26 射手と閃光ワンダーラスト
「おや、お前は憲兵ではない、のか?」
歪に縫われた傷口から血が溢れている。
叫ばれる声もしゃがれていて、耳がヤスリで擦られるような感覚になる。
「これは傑作だ……闇夜に潜むという我が怪談を、なおも恐れぬ好事家がいたとはな、フハハハハッ!!!
闇夜の中、その目は何よりも輝いた。
愉快、などでは言い表せない、心からの歓喜の咆哮。
静寂を引き裂くような笑いは、王都中に反響していく。
埃被った窓が揺れ、街灯の炎が傾き、路地裏の隅にまで狂乱の声が駆け巡った。
俺は異様な雰囲気から逃げ出すこともできず、奴がゆっくりと俺と目を合わせるまで立ち尽していた。
「では屋上の素人よ、噂通りの問いをお前にも聞かせてやろう。答えよ」
「………お前は魔王の居場所を知っているか」
「早く逃げなさい!!」
射手の声を聞くまでもなく、俺は屋根の上を必死に駆け抜ける。
揺れる瓦も先の見えない暗闇も、魔王の息子に狙われる恐怖に勝るものはなかった。
「慈愛の女神より奉りし一射よ……我が身を災厄より護りたまえ!! 流星煌矢!!」
彼女が呪文を唱えると、その手元に半透明の弓矢が現れる。射手が愛用していた聖弓と比べ、随分と小ぶりで簡素な形だ。
矢をつがえ、その先端が標的を見据える。彼女は目を見開く。矢は光を纏い、弓はしなり、息もつかぬ間に一撃が解き放たれた。
その奇跡が暗闇を裂く光線となり、魔王の息子めがけて飛んでいく。
不意をつかれた敵だが、身体を細い路地裏の道に隠れ回避しようとする。
それを光矢は逃さず、宙で曲線を描いたかと思うと、敵の隠れた隙間に入り込み、そして敵射貫くと共に大きな輝きを見せた。うめき声が響く。
「こざかしい真似を……!!」
敵に命中したようだが、倒せたというわけではなさそうだ。
今も物陰から短刀を握り、こちらの様子を窺っているのが見える。
射手は手元から一本の鍵を取り出し、俺に預ける。すぐに勇者の家の鍵だと理解できた。
「この鍵を持って、先に勇者の家に行きなさい!! あそこの結界内なら、魔王の息子も侵入できないわ!」
「だったら射手も一緒に……」
「ダメよ、ワタシは彼を足止めしなくちゃ。ここで敵を見失えば、今度こそ奇襲に遭って、やられてしまうわ」
「だったら今の魔法で、敵を仕留めれば……!!」
「それが一番だけれどね……今のワタシにできる最大限の威力で矢を放ったのに、敵はまだピンピンしているわ。倒すには時間がかかりそう。だから……」
俺は言われた通りに、彼女の横を通り過ぎ、目的地へ向かおうとする。
その間も、射手は矢を魔法で作り出すと、魔王の息子に向けて撃ち続けていた。
しかし敵は路地裏の奥へ姿をくらまし、追尾していたはずの矢もターゲットを失い、壁に突き刺さっていく。何か様子がおかしいことに気づき、俺は彼女の側で一度待機することにした。
「おかしいわね……近くにいれば、自動的に矢が軌道を変えて当たるはずなのに」
彼女は場所を移し、先ほど死角となっていた路地裏をのぞき込む。
俺は少しずつ勇者の家の方へ近づきながらも、彼女から見える位置にいるよう意識する。
そして遠目で彼女の様子を確認すると、俺に向かって首を横に振るジェスチャーを送ってきた。
つまり、魔王の息子を見失ったのだ。
(どこへいった……? 建物の物陰、ゴミだまりの中、いや既に屋上に上っているのか……?)
何せ敵は、一晩で王都中に鋼線を張り巡らせられる韋駄天だ。次の瞬間、どこから飛び出してくるのかも分からない。
いや、待てよ。推測はつく。
敵は射手の弓矢の脅威を知っている。ならば彼女の射程、特に視界に映る場所に潜むことを避けるはずだ。
ならば……射手の相方である俺を先に倒そうとしてくるのでは?
そして奇襲をするべく、俺たちの死角をつこうとするはずだ。
ならば辿り着くのは俺と同じ結論……俺はグルリと、魔王の息子がいた場所とは反対の住宅地の屋根へと視線を回した。
「射手!! 俺の背後、赤い屋根の住宅だ!!」
俺が叫んだとき、赤い目が大きく屋根を蹴り飛ばし、俺めがけて頭上から覆い被さろうとした。
真っ黒な空の中、紅星が浮かび上がったようだ。
しかし、その星が落下しかけた途端、横から光線がピュッと流れたかと思うと、魔王の息子の腹部に命中し、その身体ごと遠い地面まで吹き飛ばした。
間髪入れず、射手は矢を紡ぎ、敵の落下地点に向けて放つ。
「今のうちに!! すぐそこの目的地へ行って!!」
俺は頷くと、勇者の家までの残った道のりを走り抜ける。
そして最後の屋根からベランダを伝って降りていき、街路に足をつけた。目の前には勇者の家だ。
周囲に敵や憲兵のいる様子はない。急いで、射手から借りた鍵を取り出し、ドアノブ上の鍵穴へ刺す。
暗いので中々穴の場所が分からず苦戦したが、差し込んだ鍵を回すとガチャリと錠の外れる音がした。
「勇者、いたら返事してくれ!!」
扉を開けて中を見渡す。灯りはついておらず、外と同様に真っ暗な空間が広がっている。
魔王の息子が侵入しないよう扉を閉めて、手探りで壁を見つけると、前回の記憶を頼りに間取りを脳内で構築し、それに沿って歩いていく。まずは応接間、次に寝室……ぼんやりとした家具の輪郭を確認しながら、どこかに勇者の姿もないかと探してみる。
(ここにも居ない、ここにも居ない……ということは、まだ勇者は帰宅していないのか)
と、外から建物が破壊される音がした。恐らく、魔王の息子と射手の戦いが激化しているのだろう。俺は急いで、もう一つの目的を果たそうとする。
(どこかに聖剣は置いてあるか? 勇者が取りに戻ったのなら、ここにはないはずだ)
勇者との最後の面会では、彼は聖剣を取りに家に戻るといっていた。
もし聖剣を持っていれば、彼の身に何があっても聖剣の加護が働いてくれる。逆に聖剣を持たない勇者は、他に武器を持たないこともあり、敵襲に対処できなくなる。
この家の中にあって欲しくない。そう思いながら、家の隅々までを探してみる。
等々、部屋をあらかた探索し終えて、最後に小さな物置部屋を開いた。
そこには埃被った小道具が幾つか置いてあるだけのように見える。
よかった、この家に聖剣はない。そう思ったときだ。コトッと音がして、部屋の奥で何かが倒れた。
(……嫌な予感がする)
直感がそう叫ぶ。だが、俺は確かめるしかない。
部屋に入り、床に倒れた棒状のものを見つける。
指先でなぞると細かい装飾があることが分かった。
手に持とうとすると、ズッシリと重たい。
恐る恐る縁をなぞると、出っ張りがあり、その上には握りやすいよう削られた持ち手があった。
俺はそれを持って窓辺に近づく。外からは街灯の灯りが差し込み、俺が持っているものの正体をうっすら残酷にと浮かび上がらせた。
「なんで……」
両膝から崩れ落ちそうになる。
外から戦闘の音が聞こえてきた。だが、俺の意識は遠く霞んで消えてしまいそうになる。
勇者の安否が今、ハッキリと分かってしまったからだ。
俺の手元には、聖剣が受けて装飾を輝かせていた。
勇者、お前は今どこを彷徨っている?
次の投稿も一週間後を目処に、もう少し早い時間帯に投稿できるようにしてみようかと思います。




