四幕 日常の終わり、非日常の始まり
暗い・・・冬の太陽とはいえ、まだ昇っているのだから、もっと明るくてもいいだろうに・・・。
廃ビルの中、僕は緊張しながらそう思う。頬を汗がつたう。礼尾から借りた竹刀を握る手も、汗がにじんできている。これでは、いざというときに滑ってしまうかもしれない・・・握る手を変え、汗を拭き、また竹刀を握る。
出来れば、僕の考えすぎであってほしい。僕にその時の記憶はないけど、一度刺された以上、また刺されそうになっても避けられない可能性が高いのだから。
それはすなわち、昔喧嘩をしていたような連中とは格が違うということだ。相手が素手で、僕が竹刀を持っていても、勝てるかどうかは分からない。そうしたら・・・どうなる?
死。冷たく、恐ろしい一文字が脳裏をよぎる。もしもここにいるのが昨日の男だったとしたら、負けたら、僕はきっと殺される。そうすることが、相手にとって都合のいいことなのだから。口封じに殺される。負けたら・・・殺される。
・・・落ち着け。ここにいるのが昨日の男だと決まったわけじゃない。それに、昨日の男がいたとしても、戦う必然性はない。このビルの中を探して、昨日の男がいたら、僕はこっそりと外にでて、警察に通報する。それだけでいいんだ。
そう、戦うのは相手に見つかってしまったときの最終手段だ。ここの外にでれば、それだけで男は僕に手を出せなくなる。通行人がいる。近くの店にだって人はいるし、もう少し遠くに行けばおまわりさんだっている。
だから、僕は探すだけでいい。そう、こっそりと、スニーキングアクションゲームの主人公になったようなつもりで、物音を立てないで、そっとこの廃ビルを探索する。それだけで、僕のするべきことは終わりだ。
そうだ・・・何もおびえることはない。そもそも、人影だって僕の勘違いや、肝だめしの下見に来た人なのかもしれない。だから・・・止まれ、体の震え・・・。
自分の体に言い聞かせながら、三部屋目の扉に手をかけ、音を立てないように慎重に開け、中をうかがう・・・誰もいない。
この廃ビルには、前に礼尾と入った事がある。そのおかげである程度の構造は分かる。確か、次の部屋で一階は最後。四部屋目・・・いない。
「はぁ・・・これで、一階は探し終わったな・・・」
これで一階は終わり。だけど・・・まだ、一階しか調べていない。これだけ精神的に消耗しているのに、だ・・・。こんな調子で、大丈夫だろうか・・・。
二階への階段を上りながら、そう考える。そういえば、ここにまつわる怪談があったっけ。
各階の階段は十四段ある。だけど、時に十三段しかないときがある。その十三段の階段を上りきってしまうと、ここではない世界に行ってしまうとか何とか・・・。
・・・なんだ、こんなことを思い出す程度に余裕があるじゃないか・・・。大丈夫だ、このまま二階を探そう。
一部屋、二部屋、三部屋。そして、最後の部屋。そのどこにも人はいない。このころには、精神的にもほんの少し余裕が出てきた。大丈夫だ、このまま三階を、最後の階を探そう。そこより上には、階段が崩れてしまっているからいけないはずだ。
階段を上りながら思う。もう少しだ・・・もう少しで、この探索も終わる。
そして、もう一段・・・と思ったところで、次の段がないことに気がついた。あ・・・れ?
やや慌てながら振り返り、階段の段数を数える。一段、二段、三段・・・十四段。
「おか、しいな・・・?」
おかしい。だって・・・二階から三階への階段はまだ十三段しか上っていない。ふと怪談を思い出したから、しっかり数えていた。間違いない。
「まさか・・・ね」
まさか・・・あんな怪談が事実のはずがないじゃないか。十三階段なんて、昔からあって使い古されたといっても過言じゃないネタだ。そんなのが・・・事実なわけがない。きっと数え間違いだ。
そう自分を励ましながら、三階の部屋を探していく。一番手前の部屋から始める。人の気配は・・・ない。
次の部屋。荒れている。人はいない。
次の部屋。うわっ、床が抜けてる・・・危ないな。
そして、最後の部屋・・・ここにも、人はいない。
「やっぱり、見間違いだったのかな・・・」
そう呟きながら振り向く。そして、僕はありえないものを目にする。
壁に、扉がある。
正確に言うと、その向こうには何もないはずの場所に扉がある。しかも、その扉だけは今までのものとは雰囲気が違う。今までの扉は、錆びていたりしてみるからに古いものだった。だけど、その扉だけは違う。錆び一つない、それでいて、今までの扉にはなかった装飾がいくつもついている。そんな扉が、僕の現在位置から階段を挟んだ反対側にあった。
「なんだよ、この扉・・・」
小さな声で呟きながら、扉のほうへ歩み寄る。
階段の横までたどり着いたとき、不意にその扉は開いた。
そして、その扉の中からでてきたのは・・・!
「お、お前は・・・!」
「・・・昨日の邪魔者か」
そう、その姿、その声。間違いなく昨日の男!
なんだよ・・・これ。ただ面と向かって立っているだけなのに・・・体の震えが止まらない!
「う・・・うわあぁぁぁ!!」
自分でも情けないと思うような叫びを上げ、階段を駆け下る。この震えは・・・間違いない。本能の警告。あまりにも強すぎる、自分ではかなわない相手への純粋な恐怖心!
「そう怖がるな」
しかし、階段を下りきったところで正面から顔を掴まれる。え・・・なんで?
「昨日のお前は、自分から向かってくるほど勇ましかったろう・・・戦え」
男はそういいながら、僕を片手で軽々と持ち上げ、壁へと投げつける!
「か・・・はっ・・・」
何で・・・こんな・・・ああ、そうか・・・あの怪談、本当だったのかもしれない・・・・。僕がいたのとは、別の世界。だから、男も瞬間移動するし、片手で僕を投げ飛ばしたりするんだ・・・。壁にたたきつけられながらそんなことを思う。もしかしたら、里奈さんと双葉のいっていたいやな予感って、これのことだったのかも・・・。
「どうした。おまえはこの程度で終わる男ではないはずだ。立て。さあ、立て!」
立て、といわれても・・・無理だ。体が言うことをきかない。
「・・・つまらんな。この程度なのか・・・なら、お前には殺す価値すらない」
勝手なことを言ってくれちゃって・・・でも、おかげで死なずにすみそうだ。ここまで圧倒的だと、悔しさすらわいてこない。ただ、殺されないですむということに対する喜びだけを感じる。
「いや、だが・・・待てよ」
しかし、男は何かを考え始める。まだ・・・何か?
「・・・気が変った。また水を差されたくはない。やはり、お前は殺す」
「ひっ・・・!」
そんな・・・なんで、ぼくが殺されないと・・・! いやだ・・・いやだいやだいやだ! 死にたくない!
「安心しろ・・・楽に逝かせてやる」
そういう男の手は・・・影のようになっている。そして、その影は膨らみ、形を変え・・・鎌のようになった!
「え、うそ、なに、これ」
「・・・やれやれ。昨日も見たというのに、そのおびえかたはなんだ。情けないと思わないのか」
昨日も見た? 情けない? そんなこといわれたって・・・!
・・・あれ? そういえば・・・。さっき僕は声でも昨日の男だと判別したけど・・・。
僕は昨日、この男の声を聞いただろうか?
「っ! 何・・・頭が・・・!」
何で、こんなときに・・・! こんな、頭痛が・・・。
「あ・・・確かに、昨日も・・・!」
そうだ・・・僕は、見ている。この影のような腕が、僕の胸を貫くところを。
え・・・じゃあ、何で僕は今生きているんだ?
分からない。分からない。分からない。もう・・・僕には何も分からない・・・!
「ああぁぁ・・・」
戸惑いだとか、恐怖だとか、ありとあらゆる感情がぐちゃぐちゃになる。そして、僕の口からは意味のない声が漏れる。
「・・・やれやれ。残念だが、これでしまいとしよう」
しまい・・・終わり? 殺される? 死ぬ? そんなの、いやだ。だけど、だめだ。殺される。僕は死ぬ。あの、影のような鎌が僕の体を切り裂く。そして・・・死ぬ。
「さよならだ」
鎌が振り上げられるのを見て、僕は目を閉じる。
ああ、愛紗に、ミルクセーキを作ってあげたかったな・・・。
鎌が風を斬る音がきこえる。そして・・・。
――キィィィン!
「・・・え?」
何かと何かがぶつかる音に、目を開く。そして、視界に広がるのは、真っ黒の鎌。それが、僕の首筋に突きつけられている。
殺すといっていたのに、なぜ止めるんだ? それに、今の音は?
「・・・稲荷狐子・・・なぜ来た」
不思議に思っていると、男はそんな言葉を呟き、僕から目を離した。いなり・・・ここ? いったい、誰? 男の視線を追っていく。
「それ以上は・・・やらせない」
純白の和服。それに、きれいな黒い長髪。そして、小さな体。その全てに見覚えがある。
「あ、い・・・しゃ?」
男の視線の先に立っているのは、間違いなく愛紗だった。でも・・・あれはなんだ?
「・・・お兄ちゃんを離して。そして、あなたはどこかに行って」
そういう愛紗。だけど・・・その頭には狐の耳が、腰からは四本の狐の尾が生えている。これは・・・いったい? 夢でも見ているのか?
「お兄ちゃん・・・? ふ、ははは・・・お前ともあろうものが、随分と可愛らしい人間を演じていることだな。千年を生きる、金色の戦姫よ」
こいつ・・・いったい何を言っているんだ? そう思って、わずかに体を鎌のないほうへ動かす。そして、気がつく。
先ほどまで僕の首があったすぐ横の位置に、青い何かが浮いている。何・・・これ?
「私がどんな人格を演じようとあなたには関係のない話。いいから、早くお兄ちゃんを放して」
「ふん・・・いいだろう。さっさとどこかへ行ってしまえ。この程度の結界しかはれんお前と戦ってもつまらん」
そういうと、男の全身が影になり・・・そして、黒い粒となって霧散していく。そして、鎌が散る直前に、青い何かを切り裂いていった。
「お兄ちゃん・・・怪我はない? 壁に叩きつけられたみたいだから、心配したよ」
「愛紗・・・愛紗、だよね?」
「そうだよ。愛紗だよ、お兄ちゃん」
確かに、耳と尾を覗けば外見は愛紗以外の誰でもない。でも・・・僕の知っている愛紗はもっと子供らしい無邪気な話し方で。いや、でも・・・僕は、こんな愛紗を知っている。
久世警部に疑われ、僕が頭痛を起こしたとき。あのときの愛紗も、こんな風に話していた。それに、口調は少し違うけど、家で血まみれのリビングを見たとき。あの時も、こんな風に話していた。
「怖かったよね・・・でも、もう大丈夫だよ。だから、早くおうちに帰ろう?」
「・・・その前に、話すことがいくつもあるんじゃないかな? 愛紗。いや・・・それとも、いなりここ、かな?」
「・・・やっぱり、聞かれちゃってたよね・・・」
そういうと、愛紗は悲しげに目を伏せ、僕の隣にしゃがんだ。
「そうだよ。稲荷狐子。それが私の本当の名前。人を守るために、さっきの男みたいな魔と戦う・・・神様だとか、天使だとか、そういう存在」
「神様・・・天使・・・?」
その言葉を聞いた途端、僕の脳裏に昨日の光景が蘇った。
‡ ‡
僕の意識は――まだ、途絶えないでいた。
『また・・・わしのせいで・・・』
少女は、悔しそうにそう呟き、視線を落とす。
『とっさに心臓をかばうように結界を張っておきながら、よく言う・・・お前のおかげでこいつは胸に穴が開くだけで助かったのだろうに』
『・・・それでも巻き込んだ事実に変わりはないわ。神と魔の戦いという、物騒な世界にな』
忌々しげに男をにらみながら、少女はそう話す。
『しかし・・・こんなどこの馬の骨とも知れぬ男を己の式にするとは、お前も随分弱ったものだ・・・』
そういうと、男は少女に背を向ける。
『今のお前と戦ってもつまらん。俺が戦いたいのは全力のお前、金色の戦姫と恐れられる稲荷狐子だ。だから俺は、これで帰らせてもらう』
『・・・どういうつもりじゃ』
『俺に与えられた任務に期間の限定はない・・・なら、お前の力が完全に回復し、俺が存分に楽しめる状況で遂行するのが俺にとって最善だ』
そういうと、男の体は霧散していった。
『戦闘狂め・・・』
少女は、あきれたように呟くと、僕のほうを見た。
『傷は今治す。しかし・・・完全には無理じゃ。まあ、死なぬ程度には直せる。心配するな』
少女が不思議な言葉をつむぎだす。それと同時に、僕の体を青い光が包む。そして、痛みが引いていくのを感じた。
『巻き込んでしまって、すまぬな。おぬしがわしとあやつを追いかけてきているとき、振り切れておればよかったのじゃが・・・しかし、助けに入ろうとしてくれたこと、うれしく思うぞ』
『そんな・・・僕は、何も・・・』
何もできていない。足手まといになってしまったようにすら思う。
『そのようなことはない。しかし、すまなかった。おぬしを助けるためとはいえ、承諾を得ずおぬしを式神にしてしまった・・・』
『しき、がみ?』
『わしがおぬしに助けて、といったじゃろう? 助けを求め、それに応えてもらう。それがもっとも単純な式神の契約の儀なのじゃ』
そういえば・・・確かに、応えていたっけ。君は僕が守るから、なんて・・・。
『・・・まあ、そのようなことをおぬしが知る必要はない。いま、全てを忘れさせてやる』
よく分からないけど・・・僕の常識の外の世界のことを忘れさせてくれるのか・・・。
『分かり・・・ました・・・稲荷、狐子さん・・・』
『随分、しっかり聞いていたのだな・・・まあ、それも含めて忘れてしまうがの・・・次に目を開いたとき、おぬしは先ほどの異様な風景を忘れられる・・・ゆっくり、眠れ』
その言葉を最後に、僕の意識は急速に遠のいていった。
‡ ‡
え・・・この記憶は・・・何? 本当に、僕の見た景色・・・?
「・・・そっか、私が正体を明かしちゃったから、術、解けちゃったんだね」
「愛紗? それとも・・・狐子さん? いったい・・・もう、何も分からない・・・」
僕の中で常識が崩れていく。
「そう、だよね・・・私も、分かってくれるとは思ってなかった。でも、説明してほしい? 何も分からないのは怖いかもしれないけど、きっと知ったらもっと怖い目にあうよ?」
「・・・・・・」
確かに、そう思う。愛紗の言っている事が本当なら、僕はあんな化物の戦いに巻き込まれてしまっているのだから。もしも知ったら・・・もっと戦いに巻き込まれる?
「お兄ちゃんの気持ち、分かるよ。こんなひどい目、二度とあいたくないよね・・・大丈夫。もう一度術をかけるから。それで、全部忘れて、平和な日々に戻って。お兄ちゃんがまたひどい目にあわないように、私が守るから・・・安心して?」
・・・愛紗のいうとおりにしたい。もうこんな目にあいたくない。戦いは・・・昔のケンカだけで十分だ。
だけど、なぜだろう。それはだめだ、と思う自分がいる。
その理由は、自分でもなんとなく分かる。愛紗を守るという決断。それが、僕にこの戦いを避けてはだめだ、と思わせているのだろう。
「・・・待って」
その思いが、僕にこんな言葉を言わせるのだろう。
「その、術って言うのは・・・ちょっと、待ってほしい」
「どうして? 術をかければ、お兄ちゃんの常識の外の世界のこと、全部忘れられるよ? それに・・・これ以上巻き込みたくないの。だから、お願い。そんな事言わないで・・・」
「そうなんだけど・・・! そうなんだろうけど・・・待って」
自分でも自分の感情が分からない。どうしたらいいんだ? あんな人外の戦いの中では、僕は足手まといにしかならない。でも・・・それでも・・・愛紗を、守りたい。
「・・・術をかける前に、話を聞かせて。どうせ忘れてしまうんだから、それぐらい、いいよね?」
「・・・わかった。いいよ」
そういうと、愛紗は和服を翻しながら、立ち上がった。
「・・・我が名は稲荷狐子。千の年月を生き、神の末座に加えられし天狐なり。人の子よ、わしに何を求める」
そういう愛紗の表情は、ありとあらゆる感情が抜け落ちてしまっているようにも感じるもので・・・でも、神や天使と呼ぶにふさわしい、威厳ある表情に見える。
「愛紗・・・いや、狐子さん、と呼んだほうがいいのかな・・・とりあえず、その耳と尾は何なの?」
「わしは、本来は狐じゃからの・・・。それゆえ、人の形を取っているときでもこうして狐である証が出るのじゃ。それを、幻術でおぬしに見せておらなんだだけでな」
本来は狐・・・それじゃあ、僕の知っている愛紗って、なんだったんだ・・・。
「愛紗というのは、わしが人として暮らす際の名前・・・偽名、とでもいおうかの。じゃが・・・神野の者たちは確かにわしの家族じゃった。彼らにはいくら詫びても詫びきれぬことをしてしまったな・・・」
「・・・僕の考えたこと、分かるの?」
今のタイミングで話し出したのは、そうとしか思えない。
「うむ・・・いくら最も簡単な契約とはいえ、おぬしはわしの式神じゃからな。強い感情の動きがあれば、その元がなんなのかぐらい分かる」
そう、なのか・・・。
「ところで・・・式神、というのは何なの? 陰陽術にでてくる、式神と同じ?」
「うむ。その認識で間違っておらぬ。じゃが、互いに力を通わせあう、というものはその認識の中にはないかのう。それにより、互いが互いの力を回復させることができる。おぬしを式神にした理由は・・・昨日、わしを助けようとしてくれたとき・・・あの男がおぬしを殺そうとするであろうことは予測できたのでな。それゆえ、とっさに式神にして死ににくい体にしたのじゃ・・・結果的に、おぬしをさらに巻き込むことになってしまったがの・・・」
「それでも、助けようとしてくれたことに変わりはないから・・・素直に、嬉しいよ」
「そうか・・・そう思ってくれておるのなら、わしも少し救われた気分じゃ」
そういうと、彼女は少し微笑んだ。
「・・・さあ、もう良いじゃろう。術をかけるぞ」
「ま、待って! 最後に、もうひとつだけ・・・」
あわてて声をかける。
「昨日言っていた・・・神と魔の戦いっていったい何なの?」
「それは・・・話せば長くなるな」
そういうと、彼女は考え始めた。
「・・・そうじゃな。例を挙げれば、あの男とわしの戦いもそうじゃ・・・まあ、数年ほど前に魔王と呼ばれる存在がわしら神に不満を持つ魔をすべ、わしらに宣戦布告をした。それをきっかけとして始まった戦い。それが・・・神と魔の戦いじゃ」
「魔王・・・?」
「うむ。常に仮面とローブをまとっておるゆえ、性別すら分からぬ謎の存在じゃ・・・さて、そろそろ良かろう?」
聞きたいことは一通り聞けた・・・と思う。だけど、それも忘れてしまうのか・・・。
「いやだな・・・」
「・・・何がじゃ?」
「守りたいと思った相手がそんな戦いの中にいるのに・・・そのことすら忘れてしまうのが・・・いやだ」
そんなのって・・・凄くいやだ。そんな僕を見ても、紫織は絶対に喜んでくれない。きっと、怒られてしまうだろう。分かっているのだから・・・僕は、紫織が喜んでくれる選択肢を選びたい。
「おぬしが守りたいと思った相手は稲荷狐子ではない。その思いの対象は神野愛紗じゃ。そこを勘違いしてはならぬ・・・」
その言葉はもっともだと思う。でも・・・それは違う。
「そんなの関係ない・・・だって、今も守りたいと思っているんだ! あなたを!」
人外の力を見た今でも、こんな風に思うなんておかしい気もする。でも、なぜかは分からないけど、守りたいと思う。その心に、嘘はない。
「・・・っ! おぬし・・・」
僕の言葉にたじろぐ狐子さん。畳み掛けるなら・・・今か。
「お願い・・・お願いします! 僕は、あなたと・・・稲荷狐子と一緒に戦いたいんです! お願いします!」
自然と敬語になり、頭を下げる。それだけしてでも、僕は彼女を守りたい。紫織の喜ぶ選択をしたい。
「・・・一時の気の迷いでは、無いようじゃな・・・確かな決意の元にそう思うのなら・・・いや、しかし・・・」
彼女は再び迷っているようだ。
「・・・分かった。確かな決意があるのなら、術をかけるのは待とう」
「・・・! あ、ありがとうございます!」
「じゃが、きっと後悔するぞ。後悔したときは言ってくれ。そのときになってからでも術をかけるのは間に合うからの」
「はい・・・分かりました」
良かった・・・承諾してくれた。狐子さんは後悔したら、なんていうけど、きっとそんな時は来ない。僕の決意は、少なくとも今は確かなものだと感じられるから。
「えっと・・・とりあえずは、帰りましょうか?」
「うむ、そうじゃな。・・・っ! 隠れるぞ!」
「え? は、はい」
とっさに狐子さんと近くの部屋の扉を開け、その中に飛び込む。
『んだぁ? 隠れちまったのかよ・・・探すのもめんどうくせぇな。気配的にはただの人間っぽかったし・・・下っ端どもで探させておくか』
この話し方からすると・・・さっきの男の仲間か? しかし、この声・・・どこかで聞いたような・・・。
「どうも・・・手下を使ってわしらを探すようじゃな・・・この様子ではここの大将はじきに別の場所へ行くじゃろう。大将がどこかへ行ってから、外へでるぞ」
「分かりました・・・でも、下っ端はまだ探してますよね? そいつらはどうするんですか?」
「わしが狩る・・・何、おぬしのおかげで力は回復してきておる。下っ端程度ならどうとでもなろうぞ」
そういう顔は、どこか無理をしているようにも見える。本当に大丈夫なのか? 式神がいると互いの力をかよわせ、回復させることができるとのことだったけど・・・僕はただの人間だ。力というのがどういうものかは分からないけど、あるとは思えない。だから・・・力が回復しているとは思えない。
「そのように心配そうな顔をするでない・・・倒すのは無理でも、突破して逃げることはできる。下っ端相手に逃げるというのは、多少悔しくはあるがの」
「・・・無理だけはしないでくださいね」
それだけ言うと、狐子さんは頷いた。敵が近づいてきている・・・僕にも、なんとなくだけど、いやな感覚が近づいてきているのが分かる。
「大将は・・・どこかへ行ったか。なら・・・出るぞ。扉を開けてくれ!」
「はい!」
狐子さんの合図で、勢いよく扉を開ける。ちょうど正面にいたらしい敵が扉にぶつかって弾き飛ばされる。なんだ、こいつら・・・巨大な口に、足が生えたような見た目だ。本当に、化物だな・・・こいつらとの戦いに僕ははいっていくのか・・・だめだ。弱気になるな。何とかなる。してみせる。
僕がそんなことを考えている間にも、敵が飛んでいく以上の速さで狐子さんは部屋の外に出ていき、和服の内側へ手を入れ、木刀を取り出した。あれは・・・今朝神野家から持ち出したものか。
「はあっ!」
扉にぶつかり、体勢を崩した敵に狐子さんは勢いよく木刀を振り下ろす。淡く青い光をまとった木刀は、まるで真剣のように敵を切り裂き、灰にした。
「キッシャアァァァァ!」
それを見た残りの化物二体は、威嚇するような鳴き声をあげ、狐子さんに飛び掛る。まずい・・・前後同時に飛びついてきている!
「遅いわ」
彼女が、そう呟いた気がした。
その刹那、青い光が彼女を囲うように弧をえがく。その青い光の軌道上にいた化物は、前から来たものは天井に、後ろから来たものは床に叩きつけられる。え・・・今、木刀をふったのか・・・? ぜんぜん見えなかった・・・。
「くっ・・・一体しか倒せぬか。逃げるぞ!」
「え・・・あ、はい!」
呼びかけられて我に戻り、あわてて走り出す・・・僕、完全に足手まといだな。
僕が部屋から出るころには、彼女は既に木刀をしまい、階下へと降りていくところだった。ここは二階・・・出口は近い。
「グ・・・ギ・・・」
僕が階段に足をかけた時、そんなうめき声がした。その声のほうを振り向く・・・まずい、化物が立ち上がっている!
「キシャァァ!」
化物が鳴き声を上げ、階段を飛び降りる。その先には・・・無防備な狐子さんがいる! まずい、声が小さくて気付いていなかったんだ!
「狐子さん、危ない!」
あわてて呼びかけ、自分が竹刀を手にしていることを思い出す。
「こっ・・・のぉ!」
階段の踊り場から飛び、竹刀で化物を弾き飛ばす。
「いてっ・・・! 狐子さん、無事ですか?」
着地に失敗して体中をぶつけてしまった・・・でも、動けないほどじゃない。
「おぬしというやつは、無茶をする・・・じゃが、助かった。感謝する・・・さあ、逃げるぞ!」
「はい!」
狐子さんに手を引かれて立ち上がり、そのまま駆け出し、廃ビルの出口へと駆け抜ける。
そして、あっという間に外に出た。
「ふぅ・・・ここまでくれば大丈夫じゃ。彼奴らは大勢の人に見つからぬよう行動するからの。外までは追ってこぬはずじゃ・・・追ってきたとしても、返り討ちにしてやるがの」
そう言って軽く笑ってみせる狐子さん。それとは対照的に、僕は肩で息をするような状況だ。この廃ビルの中にいたのはほんの数分のはずなのに、何時間もいたかのような気分だ・・・緊張していたからかな。
「おぬしがこのかばんを置いていかなければ、助けに入るのが間に合わなかったかも知れぬ・・・いやぁ、本当によかった・・・」
そういうと彼女はかばんを持ち上げ、僕のほうへと持ってきた。
「しかし、卵が一つしか入っておらぬパックとは・・・いったいなぜこのようなものをかばんに?」
「あ、それは・・・昨日、約束しましたから・・・ミルクセーキを作るって」
そういうと、少しおどろいた表情を彼女は見せた。
「あのような約束を・・・果たそうとしてくれていたのか」
「ええ・・・どんなものだろうと、約束は約束ですから・・・あ、もしかして愛紗らしく・・・子供らしく振舞うための演技でしたか? だったら、作るのはやめますけど・・・」
「いや、わしも・・・稲荷狐子も、甘いものは好きじゃ。おぬしが作ってくれるのなら、わしは喜んで飲ませてもらう」
「そうですか・・・分けてもらったのが無駄にならなくて、よかったです」
そう言って少し笑いあう。
「ところで・・・なぜおぬしはわしに敬語を使うのじゃ? 今までどおり、神野愛紗と同じように話してくれればよいものを」
「いえ・・・神様だって知ったら、なんと言うか・・・あんなふうに子ども扱いするのは失礼かなー、と・・・」
しかし・・・あんな常識の外の世界のことに直面したばかりなのによく日常会話ができるものだ。われながら少しびっくりだ。
「だからといって、妹に対して敬語を使うのはおかしかろう。・・・うむ、それならば、こうせぬか? わしが愛紗として生きているときは今までどおり、狐子として生きているときはおぬしのしたいように接してくれ。それでよいか?」
「ええ・・・分かりました。そのほうが、僕も精神的な切り替えが出来そうなので」
僕がそういい終えると、彼女は満足げに微笑みながら頷き、戦いの中で乱れた髪を直し始めた。
「それじゃあ、おうちにかえろう? おにいちゃん」
髪の毛を整え終えたとき、そこにはいつもの愛紗がいた。
「うん・・・そうだね、愛紗」
だから、僕は愛紗に接するように彼女に接する。彼女の本当の姿は専念を生きた神様だけれど、いまここにいるのは、僕の妹の愛紗なのだから。
そして、僕は非日常の中から妹に手を引かれ、日常の中へと帰るのだった。
‡ ‡
「「ただいまー」」
家につき、狐子さんと声をそろえて帰宅の挨拶をする。
「あらお帰り・・・あらあら、しんちゃん、どうしたの? なんだか服が汚れているけど」
「ああ・・・えーと・・・ちょっと転んで」
きっと聞かれると思っていたので理由は考えてきた。考えておいてよかった・・・。
「そう・・・随分ダイナミックに転んだのねぇ・・・背中まで汚れてるじゃない」
「あはは、受身とろうとしてくるっと回っちゃってさ・・・そのせいだと思うよ」
「そんな転び方したの・・・心配を通り越してその場を見てみたいという気がしてくるわ~・・・」
「ひどいな・・・」
そう言って笑う。だけど・・・嘘をついているからか少しうまく笑えていない気がした。
「とりあえず、洗っちゃうからそのコート脱いじゃって」
「うん、ありがとう。じゃあ・・・お願い」
そう言って母さんにコートを渡す。そして、狐子さんと二階へ上がる。
「あら、愛紗ちゃん。しんちゃんと何かお話?」
「はいです。おにいちゃんに遊んでもらうです」
「あらあら~そうなの~・・・愛紗ちゃん、楽しんでね。しんちゃん、おいたはだめよ?」
後ろから聞こえるそんな声に、家族からの評価が急に気になりだしたけど、スルーする。まともに取り合っても傷が深まりそうな気しかしないし・・・なに? 年齢イコール彼女いない暦はそんな風に思われるさだめなの? 確かに周りに女の子がいるけど・・・って、こんなこと考えても仕方ない。自分で傷を開いてどうする。
一緒に部屋に入る理由だけど、もちろん遊ぶという理由ではない。これからどうするかの話し合いをするためだ。とりあえず、廃ビルを出るときに襲いかかってきた化物を撃退したのを高く評価してくれたみたいだから、もう術がどうの、とは言わないでくれる・・・と思いたい。
そんなことを考えながら僕の部屋へ入る。
「わあ、しんぷるだけど、いいへやだね。おにいちゃん」
狐子さんの第一印象はそのようなものだった。確かに、全体的にモノトーンでまとめてあるから、そんな印象をもたれて当然かもしれない。もうちょっとカラフルにしたほうがよいのだろうか・・・。
扉を閉めながらそんなことを思う。そして、扉を閉め終わると、彼女は既に愛紗から狐子さんに変っていた。
「さて・・・これからどうするか、といっても、おぬしの決意が固まっている以上、話すことは特になさそうじゃの」
「ええ。僕は何も知らないで安穏と暮らすくらいなら狐子さんと一緒に戦いたいと思っています。それは、あの化物と戦うことだと分かった今でも変りません」
「そうか・・・」
戦わせたくない狐子さんと戦いたい僕。互いの主張が絶対に交わらない以上、結論は互いの妥協点を見つけるしかないだろう。
「わしとしてはできる限り前に来てほしくはないのう。危険ということもあるが・・・なんというか・・・」
「足手まといでしょう? それは僕も自覚しています。だけど・・・」
言葉を選んでいるようなので、率直な言葉で話を先に進める。
「それでも戦いたい、か・・・それならば、こうしよう。おぬし自身の身を守るための戦いのみ許可。それ以外のときは、わしの指示に従うのじゃ。己の身を守れ、と命じたらわしを盾にしてでも身を守れ。それでよいか?」
「そんなことはしたくありません・・・それでは、今日のように僕でも対処できる程度の相手なら助けに入ってもいいとしてください。それぐらいならいいでしょう? 僕も、狐子さんを見捨てて逃げろ、なんて命令じゃない限り従うようにしますから」
「むう、しかし・・・はぁ。仕方あるまい。では、そういうことにしよう。おぬしのその意見、てこでも動かせそうにないからな。じゃが、本当に危ないときは絶対に逃げるのじゃぞ。わしは・・・自分のせいで人が死ぬところを見たくない。本来ならば、神野の家とて死人を出したくなかった・・・」
そういう狐子さんは本当に悔しそうで・・・涙を流すのではないか、と思うほどだ。
「大丈夫。これでも昔はしょっちゅうケンカをしていたんですから。それも、相手がナイフを持ってくるような命がけなのを。だから・・・そう簡単には死にません。あなたを悲しませるようなことはしません」
そういうと、彼女は複雑そうな、どこか悲しげな表情を見せた。あ、あれ・・・? 変な事言ったかな・・・? そう考えて、ふと思い当たる。
寿命だ。
狐子さんは千年以上生きて神様になった狐だと言う。それに対して、僕は? その十分の一、百年も生きられれば長生きと考えられる人間だ。このまま一緒に過ごすとしたら・・・必ず、別れのときがやってくる。そして、それは僕の死という形だ。
「もし、死んだとしても幽霊になって狐子さんと一緒にいますよ! 約束します」
その結論にたどり着いたので、冗談めかしてそんなことを言う。神様がいるのなら、幽霊だっていたっていいよね? 本当にいるかどうかは、きっと狐子さんが知っているのだろうけど。
「おぬしは・・・まったく、ほんに優しいやつじゃ・・・じゃが、死んだとしても、などというな。おぬしは生きよ。人間の寿命は短いが・・・その寿命を全うせよ。それ以外の形で命を終えるなどしてはならぬぞ。わしも、そうならぬよう全力を以っておぬしを守る」
狐子さんは優しい笑みを浮かべながら僕に告げる。なんだろう・・・凄く、安心できる。流石に千年以上生きているだけあって、包容力というか・・・そういう感じがあるな。
「さて、わしからの話は終わりじゃ。おぬしのほうからは何かあるか?」
「いえ、特に何も・・・ふわぁ。何か、凄く眠い・・・」
「戦いのあとじゃからな。疲れが出たのじゃろう。湯浴みでもしてゆっくり休んだらどうじゃ? 休むべきときに休むのも、一流の戦士の条件じゃぞ」
確かに・・・戦うときに疲れて動けません、って言うのは戦士失格だな。うん、ここは言うとおりにしよう。
「それじゃあ僕はシャワーでも浴びてきます。狐子さんはどうしますか?」
パソコンの前の椅子から立ち上がりながら聞く。
「うむ、そうじゃな・・・特にすることもないゆえ、この部屋で待たせてもらおう。この本棚の本、読ませてもらっても良いか?」
「いいですけど・・・友達から押し付けられた変な本もありますよ?」
「変な本、実によきかな。そういうものもまた人間の文化よ。どれ、楽しめそうじゃな・・・」
そういうと狐子さんは先ほどまで座っていたベッドから降りて、本棚の本を見始めた。あ・・・あれは礼尾に押し付けられた人外萌えとやらの本。表紙が動物の耳を生やした女の子だったからなぁ・・・その辺が興味を引いたのだろうか。狐子さんも狐の耳を生やしているし・・・あ、人の姿をしているけど、本来は狐なんだっけ。やっぱり変化の術みたいなのがあるのかな・・・。そんなことを考えながら着替えを取り出し、部屋を出る。
階段をおり、脱衣所に入る。そして、服を脱ぐ。うーん・・・これから戦うことになるのだから、体を鍛えたほうがよさそうだな・・・。鍛えているというより無駄な肉がついていないだけの自分の体を見てそんなことを思う。
「まあ、なるようになるか・・・」
そんなことを呟きながら風呂場に入る。ああ、昨日も入っていないんだっけ・・・たった一日しかたっていないのに、随分たったように感じるなぁ・・・。それだけ大変なことをしているわけだけど。
「それにしても、神様かぁ・・・自分で望んだこととはいえ、凄いことに首をつっこんじゃったな・・・」
熱めのシャワーを浴びながら呟く。神様と悪魔の戦い・・・そんな凄い物にただの人間の僕が入っていくのだ。そう考えると、このまま戦うのなら並大抵の覚悟ではだめだ。もっと強い覚悟を持たなくては・・・。
「ふぅ・・・眠たいし、そろそろ出るかな・・・」
シャワーを数分浴び、風呂場を出る。体を拭いて、服を着る。時計を見ると、まだ夕飯まで余裕があった。うん・・・少し寝よう。眠いし。
そんなことを考えながら部屋に戻る。
「む、戻ったか。眠そうじゃな・・・今どこう」
「あ、すいません・・・ふわぁ・・・」
狐子さんがどいてくれたので、ベッドの上に座る。
「じゃあ、ちょっと寝ますね・・・本、読みたいのでしたらご自由にどうぞ・・・」
言いながら横たわる・・・だめだ、もう眠気に抗えない・・・。枕に頭をおいた直後、僕は眠りに落ちていった。
‡ ‡
「・・・ろ。・・・きろ」
んぅ・・・なんだ? 誰かが何か言っているみたいだけど・・・。
「おい、起きろ!」
「え? うわっ!?」
凄まじいまでの揺れ。地震か!?
「ったく、やっと起きたか」
目を開くと、そこにいたのは・・・僕だった。いや、瞳が赤い・・・って、こんな夢、昨日も見たような・・・。
「まったく・・・夢の中で起こされるとは思わなかったな・・・また、この映画館だし・・・」
目の前の僕に愚痴りながら立ち上がる。やっぱり、思い通りに体が動かせるな・・・。
「だから、夢じゃない。現実だ」
「あー、はいはいそうですか・・・で? 寝てるところを起こしてくるって事は、何か用があるんじゃない?」
そういうと、目の前の僕は口元を歪ませた。
「なに・・・ちょっとした提案だよ。お前が随分なことに首をつっこんだみたいだからな」
「・・・そうだね」
何で知っているんだ、と一瞬思ったけど、自分の夢なのだから当然か。
「提案だが・・・なに、たいしたことじゃない。俺の力をお前に貸してやるというだけだ」
「ふーん・・・で? わざわざそういうってことは、何か代わりにしてほしいことがあるんじゃないの?」
よく分からないけど、夢の中なんだからちょっとぐらいのってみてもいいだろう。
「察しがいいな・・・」
そういうと、目の前の僕は僕のほうに左手を伸ばしてきた。
「俺の力を貸す代わりに、お前と少しばかり意識を共有したい。それぐらい、いいだろう?」
そう言って目の前の僕は笑う。
「・・・うん、いいよ」
そう言って左手を伸ばし、目の前の僕の手をとる。
「・・・契約成立だな」
力、か・・・いったい何のことか分からないけど、これで少しは強くなれる・・・わけないか。所詮夢の中なんだから。
「でしたら、私とも契約をしていただけませんか?」
背後からの声に振り向く。そこには、青い瞳の僕が立っていた。
「ふざけるな・・・なんでこのタイミングでお前が出てくる」
「あなたを自由にさせるわけにはいきませんから。私はあなたを監視しているだけですよ」
二人の僕が目の前で争っている。どうも、この二人は仲が悪いようだ。
「あー・・・よくわかんないけど・・・契約って、これでいいわけ?」
そういいながら青い瞳の僕の手を右手でとる。
「・・・ええ。今のところ、十分ですよ。では、私は失礼しましょう」
そういうと、青い瞳の僕は劇場の外へ歩いていった。
「ふざけるな! テメェ・・・まちやがれ!」
それを追いかけて赤い瞳の僕も劇場の外へ出る。後には、僕だけが残された。
「まったく・・・なんでこんな夢を見るんだか・・・」
そう独り言を呟きながらふと手を見てみる。
「・・・なに?」
両手が光を放っている。右手は青い光、左手は赤い光。これって・・・手をとった僕の瞳の色と同じ?
そう思った直後、体のそこから何かが湧き上がってくる感覚。
「・・・っ! なに・・・? これが、力だとでも・・・?」
湧き上がる感覚がなくなったとき、両手の光も消えていた。
「まったく・・・変な夢だな・・・でも、さっきの感覚は確かに感じた・・・。感覚がある夢ってありえるのか? もしかして、これは本当に・・・?」
そう呟き始めると、昨日と同じようにノイズが鳴り出し・・・僕の意識は、薄れていった。
‡ ‡
「おきて・・・おにいちゃん! おきてくださいです!」
目を覚ますと、狐子さんが僕の体をゆすっていた。おにいちゃん、ってことは今は愛紗として接してきているんだよね?
「んぅ・・・おはよう、愛紗。どうしたの?」
今となっては違和感があるけど、狐子さんがそうしてほしいというのだから、愛紗と接していたように接する。
「もう晩ごはんだよ? おかあさんからおこしてあげてっていわれて、おこしにきたの」
「うん、分かったよ」
狐子さんに手を引かれ、部屋を出る。
「愛紗、今日の晩ごはんは何だって?」
「カレーライスだっていってました」
うーん・・・こうやって接していると本当は千年も生きている神様だとは思えないな。外見どおりの小学校低学年の女の子と話している気分だ。それだけ演技がうまいって言うことか・・・。そんなことを考えながらリビングの扉を開ける。
「おはよう、慎一。随分御疲れのようだね?」
「ああ、父さんお帰り・・・うん、学校の手伝いで体を使いすぎたみたいでさ・・・」
適当に理由をつけてごまかす。化物と戦って疲れた、なんていえないもんな・・・。
「あらあら~、それじゃあしっかりお給料もらわないとだめよ? パンやジュースの一つくらい、要求しても罰は当たらないもの~」
「あはは、そうだね。うん。月曜日に学校行ったら教授に言ってみようかな」
笑いながら席に着く。
「さて、それじゃあ・・・いただきます」
「「「いただきます」」」
‡ ‡
夕飯を食べ終え、片づけをしたあと、僕は自分の部屋へと戻った。今日はもうシャワーも浴びたし、服もそのときパジャマに着替えてしまったし・・・疲れているのは本当だからもう寝てしまおうかな・・・。時間は大分早いけど。
――コンコン
そう思ったとき、ドアをノックする音が聞こえた。
「おにいちゃん、愛紗だよ・・・はいってもいい?」
狐子さんか・・・わざわざ訪ねてくるってことは、何か用があるのかな?
「うん、いいよ」
愛紗の口調なので、念のため敬語はやめておく。答えを返すと、狐子さんはすぐに部屋の中に入ってきた。
「さて・・・む、すまぬな。寝るところだったか?」
そういう狐子さんの手には・・・枕?
「いえ、かまいませんが・・・どうしたのですか?」
「うむ、少し話しておきたいことがあってな。枕を持ってきたのもそれに関することでじゃ」
「そうですか・・・まあ、椅子どうぞ」
言いながらパソコン前の椅子をすすめる。
「うむ、ありがとう。さて、話しておきたいことじゃが・・・」
そういうと、狐子さんは真剣な表情になった。
「ぬしよ。危険だとは思わぬか・・・わしは力が回復しておらぬ。ぬしは普通の人間。分かれた状態で各個撃破などされようものなら、なすすべも無い」
「そうですね・・・どうしようもないと思います」
「そうじゃろう。それゆえ、眠るときも含めて、できる限り共にいたほうがいいと思ったのじゃ」
眠るときも含めて? それってつまり・・・。
「同じ部屋で寝よう、ということですか?」
「うむ。それで枕を持ってきたのじゃ」
「いいですけど・・・布団はどうするんです?」
「布団ならおぬしが今座っておるではないか」
え、それって・・・同じ布団で寝よう、ってこと!?
「そ、それは問題があるのでは!? 年頃の男女が一つの布団で眠るというのは、その・・・!」
「問題などあるまい? わしらは表向きは兄妹なのじゃからな。事実を見れば、わしは年頃などとうに過ぎておる。問題無い」
「そう、ですか・・・」
うう、なんとなく恥ずかしい・・・でも、女性である狐子さんがいいと言っているのだから断るのもなんとなく失礼なような・・・!
「・・・分かりました・・・狐子さんがそういうのなら・・・」
「うむ、それでよい。さて、わしは湯浴みをさせてもらってこよう。その前に、と・・・」
そういうと狐子さんはベットの上に枕を置いて部屋を出て行った。
「そういえば・・・据え膳食わぬは男の恥、などという言葉もあるのじゃったな・・・ふふ」
余計な一言を残して。
「・・・やれやれ」
はぁ、本当に一緒に寝るのか・・・。いくら外見が子供とはいえ、実際は年上だと思うとなぁ・・・少し異性として意識してしまう。
「おどろいたせいか目がさえちゃったな・・・本でも読もう」
呟きながら本棚に手を伸ばす。そうはいってもな・・・この本棚の本は大体読み終わってるんだよな。まあいいや・・・適当な本を読んで時間を潰そう。
‡ ‡
そして数分後。
「ふう・・・いい湯じゃった・・・む、起きておったのか。てっきり先に寝ているかと思っていたが」
そういいながら青色のパジャマ姿で狐子さんが戻ってきた。その手にはドライヤーが握られている。
「いきなり一緒に寝ようなんていわれたもので、目がさえてしまったんですよ」
「そうか・・・それは悪いことをしたのぅ・・・」
「いえいえ。それよりも、髪、乾かしましょうか?」
「む、やってくれるのなら・・・お願いしようかのう」
頷いてドライヤーを受け取り、コンセントを差し込む。
「じゃあ、始めますよ」
「うむ、頼む」
ドライヤーの電源を入れ、軽く手で髪をすきながら髪を乾かしていく。
「なかなかうまいのう。手馴れておる感じじゃ」
「ふふ、これでも妹がいましたから。昔はよく髪を乾かすのを手伝っていたんですよ」
「む・・・悪いことを聞いたかの」
「いえ、そんなことはありませんよ。忘れていい事ではないですが、いつまでも引きずっていても仕方ない・・・そう思えるようになったんです。狐子さんのおかげですよ」
あの時はまだ愛紗としての狐子さんしか知らなかったけど・・・自然に受け入れられたのは狐子さんが神様だったから、というのもあるのかもしれないな。
「そうか・・・そう思ってもらえると、わしもうれしい」
それにしても・・・髪を乾かしていると、ゆったりと時間が流れるような気がする。そんな時間の中で、こうして話をするのはいいものだ。
「それにしても・・・狐子さんの髪、本当にサラサラですね。これだけ素材がいいと、乾かしている僕も楽しくなってきます」
「ふふ、そうかのう?」
「そうですよ。乾かし終えるのがもったいないというか・・・ずっと触っていても飽きない気がします」
「おだてても何も出ぬぞ・・・そうじゃ、おぬしも伸ばしてみてはどうじゃ? かわいい顔をしておるゆえ、きっと似合うじゃろう? なんての」
うーん・・・伸ばすのはそれはそれで楽しそうだけど・・・。
「あはは、今の髪型でも男にナンパされたことがあるので、それはやめておきたいですね・・・でも、長い髪ってきれいですよね」
「人間なら維持するのが大変じゃからな。そのあたりが分かるとそう感じるのやも知れぬ。わしらは、常に一定の状態を保てるゆえ、あまり手間はかからぬが・・・」
「そういえば、病院でも言っていましたね。シャンプーしかしていないって。あれ本当だったんですね・・・」
「うむ。細かいところまで演じていては、自分で設定を忘れてしまうやも知れぬからな」
お、これは狐子さんの意外な一面を知れたかも・・・神様といっても完璧ではないんだな。こうして接していると、人間みたいな一面を知れそうだ。意外と、神様というのはギリシャ神話ぐらい人間くさいものなのかもしれない。最高神のゼウスなんて、女好きで浮気ばかりする癖して、奥さんが怖くて逃げ出すような神様だもんな・・・そんな神様と実際に会っても困るけど。
「そうじゃ、ぬしよ。明日は暇かえ?」
「ええ、一応時間はありますが・・・どうかしましたか?」
「うむ、少し案内してほしい場所があっての・・・ここの近所の神社まで案内してほしいのじゃ」
「神社?」
何でまた、神社なんかに・・・でもまあ、ここから近いからいいか。僕も一緒に行くのだから・・・僕の事情で少し遠回りしないといけないのだけど。
「わかりました、いいですよ。あらかじめ道だけいいますと、駅とは反対のほうに行って、二又に分かれた道を左に曲がるんです。近いですから、すぐつくと思いますよ」
狐子さんが一人で行くようなことがあってもいいように、一番近い道を説明する。
「そうか、それは分かりやすいのぅ。しかし、おぬしにも来てもらわぬと困るのじゃ。迷惑かもしれぬが、共に来てもらいたい・・・事情は、着いてからでないと少し話しにくいゆえ、話すのは明日でよいか?」
「ええ。いいですよ・・・よし、髪、乾きましたよ。ところで、今さらですけど・・・なんで耳と尻尾出しっぱなしなんですか? それに、尻尾のほうは乾いているみたいですし・・・」
「ふふ、今はおぬしには効かぬ幻術を使っておるのでな。心配せずとも、幸衛殿や衛二殿には見えぬ。尾は、ここにくるまでに水がたれるといかんからな。自分で乾かしてきたのじゃ」
「え・・・それなら、ついでに髪も乾かして繰ればよかったじゃないですか」
「確かにそうなのじゃが・・・なんとなく、兄と呼んでおるおぬしに甘えたい気分になったのじゃ。それとも・・・迷惑じゃったかな? お兄ちゃん。ふふ・・・」
「そんなことはありませんが・・・」
やれやれ・・・苦笑する。でも、まあ・・・いいか。そのおかげで狐子さんのことを少し知れたような気もするし。
「さて、手間をかけたのじゃ。後片付けくらいわしにやらせてくれ」
「分かりました・・・どうぞ」
そういう狐子さんにドライヤーを手渡すと、部屋の外へ出て行った。脱衣所の棚の中に戻しに行ったのだろう。それにしても、狐子さんの髪・・・。
「はぁ、さわり心地よかったなぁ・・・」
・・・って、何を言っているんだ、僕は・・・。確かにサラサラだったけど!
と、とりあえず・・・ゆったりとした時間を過ごしたからか、眠くなってきたな・・・話も一段落ついたみたいだったし、寝てしまおう・・・疲れているし。
そう思って枕元を見て、改めて苦笑する。本当に一緒に寝るのか・・・。
しかし、これから僕はどんどんいままでの常識にない世界に入っていくんだよな・・・こうしてのどかな時間を過ごしていると忘れてしまいそうになるけど、もうとっくに常識から乖離した時間を過ごしているんだ。さっきまでのほのぼのとした時間だって、狐の耳と尾を生やした(外見は)少女の髪を乾かす、なんてありえないことをしていたわけだし・・・。
日常が終わり、非日常がはじまったことに考えをめぐらせながら、僕は緩やかに眠りに落ちていくのだった・・・。
第四幕 了