも」
「鑑識にお願いしてきてよ」
神崎はしばらく一人で挑戦していたが、やがて、諦めたようだった。
「科捜研、行ってきます」
「おう、お願いな」
小一時間して、神崎はサイコロ課に戻っていた。
「サイトは個人サイトのようですね。どうでしょう、このままにしておいては。書き込みがあってもレクチャーしなければ罪は起こらないわけだし」
「書きこめない様にはできないの?」
「いまのところ、無理ですね」
「書き込みされて、計画授けられたらどうするの」
「警察だって名乗って阻止するしかない」
須藤が右手を振る。
「まさか。偽警察だと思われて終わるぞ」
「それでも、抑止力にはなりますよ」
課長が、珍しく大きな声を出す。
「ラソに行け。双子に会って、パスワードを知っていた理由を尋ねてこい」
「はい、では、僕と和田くんで行ってきます」
神崎の言葉に、またもや課長が敏感に反応する。
「いや、麻田と神崎が行け。人格が変わると厄介な相手だ。麻田と神崎は3回目になるだろう、会うのが。和田は初対面だから相手が警戒するかもしれん」
「了解」
神崎と麻田が慌ててタクシーを拾い、ラソに向かった。
勿論、双子に会って、どうしてパスワードを知っていたか問いただすためである。
課長のいうとおり、双子は解離性同一性障害。所謂、多重人格である。いつもは大人しい二人だが、何かの拍子に、人を殺める人格にならないとは限らない。
麻田は、いざという時のために、ストレッチ入りのパンツスーツに着替えていたらしい。
「神崎、まさかの展開にはならないと思うけど、一応心の準備しておきなさい」
「了解です。双子が荒々しい人格になったら厄介ですね」
「そう。投げ飛ばすくらいはしないと駄目かもしれない」
「麻田さんの投げ技が見られるのは光栄です」
タクシーを飛ばし、ラソに着いた二人。
案内役の男性に面会を申し込む。
先程の男性とは別の人物。大方、交代制なのだろう。
今度も、教祖からOKが出たら、と言われたが、麻田は無理に押し通る向きを見せる。
「麻田さん、落ち着いてください。此処で追い出されたら、もう二度と会えませんよ」
「分かってる。けどさ、こう、心が逸るのよ」
「急くのはわかります。でも、堪えてください」
今回、応接間に教祖は出てこず、双子兄弟だけが、恐る恐ると顔を見せた。
神崎が優しく問いかける。
「あの紙切れに書いてあった文字が、あるサイトのパスワードでした。何か心当たり、ありませんか」
「僕等は何も知りません」
「では、あの7文字をどうして持っていたのですか」
「それは・・・。たまたま洋服に入っていたのです」
「貴方がたの知らぬうちに?」
「はい」
「そうですか。とても重要なことなんです、何か思い出せませんか」
「そう言われても」
麻田は今にも双子を投げ飛ばしそうな勢いだ。そんな強気な姿勢では、態度を硬化させ、話ことさえしなくなる。
「困りましたねえ」
その時だった。もじもじしていた麻田が、大きく、くしゃみをした。どうやら、投げ飛ばしたい気持ちではなく、鼻のムズムズを我慢していたらしい。
「おう。そこのおばさん。大丈夫かよ」
双子の声だった。
「あ、変わった」
麻田が目を丸くする。
荒くれた性格が出て来たらしい。
不味い、最早こうなっては、こちらの得たい情報が得られるかどうか。
仕方ない、もう一度話してみようと、神崎は正座し直した。
「そっちの若造さんよ。聞きてえことがあるんだろ」
「はい、実は貴方がたの持っていた紙きれ・・・」
「そりゃ、俺達が下請けだからさ」
「下請け?」
「そう」
「下請けって、どういうことです?」
双子の兄が口を開こうとしたとき、麻田が再び大きなくしゃみをする。
途端に、双子は元の大人しい性格に戻ってしまった。
「今、下請けっていいましたよね、どういうこと?」
「僕たちは本当に何も知らないんです。この紙切れが何なのかも」
また、下請けの事を聞こうとする神崎を、麻田が肩を叩いて抑える。
「では、思い出したら電話いただけますか。とても大事なことなので」
「はい」
二人はまたしても、中途半端な言葉しか引き出せず、そのままタクシーを拾いサイコロ課に戻った。
「おう、お帰り。何か出たか」
「それがね、スーちゃん。自分たちは下請けだって」
「大人しい双子が口割ったのか」
「ううん。デカいくしゃみしたら出てきた、荒っぽい性格の男」
「そうか。荒っぽい方は覚えてた、ってわけだ」
「あれ、反対じゃないんですか。大人しいほうが素だと思うんですけど」
「解離性障害もそうだが、本来の自分はやったことを覚えてない。隠れてる性格がやった可能性もあるぞ」
話の途中で和田が乱入する。
「下請け、ってことは、元請けがいるってこと?」
「土木工事でいえば、発注者、元請け、下請け、孫請け。実際に手を下すのは孫請けね」
「一連の事件に置き換えてみると、孫請けは逮捕されてる。下請けが双子だろ」
「元請けと発注者がわからない、ということになるわね」
警察では、潜入捜査を続けていた麻取の報告から、あらためて教団を家宅捜索し、パソコンを押収するが、メールなどで双子が誰かとつながっている様子は見受けられなかったという。メールを消去したとみて、プロバイダに開示を要請した。
ところが、メールを送受信した記録は無く、警察は双子の兄弟を重要参考人として任意同行を求めたほか、内部犯行説を打ち立て、教祖と牧田兄妹に事情を聴いていた。
教祖も、牧田兄妹も闇サイトとの関係は否定するが、牧田兄妹は、二人で連絡事項を、SNS送受信した形跡があり、そちらから神サイト事件の計画犯、そう、発注者、あるいは元請けである可能性が高い、という事実が浮かび上がってきたらしい。
マスコミは、闇サイトから連なる一連の計画者がいたという、推理小説のような実話を、毎日のように報道する。
『現代のモリアーティ教授』として。
そんなテレビのワイドショーを、ほくそ笑んで眺めている人物がいた。