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7話【奇策】

 そんなことできるわけないじゃないですか、と部員の誰かが言った。先ほどの常木の相手の2塁盗塁は無視すればいいという話に対してだった。

「まず考えなくてはいけないのは私たちの戦力で柊光の2盗を阻止することができるかということです。キャッチャーの石田君は強肩ですが、エースの赤沢君はクイックが得意ではないですよね?」

 赤沢は小さくうなずく

「陣は普通にセットポジションで投げるだけでも苦手だもんなー」と井ノ口。「うるせえんだよ」

「谷口君はどうですか。クイック?」

「苦手意識はないんですけど、でも得意でもないっすね。それに俺どうしても球速そのものがそんなに早くないんで」

「俺は苦手ですね」と徳山が聞かれる前に答える。徳山は左ピッチャーであるが、左ピッチャーは往々にして一塁側に顔を向けているため牽制をしやすく、クイックを重要視する必要がないためにクイックが苦手である。

「そして宮道君の速いクイックは盗塁に対しての強い抑止力になるでしょうが、タイミングの幅で勝負する宮道君がそのモーションでばかり投げるのはその持ち味を消してしまうことになりかねない。たとえばストレート中心のピッチングをしたり、ウエストを何度も投げれば、盗塁を阻止することができるかもしれません。でもそれによって痛打されたり、カウントを悪くしたりするぐらいであれば無視してしまうのも1つの手ではないでしょうか。野球は盗塁を決めるゲームではありません。点を取るゲームです。盗塁も盗塁阻止も攻守それぞれの手段の一つでしかありません」

 確かに宮道自身バリエーションが持ち味の自分の投球が球種もフォームも場合によってはコースも絞られるということはとても危険なことであるように思えた。

「何も2盗を完全に無視しようというわけではありません。ただ無理して盗塁を刺す必要はない。刺せてラッキーぐらいに考えようということです。ほんの時折ウエストや石田君の鋭い牽制や宮道くんの牽制を入れてやればいい。私たちが2盗を無視していることは早晩相手も気付くでしょう。そんな中不意に仕掛ければアウトにできる可能性は高いと思いますよ」

「問題が一つあると思います。俺と同じシニアだった柘榴塚。あいつは三盗どころか本盗もガンガン決めるような怪物です。あいつに限っては盗塁をいくらしたところでそれが直接得点になるわけではないという常識があてはまらない」

「ちょうど俺達もそれをお前に聞きたかったところだ」と石田が言う。

 宮道は石田の言葉を受けて、柘榴塚について語ることになった。

 柘榴塚祐。東北沢シニアでは1番セカンドだった。その特徴は間違いなくその俊足だろう。トップスピードも速いが、トップスピードに乗るのも早く、さらにスタートもいい。彼は中学時代その俊足を生かし、本塁盗塁を何度も決めている。さらには2塁盗塁を失敗したことは中学時代一度もないという逸話も持っている。単に俊足なだけではなく、ピッチャーを観察する能力が優れていることも彼が盗塁を得意とする大きな要因の一つだろう。

 その俊足は守備にも活かされている。驚異的な守備範囲を誇り、シニアやU15代表では不動のセカンドだった。

 バッティングも脅威である。確かなミート力に、平凡なゴロを内野安打にしてしまう凄まじい脚。そのために打率が高い。しかし恐るべきはその出塁率のほうだ。驚異的な選球眼とカット技術の前に相手ピッチャーは四球を連発させられる。そして彼を1塁に出すということは最終的にホームランを打たれたことと同じ結果になりかねない。常木の言う作戦を取るにしても柘榴塚に関してだけは特別な対策を取る必要があるだろう。

 結局結論は出ないまま練習を再開し、柊光戦でどういう方針を取るかということは一旦保留することとなった。皆、常木の言うことに一理あると感じつつも受け入れがたいという気持ちがあるようだった。


++

 ミーティングのあと練習を終え帰路についていた3年生たちは常木の言っていた風変わりな作戦について考えていた。

「俺は反対だぜ。うまくいきっこねえ、あんな作戦」と寒河江が言う。

「ああ。野球経験はあるらしいが、監督経験は女子ソフトの経験しかないんだろ。やっぱ高校野球のことなんてわかってねえんだよ」と中森も賛意を示す。

 3年生は前任監督の大石をとりわけ信頼しており、常木の就任を受け入れられていない者も多かった。

「そうかな。俺はある程度理屈の通った意見だと思ったよ。そりゃ盗塁も警戒するのが最善だろうが、正直やるべきことを全部十全にやれるだけの実力は俺達にはまだない。それに柊光と当たるまで練習できるのはせいぜいあと2日分だ。盗塁を無視することにすれば必然的に盗塁警戒の練習は少なくて済む。その分打者と投手の攻略に時間を割けるんじゃないか」と石田が言う。

「お前、常木の肩持つのかよ」と言うのは寒河江だった。

「別に肩持つとかそういう話ではない。お前たちこそあの人をもっと信頼してはどうだ。大石監督はとてもいい監督だったが、だからと言って常木監督が悪い監督なわけではない」

 瞬間一触即発な雰囲気となる。

「まあまあ、その辺にしとこうぜ。仲間割れしてる場合じゃないだろ。それに俺も常木くんは悪い先生じゃないと思うぜ。うちのクラスでも人気だしな」と青木が場をいさめようとする。

「悪い。別に喧嘩するつもりはないんだが」と寒河江が肩をすくめる。

「勝ちたい気持ちは全員一緒だ。そしてそれはあの先生もだと思うぜ」

 青木は破顔しながら言う。


++

 4月8日 大会初日早朝

 宮道は試合会場へ向かう電車に乗っていた。今日の小田原北条との試合は横須賀市営球場で行われることになっている。

 結局あのあと3年生の申し出で2回戦は基本的には盗塁を無視するという作戦を取ることになった。

「おっ、宮道じゃーん」

 途中の駅で知った顔が乗り込んできた。五十鈴律。花緑学院野球部のマネージャーを務める2年生だ。数字やデータ処理に強く、選手たちが対策を立てるための元データを映像やスコアなどから作っていることが多い。今日は目の下に大きなクマを作っていた。

「眠そうですね」

「まあね。昨日徹夜でデータ作ってたからね」

 実はあのあと常木が花緑学院の関東大会2戦分の映像、秋の県大会数試合分の映像をどこからか入手してきたのだ。知人から渡されたとか言っていたが。しかし結局流石に今日の相手、小田原北条の分は入手することができなかった。

「それはそれはお疲れ様です」「まあアンタらはプレーで頑張る。私は裏方頑張るそれだけの話だから」

「でも結局小田原北条のデータは入手できなかったんですね」

「まあね。それは確かに不安材料だよね。予選3試合は点数だけ見れば2-0、3-2、0-8で2勝1敗。うちと同じくグループ2位で本選まで来た。最後の1試合は昨年夏にベスト4まで行った日笠高校だからとりあえず除外するとして守備のいいチームなのは間違いないだろうね。後少なくともウチよりは安定感のあるチームだよね」

 花緑学院の予選成績は7-4、9-2、6-4で2勝1敗だと聞いた。

 次の停車駅に着くと今度は副部長の青木が乗ってくる。

「うーす、宮道。五十鈴ちゃんは今日もかわいいね」「うへぇ、今日もちゃらいっすね、青木先輩」と五十鈴。

――あと数時間後には試合が始まる。今日勝てば次はあの祐のいる柊光とだ――

 宮道は自身のなかの血液が沸き立つのを感じた。


++

「おっ、来たぜ、花緑」

 小田原北条ベンチに深く座った選手が花緑学院が反対側のベンチに入ったのを見てそうつぶやく。彼の名前は新島。小田原北条の2番セカンドを務める。

「ああ」とグラブをいじりながら生返事をするのは岡崎。3番サードでキャプテンを務める選手だ。

「あいつら俺らのことなんて全然警戒してないんだろうな」

「それは俺達もだろ。まあというか組み合わせが決まったのなんて一昨日のことだし毎年2,3回戦には消えてるようなチームなんてお互い調べようがないだろうけどな」

「でも花緑の速球投手の話は結構有名だよな」

「ああ、おかげで俺達もこの数日はずっとスピードの速いマシンの練習してたからな」

「でも向こうは知らないよなウチのエースのウイニングショット」

「だな。目にもの見せてやれよ、柏木」

「うす」

 柏木と呼ばれた選手は爪をやすりで研ぎながら顔を下に向けたまま返事をする。

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