凧を上げる男
前書きって何を書けばいいんですか。
特に書くことがないので私はインドカレーが好きです。
宝暦年間のことである。江戸に一人、素性の知れない男がいた。
名は佐村源四郎を名乗っている。帯刀しているし通称も武士のようだが、これが本名である確証などどこにもない。とにかく彼は、素性は知れないが幸いにも、というか幸運にも仕事はそれほど困っておらず、火の見櫓だかなんだかの普請が多くて日雇いで日々を過ごしているが、彼はそんなことをするために大江戸にいるわけではないと思っていた。
彼の本業はもちろん自称だが、文学人として名をあげようと考えている。彼は生まれ持ってのものなのか、話を思考するのが得意というよりとにかく好きであり、活かす場は何かと考えて、これを貸本としてでも何にしても人に読ませて、とりあえず生活をしようと思った。そして今後もその道を行きたいと考えていたのだが、圧倒的に時間が足りず少し焦っていたのは確かであった。
そんな彼に苛立ちを募らせるのは、他ではない自分である。もちろん、話を作るのは好きだしどんな構想を、とか、どんな展開をとか、道行く人の笑いをとりたいとかは考えるが、結局考えているだけで筆は進まないし、ただでさえ少ない時間だけが過ぎていく。極端に言ってしまえば、彼には想像力が欠けている。思案が好きでも、肝心の中身が完成しないままで、皮だけの蜜柑とでも言おうか。その皮だけの鶏を補うためのものがあるとすれば、それは思いがけない衝撃的な出来事や、時世の確変であろうか。価値観が崩壊するようなことが起きたり、事件に巻き込まれたり、妖怪にあったり、そんな摩訶不思議も実際に出会わなければ皮だけのままで、表現も満足にできないだろう。源四郎はそれも承知の上である。
当然、望んでもそんな事柄がすぐ発生するわけでもない。探しに行きたくても宛はない。
時代も悪い。もはや近世中期のこの世界というか、彼らの生きている時代というか、どこか長い年月を得て確立されて変化がまったく少ないものだから、新鮮さを感じることがないのである。彼にとっては、そんな平穏な日々が苦痛にしかならなかったのもなんとなく頷ける。
そんなこんなで、世間もよく見ぬまま志を小さく掲げてから日雇いを続けて4年ほど経過していたある時には考え事もしなくなって、正午をすぎた辺りである。強風で崩れた長屋の屋根の上にいて、その修理もあと一息で終わろうとしていた。近くを歩いていた娘がどうも好みで、少しばかり目を離して、視線に気づかれぬようにと目の保養としていた時である。突如、下にいた仲間の叫び声が聞こえたので、驚いて無意識に娘の後ろ姿を見ると、巨大な凧のようなものが源四郎に向かってきていて、あっと身構える間に、源四郎に直撃していたのである。
凧らしき物は長屋に直撃し、終わりかけていた屋根の修理を数刻遅らせるという非常に迷惑で甚大な被害を残した。源四郎は凧の破片を拾い上げて、腰をつけて様子を伺っていると、雇い主である源右衛門の前で笑って謝っている細身の男がいた。
特に書くことがないので。
ナンを発明した人は偉大。