第3章 E-17ファイル 家族内惨殺事件
麻田から命令されていた合コンを、やっと先週終わらせた神崎。
頼まれてから半年以上経っていたが、その日は弥皇も交え、男女3対3の6人で会合を開催した。
金曜日と言うことで、また和田に絡み酒をし、へろへろになった神崎。
あくる週の初め、バツの悪い表情で、神崎は出勤してきた和田に礼をいいながら、データ打ち込みの準備をしていた。
「和田くん、先週はどうも」
「どういたしまして。また神崎さん酒で絡んでるし。相手が僕で良かった」
「何かと、そういう年頃なの」
「親御さんと、まだ仲直りしてないんだ」
「まあ、そんなところです」
和田が、入力用の紙データを覗きこんで、目を丸くする。
「こりゃ凄い」
声に導かれるように、神崎も紙ベースで綴られているデータの山に目を遣る。
「どのファイル?」
「E-17」
それは、家族親戚の8人の家の中に、1人の男性が入り込み、いつしか、その男性に言われるがまま、家族内で殺傷事件が起きた、というものだった。
皆が出勤する前に、神崎と和田は、その事件の概要にざっと目を通す。
二人とも、瞠目の一語に尽きた。
「これぞ、サイコパスだ」
神崎が和田を突きながら低い声で呟く。
「ここから先、有り得ない展開でしょ」
「いやあ、10年に一度くらい、こういった犯罪があったように記憶してる。主犯格は皆、極刑だったはず」
事件は、半年前の春に始まった。
都内に家族5人で暮らす一家。
老齢年金で暮らす両親と、35歳になる長女、独身。近くのスーパーでパート勤めをしている。バツイチで実家に戻っていた。理由は夫のDVだったという。子供はいなかった。
長男、32歳。独身、工場勤めをしていた。結婚歴はない。
二女、27歳。独身。こちらは中小企業で事務員の仕事をしていた。長男同様、結婚歴はない。
半年前の春。
二女は、立食形式のお見合いパーティーである一人の男性に出会った。
相手は、バツイチで40歳に近い男性だったが、高学歴で背も高い。180cmはゆうに超えている。名門私立大学の大学院卒業、現在はIT関係の会社役員だという彼。
男性はスーツ着用のパーティーだったが、他の出席男性がのっぺりとした仮面でも被っているかのように、同じ顔にしか見えない中、ペンシルストライプの濃いグレーのスーツに、ブランド品のネクタイや靴といった、今どきの洋服のセンス。スマートな身振りや話しぶり、女性に対するフェミニスト的な態度に、二女は好感を持ったという。
という内容で、パーティー後、高校時代の友人に連絡している。
当然のことながら、バツイチという点さえ除けば、女性達の心が彼に向いたのは言うまでもない。
バツイチになった理由も、奥方が精神を患い、離婚して欲しいと別れを切り出されたからだという。男性は、それでも支えるからと離婚を承諾しなかったが、精神を患った理由が奥方の何千万円という借金だと聞き、夫婦が離婚し、奥方が自己破産することで、双方が助かる方法を取ったらしい。
バツイチの理由がちょっと不可解だったが、男性の緩急突かせぬ言葉のマジックに、二女は憧れを抱いた。
こんな素敵な男性なら、他の可愛い女性に目を向けるに違いない、そう思って遠巻きに見つめる二女の下に、その彼が近づいてきた。二女は何を話していいかわからず、ただ飲み物を運び料理を勧めるだけだった。
そんな二女に、彼は話しかけた。ありきたりの話をした後、妙な事を聞かれた。家族構成である。また、親類縁者が近隣にいるのか、そういった話題を口にした。洗練された見かけとは違う彼の質問にしっくりこない空気を感じながらも、二女は質問に答えた。
家族は5人で、母方の伯父伯母家族が3人、近隣に住んでいる、と。
なぜ質問に答えたかと言えば、彼が結婚を視野に入れて自分や自分の家族に興味を示したと受け取ったのであった。
二女が思った通り、彼は二女の連絡先として電話番号を聞き、3日後、二女あてに電話が来た。会いたいと言われ、二女は有頂天になった。
他の女性を差し置いて、自分が彼のハートを射止めたのだから。
男性は、結婚を前提に交際したいと結婚を仄めかし、それを二女に告げ、通常のデートを4、5回重ねただろうか。認知心理学では「単純接触効果(ザイアンスの法則)」という考え方がある。「ひとは何かしらの対象物(ひと、物なんでも)と繰り返し接することで、警戒心が薄れ、好感度が増していく」という法則だ。
交際スタートから2か月も経っていなかったある日、男性が申し出た。
『君の家に出向いて、ご両親にご挨拶したい』
二女は、お見合いパーティーに詳しくなかったので、どれくらいの交際期間が妥当か、分らなかった。友人に話すと、善は急げと背中を押された。良い男は、早めに捕まえろというわけだ。
男性から、折角伯父伯母が近隣にいるのなら一緒にご挨拶したい、金曜の夜に行きたいと乞われた二女は、両親に話して、金曜日に、親戚の家族を家に呼んで皆で一席設けることにした。
金曜の夜が来た。
一席設けた二女の家では、家族5人全員と伯父伯母の家族3人が集まり、男性とともに9人で団欒の時を過ごしていた。
酒も進み、盛り上がっていたが、男性から二女と結婚したいという話はまだ出ていなかった。男性は伯父伯母と従兄弟に、どんどん日本酒を注いだ。
バツイチのこともあり、話しにくいのだろうと二女は勝手に思い込んだ。伯父伯母の家族や男性は余程酔いが回ったのだろう、結局その日は皆が二女の家に泊まることになった。
それが悪夢の始まりとは誰もが知る由もなかった。
男は、次の日誰よりも早く起きると、家の鍵を探しだし、皆を文字どおり叩き起こした。
今迄紳士の対応を取っていた男は、もうそこにはいなかった。暴力団のような言葉遣いに、皆が震えあがった。年配者を何度も、何度も突き飛ばし、父親と伯父は捻挫した。両親と伯父伯母は、年金手帳と年金用の通帳、カードを男に奪われた。男から、空き巣が入るといけないので、通帳や印鑑の類いを持ってくるようにと告げられ、何も知らない伯父伯母はごそごそと家の中を探し、通帳をバッグに入れて持ってきていたのだった。
そして、あろうことか、男は皆の面前で、長女を強姦し始めた。長女の叫び声、目を背ける家族たち。鬼畜男が今、本性を皆の前にさらけ出した。
長男や従兄弟は、おろおろとするばかりで何の役にも立たなかった。というのも、男が長女にナイフを突き付けていたからだった。
下手に近づけば長女が刺されるという思いから、皆、手が出なかったのである。
『助けて、誰か助けて』と言う叫び声も空しく宙に舞い、行為の後、長女は床の上に伏せっていた。
二女は、両親や伯父伯母に対する男の豹変ぶりに驚きを隠せなかったが、姉へのバーバリズムを見ると、沸々と怒りが込み上げてくるのが分った。
その長女に向けて、男は注射器のようなものを取り出したように見えた。
何を注射するのか。
皆が判りかけたときは、もう遅かった。左腕に注射された長女は、急に吐き出し、頭を抱えてトイレに駆け込んだ。暫く出ては来なかった。
長女が注射されたのは、覚醒剤だった。
どの程度の量を注射し、それがどのような禁断症状を呈するのか、家族たちは想像がつかなかった。激しい頭痛と吐き気を訴える長女に、為す術を持たない家族たちだった。
日がな一日、長女は苦しんでいるように見えた。
通常、1度に使用する覚醒剤は0・1~0・2グラムで、12時間は“効果”が持続すると言われる。長女に使用した量も、それに相当する量だったに違いない。
土曜日、結局誰も外に出ることが叶わぬまま、家族たちは男に翻弄された。
その夜、またも男は、『鬼畜にも劣る浅ましい蛮行』で長女を痛めつけた。毎日、毎晩、その行為は続いた。
覚醒剤の量が少なかったのだろうか、それとも多すぎたのだろうか。
数日もすると、長女は元気がないように見えた。落ち込んでいるようにも見えた。ぼうっとする時間が増え、家族の言葉にも反応しなくなった。
注射されて直ぐの頃は、蛮行のたびに奇声を発していた長女だったが、その奇声も聞かれなくなった。
家族たちは、長女が自分を取り戻したと、ほっと安堵の溜息を衝いた。
しかし、後から考えるに、それが禁断症状だったのかもしれない。
長女は、何と自分から男に注射をしてくれるように頼んだのだった。まるで、主人に尻尾を振る犬のように。
男は長女をじらしながら、再びバーバリズムに及ぶとともに、長女の左腕に注射器をあてた。
両親や伯父伯母、長男と従兄弟は、もうやめてくれと叫んだ。
一人だけ、そうしなかった人物がいた。二女である。
二女は男に対し、自分にも同じことをしてくれと叫んだ。家族たちは驚き、二女を叱責した。
もう、二女の耳には何も入ってはいかなかった。姉に対し嫉妬の炎を燃やし、男に寄り添い、自分から洋服を脱ぎ始めた。
男は薄ら笑いを浮かべながら、裸になった二女を見て、従兄弟を呼んだ。皆の前で強姦しろと、男は従兄弟に命令した。
従兄弟は断った。従兄弟には婚約間近の女性がいた。二女も、男でなければ駄目だと男の足下に縋った。
すると男は従兄弟の母、すなわち伯母にナイフを向けた。従兄弟は、皆に見られないよう涙を流しながら二女を抱いた。心と違い、身体は女性を目の前にするとむくむくと首をもたげる。両親や叔父叔母が目を背けるであろうことを信じ、従兄弟は二女を抱いたのだった。男はその様子をムービーに収めた。
従兄弟との姦通が終わると、二女も覚せい剤を左腕に打たれ、長女と同じように吐き気をもおよしトイレに駆け込む。
男は従兄弟にムービーを見せ、下手な真似をすれば、会社や婚約するであろう女性に、ムービーをばら撒くと笑った。
男は本性を表してから、誰一人として眠ることを許さなかった。
それが二晩続き、三晩、四晩と続いていく。
両親や伯父伯母は、体調を崩し倒れた。
月曜の朝。
長男は出勤しなければならなかった。
この家から出さえすれば、警察に行けると考えていた長男。
男にはお見通しだった。警察に行ったら二女に両親を殺させる、そう告げられ、この男なら本当に両親を殺すかもしれない、そう思うと普段通りに勤めて家に戻るしかなかった。
従兄弟もまた同じだった。
逃げたら伯父伯母を長女に殺させると脅迫された。自分が二女と姦通していること、両親の安全を考え、外では黙っているしかなかった。
長女と二女は無断で仕事を休んだ。
呂律の回らない言葉遣いと、ふらふらとした、まるで眠いかのように身体を前後に揺らしながら、男の言うことを忠実に守る子供たちを見て、母親は気を失った。
その夜、男は長女と次女の姉妹に殺し合いをさせた。何でもありの殺し合い。
二女は、長女に嫉妬していたから、長女を亡き者にしようとしていたのであろうか。包丁を持ちだし、長女のあらゆる場所に振り下ろした。
覚醒剤でその痛みすら感じなかったのか、長女は素手で二女に立ち向かう。
長男が止めさせようとすると、女たちはその腕を振り払い、男は、逆に長女と二女に暴力を振るった。
また姉妹が殺し合いを始めると、男は高らかに笑い、その様子をムービーに収めた。
長女と二女は、男の奴隷に成り果てていた。
覚醒剤を注射されると、瞳孔が開き、男の命令に忠実に従った。不眠状態で置かれた際には、寝ようとする家族をバットで叩いたくらいである。
その力が余りに強く、自分はこのまま死んでしまうのでは、と母親たちは泣いた。
3日3晩、不眠を強要した男は、4日目になると漸く両親や伯父伯母、長男と従兄弟に睡眠を許可した。一人一人を別の部屋で眠ることを条件に。
1週間と経たないうちに、まず、伯父がいなくなった。
次に、父親が。
母親が。
伯母までが、姿を消した。
半年の間に、年配の者たちは皆、いなくなっていたのである。
男は初めに、二女に伯父を殺させた。
方法は、扼殺。
家にあったロープで伯父の首を絞めさせた。二女だけでは伯父が暴れると知った男は、長女を呼び、一緒にロープを持たせた。遺体は夜になってから車に運び入れ、海に向かった。歯を全部抜き、顔全体、特に歯の周辺を大きな石で滅多打ちにさせ、崖の上から海に目掛けて放り投げさせた。
無論、男が録画していたことは言うまでもない。海に出掛ける時、男は、誰か一人でも逃げ出せば、ムービーに録画した強姦の様子や殺人の様子を、すべてインターネット上に流すと家に残る皆を脅した。
長女や二女には、事を起こす前に注射を打った。誰かが逃げ出そうものなら、二度と秘薬は打たない。逃げる奴に怪我をさせろと言い含めた。長女や二女がその言葉に従ったかどうかは、言うまでもない。
次に男は、長女に、自分の父親を殺めさせた。長女だけでは無理と知るや、二女にも父親殺しを命じた男。
伯父と同じように、ロープを使っての扼殺だった。
再び、事を起こす前に左腕に覚醒剤を注射する。
長女と二女は、女とは思えないほどの力を込めて、ロープを引き、父親が手足をばたつかせると、異様な力でそれを抑え込んだ。
当然、その様子はムービーに収められ、男は卑屈そうに、くっくっくっ、と笑う。
長女と二女はと言えば、ふらふらになり眠っているかのように見えたが、男の声は聞こえていたようである。瞬間、意識を失うこともしばしばあったが、男が命じたことは何でも言うことを聞いた。
裸になれと言われれば、素直に服を脱ぎ、男に極度のバーバリズムを許したのである。男は、長女しか蛮行の相手にしなかった。二女の相手は、従兄弟か長男。長男は暴れた。まだ母親が生きているのに、そんな真似はできない、と。
すると男は、『それなら母親を殺すか』といい、母親の喉元目掛けてナイフを突き付ける。そして長男に二女の相手をさせた。
二女は、長女がいるがために男の下にいけないことで、長女への怒りを露にし、たまに男が相手をすると、一生懸命腰を振った。
そんな、ある夜中の事。
従兄弟と長男は男からナイフを持たされた。
そのまま、長男の車に移動しろという男。
最後に、長女が母親を連れて従兄弟の車に乗り込んだ、男と一緒に。
そして、山の中に向かわされた。
長男、長女、二女の母親が3人目の犠牲者だった。
長男や従兄弟は覚醒剤を使用していなかったが、男にナイフで脅された。この時も、ナイフを喉元に突き立てられた従兄弟は、命が惜しくなったのか、すぐに抵抗することを止めた。長男は号泣したが、男になされるがままで自分から行動しようとはしなかった。
握らされたナイフで、従兄弟は車の中で、長男の母親を3回だけ、刺した。心臓目掛けて一突き、二突き。とどめのひと突きで、母親の息は絶えた。
長男たちはあとから知った。家から叫び声が洩れ聞こえないようにするために、山の中まで車を走らせたことを。
遺体は、父親や伯父のように歯を全部抜き、顔全体を大きな石で滅多打ちにした。
父親たちと同じように、海に車を向けて走るよう命じられた。
そして、崖の上から遺体を放り投げろといわれ、命令に従った。
このころ、近くの海岸にて年配と思われる男性の身元不明遺体が打ち上げられたことがメディアで話題になっていたが、長男たちはテレビを観ることを禁止されていたので世の中がどう動いているのか知ることはなかった。
その翌月、今度は伯母が4人目の犠牲者となった。
前月の母親殺害と同じやり方。
違うのは、今回は、長男が伯母を、車の中で何回もナイフで刺したことだった。死ぬ物狂いで刺した長男。それを見た従兄弟は、自分は3回しか胸に刃物を押し当てなかったのにと心の中で呟き、長男を恨んだ。
この事態で、長男と従兄弟の間には隙間風が吹くようになる。連携すればもっと早く外部に助けを求められたのではと思われたが、長男と従兄弟は挨拶程度しか交わさなくなり、事件を外部に知らせる手立てがひとつ、減った。
男は、少しでも遺体が見つかる危険性を避けたいと思ったのだろう。
重ねて言うが、長男や従兄弟は覚醒剤を打っていなかった。そのため、男に信用されていなかったのが事実である。
車には、勿論男が乗り込み、いつも一部始終を録画していた。
そうして、長男や従兄弟が警察に行きたくても行けない状況を、男は作りだしてしまった。
自分の母親を殺さないで済んだ分、長男は安堵した。
反対に従兄弟は、人を殺めたという後悔の念に、押し潰されそうになっていた。
そうして半年もの間、この一家と伯父一家は、鬼畜男に全権を握られ、犯罪に手を染め、抜け出せないところに差し掛かっているのだった。
悪夢の日々は、長男と従兄弟にとって苦痛でしかなかったと思われる。
警察に逃げ込めば、自分の犯罪も世に詳らかになってしまう。そんな恐怖感を毎日感じながら会社まで運転しているうち、ちょうど同じ日、同じ時刻に、二人は別々の場所で加害事故を起こしてしまった。
交通課の警察官が到着し、車についている飛沫血痕を不審に思われた長男と従兄弟は、同じ警察署に同行を求められ、警察署で顔を合わせた。
すれ違う二人の顔色が変わり、表情が強張ったのを、交通課の警察官は見逃さなかった。
捜査一課の刑事に連絡し、交通課の警官はそのことを話した。
二人は、車の血痕のことを調べられ、家の中で何が起きたかの一部始終を捜査一課の刑事に話した。
加害事故を起こしてから1時間後。
警察が家に向かい、殺人事件の主犯格及び覚醒剤所持の疑いで鬼畜男は逮捕された。
長男と従兄弟も殺人の実行犯、死体遺棄の罪で逮捕、長女と二女も同様に殺人の実行犯及び覚醒剤使用の疑いで逮捕された。
当初、男は長女と二女を盾に立て籠もる様子を見せた。
しかし、どうしてだろうか。
男は素直に自分からナイフを捨て、外に出てきたのだった。
今回の場合、男がやったことは殺人教唆だったが、主犯格として逮捕するには有り余るほどの状況証拠が揃っていた。肝心の自白はその後も得られなかったのだが。
長男と従兄弟、長女と二女は、裁判員裁判にかけられた。一審で、殺人罪が適用された長男と従兄弟は10年、長女は13年、二女は20年の実刑判決を受けた。意に染まない行動を取らされたという側面もあったのだろうか、長男と従兄弟に対しては、裁判員たちも様々なリアクションを見せた。同情する者あり、男二人がなぜ逃げ出せなかったのかと憤る者あり。検察側では、殺人の実行犯及び死体遺棄実行犯と定義し求刑していたが、意に染まぬ行動ゆえに傷害致死か殺人かで、裁判員の間で審理は揉めに揉めたという。
結局、早くに男性2人が逃げ出せばこのような忌まわしい事件を防げたという側面も手伝い、また、傷害致死をどこで線引きするかで協議した結果、積極的な行動ではないものの結果として死体遺棄まで自らの手で行ったことから、子どもたちと従兄弟は全員に殺人罪が適用されたのだった。
長女と二女の判決の違いは、一番初めに覚醒剤を使用した際、それが自らの意思を持って使用したか否か。長女は己の意志ではなかったが、覚せい剤を止められず、男のいうなりで善悪の判断が出来なくなった。二女は自分から覚醒剤を使用した他、殺人についても長女よりも積極的に行った点が裁判員の心証を損ねていた。
長女と二女は、覚醒剤の使用について初犯とはいえ、他に殺人まで犯したのだ。長女を可哀想に思う者こそいたが、二女へは非難の目しかなかった。
なお、長男と従兄弟の弁護士は、傷害致死であるとして、どちらも判決を不服とし、控訴する構えを見せている。長女と二女にも弁護士がついたが、長女は控訴を躊躇っているとし、二女は、全て長女が悪いという論理展開の基、控訴を検討中だという。
主犯格の男は、覚醒剤投与による殺人教唆が一家の平和を狂わせ、今回の連続殺人事件を引き起こしたとして極系=死刑判決を受け、現在控訴中である。
裁判の中で男は、ある闇サイトで、この計画を実行してくれる男性を探していたので、自分は計画に従っただけだと主張した。
しかし、現在そのサイトは閉鎖され、また、海外のサーバーを経由していたサイトだったため、足取りを終えなかったという。その闇サイトの有無、真偽さえ、怪しい。
「怖いですねえ」
「まったくだ」
神崎はブルブルッと身震いした。
そうこうしているうちに、皆が出勤してきた。
神崎は先程のE-17ファイルを入力していた。
皆、一様に驚きの表情だ。
重苦しい空気の中、麻田が先陣を斬る。
「誰かが計画したことを、この鬼畜男が実行した、ってこと?有り得ない。自分で計画したに決まってる。可哀想なのは二女を除いた子供たちじゃない」
須藤は、どうにも納得がいかないらしい。
「そりゃ、有り得ない事件ではあるな。けどさ、この男の証言、一貫してるんだよ。普通、嘘ついていれば、どっかで綻び出るだろう」
「だからこそのサイコパスじゃない。この鬼畜男、根っからのサイコパスなんだわ」
「そうかなあ、俺にはこいつも実行犯にすら見えてくる」
入力しながら神崎も仲間入りする。
「だからうちにデータが着たんですよね、この男がサイコパスだという想定で。もしこれが実行犯だとしたら、その上にもっと強烈なサイコパスたる人物がいるっていうことですか」
「姿さえ掴めないサイコパスを捕まえるのは、至難の業だぜ」
「確か、この男も覚醒剤常習者なんでしょう。計画なんて、いくらでも立てられるじゃないの。証言が一貫してるサイコパスってのも、何となく不思議だけどね」
珍しく、和田が参戦しない。
麻田が和田の顔を覗きこむ。
「どうしたの、和田くん。珍しいわね、サイコパス事件に首突っ込まないなんて」
「麻田さん。僕、この事件、何か途轍もない闇世界の一端のような気がするんです」
「闇世界?」
「小説なんて、って皆さん言いますけど、ホームズに出てくるモリアーティ教授のような人物が、もしいたとしたら、その人物が誰かに計画を実行させていたとしたら、どうです?」
「それこそ有り得ない。あれは小説の中だから何でもありーの展開になってるだけよ」
「そうかなあ。なんか胡散臭いんだけどなあ」
課長が、大きく溜息を吐いた。
「データだけでは、うちに回ってきた意味がわからんな。この主犯格がサイコパスなのか、誰か別にサイコパスがいて、そいつを追えと言うシグナルなのか」
雀たちは口を揃える。
「万が一別に計画者がいるとしても、どうやって追えばいいんです?」
「課長、無理ですって。いくら私たちでも霧のような計画者を追うなんて」
「でも、これを参考にすれば、第2、第3の計画が分かるかもしれませんね」
「いや、無理だし」
課長は一瞬、言葉に詰まったような表情をみせたが、次の瞬間にはいつもの課長に戻っていた。
「このケースを頭に叩き込んでくれ。これから起こる他の事件とランダムに交差するかもしれない」
「ラジャー」
警視庁が先に逮捕された男の近辺を洗ったが、特に計画犯の存在は認められず、鬼畜男が計画性を持って4名を惨殺したという罪で、その身柄は検察庁に送られた。
和田は少々不満そうだったが、E-17ファイルについては、鬼畜男がサイコパスである、という結果をもって、サイコロ課での議論は終了したのである。