8 Fine / D.C.
金属音が白き回廊に鳴り響く。
鈍く重く、脚を動かすたびにガシャリと響く。
人はそれを迷宮と呼ぶが、それにとっては慣れた家でしかない。
迷宮の主はそして、生贄を見つけたのだ。
*注釈。ありふれた物語の一節より
□□□
さて、これから脱出だ。
俺の気力は魔力によって湧き上がり、少女とも恐らく和解できた。
ならばこんな迷宮にこれ以上いる必要はない。
迷宮の道が複雑で分からない、という最大の困難は元々解決している。
(この道を教えてくれる宝玉オーブさえあれば、脱出は簡単だ)
魔力を注がれたことで、少女の元まで俺を導いてくれた宝玉。
理屈は分からないが、そういう魔法アイテムなのだろう。
副作用としては、迷宮に俺の狂った魔力が入ることで汚濁されてしまうことだが、今の俺はそんな未練を完全に振り切っている。
「宝玉よ、今度は俺を元来た入り口まで返してくれないか?」
前回は偶然宝玉の魔法が起動したが、今回はちゃんと意図的に反応させられたらしい。
軽く光るとともに、例の機械声が鳴った。
『受諾、先導開始』
床に置いた宝玉は、再び転がり始める。
俺は少女を背負うと、その後をつけて行った。
脚が軽い、さっきまでの疲労ぶりが嘘のようだ。
「あの…」
不安そうな背後の声に、俺は笑って答える。
「ああ、君を…ゴホン、貴様を担いで進めるまでに、気力は回復している。安心して揺られていると良い」
彼女を信頼させるために魔王と名乗った以上、口調も高飛車びしてはみたが、まだ慣れないな。
けれど少女は俺の返答に満足してないらしく、後ろで何か言おうとしては「うぅ…」とくぐもっている。
「どうした、少女よ」
「ショウジョ……わたしのこと、ですか?」
「そうだ、名前を知らないからな。それとも他の呼び名がいいか? 娘子、女子……いや、距離があるな。より相応しい言葉は……」
「あの、違うの……その、そんなに走ると……」
「体力は問題ない。なに、ひとまず話は安全な場所に着いてから聞くさ」
走りながらの会話は、呼吸が整わず難しい。
けれど、このまま走り抜けた先には、きっと安らぎがある。
そう信じれば、身体はただ通路を駆け抜けることだけに特化していく。
耳を通り抜ける風音も、指先の冷たさも、背負った少女の重ささえ感じなくなっていく。
視界がまだ赤いのは、魔力が俺に力を貸しているためだろうか。
今まで違いの分からなかった白い回廊が、一つ一つ模様の違いに気づく。
いや、元々模様なんて見えていたか? けれど、何十もの曲がり角を過ぎればその疑問も忘れ去った。
鼓動は思考をかき消すほど大きく全身に鳴り響く。
前へ。前へ。
「ふ、ふはははは!!」
高笑いが聞こえた。
自分の声か、なぜ笑っているのか分からない。
けれど、陽の光を浴びれると、信じているからこそ漏れたのだろう。
そう、俺たちは無事にここから出れると。
そんな安直な考えを、この迷宮は打ち壊した。
ガシャリ
擦れる金属音。
俺たちからではない。別の回廊の向こうのほうから鳴った。
ガシャリ ガシャリ
音が近づく。
その正体が何かを考える間もなく、それは目の前に姿を現した。
青銅色の巨大な牛。
背丈が通路に収まりきらないソレは、猫背になりながら俺たちを見下ろす。
その巨体は青銅色の甲冑を全身隙間なく覆う。
前脚はなく、代わりにあるは人を握りつ競るほどの巨大な拳。
右手に引きずるのは、大人を真っ二つにできそうな両刃の大斧。
歩むたびに軋む様子から分かるその重厚さは、情人なら身動きできない重量のはずである。
頭部もまた一段と大きく、丸みを帯びた双角が前方へと伸び、口元は獣を模して前へと突き出している。
その鎧の奥から聞こえるくぐもった唸り声は、俺たちを倒さんとする敵意そのもの。
鎧姿の大牛、とでも言うべき怪物、は腰をかがめ、脚に力を……
少女を抱き寄せながら、横の通路に飛び込んだ。
すぐ側を突風が拭く。3秒後、地響きと共に硝子の飛び散ったかのような甲高い破壊音。
見なくともわかる、さながら戦車のように、あの牛頭が壁に衝突し壁を粉々にしたのだ。
「いいか、そこの角を曲がって逃げろ」
少女にそう言って、返答も聞かずに俺は元の通路に飛び出した。
前では、度鉄の牛が振り向く。そして、また構えを取った。
「来い!!」
俺は全力で道を走る。
背後から聞こえるのは、金属のうなりと地面を蹴とばす足の地響き。
ガシンガシンと音を立てながら、通路を巨体でこすらせている。
一歩が大きく、そして速い。
(逃げら)
身体が吹き飛んだ。
前へ前へと、胴体がしなり、体全体がのけぞって、空中で縦に3回転した。
「あ…」
間抜けな声を上げた直後、俺の身体は壁へ激突する。
内臓がひしゃげ、パキンとどこかの骨が折れ、体内の血液が暴れて噴き出す。
グシャリと地面に倒れこんだときには、真っ赤な視界と耳から溢れる血流の音が感覚のすべてだった。
平たくなった胴体から、押し出された血液が脳に溢れて破裂でもしたのだろう。
苦痛はない。全身の感覚もない。それが即死だというのは明らかだった。
(じゃあ、なぜ俺はこうやって思考している?)
分からない。
なぜ俺が死んでいないのか、それとも走馬灯のように、死ぬ間際の時間が引き延ばされて知覚されているのか。
けれど、意識があるのなら願うことは一つ。
どうか、あの少女に救いを。
そして、ああ、やはり俺は即死したのだ。
赤い視界が黒い闇へと変わる。
自分の脈動が、拍が、どこまでも遅く小さくになる。
最後に、ほんの少しだけ感じたことは。
どこまでも冷たい死体の体温。
俺の意識は失われた。
□□□
「……え、これで終わり?」
俺は次の頁をめくった。
けれどそこに書かれているのは、明らかに別の物語と挿絵である。
魔王の自伝の半分も過ぎないうちに、ここで話が終わってしまった。
いやいや、どういうことだ?
ここで死んじゃったら、魔王は俺の知るアイツになれないままじゃないか。
いや、こうやって本を書いているのだから勿論生きてはいるんだろうけど、じゃあこの話は一体何だったのか。
もしかして、俺の言語能力が低いせいで何か読み違いをしたのだろうか。
でも、この自伝は、見開きの左にこの世界の言語だが、右には日本語で訳文が書いてある。
流石に慣れ親しんだ日本語を間違えるわけないし……
どこかに残りの話がないものかと、後ろをペラペラとめくりつつ、最後のページまで目を通して、やはりないことを知る。
「う~ん……?」
どうしよう、もやもやとする。
少女は助かったのか、迷宮は何だったのか。
多くの謎を残したまま打ち切りになった物語のようで後味が悪い。
……賢者を呼んで相談しようか?
でも、今は部屋に引きこもって実験中だから、邪魔するのも忍びない。
(とりあえず、読書は一段落ついたことにして休憩にするか)
背伸びをして窓の外を見れば、まだ日は高い。
時間もあるし、気晴らしに雑用でもしようと席を立った。
部屋を出ようとした、その視界の片隅で。
風が吹き、頁が一枚ずつめくれていた。
「……?」
突然、身震いがした。
思わず腕をこするが、別段部屋の外にも中も、穏やかな日中のままで、なにか変わったことはない。
テーブルの上には、相変わらず開かれたままの本。
そうだ、一応希少な本ではあるから、傷まないよう、栞でも挟んでちゃんと閉じておこう。
俺はめくれた頁をもう一度指でめくり、章の最初を見ようとした。
「……あれ」
おかしいな。
最後まで読んだはずなのに、知らない挿絵や文章がある。
そもそも先ほど読んだはずの話とは似ているが、あの結末がどこにも見当たらない。
それはまるで、物語自体が書き変わったような。
俺は最初から文章を読み直し、そして気づく。
『潮風香る港町。晴れた空の下で、海の青さを満喫するのも良いだろう。市場の賑やかさを味わうのも良いだろう』
『それは両手で包み込めるほどの大きさだが、加工跡すら分からない滑らかな真円で、内部には淡いオーロラのような虹色がたなびいていた』
語り手が港町にやってくる冒頭。
街中で宝玉を盗む展開。
『あの少女の双角が、俺は欲しい』
『俺は、地下迷宮の入り口をくぐりぬけたのである。』
『スライム……なのか!?』
少女を求めて、迷宮へと入り込む場面。
彼女に逃げられ、スライムと遭遇する場面。
『魔族認証実行』
『……欲しい。欲しい。欲しい、欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲欲欲欲』
『……俺こそが、魔王だ』
宝玉の魔法の起動。欲求の暴走。魔王としての名乗り。
ここまでは記憶と違いがないように思える。
けれど、次だ。
『俺は、宝玉を使わないことにした』
『スライムと挟み撃ちになる』
『出口を見つけた』
『鋼の乙女が姿を現す』
『魔王、お前を倒す!!』
違う展開、知らない展開、こんな大胆に読み間違えるわけない。
自分の本をめくる手の汗に気づき、俺はハッと緊張から目覚める。
「賢者……賢者ぁー-!!」
考えるより早く、俺は本を持って部屋を飛び出していた。
まさかまさか、ここでもか。
確証はないけれど、なんの理由があるかも分からないけれど。
そう確信せずにはいられなかった。
俺自身が散々経験したことと、同じことが起こっていると思わずにはいられなかった。
つまり。
魔王が死んだことで、物語は巻き戻り、書き変わったのではないかということだ。
半年ぶりの投稿です。更新停止したかと思われた読者の方には、申し訳ありません。
次回は「一カ月以上更新されていません」という表示が出る前に、なんとか……




