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59 賢者と誓約グッドバイ

2週間あいてしまいましたが、投稿します。

今回は少し長めです。

期間が空いて内容を忘れた方は、前回を軽く振り返ってくれればと思います。

 

 俺は今、誰よりも会いたかったはずの賢者と出会えた。

 邪魔する者は誰もいないこの家で、ようやく願いが叶った。

 だからそれだけで、それだけで俺の心は幸せに満ちあふれた。

 気付かなかっただけで、涙が流れていたかもしれない。

 ここで彼女の好意に甘え、何日も身体を休め、彼女と語り合い、また昔の生活を繰り返せたのなら、どんなに楽で素晴らしいことだろう。


 虹色の髪は柔らかな曲線を描き、凜とした少女の佇まいは人形のように美しい。

 けれど、彼女の表情は柔らかく、俺をなでる指先は温かく、慈愛に満ちた母のようでもある。

 長いときを共にして、最初にあったときの無表情な彼女は、今や俺の前では笑顔をみせることが多くなっていた。

 そんな賢者に優しく微笑まれながら目を閉じれば、俺は眠りへと落ちていく。

 俺は……



(いかないと……)



 まだ、休むわけにはいかない。

 俺は壁を伝い、家の中をよろよろと進む。

 賢者の淹れた茶によほどのリラックス効果があったのか、それとも睡眠薬でも入っていたのか、意識は揺らぎ、足が思うように動かない。

 疲労感だって溜まっている。

 数日前まで碌に運動もしなかった凡人が、王都中を敵の砲撃から逃げ回り、暴走車を半日と運転してきたのだ。

 加えて、今まで王都で死んだときに負った精神的な傷は胸の奥でうずき続けている。

 勇者たちのように闘いになれた強者でもなく、修羅場をかけ続けられる胆力もない俺に、間違いなく限界が近づいてきていた。

 眠りたい。眠りたい。頭の中で何度も反芻する。

 その度に何度も大きく息を吸い込み、指先に力を入れ、一歩ずつ足を踏み出していく。


「そうだ……俺が、この家に帰ってこれたこと自体、奴の手の内だったのかもしれない」


 頭からもやが晴れない。

 重度の風邪を引いたときのように身体は重く、心臓の音は高鳴っていく。

 自分の考えが正しいのか、妄想なのか区別できなくなるのが分かる。

 だからこそ、今確かめなくてはならない。


 そんな俺の様子を見て、賢者が側に駆け寄り崩れかかった身体を支えてくれた。

 普段は冷静さを失わない彼女だが、今は困惑の表情がみられる。


「……ねぇ、何をそんなに怯えているのかしら? ここは魔王の部下が支配する王都ではないし、私も一緒にいる。無理に焦っても体調を崩すだけなのに」


 そういって、俺の服をぎゅっと掴んだ。俺の挙動に怯えているのだろう。

 しかし、今俺は動き続けなくてはならない。

 彼女に支えられながら、二回へと続く階段へと歩いていき、息も絶え絶えながら質問に答える。


「……賢者、なんで俺が、王都から脱出できたか知っているか?」


 俺は、魔王の部下の作り上げた王都から抜け出す手段を探すうち、王都を造る魔法は街中に張り巡らされた魔法陣に鍵があることを掴んだ。

 そしてその魔法陣は、賢者の家の庭にも、魔王の部下が空間転移ワープを行ったさいに残したものと似ていると気付いた。

 更に偽の王都は、人々の精神世界をつなぎ合わせたことで生み出された。

 だから王都の魔法を破壊し不安定にさせ、俺の記憶を利用することで、この家へと続く道を作り出せるのではと思いついた。

 もし脱出に成功すれば、それを風穴に、偽の王都は形を保てなくなり崩壊するはずだと。


「俺が王都から抜け出せれば、自然と世界は崩壊する。でも、それは違った……」


 賢者の話によれば、王都は今も部下の結界に閉ざされている。

 俺一人が脱出しただけでは、魔王の部下の魔法を崩せなかった。


「だから……、俺には、もうできることはない。けれど……」


「落ち着いて、貴方は一度きちんと休まないと」


「ああ、俺は興奮していて、冷静さがないのかもしれない……でも」


 この家の階段は、こんなにも大きく長かっただろうか。

 踏みつける度にギシリと音を立て、屋敷全体が揺れるような錯覚を覚えた。

 手すりにつかまろうにも指に力が入らず、賢者に体重を任せてしまう。


「こんな身体で何をしようというのかしら。大丈夫、貴方は私が守るから安心して寝ても良いの。用件があるなら、私が代わりにしといてあげるわ」


「ありがとう……だけど、これは俺がやらなくちゃ……いけない」


 彼女の優しい説得を、俺は拒み続けた。

 一番信用できる相手なはずなのに、それを拒否するというのは難しい。

 彼女の言葉が耳に入る度、俺の心は揺れ動き、かろうじて中心に留まり続ける。

 目に入る虹色の髪は何時もより際だって鮮やかだ。

 俺の顔を不安げに覗き込む瞳は、ほんの少し湿っていながら星のように澄んでいる。

 頼りたい。気を許して全てを任せたい。

 彼女には魔術について相応の才能があるし、何より俺にとって最も大事な仲間の一人だ。


「俺はあの王都で……勇者にも……射手にも……本当はいなかったはずの戦士にも、力を貸して貰った。仲間を信じることで、前に進んでこれた」


「だったら私を……」


「……ああ……俺も賢者を信じてる……だからこそ、俺は向かわなくちゃいけないんだ」


 普段の十倍以上の苦労で階段を上り終えた俺は、賢者の肩から手を放して、廊下の壁を伝って歩いて行く。


「君が……言ってくれたんだ。いや、他の誰かも言っていたかもしれない。ともかく、俺は、その助言が役立つのは、今だと思っている。


「なんの話かしら?」


 さっきよりは足に力が入ってきたかもしれない。

 しかし代わりに視界がぼやけてきた気がする。

 もしこの違和感が、俺の疲労からではないとしたら。

 本当に、この歪みが現実にあるものだとしたら。


 誰かの声が俺の頭の中で繰り返される。

 世界を裏切れ。

 魔王アイツのための世界を、魔王のために作られた俺のための世界を。

 きっとそれは、こういう意味なのではないか。


 賢者が俺の空いた片手を後ろから握りしめ、その場から動かない。

 俺は前に進めず、しかし彼女の方を振り向くこともしない。


「ねえ、お願い……私の言うことを聞いてくれないかしら」


「……」


 ああ、やっぱりか。

 こんなことをされては、俺は賢者の方へ戻ってしまう。

 だからなのだ。

 俺が誰よりも信頼を置いている賢者。

 その彼女が俺を前へ進ませないのなら、それは俺にとって最大の障害となる。



 だから俺は、()()()()()()疑っているのだ。



「賢者……お前は、俺と約束をしたことを、覚えているか?」


 王都を出る前に、彼女とした賭け事。

 俺は長く一緒に暮らしていた賢者の、その名前を知らなかった。

 自分でもふざけたことだと思うが、賢者はそれを利用して、俺が彼女の名前を探し当てられるかを勝負にした。

 だけれど、彼女は俺が簡単に答えを辿り着くことを拒んだ。

 王都で俺が憲兵に賢者の名前を尋ねようとすれば魔法で邪魔をした。

 俺が勇者からの手紙の宛先に名前が書かれてないかみようとすれば、それを自分の部屋に隠してしまった。

 そうだ。俺は賢者の部屋に一度も足を踏み入れたことはない。

 彼女の部屋には、絶対に彼女の名前の手がかりが残っているが、俺がそれをしようとすると賢者に随分と冷たい目でみられたのを覚えている。


「賢者、そこがお前の部屋だよな……?」


 俺は、あと二十歩もない先にある扉を眺めて言う。

 賢者は何もいわず、やはり手を掴んだまま動かない。


「別に、俺は部屋に入れて貰いたいわけじゃない……ただ、一つだけ確かめたいことがあるんだ……」


 そういって、彼女の重い手を振り切って、また一歩踏み出した。

 目の前の空間は、俺の感覚が確かなら、やはり歪みを持っている。

 これはまるで、偽の王都で感じた世界が崩壊したときの歪み方と似ている。


「俺は賢者の部屋に入ったことがない……そして君の名前も知らない……」


「……それが何だと言うの」


「だから、もし……俺の仮説が、魔王の部下が作り出した王都が精神世界のもので、そして……この家もまだ、部下の作り出した精神世界の中だったとしたら」


 これが魔王の部下の罠だとしたら。


 初めて俺と賢者の家で顔を合わせたとき、あえて魔法陣を残し、俺が必ずこの家に戻ろうというところまで読まれていたとしたら。

 偽の王都の中から賢者をはじき出し、存在しないことにして俺の焦燥感を煽った。

 脱出した先で彼女と感動の再会を果たし、そのまま多幸感に包ませ眠りにつかせようとした。

 何度も死線をくぐり抜けて、擦り切れた精神と積み重なった恐怖感は、愛しい人に出会えたことで簡単に崩壊してしまう。

 もし俺が賢者との再会であと少しでも脱力していたのなら、彼女の言うことに大人しく従って眠っていただろう。

 そして偽の王都から俺が抜け出した場合の対抗策だった場合、俺は時間を無駄に浪費し、再び王都の時間は巻き戻され、俺たちはまたあの半日を繰り返すことになる。

 今度は俺の脱出した方法を見抜かれ、その穴を完全に塞がれた状態となり、より強固な魔法で覆われた世界の中で。


「俺は、まだ魔王の部下によって閉じ込められたままなんだ。そして、その最後の障害が、賢者なんだ」


「私が……」


「……言うのは辛いけれど……俺は、今ここにいる賢者が、その……偽者じゃないかって疑っている。そうでなくとも、部下によって操作された存在なんじゃないかって思っている」


 違和感を覚えたのは、俺が偽の王都で僅かに会話できた賢者と、今の賢者の様子。

 王都攻略にかなり心血を注いでいた彼女のと、自分の家で随分と余裕をもってくつろごうとする彼女との間には大きすぎるギャップを感じる。

 それに、今の賢者とは話は通じるものの、俺との会話に齟齬が生じている。

 なぜ俺が焦っていたのかを理解するより、俺を休ませることに専念しているようだ。


 何より、彼女があの約束を忘れているということが、俺の頭に疑念となって駆け巡っている。


 俺と王都で会話した賢者は、確かに約束を覚えていた。

 けれど背後に居る賢者はそのことを覚えていない。

 もしこの世界が未だ精神世界だというのなら、本物の賢者は外の現実世界にいたままのはずだ。

 ならば、ここにいる賢者は偽者という結論が出てしまう。


「偽者……つまり私を、信じていないということなの……?」


「いいや、信じたい。だからこそ、この夢が真実かどうか確かめたいんだ」


 気付けば、もう賢者の部屋の前に立っていた。

 3メートルはありそうな薄黒く塗られた四角い一枚板。

 三重の枠に囲まれ、中央に一本の線が厚めに伸びていた。

 上枠には何かの物語に登場する騎士と姫の彫像。

 左の位置にある丸いドアノブは、少女でも開けやすいよう下の位置にある。

 格式ばった装飾は午後の日差しを浴びて重厚感がやわらぐ。

 老朽化して色あせた姿は、どこか親しみやすく、けれど古くからここにあったのだという存在感を示していた。


「……賢者、ここがもし精神世界だとしたら、この館を作っているのは俺と賢者の記憶だ」


 この館は賢者が買い取ってから誰も訪れたことはなく、俺含めて2人しか暮らしていない。

 つまり、この館もまた偽の王都と同じく魔王の部下が生み出したとすれば、この館内の様相は俺と、もし本物であるならば賢者の精神を使うことで成り立っている。

 そしてこの賢者の部屋は、()()()()しか入ったことがない。

 だからもし賢者が偽者であるならば、この部屋の中は誰も創造できず、この精神世界において成り立つことはなくなる。

 仮に魔王の部下が適当に部屋の中を魔法で創り上げたとしても、それは俺の精神と同調せずに消え去ってしまうだろう。

 なぜなら、そこに存在するはずの「賢者の名前」の手がかりが、そこには存在できないからだ。

 俺は賢者の名前を知らない。

 勇者を含め王都の人々も、この精神世界の中では誰も賢者のことを覚えていない。

 だからこの部屋に賢者の手がかりがなくてはならない事実と、作り出せないという矛盾を魔王の部下は修復できない。

 手がかりのない部屋を作っても、その事実を俺の精神が拒絶するために崩壊する。

 もしこの扉の先に部屋があれば、ここは現実だ。

 しかし部屋がなかった場合、それはこの場所がまだ魔王の部下による仮想空間の一部であり、同時にこの世界における大きな矛盾点となる。

 既に王都の結界がボロボロである今、そのバグが現れれば偽の世界を作る魔法はエラーを起こし、消滅するはずだ。



「いくぞ……」


 ガチャッとノブを握ると軽く金属の部分が揺れた。

 鍵は元々ついておらず、部屋に入れないよう防御魔法が張られている様子もない。

 俺は不安からか、手が少し震え、ゆっくりとしか動かなくなる。

 仕方なく、焦りから波打つ鼓動を静めつつ、重々しくノブを回転させていく。


 そんな俺の手を、賢者はそっと触れた。


「ねぇ……本当に開けてしまうの?」


 彼女の声は震えていた。

 俺は賢者の方を振り向きたくなる。


「ここでなら、危険な目に遭うことも、死に怯えることもないの。例えこの世界が偽者だとしても、貴方が望む限りこの家に居させてあげられるわ。私は……今までずっとずっと苦しんできた貴方を、救ってあげたい」


「……賢者」


 その必死な声に、ノブを握る力が緩む。

 けれど俺は、ためらいながらも再び回し始めた。


「ごめん……けれど、そんなに俺のことを思っているなら、俺にとって何が一番つらいことかも知っているはずだ」


 闘いは怖い。

 死の瞬間は永遠になれることなく、悪夢として魂に残り続ける。

 けれど、そんな想いを抱えてでも。



「前に進めなくなることだけは、嫌なんだ」


 ノブを握る手に力がこもる。

 扉は軽やかに開かれた。



 そこには




「やっぱりそうだったのか……」




 何もない白い空間が、どこまで広がっていた。



「ねえ……貴方はどうして前へ進み続けるの?」


 背後から少女に尋ねられる。

 答えは決まっていたが、言い出すのに少し悩んだ。


 扉の奥から光が差し込み、どこまでも広がっていく。

 廊下を超え、階段を超え、庭を、賢者の車の横も、闘っている勇者と狩人の上空も、長い道のりも超えて、王都へと流れ込んでいく。

 教会の中へ、勇者の家の横へ、菓子屋の上へ、王都の人々の合間をも抜けて、その輝きは空へと放たれた。

 その様子を、俺は確かにこの目で見ることができた。

 偽者の世界は、大きな矛盾を孕んだ結果、ついに壊れ落ちていく。

 修復することができない空間の穴から、ヒビが天頂へと伸びていく。


 少女の問いへ答えなくては。

 最後に俺は、振り向いて彼女に笑ってみせた。



「止められないからだ」



 視界が反転する寸前、少女の表情がみえた。

 口元は確かに文字を紡いだ。

 それを辿ったとき、その言葉は偽者でも本物でもない一つの形となる。



 わたしたちを すくってみせなさい



 少女の姿は、瞬きのうちに消えてしまった。

 気付けば屋敷の姿はなくなり、自分の立つ地面すらもない。

 光に包まれて真っ白となった世界の中。


 俺は、ようやく一歩を踏み出した。




次回更新も2週間ほど空きそうです。

時間はかかっていますが無事に完結させるので、お付き合いくだされば幸いです。

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