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ショウ・マスト・ゴー・オン  作者: 浜田山 松
4/26

4 すべてはこの夜に始まった。

 2月上旬の東京は寒さが一番厳しく身に凍みる。誰もがアルコールを体内に取り込んでから家路につきたいと思うのだろう、居酒屋は満員であった。中野という場所から客層はサラリーマンと学生が半々だった。

そのどちらとも属さないテーブルがあった。翔のテーブルだった。メンバーは他に浩次と明。3人は年も離れていて、学友のようでも無い。でもその装いは明らかにサラリーマンとは異なっていた。

 翔達は全員身を乗り出して、額を擦り合わせるように座っていた。

「もう一度段取りを確認しましょう」

 翔は言った。

「銀行に突入したら、まず俺と明がカウンターを押さえます」

 翔は隣に座る明に同意を求めた。明は頷いて返した。

「明が客を抑えて、俺が防犯ビデオを壊して、浩次さんが現金を奪う。と言うことでいいですか?」

 浩次が頷いた。浩次のOKがもらえて翔もほっとした。

「それと拳銃はどうします?」

 翔と明はテーブルの向かいに座る浩次の方を見て意見を求めた。うつむき加減で話を聞いていた浩次は彫りの深い顔をこちらに向けて言った。

「俺が何とかしよう」

 浩次は目を細めた。彼が考え事をしている時の顔である。おそらく拳銃の入手方法を頭の中で確認をしているのだろう。

「お願いします。それではOKと言うことで」

 3人は乗り出していた姿勢を崩した。

「ふー」

 皆が一斉に大きな息を一つ吐いた。そして同時にジョッキに手を伸ばした。

「生中もう1丁」

 浩次が店員に声を掛けた。翔より倍のペースだ。それでも翔はもうかなりいい気分になっていた。

「今の話を他の人が聞いたらどう思いますかね?」

 明が周りをキョロキョロ見回しながら小声で言った。翔は思わずプレリードッグのように背中を伸ばし慌てて周りを見渡した。満員の他の客達は誰一人として翔達の会話など関係無しだった。翔はほっとして力が抜けた。そして思わず笑ってしまった。

「通報ものだぜ、こんなの普通。これが都会の寂しさか……」

「知らない間に警官に取り囲まれたらびっくりするでしょうね」

 明は右手を口に当てて、おばさんが話すような素振りで言った。

「動くな!」

 翔は突然立ち上がり、右手で拳銃の形を作り、明のこめかみに人差し指をぐりぐり押し当てた。

「手を挙げておとなしくしろ!」

 急に大声をあげた翔に周りの視線の全てが注がれた。

「なんてね。やっと気付いてくれて、ありがとう」

 そう言って翔は手を振った。

「ほら翔、店員さんが迷惑しているだろ」

 浩次が言った。口調は怒っているようだが表情は十分楽しんでいた。翔の後ろには、なみなみとビールが注がれたジョッキを6つ持った店員が少し迷惑そうな顔をして立ち往生していた。

「すいません。俺ね。嬉しいことがあったのですよ」

 翔は今日、次回公演の出演を発表されたばかりだった。劇団に入って2年目にして初めてのチャンスであった。

「デビューが決まったのです。かんぱーい」

 そう言って翔は自分のジョッキを店員の6つのジョッキに合わせた。カチンと言う音がとても心地よく翔の心に響いた。

 今日は練習日だった。練習終わりに3人で今日の練習の駄目出しと次回の即興のネタ合わせをここでしていた。

今話していた銀行強盗の話がそれだった。周りが見えなくなるほど没頭していた。

熱が入っていたのはこれは次回公演で良い役を貰える絶好のアピールチャンスだから。

劇団はあと2ヵ月後の4月に公演を控えていた。この頃になると座長の藤原が公演に向けて案を出し始め、その設定でイメージを膨らますために団員達に即興練習をやらしてみる。当然ここで藤原のイメージに合えばその団員がメインに話が展開されるのは間違いないとあって、みんな力が入るのである。

 今回の銀行強盗の設定は劇団に今まで無かったサスペンス的要素を取り入れたいという藤原の意向からだった。

「今日は集まりが悪かったですね」

 明がビールの泡を拭いながら言った。

「まあ、この時期はしょうがないかな」

 翔が答えた。練習が終われば毎回飲みに行くのが慣例。普段は劇団員のほとんどが来るのだが、今日はたまたま集まりが悪く3人という寂しい飲み会となってしまった。

「どうしてです?」

「みんな蓄えなくちゃいけないだろ」

「もうすぐ皆さんがよく言う『公演モード』ってやつに突入するからですね」

 明はそう言って何度も頷いた。

 劇団員は公演1ヶ月前になると全員仕事を休んで準備と練習に当たる。今はその丁度1ヶ月前、すなわち公演2ヶ月前ということで、多くの劇団員がバイトの量を増やしてそれに備えているのであった。

 やはり劇団員はみんな基本貧乏だ。定期的に1ヶ月間も公演のために拘束されるのだから堅気の仕事は付けるはずがない。

「僕は初めてだからドキドキしますよ」

「そう思えるのは最初の1回きりだから」

 翔は2年前の自分を思い出しながら言った。確かに初めての公演の前は今の明のように希望に溢れていた。しかしもう次の公演ではいろいろなプレッシャーからブルーになるばかりだった。

それでもやめられないのは、演じることの楽しさzを知ってしまったから。「役者バカ」という言葉が翔はとても好きだ。座右の銘としている。

 それとこうして練習後に仲間と飲む酒の美味さも知ってしまったから。これが公演後の打ち上げの酒は何十倍にも膨れ上がる。

 翔は思わず微苦笑を浮かべた。

「翔さん一人でにやけて気持ち悪いですよ」

 明が言った。翔は今自分が劇団の門を叩いた時の事を思い出した。


 2度目の大学受験を失敗し、大学に行くのを断念した翔は何をすればいいのかと考えていた。その時以前アルバイトで知り合った浩次が所属する劇団『トーテンポール』の公演が今行われているのを思い出した。普段なら絶対に行くはずも無い。でも人生の岐路に立たされている翔にはこの公演がとても重要な事に思えて、見に行く事にしたのだった。それが演劇だからってわけではなく、バンドでもお笑いのライブでも行っていただろう。

 公演は素晴らしかった。感動した。特に全くの初心者の翔にでもわかりやすいストーリーが溶け込み易く良かった。きっと観客が老若男女問わない幅広い客層だった事にも関係していただろう。

 翔は全く未知の世界、演劇界に魅力を感じてしまった。

 この気持ちをどうしても浩次に伝えたく楽屋に出向き、浩次を呼び出してもらった。翔は楽屋口に出て来た浩次に自分の胸の高まりを伝えた。

 浩次は翔が言い終えるとすまなさそうに言った。

「申し訳ない。君誰だっけ?」

 翔は浩次が自分の事を全く覚えていないのに開いた口が塞がらなかった。

 その夜浩次は翔を飲みに誘ってくれた。浩次は公演に翔を誘っておきながら忘れていた事がとても心苦しかったようだ。翔のために遅くまで付き合っていろいろ劇団の話をしてくれた。公演後で疲れていて、また次の日も公演が控えているにも拘らず。

 翔は劇団の未来を語る浩次の表情に自分もその夢を一緒に追い掛けてみたいと思った。

 浩次は夢ばかりではなく厳しい現実も一緒に教えてくれた。その中でチケットノルマの事に触れた。団員にはチケットノルマは義務であった。それは公演の度に各自が売り捌かなくてはならない責任枚数で足りなければもちろん自己負担となる。そのために団員は人との出会いを多くしチケットを売る努力をする。いろいろのアルバイトをわざと掛け持ちしている人も多い。当日精算券といって、それを持って来たら前売り料金と同じ値段で入れるというチケットを会う人々全員に配っているのだ。翔のチケットもこれだった。この日も周りの席の客達に浩次は当日精算券を配っていた。この姿を見て翔も浩次が忘れていた事も納得し、許す気になった。しかしそれだけの努力をしてもそれが自分のノルマの足しになるケースは稀なのだという。

 こういった話が朝まで続いた。帰りの始発電車を待つホームで翔は浩次に劇団に入りたいと告げた。翔は全て納得して強い気持ちでこの世界に入る決心をした。劇団に入るには試験など無く、ただ最低1回でも劇団『トーテンポール』の公演を見れば誰でも入れるのであった。


「そうですかねぇ、でも楽しみなことには変わりありませんよ」

 明は坊主頭を擦りながら言った。その仕草を見て翔が言った。

「明、もう髪と髭は切るなよ」

「はい?」

 明はそのどんぐりの様な目を見開いた。

「役者としての心構えだ。どんな役貰っても良いよう、髪と髭は伸ばしておくもんだ」

 翔は先輩風を吹かして気分よくビールを口に運んだ。

「でも僕は裏方確定なんですけど……」

 翔は口にしていたビールで思わず咽てしまった。そうだった。劇団の決まりで入団して最初の公演は誰でも裏方を経験しなくてはならなかった。

 裏方も小劇団だから一人で何役もこなさなくてはならなかった。コピー取りのような使い走りから、大道具小道具を作ったり、役者がまだ台詞が頭に入っていない時にその間違いをチェックするプロンプター、客入れ客出し、受付、暗転時のセットの転換など仕事は山ほどあった。

「だから俺が言いたいのは心構えだ」

 翔は少しばつが悪かった。

「何を隠そう、翔が怒鳴られた張本人なのさ」

 浩次が笑みを浮かべて言った。

「小橋さんですよー」

 翔は浩次の助け舟に恩にきった。

「何がなんだかわかりませんでしたよ。稽古場行ったらいきなりですよ。その時小橋さんと俺はあまり面識が無かったのですよ。だからなおさらです。何で外部の人に怒鳴らなくてはならないのって……」

 明の表情が変わった。

「明どうした?」

「翔さん、後ろ、後ろ」

 と、口に人差し指を当てながら言った。翔が振り返ると入口付近で店内を見渡している小橋の姿があった。

 小橋と翔は目が合った。小橋の表情が明るくなり、手を挙げながらこちらに向かってきた。そして空いている浩次の隣に座った。

「やっぱりここにいたか」

 小橋は明の肩に手を回し言った。ノイズだらけの居酒屋に、一際通るその声が響いた。


「どうして小橋さんにここがわかっちゃったのでしょうね?」

 2人分の便器しかないトイレに翔と浩次は並んで用を足していた。2人は小橋のお小言が始まりそうな雰囲気を察してトイレに避難していた。今頃きっとその全てを明が引き受けているはずである。長い付き合いだ。こういう知恵も付いてくる。

「うん?」

 浩次が左の眉を吊り上げてこちらを見た。

「今日俺らがここに来ていることですよ」

「俺達が行きそうな所って決まっているからな」

「でも今日は人数が少なかったからここだったわけで、普段はあまり来ないところでしょう」

「そうだな…… まあ、仕事が仕事だからな」

 そう言いながら浩次は洗面所に向かった。翔も続いた。

「小橋さんはあれですよね」

 翔は手を洗いながら言った。

「体育会系の部で必ずいるじゃないですか。後輩をシゴクのだけを楽しみにくるOB」

 浩次は噴き出した.普段あまり笑わない浩次が笑うのを見て翔はちょっと嬉しかった。

「そうだな、どうしてだろうな。この劇団のノリって体育会系だよな」

「俺の高校時代にもそんな先輩いましたよ」

「翔はレスリング部だったよな」

「はい」

 翔達はトイレを出た。

「ひとつ不思議なことは」

 歩きながら翔が聞いた。

「小橋さんって、学生時代劇団オンリーだったわけでしょ?」

「俺にはそう見えたけどな」

 浩次と小橋は旗揚げメンバーだった。浩次は高校を出てすぐ藤原を慕って劇団に入ったが、その劇団がすぐに分裂して藤原と小橋達により『トーテンポール』が結成され、浩次も当然藤原達に付いたのである。それが10年前の事だった。

 あまり多くを語らない浩次だが、結成当初の苦労は話の所々に伺える。当時浩次は素人同然でこの世界に入ったそうだ。だから同じ境遇である翔の良き相談役となってくれていた。しかし浩次の方が今の翔よりも、もっと大変だっただろう。

 旗揚げメンバー達には特別の繋がりを翔には感じられた。一番辛い時期を乗り越えた連帯感があるのだろう。それが翔には羨ましかった。

「なのになぜ刑事になっちゃったのですか?」

「何でも親父さんが警視庁のお偉いさんらしいぞ」

 小橋は大学を卒業する時に刑事を取るか劇団を取るかで相当悩んだと聞いた。旗揚げして2年後である。

 そういった経緯から小橋の劇団『トーテンポール』への思い入れは相当なものになった。

 テーブルでは小橋が明相手に何かを語っていた。翔と浩次が座るとその矛先は二人に向かった。

「小屋を大きくするんだってな」

 小橋は赤くなったその顔をこちらに向けて言った。小屋とは劇場のことである。

「はい」

 浩次が答えた。

「聞いてないぞ」

「すいません」

 3人は黙って下を向いてしまった。こればっかりはしょうがないこと、藤原の決断なのだから。

「まあいいよ」

 それは小橋もわかっていることだろう。優しく言ってくれた。

「でも小屋を大きくしてチケット捌けるのか?」

 俯いたままの3人。

「当然ノルマも上がるわけだ」

「今回から100枚です」

 団員達にはチケット50枚を売り捌くノルマがあった。売れなかったら自腹を切る。

「ただでさえ1ヶ月拘束されるのに、さらにノルマがこれ以上増えたら大変だろ。だから自分は昔からノルマには反対だったんだ」

 しばらく4人は沈黙した。その雰囲気はとても重かった。周りの笑い声が自分達にのしかかりさらに気持ちを暗くした。

「ああ、なんだか俺が役を貰うのもノルマを引き上げるためのように思えてきますね」

 吐き捨てるように翔は言った。場の雰囲気が翔を自暴自棄に陥らせたのだった。ノルマは役の有る人と無い人では5倍違う。当然役に付いている人の方が売れやすいからである。翔が言いたいことは多くのチケットを捌かすために無理矢理役に付かされた,実力ではないのでは、ということだった。

「翔それは違うぞ。お前の努力はここにいる誰もが知っている」

 浩次が間髪入れずに言ってくれた。普段人を褒めることの無い浩次だけにこの言葉には強い説得力があった。翔は嬉しかった。皆しっかり自分を見ていてくれた。

 そして翔は同時に小橋の視線を感じ取っていた。その熱い眼差しに翔は小橋の言いたいことが痛いほど伝わってきた。小橋も浩次と同じ考えなのだ。同時にチケットノルマが団員達を追い込んでいることも自分の事のように感じ取ってくれているのである。そんな皆の気持ちがわかり、突発的に泣き言を言ってしまった自分が恥ずかしく思えた。

「わかった。チケットの事に関しては俺に任せろ」

「本当ですか?」

 明が言った。

「大船に乗った気持ちでいろ。俺がお前らの負担を軽くしてやるから」

「何か当てでもあるのですか?」

 心配そうに浩次が尋ねた。少し小橋の表情が曇ったが、すぐに笑顔で言った。

「いいからそんなことはお前達が気にするな。それより良いものを創ることだけ考えてろ。それで今回はどんな内容なんだ?」

「今回は今までと路線を変えて、アクションも取り入れて、サスペンス的にしてみようと…」

「おいおい、大丈夫か? 小屋を大きくするだけでなく。劇団のカラーも変えるのか?」

「大丈夫です。うちららしさは変わらない自信はあります。きっと新しいお客さんと古いお客さんの両方に満足してもらえます」

「そうか…… でも脚本ほん間に合うのか? それでなくても遅いのに……」

 藤原の筆の遅さには毎回みんな悩みの種である。

「任して下さい。今度の即興ビシッと決めて、藤原さんの創作意欲を駆り立てて見せますから」

 翔は気分良く、つい大きいことを言ってしまった。

「それは頼もしいな。俺も見に行こうかな」

「アイディアを小橋さんに聞けばよりリアリティが出そうですね」

 明が言った。

「何の?」

「その即興の題目が銀行強盗なんです。小橋さんの専門でしょ?」

「銀行強盗?」

「はい」

 翔は小橋が何か良いアイディアを言ってくれるのを期待した。

「銀行強盗ね……」

 そう言いながら小橋は一人で考え込んでしまった。

「どうしました?」

 明が顔を覗かせるように尋ねた.

「わかった!」

「何がです?」

「チケットを大量に捌くアイディアさ」

「本当ですか?」

「任しとけ」

 小橋は明の顔を小突いた。

「銀行強盗? さあ何でも聞いてくれ」



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