最終話 夜明けのエルケーニッヒ
かつて賢者の別荘で雑談しているとき、賢者の魔法を花火に例えたことがある。
魔法の砲撃だったり、射手の射撃だったりのときに、実に様々な光が身を包む様子は幻想的だったと。
「へえ、貴方の世界の花火は、そんなに美しいものなのかしら」
そこで俺は、自分の知る限りの知識を彼女に話してみた。
異なる世界の話なら何でも、賢者は興味をもって聞き入ってくれる。
まあ、その知識を何かに活かせるかと言えば、現実はそんなに単純でないわけで。
不足部分を補う必要があるし、実験を何度も繰り返しても、結局は成果が得られないことも多い。
彼女もまた自分の仕事があるので、俺から得た知識全てを試すことはなく、あくまで趣味として聞いて、気になれば試しているといった生活であった。
だから、この花火の話をしたときにも、賢者がどれだけ興味を持ち、何を考えていたかは分からない。
ただ、不思議な目をして俺をみていたことを覚えている。
(まさか、その話をした後しばらくして、こうやって花火を見ることになるとは)
そんな偶然に浸りながら、俺は今夜を迎えていった。
□□□
今日の夜は賑やかだ。
祭りの熱狂と、満天の星空。
魔王の部下による偽の王都では、夜はいつだって星一つみえない曇天だった。
的の居場所も正体も分からぬまま、無人の街で、暗闇を掻き分けて進まなくてはいけない恐怖は、身体を震え上がらせたことだろう。
だけど夜は、本当はこんなに心安らぐものでもあるのだと、教会の庭で俺は実感していた。
息を吸う。
胸の鼓動が、こうやって生きていて良かったと思わせる。
あんなに長い間苦しみ、死んで、そのたびに動かなくなっていた心臓だ。
これからも俺は悪夢としてこの事件を思い出すだろうし、そのたびに胸をギュッと掴んで命を実感するだろう。
「あと15分くらいで、。花火が打ち上がるのかな」
広々とした芝生の上に四畳半ほどの大きな布を引き、俺はごろんと寝転がった。
そろそろ手元に明かりがないと、何も見えなくなる時間帯だ。
周囲には誰も居ない。ただ通りの建物の向こう側は、真昼のように賑わう音と、夕日のような橙色の光が空まで照らしている。
少し目を閉じて休んでいると、ザッザッザッと草を踏む音が近づいてきた。
まばゆいランタンの明かりに、俺は起き上がる。
「ほら、教会から借りてきたけれど、これくらいの明るさで良いのでしょう?」
「ありがとう、賢者。教会の中って照明灯が少ないんだな」
「教会は普通、暗くなる前に閉めるものよ。深夜の教会に用があるのは、泥棒か幽霊くらいね」
「特にお祭りなら、幽霊も様子を見に来そうだな。泥棒だって手薄になった要所を狙いに来るかも」
「なんて恐ろしいことを考えるのかしら」
「最初に言い出したのはそっちだろ!?」
そんな言い合いをしながらも、俺たちは空を眺めていた。
やがて、街がの騒ぎが急に小さくなったかと思うと、城の方角に一つの光が打ち上がった。
星々の間を真っ直ぐに駆け抜けて、空に軌跡が作られる。
光は減速し、天頂の手前で消えた。世界が静まりかえる。
そして大輪が咲いた。
「……うわあ」
間抜けな声が漏れてしまうほど、その花火は美しく、そして巨大であった。
配色は七層に分かれ。その一つ一つの線は流星のように空へ放射線上に広がり、文字通り全天を覆う一つの花となった。
花火は輪を広げながら、光の花弁が建物の影に見えなくなるまで光り続けている。
やがて遅れて届いてきた音は、ただ一つの花火から鳴ったとは思えないほど、いくつもの破裂音が反響して響いてきた。
続けて二発目、三発目の花火が打ち上がり、今度は花火がまるで生きているかのように、光が直角や曲線を描きながら分裂し、アラベスクのように複雑な模様の輪を空中で描いていく。
一息つくまもなく、様々な花火が浮かんでは、俺の知らない技術によって、空を彩っていく。
「この世界の花火ってこんなに凄いのか……見れて良かった」
「……気に入った?」
「ああ、凄いな!! こんなの初めてだ」
「……それなら、良かった」
なんだ、賢者からしたらたいしたことないのか?
確かに勇者パーティーの派手な魔法に見慣れていたら、こんなの子供だましかもしれないけど。
「花火の弾と打ち上げ台に、いくつかの魔術式を組み込んでいるの。そして火薬にも魔力を混ぜ込んでみたわ。思ったより、綺麗な色合いになったわ」
「……うん? その言い方だと、まるで賢者がこの花火を作ったみたいじゃないか?」
「ええ。あの花火の魔術式の考案を手伝ったのは、私なのだけれど」
何だって。
「数週間前から、本当は私にも勇者パーティーの一員として、勇者のパレードや今夜の城での晩餐会に参加するよう命令されていたの。でも貴方を連れて行くわけにもいかないから、代わりに世界一の花火を発案してあげることを条件に話を断ったわ。その花火が、魔王の息子によって元々のパレードは延期されて、今回改めて飛ばされたの」
「それって、俺たちが王都じゃなく辺境の別荘にいたときに考えていたのか。それに数週間って、そんなに早く新しい花火ができるものなのか」
「私だって最終的な調整は、実際に花火を準備して打ち上げる人に任せたわ。けれど、一度延期があったおかげで、こだわる時間は十分にあったの。貴方にも一部を手伝わせていたのに、気付かなかったみたいね」
思い返すと、確かに謎の粉をいくつも運ばされたり、夜中にパンパンと何かの弾ける音を聞いた記憶があるな。
更によく考えれば、色々と花火につながる手伝いがあった気もするが、自分の知らない魔法の研究として流してしまっていた。
「それに、あの花火は貴方の意見も参考にしてみたの。花火に色んな種類があって、満開の花みたいな輪を描くものがあるなんて、私も知らなかったから」
聞けば、この王国の花火も、祝砲に色づけがついた程度のものを、魔術で派手にみせてはいたが、形も種類もそこまではなく、また賢者の進言がなければ、これほどの規模を打ち上げることもなかったという。
予算だって、各国から招いた要人に国の技術力をみせつけるべく、通常より一桁も二桁も違うのだと。
「でも、そんなことは今の貴方にも私にも関係のないことよ。貴方が喜んでくれたのなら、それで十分かしら」
彼女は空を見上げ続ける。
その横顔が、花火で照らされ、虹色の髪が時おりガラスのように輝く。
俺は、このタイミングしかないと思った。
彼女との賭け。彼女の名前を当てれば勝利。
一つ息を整え、俺は切り出す。
「賢者! 俺との賭けなんだが、その答えを言おうと思う。君の名前は……」
「もう、答えは聞いたわよ」
「……え?」
耳を疑う。
俺は開いた口をなんとか閉じて、彼女の言葉を理解しようとする。
「どうしたのかしら?」
「・・・・・あれ、おかしいな。ええと、その、俺が賢者の名前をもう呼んだって?」
「そうよ、だから賭けは貴方の勝ちでしょう?」
「待ってくれ、俺が一体いつ言ったんだ!?」
「まさか覚えてないの……? まるで、今その答えを言おうとしていたところみたいだけれど」
その通りだ。
けれど、俺はいつ彼女の名前を呼んだのか、全く記憶にない。
だからこうやって、手が震えるくらい動揺してるのだ。
「でも、今答えを言おうとしたのなら遅すぎるわ。その賭けの期限は一週間だったのを、まさか覚えていないの?」
……そうだ、思い出せば、確かにその通りです。
本当なら俺は、王都についたときに勇者たちに話を聞くことで、彼女の名前を知ろうとした。
だから俺にとって彼女との賭けの期間は、王都からちゃんと帰るまでの間だと思い込んでしまっていた。
けれど魔王の部下によって時間を何度も巻き戻され、更には意識を失っていた期間も長く、よくよく考えればとっくに賭けの期限は過ぎているじゃないか。
しかし彼女は既に答えを聞いたというのだから、わざわざ弱みをみせたくはない。
「い、いや……覚えているさ。ただちょっと、祭りで浮かれて記憶が混濁しているだけなんだ」
「そうなのね。そういうことにしてあげましょう」
不敵な笑みを浮かべる賢者に、俺はその真意が分からない。
一体どういうことなんだ。
「確認しましょう? 狩人と闘って、貴方が空間跳躍で狩人を追い詰めて、勇者たちと共に倒し終えたときのことよ。貴方は、私に魔力を供給したせいで、しばらく倒れ込んでしまった。貴方が横になる間、私が側にいたのだけれど、そこで貴方は私の名前を呼んでくれたの。まるで寝言のように幽かな声で、何度も私の名前を」
そんなことが……。
それなら確かに期限内に答えを言ったことになるし、俺が覚えていないのも仕方がないな。
意識のない中で彼女を呼べたのは、幸いというか、自分の無意識に感謝したい。
(いや、待てよ。それは本当なのか?)
確かに俺はあのとき意識を失っていた。
けれどその時に俺が彼女の名前を知っていたかは定かではなく、寝言でそんなことを口に出せたのか分からない。
しかも声が小さかったのだというのなら、賢者以外の誰もそのことを聞いてはいないだろう。
つまり、これは彼女の嘘なのかもしれない。
(でもその場合・・・・・どういう意味がある?)
じゃあやはり、賢者の言葉は本当なのか。
例えうめき声であっても、彼女はルールを真摯に守ろうとしてくれたのだろうか。
混乱する俺を横目に、ただ彼女はほほえみ続けた。
俺も、それ以上何も質問することができず、ただ打ち上がる花火を眺めていた。
ただ言うべきことは、決まっている。
「ありがとうな、賢者」
「……ええ」
そのとき、一つの光が上がった。
□□□
王都から離れた草原の、一木の大樹の下。
私の目に、映るのは、本当の野花のように小さく、けれど何発も打ち上がっていく花火。
王都を取り囲む長壁を幾筋もの線を作って飛び越え、様々な色をきらきらと輝かせ、たちまち消えていく。遅れてきこえる破裂音が、この何もない場所によく響く。
けれど、私の沈みきった心には何も映らない。
ただ何を思うでもなく、視界に入るがままに傍観していた。
けれどたった一発、どこまでも高く伸び上がる光が一発。
通常なら曲がることなく飛んでいくそれは、明らかに螺旋を描いて空に飛んでいく。
それが弾けたとき、私は自分の脳が揺さぶられたのを感じた。
「あ……」
それは、一つの大きな模様だった。
様々な色を織り交ぜたものでもなく、光の広がり方に見惚れるものでなく。
赤色の線がクッキリと、歪み一つ無く夜空に一つの模様を作った。
『魔法陣』
それは数秒もたたないうちに、消えてしまい、気付けばまた他の花火が打ち上がった。
けれども私の目に焼き付いたその模様は、その中心に、只一人を指し示す紋章を残していた。
(どういうことなの……!?)
私は思わず立ち上がり、フラフラと揺れ動きながら歩く。
しばらく放心して一歩も動かず、何も食べなかったせいだ。
まともに歩く体力がなくなっている。
「どういう……ことなの?」
疑問が頭を渦巻く中。
私は、その場に倒れ伏し、意識を失ってしまった。
□□□
「なあ、今のあれって」
王城にて、晩餐会に招かれ正装をした勇者と射手、戦士が外を見上げていた。
他の誰もが、今の花火を、ほかのものと同じく物珍しい種類の一つとして、すぐに新たな花火へと興味を示している。
だが、勇者はその紋章に見覚えがあり、そして今更ながら忘れていたことを思い出す。
「そういえば……俺たちが王国から借りていたアレは、どうなった?」
隣の耳元に口を寄せ、小声でささやく。
射手は一瞬ゾクゾクと肩を震わせ、顔を真っ赤にしたが、戦士のコホンという咳払いに冷静さを取り戻した。
「ええと、あれって、『魔王の首』のことよね。……偽物の」
キョロキョロと周囲に聞き耳立てる者がいないのを見つつ、確認を取る。
戦士は口元に手を当てて、記憶を巡らす。
「そういえば……彼が王都から魔王の部屋へ空間跳躍した後、手元にはありませんでしたよね。てっきり王都に置き去りとなったので、見回りの憲兵が回収したものかと思いましたが」
「だがな、今気付いたんだが、俺は帰還後、一度も持ち出したことを問われてはいない。お前たちもそうだろう?」
「ええ、そうだけど……それが何よ」
「……なるほど、あの魔王の首は、いくつもの箱によって厳重に包まれ、保管されていた。ということは、もし仮に中が空だったとしても、箱をそのまま戻せばバレることはない」
「その通りッ!! そして最後に、この魔王の息子による襲撃の混乱の中で、箱を俺たちに渡した、という証拠を消し、それを知る者の記憶を消してしまえば、盗み出すことも可能ではないか?」
「まさか……アナタたちの言ってることってつまり!!」
射手の顔が真っ青になる。
それを見た勇者と戦士は、面白そうに笑った。
「ハハハ、さてな。ともかく今夜はパーティーだ!! 不安は後回しにして、楽しまなくてはな!!」
「ええ、こんなものあくまで勝手な推測ですよ。例え誰にアレが盗まれたしても、恐らく何もできませんから心配ありません。何しろ、根本となるアイツの魔力、つまり欲望の塊は、全て浄化されていますので」
「ちょ、ちょっと!! そういう問題じゃなくて!!」
「なに、またアイツが悪さをすれば俺が倒すッ!! だから、ほら、射手も楽しめッ!! この料理も中々に美味いぞッ!!」
「なんで私の顔色みて、料理なんて勧められるのよ!? ちょっと、勇者ァーー!!」
花火がいくつも打ち上がり、祭りに酔った人々は声高らかに唄を歌う。
城内でも、街の中でも、賑わいは続いてく。
王都の騒がしくも平和な一夜は、勢い衰えぬまま続いていくのであった。
□□□
ザッザッザッ
草が踏まれる音。
あの花火の後、私は気力が果てて眠ってしまったらしい。
ぼんやりとした頭で、自分は地面に伏せているわけではないと気付く。
周囲は暗い。空気は肌寒い。けれど前方に何か暖かみがある。
なんとなく手を伸ばすと抱き心地がよいものがあり、そのままギュッとしてみると鼓動の音が聞こえてきた。
(誰かが、私を背負っている?)
瞬きをして、その後ろ姿を見る。
暗くてよく見えないけれど、広い背中。
そう思ったとき、空が明るくなった。
「どうやら夜明けが来たらしい。新たな今日が始まる、良い景色だとは思わないか」
この声は。
私は息が詰まりそうになる。
身体が思わず反り返り、彼から落ちそうになった。
だが、彼はしっかりと私の背負い、支える腕は力強い。
「あまり暴れてくれるな。貴様が病み上がりのように、この身とて目覚めたばかりだ」
「あ、あの……」
「余計な言葉は要らぬ。ただ一言、答えれば良い」
王都はもう見えない。
開けた草原に、朝焼けの風が吹き抜けた。
「これから先、我はどこまでも進もう。お前もまた、着いてくるか?」
答えは決まっている。
貴方様を前に、私は涙をながしながら笑っていた。
「はい……はいっ!! 貴方様となら、どこまでも!!」
泣きながら彼にしがみつく。
私の返答を聞き、貴方様は嬉しそうに頷いた。
そして今ここに、一人の男の高笑いは地平線に登る太陽にまで響いたのだった。
これにて一区切りです。
長い連載でしたが、読者の皆様、ここまでお付き合い下さりありがとうございました。
また感想や毎回誤字指摘を送って下さった読者様、作者の自分にとって大変に支えになりましたため、改めて感謝いたします。
書きたい話はまだ残っていますのが、次回は少し間を開けて2週間後くらいになるかもしれません。




