1 すべては劇団のために
JR中央線高円寺駅南口。駅前ロータリーに駐車されたオンボロのワゴン車。その運転席で翔は外を眺めていた。電車が着いたのだろう駅から出てくる人の波が増した。午後2時前という事でその流れは主婦だったり学生だったりと様々だ。3月初旬、行き交う人々はコートを着込んで足早に歩いている。春はまだ遠いようだ。
役者志望の翔。劇団「トーテンポール」という小劇団に所属している。
翔にとって人物観察は勉強の一環。電車や飲食店で題材を探す事はルーティンワーク。
しかし今は違った。プレッシャーの中で現実逃避的にただ漠然と外を眺めているだけだった。
その視界の先にはM銀行高円寺支店がある。
これから翔達は銀行を襲う。
ターゲットはこの銀行。
バックミラー越しに後部シートを見た。劇団の所有であるこのワゴン車は後部シートを機材運搬のために全て取り払われていた。
そこに翔と同じ劇団員の浩次と明が居る。2人ともずっと無言。体育座りをしてその膝に頭を埋めて集中を高めていた。
外の寒さとは裏腹に車内は汗ばむほどの暑さだった。翔はTシャツ1枚だが、浩次と明は上下黒のスウェットが着ている。それは転換着として公演の時に使用しているものだ。舞台で暗転の際、暗い中に溶け込み転換作業を行うために全身黒ずくめだった。対照的に翔は転換着ではない。
それは翔がこの計画に参加することになったのは、わずか30分前であったから。
浩次は翔をこの世界に導いた人物であった。バイト先が一緒ということで知り合った。
「役者やってます」
浩次ははにかみ気味に自己紹介した。
「だと思いました」
その彫りの深い顔と所作は成る程と納得出来た。
「サンキュー」
浩次は握手を求めてきた。握手は浩次の癖。翔はそれに応じた。
あの頃自分の方向性を完全に見失っていた翔。そこに役者をという道標を与えてくれた人物が浩次だった。翔は彼を信じてどこまでも一生付いていこうと誓っていた。
作戦決行は2時ジャスト。
その時刻はもう目前に迫っている。翔は浩次達のタイミングを待っていた。必ずオンタイムに集中のピークを持ってくる。その光景を舞台袖で翔は何度も見てきている。
「行くぞ」
浩次は明に言った。
「はい」
明は顔を上げて元気よく答えた。明は翔の後輩。しかし入団した時からすでに翔より演技力は上だった。翔は正直明に嫉妬していた。先輩のプライドからあまり関わりたくないのだが、なぜかことあるごとに翔を頼ってくる明が憎めない存在であった。
「翔も頼んだぞ。この作戦はお前にかかっていると言っても過言ではない」
そう言った浩次の顔は険しかった。翔の役は運転手。翔は浩次の目をしっかり見つめて頷いた。その強い目力にはとても勇気づけられる。
「いいか。全ては劇団のため。俺達は必ずやり遂げる」
浩次は気合いの入った強い口調で言った。劇団の台所事情はとても苦しい状態だった。失敗は許されない。
「はい」
翔と明も力強く応えた。3人はがっちりと握手した。浩次達もベースボールキャップとサングラスとマスクを装着した。2人は拳銃を握りしめた。
翔はドアを開けて運転席を出た。冷たい空気が体をクールダウンさせてくれた。放出された熱気をまた取り込むようにスタジアムジャンパーを着る。助手席の前に行くと後部シートのドアが開き、浩次と明が勢いよく飛び出した。
2人はダッシュで入口を目指した。翔も後に続いた。運転手役の翔は出入り口を見張った後に発車の準備に取り掛かる。
2人はガラスドアの両脇に1人ずつ張り付いた。二重ドア。浩次が足で手前のドアを開け、2人は互いに顔でカウントを取り合ってから、一斉に銀行内へ突入した。そして翔も2人の後に続いてダッシュした。