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30 魔王と最初の黙示録

 

「落ち着いて。女騎士は、すぐに攻撃しに来るわけじゃない」


 俺は少女に言い聞かせながら、自分の思考を整理する。


「1000年も生きてると言ってる相手が待つって言ったんだ。なら、1時間くらい粘っても大丈夫だろう。さっきまで逃げ回ってて疲れてるんだから、一旦は頭も体も休めるよう。ほら、深呼吸」


 すーはー、と少女の前で腕を振ってみせると、彼女もそれを真似して小さな腕を一生懸命に振って深呼吸してくれた。

 その間、俺は水槽を眺めてながら思考をまとめる。

 水槽には元々は言っていた魔族たちの遺品が残っている。

 そして中央の1つだけ、まだ原型を残した魔族の身体が浮かんでいるが、何もしなければ俺もこうなるわけだ。


 今の俺たちには、3つの考えがある。


 1つ目は徹底抗戦。

 女騎士に勝てるわけはないから二人とも助かる可能性は高くないが、水槽を壊すと脅して動きを鈍らせ、その隙にうまく外に飛び出し、重騎士の標的を女騎士に向かわせれば、上手く逃走できるかもしれない。


 2つ目は、この場に居座り続けること。

 飢え死ぬかもしれないが、女騎士にも衰弱という概念があるなら、弱らせたところを二人がかり倒せるかもしれない。


 3つ目は、一旦要求を受け入れること。

 少女が外へ抜け出した後、俺が魔力を暴走させて水槽から脱出、そのまま逃げるという戦法。

 問題は、水槽に入れられてすぐ俺が溺死しそうだということだ。


「騎士、この水槽の液体は何なんだ? 入った途端に身体が溶けだしたり、溺れ死ぬのは嫌なんだが」


「死なん。生体機能は長く維持されたほうが、安定した魔力供給を行える。その液体は生命維に特化した培養液だ」


(え、じゃあこの残っている一体も、長い間こんな姿で生かされていたのか?)


 魔術というより、怪しげな研究所の生体実験みたいだな。

 女騎士の冷徹さは、裏を返せば率直に語る言葉は真実とみて間違いないだろう。

 そして手の内を明かすということは、俺が水槽内で魔力を暴走させ、暴れる可能性も盛り込んだうえでのことに違いない。


 3つの作戦は、結局どれも成功率が低い。

 自分の命を張るのなら確率など気にしないが、少女の命も天秤にかけるとなれば、より確実な方法が欲しい。


 だから4つ目。

 俺でなく、少女に頼る方法だ。

 そしてこれは女騎士ですら予想もしてないし、俺にも何が起きるか分からない。

 俺は小声で少女に話す。


「まだ、宝玉は隠し持っているな?」


「あの、顔が近、近くてぇ……」


 手で俺の顔を押し返された。

 怯えていた少女を奮い立たせようとして、距離が近かったのを忘れていた。


「ごめんごめん……えぇっと、それで、その宝玉って言うのは、この街に元々ある魔族の秘宝らしいんだ。そして丁度あそこにピッタリの窪みがある台座が見えるだろ? だから、指示したタイミングで、騎士にバレないようにあそこに嵌め込んで欲しいんだ」


 この宝玉、魔力を流すと反応らしきものをみせるけど、特に何かが起きるわけでもない。

 けれどそれが、迷宮の付属品だとした場合、俺が魔力源として迷宮に魔力を流し、その状態で宝玉を稼働させたら何かが起きる可能性がある。

 とはいえ、それはあくまでおまけ。本当に大事なのは次の話だ。


「ここから、しっかり聞いて欲しんだけど」


 少女の小さな肩を掴む。

 聞きたくないなどと、逃げられないように。


「俺は水槽に入れられたとしても、暫く生き続けるそうだ。だから君はまず最優先に、この迷宮から出て助けを呼んでくれ。そうすれば、俺は助かるし、この迷宮の無意味な生贄の儀式も終わらせられる」


 懐から、俺は魔術の袋を取り出す。

 異空間と繋がることでモノを無尽蔵に収納できる道具で、俺の集めた蒐集品の大半がはいってる。

 この迷宮では、異空間とのつながり自体が阻害されて使えなかったが。


「俺の魔術袋も託す。この迷宮の中じゃ使えなかったけど、中には食料も金も、暮らすには困らない程度には入ってる。お宝も……まぁ、使いたかったら好きに使ってくれて構わない」


「貴方は、その間どうするの……ですか」


「君のことを気長に待つさ。なんでも俺は百年分くらいの魔力はあるそうだから、上手くいけば百年も待つ時間がある。だからまずは君が、無事に外へ出るんだ」


 我ながら、ひどい言い換えだ。

 つまり少女が抜け出した後、俺は長い間あの水槽に閉じ込められて魔力を吸われ続け、もし失敗すればあの遺体と同じ末路を辿るわけだ。

 でも、それは決して少女のせいではない。


「私、一人だけで……」


 そう易々と納得してくれないのは分かっている。

 だから、彼女の信仰を利用してやる。


「少女よ、君は迷宮で助けを読んでいたろ。魔王に祈っていた。そして、俺は君の目の前に現れた。その意味が分かるか……」


「魔王様に祈ったら、貴方が来た……」


「そうだ、つまり俺は……」


 一息置いて



「俺は、魔王だ。お前の声をどこからでも聞き取り、応えるのが俺だ。だからお前を、一人にするわけがないだろう。お前は俺の大事な……」


 大事な……なんだろう。

 上手い関係性を言い表す言葉がない。

 信者、支持者、娘、家族……

 いや、俺は彼女を助ける代わりに、彼女に任務を課したのだ。ならば


「お前は俺の大事な、最初にして世界で唯一の部下なのだから」


「変なこと言ってる……あ、言って、ますね」


 キメ顔で言ったつもりが、きょとんとされてしまった。


「まあ、俺は迷宮に閉じ込められたとしても、家族とかいないから、お前の無事を願うこと以外やることがない! だから一人にしないって言うのは、真実だよ。そして部下よ、君は2人で迷宮を出るために、少しだけ一人で頑張っていて欲しいだけだ」


「……貴方が、魔王様」


 少女はそう言って俺の顔を眺めている。

 なんだ、魔王にしては角が生えてないし、威厳もないとか、頼りないとか言いたいのか?

 やがて少女は口を開く。


「私は、貴方が何者だって良い、んです。両親もいなくて、誰も私の味方がいない中で、貴方だけは私を助けようとしてくれた。そしてこれからも、一緒にいて良いと仰ってくれた。それで充分なのに……」


「そうか? 俺は足りないぞ。こんな狭い場所じゃなくて、二人でもっと色んな場所を巡りたいし、良い暮らしをしたい。そのためなら、俺は君のために魔王となって、しばらくこの水槽で泳ぐのも耐え抜いてやる」


 少女は悲しそうに笑った。


「……私では、貴方を()められないんですね」


「ああ、俺は魔王を()められない」


「なら……」


 部下は俺の顔に手を添えると、額に小さく接吻をした。


「王様に忠誠を誓う時は、接吻をするもの、なんですよね。私は……貴方様の部下として、勤めを果たすことを誓います」


(ちょっと違うけど、まあいいか)


 俺は立ち上がり、騎士に伝える。

 岸は剣を構えたまま、扉から一歩も動かず、俺の答えを待っていた。


「わかった。ただし最後に確認だ。決してこの子を傷つけるな。絶対に迷宮から脱出させろ」


「承知した。では、この水槽に入れ」


 女騎士が隅にある水槽に手を翳すと、水位が下がって中が空となり、表面に薄く線が入ったかと思うと扉となった。


「そのまま中に入れ。私が閉じる」


 透明な壁は思ったより厚みがある。

 中にはスイッチなどがないから、内側から脱出することができないようだ。


(もしかしたらあったのかもしれないが、女騎士が破壊してそうだな)


「では……注水」


 パタン、と扉が閉じられて、液体が中に満たされていく。

 あっという間に俺の頭上まで水槽が満たされると、口や鼻からドロリとした液体が入り込み、吐き気が襲う。

 頭上では何かの光が点滅し始め、俺の身体は浮き、自然と力が抜けていく。


「魔力抽出、開始……良好。魔力量測定、これは……素晴らしい。魔族どころではない、お前の魔力量は異常だ、これなら、再び1000年は迷宮を稼働できるかもしれない」


(俺を1000年も生かす気か? 騎士の見た目で、中身はマッドサイエンティストかよ……)


 初めて興奮した表情を見せた女騎士。

 その後ろで、部下が中央の台座に向かっていることに気付いていない。

 この液体には何の成分が入っているんだろうか、段々と頭がぼうっとしてくる。


(成程、意識を曖昧にさせられたら、暴れようにも難しいか……)


 気付くのが数秒早ければ、魔力を暴走させられたのだが、もう体がまともに動かなくなっている。

 赤い光が見える。台座に宝玉を置いた部下が、何かを話している。

 女騎士が振り向き、部下に手を伸ばす。俺は水槽の中から眺めることしかできない。

 だが、そのとき世界の動きがゆっくりとなる。




(……ようやく、来た)


 頭の中で初めて聞く中性的な声がする。

 どこからだろうと、視線を動かすと、俺と同じく水槽の中で浮いている魔族の遺体と目が合った。

 いや、遺体じゃない。僅かに動いている。


(これは厳格じゃないよね、なら……ええと、1年ぶりだから、聞き取りづらかったらごめんね)


(誰だ?)


(ああ、良かった……聞こえるのか。私はね、君たちの1年前にこの迷宮の生贄として捧げられた、魔族だ……魔導士をしていた)


(俺に、何か用か?)


(うん……私はもう魔力も切れかけて死にかけていたんだけど、君のお陰で生きる見込みができた。突然で悪いけど、協力して欲しい。一瞬だけ、魔力の出力をあげてくれ)


 何をしようとしているのか、状況は分からないが、生きたいというなら手伝ってやろう。

 俺は答える代わりに、精一杯力を込めた。外では計器が音を立てる。

 女騎士の動きが固まった時、俺は水槽の中の遺体が動き出す。

 少し動くたびにボロボロと肉体が剥がれ、泥のように崩壊し液体に溶けだすようだったが、それでも部下の置いた宝玉に近づくと、光り輝き、何かがそこに吸い込まれていった。


(……ありがとう。次は、君たちを助けよう)


 遺体は崩れて消え去ったのに、魔導士の声はする。

 女騎士の動きがまだ遅くなる中で、背後の重い扉が開き、部下は驚いて振り向く。


(出口を開いた。さあ、君は逃げろ! この騎士を押しとどめるのも限界だ)


 恐らく部下に向かって言った魔導士の言葉に、部下は慌ててあたりを見渡し、そして俺と目が合う。

 なにか言葉を返してやりたいが、今の俺にできるのは、僅かに頷くことだけだった。


「必ず帰ってくる、から!」


 部下は扉の外へ飛び出し、俺は安心して眠りについた。

 これで目的は達成された。後はしばらく、女騎士の狂った執念に付き合おう。

 そうして俺は、水槽の中で魔力を吸われ続け


 1日が経った。



 □□□



 1週間たつと、体内に水分が多すぎて皮膚がやぶれるようになった。

 空腹感がないのは、どうやってか俺に栄養が補給されているからだろう。

 眼を開けても変わり映えしない景色に飽きて、ならば夢の中で意識を飛ばすことにした。

 きっと部下は幼いながらも頑張ってくれている。そう確信が持てるから、俺はまだ笑って待ち続けられる。



 □□□



 時間を計ってはいないが、1年がたった。

 一日に1回、女騎士が部屋に入る、と計算したら、少なくとも400回は見たので多分だった。

 偶に思考をして、そして眠る。

 下手に動こうとすると痛いのは、皮が剥がれて神経がむき出しになっているからだろう。

 浮いているだけなので筋肉は随分と衰え、身体も縦に伸びている気がする。

 そういえば、どこかの骨がむき出しになっている感覚はあるのだが、どこだったか。

 眼球が膨れて良く見えなくなってからは、あまり自分の身体のことは分からなくなった。



 □□□



 どうやら俺の身体は、下半身がなくなっているらしい。

 やけに軽いと思ったら、頭上で足が浮いていた。

 なぜそれが分かるのかは分からない。自分の身体と精神が分離している感覚がここ何年か続いている。

 これじゃあ助かっても、生活に苦労するな。

 下顎も取れたし、頭蓋骨だって剥き出しなんだから。



 □□□



 そうして俺は、死なないまま。


 肉体を失った。




 □□□




 □□□




 □□□



 □□□



 □□□

 □□□

 □□□

 □□□

 □□□

 □□□

 □□□

 □□□

 □□□

 □□□

 □□□

 □□□





「魔王様!」




 扉を開けて飛び込んできたのは、一人の女性だった。

 手には紅色の宝玉を持ち、真っ先に多く並んだ水槽の一つに駆け寄る。

 その顔は歓喜に満ち溢れ、そして絶望へと変わった。


「そんな、嘘。ここに、魔王様がいたはずなのに」


(……いるよ。彼の魂は、ここにいる。それに分かっていたことだろう。10年も水槽にいれば、人間の体はこうなるって)


 水槽の中の魂は、何も答えない。

 ただそこに肉体の2割を残して漂い、魔力を出すだけの存在となっている。


「ええ、そうね。分かっていたけど……うん、それでも驚いてしまっただけ」


(君は彼を助けるために、魔術を学び、迷宮を分析した。後は、そこに宝玉を置いて、もう一度迷宮の管理権を獲得しよう)


「はい」


 女は宝玉を台座に置き、呪文を唱える。

 迷宮全体に光が奔り、水槽からも魔力が一気に抽出される。


(魔族の生み出した魔法の極致、迷宮の最高防衛魔術、それが迷宮内の時間を巻き戻す魔法なんだよ)


 水槽の魂に、どこからか声が語り掛ける。


(君の自意識は失われてしまっただろうけど、まだ観測し記憶する能力は残っている。今は、彼女の魔力に必要な魔力を貸してほしい)


 魂はただ、魔力を抽出されながら水槽を漂うばかり。

 だが、今魔術を起動しようとする女性のほうへ水槽の中で近寄った。


「魔王様……貴方様のお陰で、私は今日まで生きてこれました……そしてようやく、貴方の託した務めを果たせそうです……貴方はきっと、全てを忘れてしまうし、私も幼かった少女の姿に戻ってしまうけど」


(術者の意識は、時間を戻しても変わらない。記憶も保ったままだ。ただし、大人の精神が子供に戻ることで、精神の不調が起きるかもしれない。魔王は、そのことをいつか理解して欲しい)


 光が溢れる。

 魂は、自分を包むその光が何かを理解しない。


(魔王、君がこのことを理解するのは、きっとこれからまだまだ先の話だ。それでも今は、彼女を褒めて欲しい。長い時間をかけて、彼女はもう一度ここへたどり着き、君の身体も心も擦り切れる前に戻って、今度こそ救おうとしているのだから)


 魂は理解を示さない。

 ただ水槽の端で、女を見守り続ける。


「魔王様、見ていてください……私、今度は」



 女は笑いながら、泣いていた。



「貴方と一緒に……外へ出られたらいいな……」




 光が全てを包み、全てが終った。




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