モーゼの危機
奏がゴブリンに追いかけられていた頃、王城の訓練施設にて――
「勇者様方に伝えなければならないことがあります」
モーゼが勇者たちに奏が自ら王城を出て行ったことを伝えようとしていた。
「どうしたんですか?モーゼさん」
いつものようにクラスを代表して沢木蓮がモーゼに事情を聴く。
「実は……皆様方と一緒に召喚された勇者サオトメがこの王城を出て行かれました」
「「「!?」」」
その言葉を聞いた瞬間、クラス全体が驚愕し、一斉に騒ぎ始めた。
「……早乙女様」
「早乙女……。やはり僕が君の分まで悪を倒す!」
「おいおい、マジかよ」
「出て行ったって……そんなことしてもいいのかよ」
「嘘でしょ!?こんなわけの分からない世界に一人で出て行かせたの!?」
皆が好き勝手喋る中、モーゼに詰め寄り、誰もが初めて聞くような絶対零度とも言うべき声で尋ねる者がいた。
「詳しく聞かせてもらえますよね?」
「……」
モーゼは冷や汗を流しながら無言で頷いた。
尋ねたその人物は普段のほんわかとした可愛さなど微塵もなく、凍てつくような目をしたクラスのアイドル瀬川ちなつだった。
空気が凍った。
この時、瀬川ちなつが記念すべきヤンデレ予備軍になった瞬間なのだが、今はまだ誰も気づかない。ちなつのすぐ後ろにいる親友の海老原琴美も例外ではなく、まだ気づいていない。
「え、ええ……。もちろん皆様方が納得されるまで説明させていただきます」
「そうですか……。お願いします」
――説明中――
それからしばらくモーゼの説明(言い訳)が続き、クラスの大半が納得し始めたのだが、やはりこの二人はまだ納得していなかった。
「その説明だと、自分は勇者としての資格がないと思った奏くんが自分からここを離れたということになりますよね」
「陛下も含め私どもとしてはそう判断しております」
「そんな……。特殊能力や魔法を持っていなかったら、ここを離れるなんてなおさら危険じゃない!この世界のことを私たちはまだ何も知らないのに、頭のいい奏くんが自分からそんな判断をするとは思えないっ」
「私もちなつと同じ意見です。早乙女くんが自分から、それも誰にも相談もせずにいなくなるなんて……」
「しかし、大魔王討伐の方がはるかに危険ですので……、早めに決断したのではないかと……」
そんな中、ここにもう一人モーゼの説明に納得していない者がいた。その人物は、典型的なお嬢様タイプである北条莉央那だった。彼女は王子様のような外見の奏に一目惚れしていたのだが、恋愛方面にはかなり初心であり入学から半年経っても話しかけられないでいた。
そこに、つい昨日のことだが奏に話しかけた二人の女子がいた。確認するまでもないがクラスのアイドル瀬川ちなつとマスコット的存在の海老原琴美である。そんなこともあり、こちらに召喚されてからというもの彼女の中では今まで経験したこともない焦りが生まれていた。また、自らが好意を抱いてる奏が、謁見の間に行く途中に二人を励ましているのを見てしまい、それが初めて人に対して嫉妬という感情を抱いた瞬間でもあった。
しかし、そんな嫉妬も奏が王城から出て行ったと聞いた瞬間、どこかに霧散してしまった。同時に、説明を聞きながらこの国に対して不信感を募らせていた。そして奏のことに対して本気で心配している二人を見て、彼女の中にある何かが弾けた。
気が付けば莉央那も自然とモーゼのところに詰め寄っていた。
「怪しいですわね。わたくしもちなつさんや琴美さんと同じように、説明に対して疑問に思いますわ」
「「ほ、北条さん!?」」
なぜか二人が驚いている。何をそこまで驚いているのかしら?
「ここに早乙女様を留まらせておくわけにはいかなかったのかしら?別に勇者が大魔王と戦うことだけの存在だと決まっているわけではないのでしょう?ステータスが確認できた後、一人で急に出て行ったなんて……不自然すぎますわ。せめて皆に、出て行く時に挨拶くらい普通はあるはずです。何か理由があって彼を追い出したの間違いではなくて?」
「おかしなことをおっしゃられる。ここから離れることは勇者サオトメの望みでもありましたので……」
「望みでもって何かしら?」
「……」
モーゼさんが黙ってしまいましたわね。今、ここにクラスの皆さんがいないのが残念ですけれど……
数分前、莉央那がモーゼに詰め寄ったタイミングでちなつ、琴美、莉央那の三人以外のクラスメートたちは、全員この場から離れていた。モーゼがいる周辺の空気が悪くなり、沢木が無駄な気を使って「もっと能力を確かめよう」と皆をリードして訓練に戻らせたためだ。
でも、これで確信しましたわ。早乙女様は王国側の望みもあって追い出されましたのね。わたくしもこんな所でのんびりしているわけにはいきませんわね。
「ちなつさん、琴美さん話があるのですけれど少し時間いいかしら?」
「「う、うん」」
こうして密かに三人の王城脱出作戦が練られることになる。
(少々、この者たちを侮りすぎましたね。特にあの3人は、出て行ったサオトメに思い入れがある様子。それ以外の者たちは勇者サワキに従っているようですが。とりあえずこのことを陛下に報告しなくては……)
うまく説明するはずが3人に疑念を抱かせてしまう結果になり、60年以上生きてきて初めて自分が口下手だと気付く残念なモーゼだった。