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現実世界『Through the Looking-Glass』01






世界が壊れていく。





『昨日現地時間午後6時、WHO世界保険機関はALICE症候群、通称「ロボット症候群」の発病者数が2億人を突破したことを確認したと発表し―』



『これは超神霊による世界の浄化なのです。皆さん恐れることは―』



『…特に十代から三十代にかけての、これから日本を背負って立つ若者たちの罹患率が高いことが問題ですね。しかも政府の対応は後手後手に…』



『…元巡査部長、長谷川辰夫容疑者は流行型自律性自我喪失症候群、通称「ロボット症候群」の患者である女性2名を監禁した容疑で…』




リモコンを持つ人間の苛立ちを示すように次々に変えられていくチャンネル。


しかし、流される話題は全て同じ。


だからだろうか?


舌打ちと共に諦めるようにテレビから映像が消される。


それを咎める者はいない。


リモコンを投げ捨てるようにデスクに放り投げ、ガラス製の灰皿に立てていたタバコを手に取り、口に含む。そして一息で肺にそのタールを流し込み、溜息をつくように紫煙を噴出すと、苛立ちをぶつけるように灰皿にその先端を押し付けた。



「不味い…」



タバコがこんなに不味いと感じるようになったのはいつからだろうか? そんなことをふと考えて、その意味のなさに自分を嘲るように苦笑し、椅子の背もたれに体重をかけてだらしなく天井を眺めた。


最近はニュースも特番もこればかりだ。そしてオレの仕事も。オレ自身の生活も。



Autonomy Lost Individual Consciousness Epidemic-Syndrome



ALICEシンドローム。


通称『ロボット症候群』



世界を蝕む癌。


あるいはセカイを死に至らしめる病。あるいは人類の救済。あるいは人類への断罪。クソ喰らえ。



「先輩すごいですね~~っ、先輩のスクープっ、ニュースでやってるじゃないですかっ!!」


「うっさい。犬上、仕事しろ」



耳元に鼓膜を突き破るような特徴ありすぎるアニメ声。眉をひそめ、話しかけてきたボブカットに髪を揃えた眼鏡の女を睨む。


犬上さやか。


昨年入った新人であり、何があったのか今年の春、ウチに配置された悩みとは一生無縁そうな能天気な女。去年の冬に例の病を発病した同僚の穴埋めとでも言うのだろうか?


冗談が過ぎる。


冗談が過ぎるが、分からないでもない。


既に人材の不足は危険水域に達しようとしていた。例の病は若者を中心に働き盛りの壮年の大人に多く発症する。



「失礼ですね~、私ちゃんとガンバってますよっ。まあ、まだ仕事らしい仕事も任されてないんですけど」


「ふん、まあいい。昨日まとめとけって言ってたの出来てるか?」


「あ、はいっ。今お持ちしますっ」



まあ…とも思う。


これだけ能天気なバカであれば例の病にもかからないだろう。


プリントアウトされた数枚の紙切れをヨタヨタ走りながら犬上が持ってくる。バランスの悪さが危なっかしさを感じさせる。重心が高いのだろう。


原因は、その無駄にデカイ胸と勝手に推測する。サマーセーターを盛り上げて主張するその女の象徴が、彼女が足を踏み出すたびに立体的に振動する。


眼福であるが、目に毒である。



「どうぞっ、お待たせしましたっ」



差し出されたA4紙。奪い取るように受け取ると、流し読みするように一読。そして、



「アホウ。なんでこんなフランクな文体なんだっ。こんなもん掲載できるかっ!!」


「しゅ、しゅみましぇん」



受け取った紙を丸め、スパンとアニメ声女の頭をはたく。



「まったく…」



男はボサボサの頭を掻き毟り、



「…っと、もうこんな時間か。犬上、明日までにソイツな直しとけ」


「あ、はい。どちらへ?」


「取材だ。知人が対策委員会の委員でな。うまい具合にアポが取れた」



ALICE症候群対策委員会。


ロボット症候群の原因解明とその治療法を探るために4年前にWHOが中核となって、ロックフェラー大学やパスツール研究所をはじめとした世界中の大学、研究機関の有名ドコロが召集されて組織された、国家を、セカイを守るための最前線。


既に問題は各国による個別対応によって対処できるレベルを超えており、人類という種の存続のためという大義を錦の旗に、各国の思惑は別として、世界が一つとなって立ち向かっている。話がでかすぎて逆に滑稽なぐらいで笑える話だ。


で、その例の知人というのはサークルの後輩で、今は厚生労働省に勤めており、一昨日、ジュネーヴの国際会議から東京に戻ったばかりとのこと。


いろいろと素敵な過去をネタに、少しお付き合い願ったのである。椅子に掛けていた上着に腕を通して待ち合わせん場所に向かおうとしたところ、



「あのっ、私もご一緒しても構いませんか?」


「………」



犬上が一念発起したような意気込みで同行を願い出た。一瞬だけ考え込む。このアニメ声の脳みそがスポンジで出来ていると思われる残念な女を連れていくメリットとデメリットを勘案し、これも新人教育と判断して、



「まあ、いいだろう。余計なこと喋るんなよ」


「あ、はいっ!」



女の顔が光を放つかのように綻ぶ。その表情にやれやれといった気分で苦笑すると、ラップトップの電源を切り、鞄を担ぐようにして部屋を後にした。





落ち合う約束をしているのは、都内のとある喫茶店。相手は昔馴染みとはいえ、高級官僚であるし、彼が配されている部署は不夜城と化しているという噂なので、取れる時間はさほど無い。


今ではめっきり少なくなった、大して美味くもないコーヒーにやたら金をとる喫茶店の入り口を開ける。この場所になったのは時間の無い相手の都合であり、本来なら後輩をねぎらうため美味いコーヒーを淹れる店を選んでいたはずだ。


カランカランという乾いた音と共に古臭い木製のドアを開けると、丁度店の窓際で書類に目を落としていた男、目的の知人が視線を上げる。



「よう、佐川」


「お久しぶりです、榊先輩…。そちらのお嬢さんは?」


「あっ、私、先輩の下で働いてる犬上さやかと申しますっ」



緊張しているのか、テーブルに額を激突させるような勢いで頭を下げる犬上。目の前の男、佐川はそんな彼女に苦笑する。



「ああ、よろしく」



俺たちは佐川が陣取るテーブルに、対面するように座る。



「直接会うのは久しぶりですね、榊先輩」


「そうだな。それと…、妹のことでは世話になった」


「いえ、仕事の延長みたいなものですから…。あれからどうですか?」


「一応は平静を取り戻している…がな」


「そうですか。気を落とさないで下さい」


「ああ、分かっている」



今日までこの男にはメールや電話上でだが結構な世話になっている。厄介な問題で、自分だけでは持て余していただけに、それ関係では専門分野のこの後輩に迷惑をかけてしまったわけである。


しかし、そんな突然の内々の話についていけないのか、犬上が目を点にして所在無さ気にソワソワし始めた。そういえばと思い当たる。この女に自分の家の事情を聞かせていなかったことに。


職場の他の連中は知っているので、コイツも知っているものだと思い込んでいたらしい。とはいえ、こんな機会でもなければ自分から話すことなどなかっただろうが。



「オレの妹がロボット症候群にな」


「あ、そうだったんですか……」



説明してやればしてやるで、シュンとすまなそうな表情に変わる犬上。子犬のようなこの女の童顔で、そんな表情をされると、何故か妙な罪悪感を引起されるから不思議だ。



「まあ妹だけじゃなく、その家族全員がかかっている」


「えっ…、あっ、そうか…。ロボット症候群は―」



周囲、というより家族に伝染する傾向がある。正式な発表は無いが、発病者を追っていけばその傾向をアリアリと知ることが出来た。故に遺伝性が疑われたこともある。もちろんすぐに否定されたが、都市伝説じみた噂となって、今もこの話を信じて疑わないものも少なくない。



「まあ実際には、家族が罹患したことによる家庭環境の悪化…が原因みたいですけどね」



佐川が語る。



「やはりストレス…か?」


「はい。多かれ少なかれ、患者は発病前に精神的・肉体的に大きなストレスに晒されていたことが確認されています。おそらく近日中には正式な発表があるはずです」


「まあ、予測通りですよね」



犬上が頷く。


一時は宇宙人だとか、神の罰だとか、新型の感染症だとか色々といわれていた原因であるが、今はストレス複合原因説が有力となっている。


それを最も顕著にそれを表しているのが、自殺者の数だ。


驚くべきことに、ここ数年、日本において戦争状態とまで評された自殺者数が激減しているのである。


特に今年に至っては、未だ『0』人。


最初の発症者が発症したと思われる2015年以前には毎年3万人を超えていたその数が、である。


そして自殺者数の年代別統計と、ロボット病罹患率の年代別統計を比べれば、その山の形と大きさが完全に一致するのである。


関連性を疑わないほうがどうかしている。



「それで、他になにか分かったのか?」


「これ以上は…。他ならぬ榊先輩の頼みなんで、教えたいのは山々なんですが、なんて言いたいところなんですけどね」



と、佐川が肩をすくめる。諦めるように。



「進展なしか」


「ええ、全くです。原因の片鱗すら掴めてない、というのが各国の実情でしょうね。ストレスが原因だとしても、それだけじゃないはずなんです」



当然である。


ストレスのみを原因だというのならば、もっと昔からこの病が知られていなければならないはずだからだ。


故に複合。


引き金はストレスであるが、他に何か原因となるモノが存在するはず。なんらかの化学物質の蓄積、未知の感染症、あるいは電磁波の人間への悪影響が疑われた。


しかし、未だストレス以外のナニカを特定できたという信用できる情報は無い。故に情報は錯綜する。そして、そういった見えない不安、圧迫がこの正体不明の病を逆手に取った詐欺などの犯罪を助長させる。



「そうですね、電気ショックによって一時的に患者が目を覚ましたという話ですが…」


「事実なのか」



そういう事例がアメリカの新聞に掲載されていた。真贋ははっきりしないが。



「事実です。ただし一時的ですね」


「治療には繋がらなかったんですか?」



犬上が佐川の顔を覗きこむ。佐川は少し面を食らって苦笑し、



「いえ、一度だけだったそうです。しかも効果が見られたのは数例だけ。他の電気刺激を用いた療法が試されましたが…」



脳に電極を打ち込むなんてことも、あるいはもっと非人道的な手法がとられたこともあったが、症状の改善は見られなかったとのこと。



「治療方法に関しては一切進展なし。原因究明も頓挫。予防手段は…、カウンセリングぐらいですかね?」


「つまり、拡大は止められないか」


「はい。特にアフリカとかは最悪です。難民キャンプが丸ごとなんて例もありますから」



追い詰められている人間ほど発症しやすい。


故に、難民やホームレス、低賃金の肉体労働者、あるいは受刑者といった人間が高い罹患率を示すという統計データが出ている。


また子供が発症した場合、その親が発症するリスクが高まる。



「まあ、先進国の罹患率も低くないんですけどね。ちなみに向精神薬に予防効果があるという報告があります。まあ、あくまで予防ですので治療には使えませんね」


「それは一時しのぎだろう」



佐川は苦笑いする。結局、その語に聞けた話は既存の、世間に出回っている情報の真贋のみ。それだけでも有意義だったといえば、そうだったのだが。



「すみませんね。本当はちょっと面白い話もあったんですけど…」


「話せないのか?」


「はい。不確定ですし。多分…公表はされないでしょうから」



佐川は曖昧な表情を残し席を立つ。時間らしい。



「また時間を見つけて飲みにでもいきましょう」


「ああ」



まあ、そんな機会はそうそうないだろうが。オレは天井を睨み、内ポケットからタバコを取り出し、



「ああ、そうそう」



と、最後に、思い出したように、



「ごく僅かなケースで…、まあ実際には覚えてないヒトが大半なんでしょうけれど」



佐川は言い残す。



「発症前にこんなことを周囲に漏らしたケースがいくつか報告されてるんです。…夢に出てくるんだそうですよ。その…シルクハットをかぶった自分自身の影が。榊先輩、聞いたことあります?」







この場所は苦手だ。


男はいつも思う。


否、場所ではなく、この瞬間が苦手なのだ。


会社からの帰り、彼は日常の義務としてこの場所に訪れる。工場のような、というより工場そのもの。飾り気のない、同じような形の、同じようなごく単純な工法で造られた建物が並ぶ。


そこに、彼と同じ目的であろう人間が受付に集まっている。



「榊です…。M0112508東秋彦をお願いします」


「はい、ではあちらでお待ちください」



カウンターの中年の女が待合室を指で指す。緑色の合成皮革のカバーの長椅子と、清涼飲料の自販機と、緑色の公衆電話だけがある簡素なものだ。


禁煙らしいので、いつも通りイライラしながら指示に従い待っていると、中年男性があたかも幽霊のように現われた。


生気のない。視点がどこか定まらない。血色が悪い。東秋彦。妹の伴侶で、ようするに義理の弟である。



「いくぞ」



かける言葉はただそれだけ。


しかし義弟はそんな言葉にすら一切応えることは無い。義弟は黙って俺の後を付いてゆき、駐車場に止まられたセダンの後部座席に座る。


車を発進させ、俺は黙って帰路に付く。いつものことだ。FMの音楽が流れる。会話は無い。


後部座席の義弟は…、夜景に目を向けることもしない。ただ、前にある座席のカバーをじっと虚ろに眺める。微動だにせず。



そして家に着く。


都内のマンションだ。昨年までは俺一人で住んでいたが、今は同居人がいる。明かりはついている。


だが、その明かりにオレが安堵を覚えることは無い。鍵を開けて中に入れば、そこはいつだって通夜ででもあるかのような。


酷く不気味な光景に思われるだろう。若い男女が二人がテレビもつけず、一言も交わさず黙ってテーブルに向かい合っている姿など。


妹の子供だ。


東春樹と東冬香。


今年で兄が17歳で、妹が15歳だったはずだ。帰宅に気がついたのか、ゆらりとキッチンで夕食を温める人影がキッチンに見える。妹の東夏美だろう。


彼女の料理の腕はそこそこだろう…と思う。少なくとも客観的に不味い料理は出さない。状況が料理の味を著しく悪化させているが。


彼ら4人はALICE症候群を発症している。家族全員が、である。彼らに何が起こったのかは詳しくは聞いていないし、興味はない。どうせ、何処にでもありふれていて、クソったれな現実だからだ。



ロボット症候群とはよく言ったものだ。



彼らに日常生活を送る上での不都合は基本的に無い。全くないのだ。それは食事、入浴、排泄、睡眠だけではない。全て自動的に、まるでAutonomic(自律的)に行う。仕事ですら、ルーチンワークであればこなしてしまう。


弟が日中の間過ごした場所も、いわゆるリハビリセンターと名のついた工場だ。弟は低賃金で一日中、そこで工員として働いている。働き蟻か奴隷のように。


命令には忠実で、他者の指示は不可能でない限りは従順に従う。故に犯罪に巻き込まれやすく、一日中監視の目が必要である。よって就労年齢にあるものは国の監視の下、あの無機質な工場で黙々と単純労働を行い続ける。


そして、そこに彼らの意志は無い。文句も言わない。まるでロボットかゾンビのように、命令に従うだけ。


流行型自律性『自我喪失』症候群。


直訳すればこのような名前だったはずだ。彼らは自分の意思を、思考を、感情を、欲求を失っている。少なくとも意識として表出させない。



発症者は既に2億人を突破した。学者の計算では後4年で発症者は10億に届き、西暦2030年には人類全てが発症することになるらしい。



「子供は寝ろ」



食事が終わると、男は言い放つ。二人の子供は大人しく自室に引きこもる。


この年頃の子供、とくに女の子は兄と同室など絶対に嫌がるだろうが、生憎部屋に余裕が無い。このことに関してはロボット症候群さまさまであった。


自嘲する。


二人の子供は基本的に外に出さない。犯罪に巻き込まれやすいからだ。妹には家の家事を一任しているが、買い物などはオレが行う必要がある。


妹は何も言わずに食器を片付けを行い始め、オレはやることがなくなりシャワーを浴びると、そのまま自室のベッドに倒れこんだ。



― いつまで続くのか? ―



虚ろな瞳の同居人。


それも血を分けた。


そして眠りにつく。疲れていたからだろう。精神的に。


そして、



「ああ、そういえばオレも会ってたんだな」



夢の中であるにもかかわらず、イヤにはっきりとした意識。


そして、ふと思い出した。


そういえば、昨日も、一昨日も、ここに来た覚えがある。


真っ白な空間。どこまでもどこまでも続く。


上下すら曖昧な。地平すら見えない。空っぽとしか表現できない。


そんな世界にソイツは居た。シルクハットを被った、漆黒の影。



「よう、オレ」



ソイツはいつもの様に、十年来の知り合いのような気安さで声をかけてきた。オレは同じようにソイツの目の前に座っている。


夢のことはあまり覚えていない性質だから、朝になればこの邂逅も忘れてしまうのだろう。


思い出すのは、昼間の後輩の話。自分の影がどうとかという。



「よう、少しやつれたんじゃないか、オレ?」



だから、そう言い返してみた。









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