新米天使の恋(上)
(あぁ、なんて今日も素敵なの!)
愛しき人を任務の帰りに見かけ、私は見つからないように咄嗟に木陰に隠れた。
偶然の出会いに、うっとりとしたため息が漏れる。気づかれないように穏形で気配も消しておく。それから、輝かしい彼の鑑賞にいそしんだ。
風に靡く白銀の髪に冷たい瑠璃の双眼、なによりその背中で精彩に輝く六枚羽が彼の美しさを際立たせていて魅力的だ。
恐らく悠久にその様であるのだろう。
彼を初めて見た時から今に至るまでその麗しさは僅かたりとも損なわれていない。
例えこの恋心が彼に届かなくとも、今こうして以前よりも近くにいられるだけで幸せだ。
……………………そう、ただ近くにいられるだけでいいの。それが、私の願いだったのだから。
遥か上空に存在する天上世界を天界、人間が暮らす界を下界、はたまた地中深くに存在する界を地界とし、それらすべてこの世界において神が創造されたものであるとされている。
それぞれ天上には天使や幻獣が、下界には人間や動物が、地界には悪魔と魔物が居を築いている。
そして、ここは天界の楽園と呼ばれる場所。
私は天界に住む末端の天使だ。天使としては、誕生して数十年ほどの新米天使である。
というのも、ぶっちゃけちゃうと天使として生まれ変わるまでは人間として生を受けていました。
いやね、別に特別良い行いをしたわけでも、悪いことをしたわけでもないよ。
ただ、偶然にも神様の目に止まって運良く気に入られたおかげで今ここにいるってだけで。
下界に住む人間は天界や地界の存在は語り継がれて知っていても、天使や悪魔を肉眼で見ることは叶わない。
何故なら、神気や魔力を彼らは常に身に纏い、その姿を隠しているためだ。種族によって名称は異なれど、大半は穏形と呼ぶ。穏形をせずとも、下界では肉体を半分しか持たない霊体であるため、ほとんどの人間が気づかない。
それでも悪魔は、地界の地では飽き足らず、下界までを己たちの領分にしようと足繁く通ってくる。
悪魔の行進を制するために神に遣わされるのが天使だ。
その彼らが目に見えるように姿を現した時には、何かが起こる前触れであるとされているぐらいである。
そういうこともあり、当たり前のように下界以外に住む者たちを視認できる人間は少ない。
見える者は2つのタイプに分かれる。その類稀なる見気の才を使って神官になったり、巫女になって力を善き行いのために使おうとする者と、他者を貶めるべく使おうとする者だ。
…私も、人間だった頃から見えないはずのものが見える人だったんだよね。
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「お母さん、今ね、3本の角がある小っちゃいモフモフが目の前をビューンって行ったの!」
「そう、良かったわね。幻獣だったかもしれないわね」
「うん!きっとそう!可愛かったもん」
両親は、私がおかしなことを言ってもうちの子には見気の才能があると言って喜んでくれていた。
でも、大きくなるまではこの事は秘密だと言った。当時6歳になっていた私は、大好きな両親と秘密を持てたのが嬉しくて、村の子にも絶対に見えることは話さなかった。
話さなくても、村の他の子だって勘が鋭いのか時折、その存在に気づいたかのような行動を取ることがあったから、私はそれで満足だった。
ーーーだから、気づかなかったんだ。
母方の伯母さん夫婦が私のことをいつの間にか知って、薄気味悪く嗤っていたことを。
その日は、二晩続く大嵐の前日だった。嵐に備え、村の補強に出かけた両親に家を出ないように言い含められ、じっと両親が帰ってくるのを待っていた。日が暮れてきても戻らない両親に不安を覚え、探しに出かけようと決意した時、誰かが戸を叩いた。
それが誰か気づいたときには、もう全てが遅かったのだ。
伯母夫婦の周りには黒いモヤが蠢いていた。あれは、悪魔の仕業だと直感した。怒鳴り声を背後に、裏口から必死で逃げたが、あっさり捕まってしまった。村外れにある迷いの森と呼ばれる森で、知らない荒くれ者の男に引き渡され恐怖した。伯母夫婦は密売人だったのだろう。男から金を受け取ると私に興味をなくし、村へと帰ってしまった。
顔に無数の傷のある男は、森の奥深くまで私を引っ張って行った。嵐を凌げる洞窟を見つけると、中に入った。ある程度まで進むと、男は私を突き放して腰を降ろした。徐ろに酒を取り出し、たらふく呑んで寝てしまった。
日はとっくに暮れ、村からはだいぶ離れてしまっている。雨風は勢いを増すばかりで、止む気配はない。
ーーー当然だ。これから嵐が来るのだから。
それに、逃げようにも腕ごとロープで縛られていて、身動きが取りづらい。幸いにも足に拘束はされていないが、これでは男からすぐに追いつかれてしまう。
この嵐が去った後のことを考えると恐怖でどうしようもなくなった。声が枯れるくらい泣けば、目を覚ました男に静かにしろと殴られる。
それからは、男の機嫌を損ねないようにじっと身を潜め、この恐怖から逃れられる機会を伺った。
しかし、一晩経って状況は変わらないどころか悪化していた。雨で土砂崩れが起き、洞窟の入口がふさがったのだ。これには、男も焦っていた。
私に先頭を行かせ、男は焚き木を持ち洞窟を進むことにした。奥に進むに連れて、私は、この先に大きな力を持った何かがいることを感じていた。同時に、男の足元に小さな黒いモヤが出始めているのに気づき、冷や汗が流れた。伯母夫婦の時と同じものだ。一刻も速く逃げなければ、殺されてしまうと思った。
「向こうから光が」
咄嗟に口にした言葉に男は反応した。ナイフで私を脅しつけ、確認しに行ってしまった。
外はまだ雷鳴り響く大嵐だというのに。男が去り、真っ暗になった洞窟でたった一人になって、言いしれようもない不安を覚えた。男がもし戻ってきたら、今度こそ………。考えるだけでどうにかなりそうだった。
だが、男は戻って来なかった。私は、恐る恐る先に進んだ。
ーーーーーーーっ!!
そこには1頭の一角獣がいた。額の角は七色に輝やいて渦状に鋭く伸びており、清廉な神気が溢れていた。
一角獣もこちらに気づいているようであった。よく見れば、一角獣のすぐ脇には男が倒れていたのだが、私は一角獣しか目に入っていなかった。
「お馬さん、綺麗…。ねぇ、お馬さん。触ってもいい?」
許可を求めながら近づいていた私のこの行動は、今思えばかなり危険なものだったと分かる。
幻獣は総じて気高く、警戒心が強い。一角獣であっても同じこと。一歩間違えば、男のようになっていた。
救いだったのは、私が女で乙女であったことだろう。
警戒して鼻を鳴らしてきたものの、何かに気づいたかのように自らも足を私の方に進めてきた。
間近で見ると、かなりの迫力があった。
思わずぎゅっと目を瞑り硬直していると一角獣は、頭を下げ角をロープに引っ掛けて引き千切った。驚き目を開くと、すぐそこに一角獣の顔があった。男に殴られ腫れている頬を舐め、頭をすり寄せている。
身体がほんのり温まって、あちこちの痛みが引いていくのが分かった。
「痛いの、治してくれたんだね。お馬さんありがとう」
それから、また一晩洞窟で過ごした。だが、一角獣がいたからもう恐くは無かった。
夜明けになってようやく嵐が去り、一角獣の導きで外に出ることができた。
しかし、ここにきて問題があることを思い出した。
疲弊した状態で知らない場所に来たのだ。村への帰り道が分からない。
その上、村には伯母夫婦がいるはずだ。
私は、途方に暮れてしまった。
ーーーーその時だった。
「ここに居たのか。探したぞ、ディル」
悠然とした動きで、白い翼をはためかせて彼は下界へと降り立った。