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ショウ・マスト・ゴー・オン  作者: 浜田山 松
6/26

6 演習

 オープン前の銀行は朝礼がいつものように馴れ合いの中で進んでいた。それももうすぐ終わる。裕子は他の銀行に比べてここの朝礼は本当に意味に無いものだといつも思っていた。全てが形式なのである。裕子がここ高円寺駅前支店に赴任してきて、もうすぐ1年になる。初めてここの朝礼に出て、とても驚いた。支店長の佐野がその日の予定と目標を発表するだけであった。佐野が読んでいるその紙をコピーして配れば済むことだろうと仲間達とよく揶揄している。

 裕子は外を眺めていた。二月の小春日和。通りを歩く人にマスクをしている人を見かける。杉花粉が飛散し始めたのだろう。ずっとよそ見をしていても何も言われない。紙ばかり見ている佐野が気付くはずもない。

「それと今日はまだ話があります」

 佐野はスーツの内ポケットから封筒を出して、その中に入っていた書類を開いた。

「来週杉並警察署による銀行強盗の演習があります。時間等は未定です」

 裕子は随分急な話だなと思った。こういった訓練等は月間予定に組まれているからだ。

「詳しいことはまたお話しますが、これはより本物に近い演習だと思っていて下さい」

 佐野は一同を見渡してから言った。

「これで朝礼を終わりにします。今日も一日がんばりましょう」

 佐野のとてもわかりにくい説明に誰も質問をしようとしない。形式上の朝礼だから、誰も何も興味を示さない。


 演習


 真剣さが欠けるのはこの言葉のせいであろう。学校の避難訓練。しゃべりながら生徒が教室から校庭へ移動するだけだった。その経験からみんなも流してしまっている。

 本当に無意味な朝礼だと裕子は思いながら、持ち場であるカウンターに向かおうとした。そのとき佐野に呼び止められた。

「広瀬君。ちょっといいかね」

 佐野が手招きをしている。

 ――おまえが来いよ

 と裕子は思いつつも愛想笑いで応えた。そこには自嘲も含まれている。

「何でしょう?」

「演習のときに、君に現金の受け渡しの役をやってもらいたいのだが」

「はい?」

 唐突の話で裕子は気分が悪くなった。

「先程の話といい、意味が全く伝わって来ないのですが」

「そんなこと言われても僕だってあれしか伝えられていないんだから、しょうがないでしょう」

 佐野は金切り声を上げた。裕子は呆気に取られてしまった。自分の発言がそこまで彼を取り乱すほどのことだったのか、もう一度思い返してみた。

 佐野の方もばつが悪いのか、辺りを見渡しながら「コホン」と咳払いを一回して言った。

「今度警察の方が説明に来てくれるそうなので、君も同席したまえ」

「わかりました」

「付いて来てくれ」

 佐野はそそくさと歩いていった。向かった先は金庫室だった。

 佐野は金庫室の大きな扉についているハンドルを回した。

 そして扉を開けた。扉はゆっくりと開いた。本当にそんなに力を入れなければならないのと、思うくらい佐野は額に血管を浮き上がらせて開けている。裕子はよほど手伝ってやろうかと思ったがやめた。

 扉が開くとその向こうにある鉄格子が上がった。その向こうには通路を挟んで両側に部屋が二つずつあって、そこに現金が保管されている。

 佐野が金庫室に入ったので裕子も続いた。

「君は犯人役にスポーツバックを渡されたら、今この棚にある段ボールの中に入っている札束を詰めて下さい」

 佐野は三つある段ボールのうち一つを開けた。中にはぎっしり一万円札の束が詰まっていた。

「それは本物ですか?」

 佐野は札束を一つ取って、裕子の目の前で何枚かパラパラと捲った。一番上の一枚を除けば後は白紙だった。

「どうです、本物そっくりでしょう。上と下だけ偽札」

 佐野は自慢げに言った。

 ――何でお前が得意気に言うのだ。

裕子は心の中でツッコミをいれた。

「当日は詰めやすいように直前に私が段ボールから出しておきます。いいですか? リアリティ出すために全部入れるのですよ。時間も計ってデータに取っておくのだから」

「はい……」

「以上です。持ち場に戻ってください」

 そう言って佐野は裕子の顔の前で人差し指を必要以上に振った。その仕草一つ一つに裕子はムカついた。

「さあ、用が済んだらここから早く出て下さい」

 佐野は裕子の肩を押すようにして金庫室から出るように促した。裕子はあまり触られたくないので自分からさっさと出た。

 金庫室を出た佐野は足早に支店長室に引っ込んでしまった。


「絶対気があるよ」

 昼休みは弥生と外で食べていた。銀行を出ると自然と佐野の悪口になる。中だとどこで聞かれているかわからないから。

「誰が?」

「佐野よ」

「まさか。こんなにいびられているのに?」

「それよ。パワハラ&セクハラが好きなのよ」

「嘘、キモイ」

「ことあることに仕事押しつけるじゃない」

「雑用ばかりじゃない」

「それよ。『どうでも良い仕事、やらされる率ナンバーワン』そうやって裕子を見ていたいのよ」

「その『どうでも良い仕事、やらされる率ナンバーワン』て言われ方むかつく」

「まあまあ」

「でも、用を言ってさっさと行ってしまったり、ほったらかされたり」

「放置プレーが好きなのよ。でも絶対全て見てるから」

「本当キモイ」

「今度佐野が居ないところで、わざとミスってみなよ」

「なんで?」

「きっと飛んでくるわよ」

「まじ?」

「この間、聞かれたの。裕子に彼氏いるのか」

「いるって言ってくれた?」

「いないって……」

「バカ、そこまでわかっているのなら。気使いなさいよ」

「なんか、こじれておもしろそうだったから」

「ひどい」

「それに、いるって言ってどんな人と言われたときに想像付かなかったのね。裕子の彼氏」

「何、それ」

「何でだろうね。でもどんな人がタイプなの」

「イケメン」

「誰だってそうよ。もっと具体的に」

「そうね……」

 裕子は高校時代、隣の席にいた男子のイメージを話した。


「広瀬君」

 裕子の全身に鳥肌が立った。先日の弥生の話を聞いてからどうも裕子は佐野を生理的に受け付けなくなってしまった。体が勝手に拒否反応を示してしまう。

「ちょっと来てくれ」

 そう告げると佐野はいつものように、一人でさっさと行ってしまった。

 裕子は変顔をしてみた。

「なんです。その顔は」

 佐野は歩きながら言った。

 裕子はぞっとした。弥生の言うことは本当かもしれない。

 佐野は二階に上がり、接客スペースに入って行った。パーティションの向こうには二人の男性が座っていた。

「早く来たまえ」

 裕子はムッとしつつも、佐野の横に立った。座っていた男性達も立ち上がった。

「こちらが杉並署の小橋さん。今回の演習の責任者です」

「よろしく」

 小橋が右手を差し出してきたので、裕子も応えた。がっちりとした体格でとてもいい声の人だと思った。

「今回犯人役の……」

「浩次君?」

 裕子は驚いた。目の前にいるのは高校時代の同級生だった。

「何、二人は知り合い?」

 小橋が目を丸くし尋ねてきた。

「ええ、高校時代の同級生です」

 裕子は浩次を見ながら話した。あまりの懐かしさに目を離す事ができなかった。

 変わっていなかった。甘いマスクにどこか影を落とした感じは高校時代のままだった。部活動やバンドもやっていない目立たないはずの存在だったが、それでもファンは多かった。二年のときに同じクラスで、隣の席だったこともあり、よく話をした。といっても話しかけるのはいつも裕子だった。浩次は裕子の他愛の無い話でも付き合って聞いてくれるし、膨らましてくれる。冗談も言う。以外に面白い人。

「えー、いいですか」

 小橋が二人の思い出にすまなそうに割って入ってきた。

「当日の段取りなのですが……」

「広瀬さんしっかり聞くんですよ」

 ――本当にテンション下げる人だ。

 佐野の声にせっかくの気分が台無しになった。小橋が一回咳払いをしてから続けた。

「と言っても、あくまで実践的な演習なので打ち合わせは無しに等しいです。開始時刻午後2時です。5分前になったら店内のお客様には佐野支店長から説明をしてもらいます。行内での演習は10分程度だと思いますのでその後に参られたお客様にも終了後、充分な説明をよろしくお願いします」

「わかりました」

「彼らが去った後は普通に営業を再開してください。佐野さんはその時の対応をよろしくお願いします」

「はい」

 佐野は眼鏡を上げながら言った。

「そして広瀬さん」

 小橋が裕子の方へ顔を向けた。裕子は小橋のその態度に誠実さを感じた。

「あなたが浩次の差し出したバックに現金を詰めて下さい。浩次も広瀬さんとは顔見知りの様ですから間違いは起きないでしょう。何か質問は?」

「いいえ」

 裕子と佐野はそろって返事した。裕子はそれだけで虫酸が走る。

「それでは私達はこれで」

 小橋は浩次を促して立ち上がった。

「浩次君」

 思わず裕子は声を掛けてしまった。浩次が振り返った。

「もうすぐお昼休みなの。どう? 一緒に」

 裕子の背中に悪寒が走った。佐野の視線に体が反応した。裕子は振り返りもせず無視した。昼休み何をしようがこちらの勝手だ。

 浩次は小橋の顔を見た。

「ああ、ここで別れようと思っていたからかまわないよ」

 浩次は頷いた。


「でもね、いくら実践的な演習と言っても、意味無いと思うのよ」

 裕子はパスタにフォークを絡ませながら言った。

「どうして?」

 浩次は食べてきたからと、コーヒーを飲んでいる。二人は近くのファミレスにいた。

「だって私たちは演習って知っているわけだから、現金を渡したらすぐに非常ボタン、押しちゃうよ」

 非常ボタンが逃亡開始の合図である。そこまでが裕子の役目。

「それはどうかな」

「どうして?」

「俺の演技を見たら本物が来たと思って動けなくなるから」

「ほー、それは楽しみですね」

「まあ、君は審査員の気持ちでいてくれよ」

「それじゃ、浩次君の演技が駄目だったら容赦なく非常ボタンを押させて貰いますからね」

「どうぞ、どうぞ」

「本当は浩次君の逃亡を助けてあげようと思っていたのにね」

 裕子は思わせ振りに言った。

「うっ」

「報酬のチケット、絶対欲しいよね」

「それは……」

 明らかに浩次の動揺が伝わってきて楽しい。

「そういう態度だったら、こちらも遠慮なくやらせて貰いますからね」

「……やっぱり」

「そうしたら浩次君、逃亡どころか私の目の前でお縄頂戴って感じになっちゃいますよ。惨め」

 浩次の表情が変わった。

「はぁ? 言ってくれるね」

 不機嫌そうに浩次は言った。しばらく見つめ合った二人は同時に吹き出し大笑いした。裕子はこんなに心の底から笑ったのは久しぶりだと思った。

「演劇やっているんだ。ちょっと意外だな」

「そう?」

「だって高校時代は何もしてなかったから」

「そうだね。高校出てから目覚めたから」

「公演とかやるの?」

「うん、4月にね」

「観に行きたい」

「本当? 嬉しいな」

 浩次が笑顔を見せた。

「相手から進んで来てくれると言ってくれるのが一番嬉しいんだ」

 そう言いながら浩次はカバンからチケットとチラシを出して裕子の前に置いた。自分から話題を振る浩次は高校時代を含めて初めてだ。本当に嬉しいのだなと裕子は思った。

「そうなの?」

「そう、俺なんかまだ出ているからいいさ。出てないと売るのが大変でね」

「浩次君、出るの?」

「失礼な。ほら名前が一番上だろ」

 浩次はチラシの裏側のキャストを見せた。五人の並んだ顔写真の右から二番目に浩次がいた。

「本当だ。じゃあ、結構重要な役?」

「主役です」

 胸を張る浩次。

「嘘。すごいじゃん」

 裕子も尊敬の気持ちを込めて浩次を立てた。

「でしょう!」

 身を乗り出す浩次。

「どんな話なの?」

「それは、まだ決まってない……」

 浩次のテンションは下がってしまった。

「でもタイトルは決まっているじゃない」

 クールなキャラだった浩次がこんなにも感情を露わにして話しするのが新鮮で裕子は楽しかった。浩次の色々の表情を見たかった裕子は意地悪な質問で煽った。

「準備の関係でタイトルだけは先に決めるんだ」

「そうなの? それで大丈夫なの?」

「そんなものだよ」

「それで主役とよく言えたわね」

「そこはこの間の稽古で会心の演技をしたから。座長から役柄を直接言われた」

「そうなんだ。でも心配じゃない?」

「そこはもう慣れだね。だけど座長の頭の中にはすでにある程度の構想は出来ているんだ。あとはそれをみんなで形にしていくだけなんだ」

「じゃあ、取りあえず心配ないんだね」

「そうでもないんだよ」

 この位で話をまとめようとした裕子に浩次が切り返してきた。

「どっちなのよ!」

 裕子は笑いながら言った。

「座長の筆が遅くてね」

 浩次はため息交じりに言った。

「まったく苦労が絶えないんだね」

「そうなんだ」

 二人で肩を落とした。そして二人は同時に笑った。

「それで真ん中に写っているのがその座長って訳です」

 端正な顔立ちをした写真の下には藤原弘明と書いてあった。なるほどその名前は脚本や演出などいろいろなところに記されていた。

「へえ、若い人なんだ」

「そうでもないよ。今年で三十五だから」

「でもこの写真を見るとそうは見えないわ」

「それは五年以上も前の写真を使っているんだから。なかなか変えようとしないんだよ。『浩次今回もまだ平気だよな』とか言って、俺なんかには毎回写真撮りに行かせるくせに、だんだん追いついてきちゃったよ」

 裕子は笑った。

「それで浩次君はどんな役なの?」

「銀行強盗」

「嘘」

 裕子はまた思いっきり笑ってしまった。



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