5 魔王は窶れし不退転
久々の更新です。
タイトルは窶れる(やつれる)です。
右。左。前。後。右。左……
息が苦しい。進むのが辛い。
右。左……前……後……
動けなくなる。恐怖で足が何度もすくむ。
右………………左…………
そして気付けば、俺は一歩を踏み出せなくなっていた。
スライムの危機が去った後、充分とは言わずとも休憩を取ったはずだった。
けれど精神は違う。常に周囲を警戒し、脱出への不安で張り詰めたまま。
行ってしまえば、この通路は過去の魔族が造ったこともあり、単純であるが美しい。
けれどどこまでも続く、出口があるかも分からない無限回廊は、地獄へ通じる道でしかない。
俺を襲う怪物があの曲がり角に潜み、あの壁の後ろに罠が待ち構え、ただ一つの分岐を選び間違えば、数十時間無意味な探索を続けるかもしれない。
(動きたくない……)
動かなければ、すぐに危害は起こらない。
いずれは敵とでくわすかもしれないが、下手に迷うよりはズッと良い。
先に進むことの恐怖が大きい分だけ、歩みは鈍くなる。
回廊は自分の足音以外、何も音がしない。
這いずるスライムや同じく迷える少女がいるはずなのに、自分の呼吸が騒がしいと思うくらい、俺以外の存在を感じれない。
ここでただ一人、こんな孤独と絶望に耐えなくてはならないのか。
(それでも、歩かなくては)
俺は、こんなところに閉じ込められたままではいたくない。
早く外へ出て、まだ見ぬ景色と巡り会いたい。
そのために、俺はこの世界にいるのだから。
自分をそう説得し、何とか身体を動かす。
だがそんな誤魔化しも、いつまで続くか分からない。
分かれ道まで進むと、少しスライムに溶けて変形した冠の突起で壁に矢印を彫っていく。
少なくとも目印があれば、多少は道に迷わなくなるはずだ。
これを繰り返し、段々と前に進めるようになったと思ったとき。
ズル……
身体が固まる。
今かすかだが耳に入った音。
俺は曲がり角で息を殺し、首を伸ばした。
ズル……
ほんの少しだけ、向こうに青緑色のゲルがうごめくのが見えた。
だが丁度、俺とは別の方向へ進行する途中だったらしく、すぐに壁の向こう側へと行ってしまった。
「はあああぁぁぁぁ……」
長い息が溢れる。
一時間も歩いていないにもかかわらず、腰が抜けて再びしゃがみこんでしまった。
俺はまた気持ちを作らなければならなくなってしまい、手荷物を漁り、意味もなく中身を確認した。
スライムに投げつけた爆竹は、あれが最後だった。
だから次は、スライムの動きを抑えることはできない。
反対に、何の役にも立たなそうなのが、この蒼玉だ。
元は魔族のものなのだから流石の一流品ではあるが、この状況では宝の持ち腐れだ。
精々占い師の水晶玉みたく、こうやって両手でなで回すくらいしかすることがない。
「これが爆弾だったら、スライムに投げつけて倒せたかもしれないのに……いや、やっぱ勿体なくてなげないな」
自分で軽口を叩いてみたが、苦笑すら起こせなかった。
そう、武器もなく防具もなく、なのに緊張感は常に張り詰めて、体力は徐々に落ちていく。
このままでは半日もせずに、そこらに倒れ込み、動けなくなったところをスライムに捕食される……そんな最悪な未来が何度も頭をよぎった。
(……誰にも気付かれず、一人でゆっくりと死に向かうのは……怖いものだな)
一人、か。
そういえば、と姿を見失ってしまった少女のこと思い出す。
生贄の巫女に選ばれ、恐怖に怯えていたあの瞳。
彼女もまた、俺と同じく迷宮を彷徨っているのだろうか。
それともスライムの餌食になってしまったのか。いや、そうじゃないと信じよう。
俺みたいな傲慢で奔放な泥棒が酷い目に遭うのは自業自得だが、彼女にはただ選ばれただけで何の罪もない。
例えこの迷宮の出口が見つからなかったとしても、彼女だけはどうにかして救ってあげたい。
「俺みたいな小悪党は良いけど、せめて彼女だけは助けてやりたいな……」
『魔族認証実行』
「……うん?」
突然、女性の声がした。
しかしどこから聞こえたのか探す前に、更なる異変が現れる。
手にしていた宝玉が光り輝き始めたのだ。
思わず手を放しそうになったが、否、離れなかった。
宝玉に触れた皮膚の部分から、青白く光る模様が伸びてきたかと思うと、俺の両腕がたちまちのうちに謎の模様で覆い尽くされてしまった。
手は指一つ動かすことができず、俺はただ眼を見開き驚くことしかできない。
やがて光は収まり、腕に刻まれた模様も見えなくなった。
『適正術式投与、全工程終了』
最後にプツンッと音がしたかと思うと、それっきり声が聞こえなくなった。
しばらく唖然としていた俺だが、やがてハッと正気に戻ると、宝玉から手を放して反対の壁際まで後ずさる。
「……何だ、今の」
呟いてから、俺は再び自分の腕を眺める。
手の平を何度も表に裏にしてみて、けれど動揺は中々収まらない。
宝玉は床に転がったままで、俺が息を落ち着かせようとする間、何の変化も起こさなかった。
(とりあえず、拾っておくか?)
とりあえず再び荷物を担ぎ、宝玉をしまい、なんとなく辺りをキョロキョロと見回した。
何が起きたのか分からないが、自分にも周囲にも異常はない。というか、異常があったとしても対応できない。
とりあえず、体力の続く限り、迷宮を歩き続けなくてはならないことに変わりはない。
今の現象を紐解くのは後回しにして、ひとまず出口なり、消えた少女の元に辿り着かなくては。
『受諾、先導開始』
また、声が聞こえたと驚く間もなく、宝玉が懐から飛び出した。
荷物の詰め方が甘かったのか、と思ったが違う。
床に落ちたかと思うと、ゴロゴロと道の中央を勢いよく転がりだしてしまった。
あっという間に俺から距離を離したかと思うと、角をくいっと曲がってしまう。
なんだなんだと、再び頭が真っ白になりかけたが、先ほどよりは早く我を取り戻すと、慌てて玉を追いかけた。
(というか、速い速い……!!)
宝玉は氷上かと思うほど、気持ちよく床を滑り、道の中央を真っ直ぐに、横道へ来れば不自然なほど綺麗なカーブを描きながら曲がっていく。
どういう原理だか知らないが、逃げる小動物のようにすばしっこい。
迷宮を飲まず食わずで探索し続けた俺には、その後を追うだけで精一杯だ。
けれど、ここであの宝玉を見失えば、今度こそ二度と迷宮から抜け出せないような気がして、息も絶え絶えに走り続ける。
「ハッ、ハッ、ハッ……!!」
頭痛がする。呼吸が喉に焼き付く。
白色の廊下が更に眩しく、柱が何重にもブれてみえる。
迷宮を彷徨ったせいで、既に危機感はたらかない。
一気にわき出した汗が服をずぶ濡れにする。
耳が遠くなり、酸欠で額の裏に激痛が走る。
それでも、転がりゆく玉を、動く物体を、勝手に身体が追い続けていく。
「ハァ、ハァッ……ゲホ、ゲホッ!!」
水分の抜けた気道がむせて、けれど涙は流れ出す。
なんで俺はこんな目に遭っている?
なんで迷宮で絶望しかけている?
こうやってボロボロの身体で苦しんでいる?
全ては自分のせいか。
欲望に身体を奪われて、少女の角に魅せられたせいか。
ほんの少しだけ、そんな後悔が頭をよぎり出す。
「ハァッ、ハァッ……違う、違う、これは絶望なんかじゃない!」
俺は迷宮の入り口で待つことができた。
わざわざ地図もない道の中へ、罠の中へ入る必要もなかった。
身勝手な欲望を抑えつけ、自分の安全だけを気にすることもできた。
けれどあえて迷宮へ挑んだのは。
二度と出られない可能性を知りながら、もがき苦しむことを知りながら、それでも苦難の中へ飛び込んだのは。
「……………いた」
目の前には一つの通路。
その壁にもたれかかり、少女が眠るようにして倒れ込んでいた。
そうだ、俺がわざわざ危険と知りながらこの場所へ入り込んだ。
絶望に立ち向かうために、俺自身が選んでそうしたのだ。
この少女を助けるために。
宝玉は、いつの間にか速度を緩め、静かにユラユラと転がっていた。
そして、最後はぴたりと、眠る少女の指先に触れたのだった。
『元の用語説明』
プロバティオ・ディアボリカ……Probatio diabolica: ラテン語の語句。日本語では「悪魔の証明」。
スウム・クィークエ……suum cuique: 「各人に各人のものを」と訳される、ラテン語の表現。ドイツ語圏では有名なスローガンであり、日常的なことわざ。
お久し振りです。そして更新滞り、申し訳ありません。
諸事情で長らく執筆進みませんでしたが、少しずつペースを取り戻せたらと思います。
次回は二週間後までには投稿したいですね(流石にまた長期間は開けないようにします)
一応、生存確認用にTwitterを動かしてますので、Twitterが動いている限り、執筆活動はしているとお思い下さい。




