2話【紅白戦】
「では入学式も終わったことですし、早速練習に出てみるのはどうですか」
常木は相変わらずさわやかな顔で言う。宮道の心中は穏やかではなかった。高校野球においては監督の能力は重要視される。
このチームの成績は昨夏は3回戦負け、昨秋は1回戦負けであるという。チームは今年で4年目ということになるが、いまだ3回戦の壁を破ることはできていないらしい。
「はっきり言って俺は大した実力の選手じゃないんですよ。監督に乗せられていい気になってましたけど、当の監督は人を誘っておきながら知らないうちにやめてるし。俺がいたところで甲子園なんて行けるわけがない」
「そうでしょうか。私も君の投球は見たことがありますが、素晴らしいものだと思いました。私の見解では何の保証にならないかもしれませんが、それに君はこれから君の仲間になるであろう人たちに期待していないようですが、そう捨てたものではないかもしれませんよ。君の恩師である大石監督は秋の大会でベスト4を狙えると公言していたそうです。結果は一回戦負けでしたが、君が信頼する監督がそこまで言ったんですし、期待してみてもいいのでは」
――恩師ね。つい先刻まではそう思っていたが、俺を誘っておきながらクビになってるし。しかもそれを伝えもしてくれないとは。正直なところ不信感しか抱けない。まあしかし大石監督の指導能力は確かなものだし彼が二年間鍛えた野球部に期待してみるというのも悪くはないかもしれない――
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ピッチャーの手元から矢のように放たれた速球がキャッチャーミットに突き刺さり轟音がうなる。今マウンドで投げているピッチャーは長身で目つきが鋭く、一球投げるごとに吠えている。いかにも気が強い投手という風貌だ。
「彼が赤沢くん。2年生でうちのエースを張っています。」
「速いですね、球」
「最速144キロだそうです」
――だがコントロールが悪い。どの投球も投げてからキャッチャーのミットが大きく動いている。――
「どうです? そう捨てたものではないでしょう」
「そうですね。少なくとも県大会1回戦負けが実力というわけではないのはわかりました」
「私が懸念しているのは宮道君がチームの皆さんに受け入れられるのかということです」
宮道は常木の言葉に怪訝そうな顔をする。
――そりゃああれだけの投手がいれば初っ端からエースになるのは無理だろうが、何も最初からエースになる必要はない。あれだけの投手がいるならば俺は2番手でも問題はない――
「大石監督は比較的2,3年生の信頼を得ていたようです。彼らから見れば私などはまだまだ学校が急に用意してきた邪魔者なんですよ。実際部活を見ているのも今月からですからね。さらに言えば宮道君は監督が代わるのと同時期に、その学校側が連れてきた期待の新人。このままではチーム内の分裂を招きかねないわけです」
「なるほど。で、常木先生は何が言いたいんです?」
「紅白戦をしてみるのはどうでしょう。すでに春休みには推薦組の1年生が4人参加していますし、どうやら新入部員もある程度は集まっているようです。上級生対下級生で試合をするには十分でしょう。どう説得したところで彼らの私達への反感は消せません。実力であなたが特待生に選ばれるだけの選手であると証明するほかない気がしますが」
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その後、新入部員の自己紹介や部長、監督のあいさつが終わり、早速上級生対1年生の紅白戦が始まろうとしていた。
「こっちのチームの監督は俺がやります。つっても打順やポジション決めたり、適宜ポジションの交代とか指示するだけなんで。具体的なプレーの内容とかは自分で判断して決めてください。この試合で活躍した人は3日後の地区大会のベンチ入りも狙えるんで頑張ってください」
坊主頭で眼鏡をかけた男が実に事務的な言い方で激励をしてくれる。彼は石田祐一郎。花緑学院野球部のキャプテンである。打順は6番、ポジションはキャッチャーである。
「じゃあまずこちらの攻撃からだし、ポジションは後回しにして打順から決めていきましょう。じゃあまず一番打ちたい人」
宮道は石田が言い終わるか終わらないかのうちに手を挙げる。
「それじゃ早い者勝ちで、宮道君が1番ということで」
「よし、それじゃいっちょかましてきます!」
自分たちの学年で唯一の特待生、その宮道がどれほどの打撃を見せるのか一年生全員が注目していた。
宮道は一礼して左打席に入る。彼は右利きであったが中学からは左打席で振ることが多くなっていた。それほど優れた打者ではない自分は一塁に少しでも近い左打席を選択するべきだと思ったからだ。相手ピッチャーの赤沢は右投手であるため、その点でも左打席に入るのは有効だろう。
赤沢は投球動作に入る。足を普通より大きく上げた比較的特徴的なフォームだ。ムチのようにしなった腕から矢のような速球が放たれ、キャッチャーミットに刺さる。同時に新盤を務める常木がストライクを宣告した。
――速ええ。遠くから見るのと打席に立って見るのじゃやっぱり違うな。高めの甘いコースに来てたけど、いくら甘い球でもこの速球をヒットにするのは簡単ではなさそうだ。――
その後あっさり2ストライクノーボールまで追い込まれるものの、続く2球は外れて2ボール2ストライク。
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正捕手の石田の代わりにマスクをかぶる井ノ口は目の前の打者を観察するように見上げる。
――随分あっさり見送るな。流石にバットは動きかけてるが。まさかとは思うが陣の速球を見極めてるのか? それともただ振る気がないだけか。まあ特待生だし、油断は禁物か。と言っても相変わらず陣の球は全然構えたところに来ないし、俺にできることはさしてないけどな――
5球目もボール。そして6球目は低めストライクコースに直球が来る。振る気がないかに見えた宮道だったが、小さなスイングでボールの真下辺りを叩く。ボールはバックネットに向かって飛んでいきファールになった。
「君やるなあ。陣の球に初打席で当てるか」
井ノ口は期待の一年生がいきなりエースの球に当てたことに敵チームながら素直に賛辞を贈る。
「スピードは慣れで対応できる部分も大きいですからね。打てるかどうかはともかく当てるだけなら」
――そういえば宮道君のチーム、東北沢シニアには中学生にして148キロを投げる超中学生級の選手がいたんだった。なんかカットする気まんまんっぽいし、ここで粘られるくらいなら出し惜しみしないほうがいいかな――
などと考えながら井ノ口は赤沢にサインを送る。
7球目コースも高さも甘いところに来たボールは打者の手前で鋭く落ちる。宮道のバットは空を切った。
「ストライクバッターアウト!」
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宮道がベンチに帰ろうとすると、前から同じ1年生の梶尾が歩いてくる。どうやら2番打者は梶尾のようである。梶尾は推薦組の1人で外野手であったはずだ。
「最後の何?」
「多分縦スラ。スピードあるぞ」
「了解。やれるだけやってみる」
結局赤沢は3番打者に四球を与えるも初回を3三振で終える。