CategoryⅡ『妄想系Heavens Miniature Garden』03
「おはよう、ハルキ君」
「おう、おはよう」
朝、登校中、偶然に卯月と一緒になり挨拶をする。今日はあいにくの曇天で太陽は拝めず、灰色の雲がたれさがり、今にも雨粒が落ちてきそうな、そんな天気。
俺は卯月と肩を並べ、彼女の歩幅に合わすように歩く速度を調整し、あくびを噛み殺す。そんな俺の表情の何が面白いのか、卯月は俺の顔を見て笑みを浮かべる。
「相変わらずやる気のなさそうな顔ね」
「省エネを心がけてんたよ」
「エコロジーには程遠い省エネね」
「何言ってんだ。エコロジーで大事なのは心配りだ。言うだろ? ペットボトルはリサイクルするより新しく作った方が省エネだが、それでも回収することによって環境意識が高まるわけだ」
「結果の伴わないエコロジーなんて意味ないわ。そう言うのを自己満足って言うのよ。でも貴方の省エネは自己満足にもなっていないみたい」
「うっせぇ。神は天にいまし、全て世は事もなしだ」
「神様って信じてる?」
「いてもいなくても、どっちでも興味はねぇな。お前はどう思う? ここは天国か?」
「飢えもなく、争いもなく、犯罪もない。ええ、確かにここは天国に近いかもしれないわね。ひどく堕落しているけど。現代によみがえったソドムとゴモラといったところかしら」
暴食、強欲、怠惰、色欲、傲慢、嫉妬、憤怒。憤怒と嫉妬はどうだかしらないが、少なくとも他はこの世界では肯定されている。それはいい。判り切ったことだ。いやまて、
「いや、そうか、そこが引っ掛かってたんだ」
「どうしたの?」
「前から思ってたんだが、犯罪だ。この世界、どのニュース番組も新聞を見ても、誰一人として犯罪を犯したってニュースが流れない」
「そうね」
「だが、そんなことがあり得るのか? 全てが満たされているからって犯罪ってのは無くなるモノなのか?」
「…そう言われてみればそうね。愉快犯の一つや二つ出てもおかしくはない…はず」
人間の犯罪はどんなに厳しい罰を法で定めようと、どれだけ懸命に道徳教育を行っても、どんなに物的欲求が満たされようと、一定の割合で必ず発生する。それは愉快犯であったり、罪を犯すスリルを求めたり、あるいは異常者による行動だったり、無くなることなどあり得ない。
特にこの世界に来る転生者は皆即物的ともいえる願いを叶えた人間ばかりだ。
それは金であったり、女であったり、単純に食糧といった生存に不可欠なものであったり、あるいは不治の病からの回復を願った者もいる。それらは確かに等しく叶えられている。
全ての人間が物質的、肉体的に完全に満たされた世界。それは古典的なユートピアのような精神的な充実こそ叶えられてはいなくとも、満ち足りた世界ではある。
問題なのは、欲望に限りがないというその一点。精神的に完全な充足があり得ないのなら、その代償として人間はさらなる物質的な俗物的な欲望を肥大化させる。
その先にあるモノは破滅しかない。肥大化した欲望は自己という個人の器の範疇に収まりきらず、溢れ、他者を害する悪質となる。
「歪な世界…ね」
「まあ、いいんじゃねぇか? 俺たちには関係ない」
「…そうね、関係ない事を気にしても仕方がないわ」
そうして学校の玄関にたどり着き、ちょうどそこでルークとはち合わせる。相も変わらずハーレムに囲まれており、通常運転御苦労さまだ。しかし思うにハーレムというのはアレだな、胃薬が必要になりそうな立ち位置だ。
きょうもがっちり義理の妹さんと幼馴染に両腕をロックされている。両手に花とはまさにこのこと。そのまま引き裂かれればいいと思う。
「よう、ルーク。今日も元気そうじゃないか」
「ああ、おはようハルキ。そうだ、今こそ男同士の友情を深めようなないか」
「残念ながらそれは却下だ。君は死ね、僕は飛ぶ」
と、何やらルークの義妹殿が俺に何か言いたそうだ。
「あの…?」
「なんだ?」
「その、東先輩と岩崎先輩って付き合ってるんですか?」
「なっ!?」
義妹殿の世迷言に先に反応したのは我らが優等生代表、岩崎卯月さん17歳。
「なっ、何言ってるのよ橋本さん! 私がコイツなんかと付き合ってるわけないじゃないっ!」
「コイツ呼ばわりかよ。まあ、いいけど」
「えっ、ハルキと岩崎ってそうだったのか?」
「そういえば、岩崎さんとハルキ君ってよく一緒にいるところを見かけますよね」
「え。いやでも…」
「案外、お似合いなのかしら?」
何やらルークを奪い合う淑女同盟の面々の会話の方向がずれていっている。いや、卯月は美人だが、俺に気があるわけはないだろう。とはいえ、女というものはこの手の話には喰いつきやすい。
「ああっ、もうっ、アンタも何か反論しなさいよっ!」
そうして俺を睨んで、おまけに俺の尻に蹴りを入れてくる我らが優等生代表、岩崎卯月さん17歳。
「痛ぇな。てか、反論も何も、あの状態の女子には何言っても逆効果なんじゃね?」
「それでも何か言いなさい!」
「はぁ…、めんどくせぇ。いくぞ卯月、噂なんて75日だ」
面倒くさくなってので、おれは教室へ向かう階段へとハーレム陣を振り切って歩いて行く。
「ちょっ、待ちなさいよ。釈明の一つぐらいしてよっ」
そう言いながらも駆け足で俺についてくる卯月。後ろからは女性陣の歓声が何故か響く。なんだこれ。何が亭主関白だ。俺は尻に敷かれる草食系男子だっつーの。そういうわけで階段を上って教室へ向かう。そこで止まると、すかさず俺の脇腹に蹴りを入れる卯月。
「うぐっ」
「まったく、勘違いされたかも知れないじゃない。はぁ」
「ため息つくと幸せが逃げるっていうぞ」
「誰のせいよ。まあ、いいわ。またね」
「いいなら蹴るなよ。じゃあな」
彼女はA組、俺はB組。まあ確かに、別クラスの男女がそこそこ親しげにしていれば、色恋に興味津々な彼女らにとっては格好の話のネタなるのだろう。
そういえば、俺と彼女が知り合ったきっかけは何だったか。消極的な孤立主義である彼女は当たり障りのない友人関係を持ち、つまり親友らしい人物を持たず、孤高で、品があり、いわゆる高嶺の花であった。本人は平凡な家の出と主張するが。
出会いの縁を結んだのは、確か猫、そう猫だった。今時珍しい『拾ってください』と書かれた段ボールの中に仔猫が3匹。雨の中、傘をさして彼女は仔猫と向き合ってたっけ。
彼女の住まいはマンションで、俺もマンション住まいで、もちろんペットは禁止で、何の縁か彼女と共に里親探しをするという良く分からないミッションを行ったのが彼女との本当の意味での出会いだった。
つまりなんというか、彼女は不器用で、孤高を装っているくせに世話焼きなのである。でも、足癖の悪さはなんとかしてほしい。
閑話休題。
教室の中に入ると、一足先に辰巳は教室で文庫本を読んでいた。軽く挨拶をすると、いつもの笑顔で挨拶を返される。
ふと周囲を見回すと、何やら男性陣が浮足立っている様子で、俺は首をひねり辰巳にと言いかけた。
「なんだか騒がしいな」
「あ、うん、あれだよ、転校生」
「ああ、そうか、今日だったな。やっぱり女か」
「どっちだろうね」
「そうだな、俺はどっちでも無いに一票」
「へぇ、冒険するね」
「それが一番平和だからな」
「ふうん、じゃあ、僕は転生者に一票」
「理由は?」
「ルーク君争奪戦の参加者はもう打ち止めかなって」
「なるほど」
そうして予鈴が鳴る。同時に金髪の少女に引っ張られてルークが現れ、俺の後ろの席に着く。しばらくすると、担任の柊が教室に入ってきた。起立、礼、着席。
「ああ、もう知っている者もいるだろうが、うちのクラスに転校生が来ることになった。入りなさい」
「おっ、来た来たっ」
女子ということで男性陣が身を乗り出すように注目する。この年齢層の男子は頭の中身の半分以上が性欲で満たされているに違いない。そして俺の後ろの席にいるバカ、つまりルークはその代表だ。次の休み時間に躾という名の暴力が彼に降りかかる確率100%。
教室右前方の引き戸がガラリと開かれる。現れた少女の容姿は平均値よりも高く、男子たちが騒ぎだす。
「ん?」
少し緊張した面持ち。同年代の女子に比べ一回り小さな小柄な体躯。丸っこい童顔と大粒の瞳はは卯月のような美しさとは異なり小動物じみた可愛さを想起させる。髪は茶色がかった肩にかからない程度のセミショート。どうやら賭けには負けたらしい。
それは、つまり、昨晩、公園で出会った少女であった。
そうして、少女と目が合う。見開かれる瞳。俺もまた顔を上げて少し呆けたように停止する。数秒の間見つめあう。実際の時間よりも長く見つめあっていた気がするおよそ5秒。担任の咳払いで視線の交錯は中断される。
「ええっと、その、水原アトリです。よろしくお願いしましゅ」
ものすごい勢いで頭を下げる、90°直角。あの短い台詞をかむという離れ業をするほどの緊張。シンとなる教室。助けを求める瞳が俺に向けられる。どうしろというのか。
仕方がないので拍手をしてやる。続いて辰巳が、そしてまばらだが俺に続く拍手が起こり、最後には全員の拍手となる。喝采。というか、とりあえず黒板に名前を書くのはセオリーだと思うがどうなのか。すると担任が咳払いをしてフォローにはいる。
「ああ、水原は親御さんの仕事の関係で急に転校することになったそうだ。皆仲良くするように。それと水原、黒板に名前を…」
「あっ、ひゃいっ!」
そうしてようやく黒板に彼女の名前が書かれる。緊張しまくっているのか、ぎこちなく、力んだ筆跡。書かれた文字は『水原花雀』。花に雀でアトリと読ませるらしい。流行りのキラキラネームというやつだろうか?
「後ろの席になるが黒板は見えるか?」
「あっ、はい、大丈夫です」
そうして彼女は鞄を両手で持ちながら後ろの席へと歩いて行く。その途中で目があった。とりあえず「ようっ」と片手を上げて挨拶をしてやる。すると何故か顔を真っ赤にして俺に一礼すると、そそくさと後ろに追加された席についた。
「なんだよハルキっ、いきなりナンパか?」
「違ぇよ。ちょっと昨日会ったってだけだ」
「へぇ、とうとうハルキもフラグを立てたんだね」
「なんだルーク、今のハーレムじゃまだ足りないってか?」
「…い、いやあ、そんなわけじゃないけど」
「というか、お前は他人の色恋に口を出す前に自分の問題を解決しろ。いいかげん、刺されんぞ。主に満月の夜に後ろから鉈で」
「そんな、一人だけ選ぶなんて出来ないよっ!」
「…ならデッドエンド√確定だな」
「で、デッドなのか? バッドじゃなくてっ?」
「ああ、デッドエンド、そこから先は通行止めだ。最後は首切られて、頭だけ鞄に入れられて幼馴染と一緒に電車旅行だな」
「はは、冗談だよね…」
「Nice boat.」
「わろす……」
さて朝のホームルームが終わり一限目が終わると、案の定、アトリはクラスの女性陣に囲まれて質問攻めに遭っていた。俺はそれを横目に辰巳とルークとで駄弁る。
「賭けはどうなるんだろうね」
「お前の勝ちだ」
「そうなんだ。何で判ったの?」
「昨日会った。それで確認した」
「賭けってなんだい?」
「転校生の正体を辰巳と一緒に予想してたんだよ」
「謎の女転校生の正体に迫る? 結果は?」
「新たなる転生者来る! だ」
「え? そうなの? ああ、昨日会ったんだっけ」
「ああ、まともそうな奴で良かった。これで姫プレイとかされたらドン引きだからな」
少し不思議ちゃんの雰囲気があるが、初対面ではそこまで変な印象は受けなかった。ただ少し変わった目標を持っている。彼女の願いは叶うのか? 叶ったとしてそれが何をもたらすのか?
「姫プレイかぁ、3年の三崎先輩だったよね、確か」
「あれはまあ、強烈なヒトだからな。あそこまでいくと敬意すら覚える」
3年C組に君臨する女王様。男どもをアゴで使い、リアル人間椅子とかに座ってるヒトだ。ちなみに人間椅子にされる男子の嬉しそうな表情が痛い。ちなみに和風美人生徒会長こと厳島先輩とは犬猿の仲だそうだ。
「んで、ハルキは彼女のところに行かなくていいのかい?」
「何故?」
「いや、昨日ナンパしたんでしょ、彼女のこと」
「お前は俺をどーゆう目で見てんだ」
「じゃあ聞かせなよ、なれ初めとかさぁ」
「あ、僕も興味あるな」
「お前らな…、まあ、あれだ、ああ、もう知らん!」
俺は立ち上がって教室から出る。「トイレだ」と言い残して。まさか言えるわけがない。泣いていた少女にハンカチを貸したなんて。そうして教室を出る直前、ふとアトリと目があったような気がした。
◆
昼休みは雨でないなら屋上にいることが多い。ただし冬は勘弁。今日はあいにくの曇天で空がいつもより低いが、俺はいつものように屋上の給水塔の横に陣取って弁当を食う。
弁当はメイドロボのヨミの手製で、ロボットが作ったものを手作りと呼んでいいかはまた別の問題だが、彼女の料理の腕は確かなので、例えばだし巻き卵などはふんわりとして最高に美味い。
「うむ、しかしなるほど、『メイドロボットが作った料理を手作りと呼んでいいか』か。哲学的な問いだ」
「そんな哲学、ごみ箱に捨てればいいと思うわ」
「我思う、故に我在り」
「はぁ、メイドロボットが作る料理は大量生産品ではないから、手作りでいいのよ」
「なるほど。ところで卯月、なんでここにいるん?」
「なんとなくよ。隣いい?」
弁当を持つ手を上げて、卯月は俺に問う。どうやら優等生代表、岩崎卯月さん17歳は、立ち入り禁止の屋上で飯を食うという校則違反を敢行するらしい。
「好きにしろ、屋上は俺のもんじゃねぇからな」
卯月は「あっそう」と言って俺の隣に座り、そして弁当を広げる。俺たちはこうして偶に昼食を一緒にする時がある。
「そういえば、また転校生が来たのよね、貴方のクラス」
「ああ、前にも転校生来たのに、またB組だってよ。学校が何を考えているか分かりません」
「橋本関係?」
「外れ。転生者だ」
「そうなの? どんなヒト?」
「んん、大人しい感じ…か?」
「なんで疑問形で返すのよ…。でも、その様子じゃ、害はないみたいね」
「害はないな。小動物系だ。まあ、案外お前と気が合うかもな」
「名前は?」
「水原アトリ。花に雀でアトリと呼ばせるらしい」
そんな風に転校生を話題の肴にして卯月と一緒に弁当を食う。俺の弁当もメイドさん手製なので綺麗な盛り付けがされているが、卯月の弁当も結構綺麗なもので、ボリュームこそ俺のものより小さいが、美味しそうに見える。実は卯月の手製らしい。
と、突然屋上の扉が開かれた。卯月は一瞬ビクッと身体を震わせる。扉を開けて出てきたのは、辰巳と、話のタネになっていた水原アトリその人だった。
「あっ、ようやく、見つけました」
アトリは俺を見てそう口にする。隣の卯月は怪訝な表情で俺を見る。
「誰?」
「水原アトリ」
「ああ、あの子が」
辰巳は苦笑しながら、アトリは小走りに俺のところにやって来る。
「あ、あの、ハルキさん」
「よう、昨日ぶりだな」
「その、ハンカチなんですけれど…」
「ん?」
アトリはハンカチを取り出して両手で俺に差し出してくる。どうやら律儀に洗って返しに来たらしい。
「悪いな。別に捨ててもらっても構わなかったんだが」
「いえ、そんなことは…」
「まあ、ありがとう」
「いえ、本当は教室で渡したかったんですけど」
「まあ、あの雰囲気じゃ出来ないわな」
転校生、しかも可愛い小動物系となれば、教室の女性陣にとっては仔猫の群れの中に放り込まれた猫じゃらしみたいなものだろう。とりあえずハンカチを受け取る。
「あはは、ハルキ君、もう遅いかも」
「ん、どういうことだ?」
「えっとね、」
辰巳曰く、昼休み、女性陣に囲まれお弁当を一緒にというのを断れなかったアトリは、昼食後、教室を見回し、そして「ハルキさんはどこでしょうか」と問うたらしい。
今日来たばかりの転校生が、クラスの1男子を名前で指名するろいう暴挙にクラスの女性陣が喰いつかないわけはなく、それからてんやわんやあり、辰巳が屋上に彼女を連れていくことになったのだとか。
「なるほど」
実に頭の痛い話である。これで俺はしばらくクラスの中でアトリとの関係を疑われる間柄にされるわけである。
「ねぇ、いいかしら?」
「どうした卯月?」
唐突に話に割り込んでくる卯月。
「貴女が水原さんね」
「あ、はい。私が水原アトリです。えっと、貴女は?」
「私は卯月、岩崎卯月よ。初めまして」
「はい、初めまして」
そそくさと姿勢を正してお辞儀をするアトリ。それを見て彼女をじっと見つめる卯月。両者無言で数秒。卯月の瞳は揺るがず、対してアトリの瞳は左右に泳ぎ始める。
「え、あの?」
「ふうん、ハルキ君ってこういう子が好きなんだ」
「え? は?」「ふぇ? ふえぇぇっ!?」
俺は口をパクパクして思考停止し、アトリは顔を真っ赤にして挙動不審になる。
「いや、どうしてそういう話になる?」
「そうね、ええ、ところでどうして、水原さんが、これのハンカチを持っているの?」
「『これ』扱いとか酷くねぇか?」
「いいのよ、そんなことは」
「あ、僕もそれ気になるな」
「辰巳、お前は気にするな」
「あ、あの、ええっとですね、昨日なんですけど…」
「お前も律儀に説明せんでもいい」
顔を真っ赤にして昨日の事を話しだそうとするアトリを俺は止める。どう考えても恥ずかしい話だし、冷やかされたり、からかわれたりする類の話だ。適当にお茶を濁すに限る。
「適当にお茶を濁そうとしてもだめよ」
「何故ばれたし」
「さあさあ水原さん、お姉さんにその辺りの事情を話して御覧なさい」
その後、卯月の誘導尋問に引っ掛かり、結局昨日の出来事のあらましを白状させられるアトリ。辰巳の生温かい視線がむかつく。
「ふふ、面白い話を聞けたわ。しばらくこれでハルキ君をいじめましょう」
「イジメ良くない」
「そうね、紳士だものね、ハルキ君は」
「こいつ…」
意地の悪い笑みで俺を見る卯月。いつかきっとどこかでこの屈辱を晴らしてくれよう。
「でも、皆さん私と同じ境遇だなんて、少し不思議な感じです」
「あら、別に私たちだけじゃないわよ。貴女のクラスの金髪の男子いるでしょ、ハルキ君の後ろの席の。あれも同じよ。同じ転生者。他にも、うちの学校だけでもざっと10人はいるんじゃないかしら」
「そんなにたくさんいるんですかっ?」
「ああ、まあ、いるな。半分以上は学校来てないけどな」
何もしなくても国から年に1000万円という不労所得が配給される世界である。働かなくても暮らしていけるなら、学校に行かなくても大した影響は出ない。
事務や肉体労働などの仕事などロボットがしてくれる。この世界では、真の意味で働くことに意義を見出している人間か、それ以上の収入や成功を望む人間しか働くことなどないのだから。
故に多くの転生者は律儀に学校なんて来ず、街で遊び呆けているか、家の中で引きこもっているかのどちらかだ。むしろ、転生者以外のNPCとよばれる者たちのほとんどが何の疑いもなく律儀に学校に通っているのが不思議なくらいだ。
「皆さんは、転生者と他の人たちを明確に区別しているんですね」
「ええ、転生者であるという自覚があるかないかでしか区別はつかないけれどね」
転生者すなわち『PC』とそれ以外である『NPC』の違いを見出すのは困難だ。外見、精神、身体能力、あらゆる能力において前者と後者は違わない。ごく一部の転生者が特殊な才能や金銭面において他者を圧倒するぐらいだろう。
「ルークなんかの例が典型的だな。あいつは異性を引き付けるなんらかの引力みたいのを持っている。多分、帽子屋に与えられた能力だろう」
「でも、ルーク君、それで苦労してるけどね」
「あれは彼が誰を好きかはっきりさせないからよ。自業自得だわ」
「あれは、あの状況を楽しんでるんじゃないか?」
異性にもてたい、金持ちになりたい、頭が良くなりたい、働きたくないなど、そういったストレートな欲望が反映される世界だ。
「それで-」
と、ここで卯月が話題を転換する。
「水原さん、貴女は元の世界に戻りたいというのね?」
「はい。もう一度、ちゃんとした形でお母さんと向き合いたいんです」
「貴女の願いはなんだったの?」
「普通の、ごく普通の家に生まれたらよかったのに…でした」
「っ!?」
「ん、どうしたんだ」
「いえ、別に」
一瞬、卯月が目を見開いたようにたじろいだ、そんな気がした。
「私の家は、その、母子家庭でした。その、あまりお金がなくて、お母さんは夜の仕事をしていました。そんな関係もあって、色々と、お母さんとも喧嘩ばっかりで…、もし私が普通の家庭に生まれていたらって、そう思っちゃったんです。そうしたら、もっと自由になれるって…」
「…そう、ごめんなさい。不躾なこと聞いちゃって」
「いえ、いいんです。この世界はすごく優しく出来ています。この世界のお母さんは主婦で、前みたいにいつもピリピリしてなくて、お父さんがいることには戸惑いましたけど、転生の効果っていうんでしょうか、そんなに違和感無く受け入れている自分に驚いたり…」
「………」
「すごく幸せなんです。多分、これが私の欲しかった当たり前の世界なんだって。でも、この世界のお母さんは、まるで別人みたいで、本当に私のお母さんなのかなって…」
「でも、貴女は、元の世界に戻ったら、また同じ境遇になるのよ。それでも戻りたいの?」
「はい。私はもう一度、お母さんに会いたいんです。本物のお母さんに」
「会ってどうするの?」
「謝ります。ちゃんとお話をします」
「そう…、貴女はそうなのね」
卯月は厳しい表情でアトリを見つめる。それはどこか敵意に近い、強い意志のような物を感じさせる表情だった。それに対するアトリの瞳にも確かな真摯さが宿っていた。そして俺は、俺はどうなんだろうか。彼女と同じように家族を捨てた俺は-
「まあ、いい、難しいことは後にしようぜ。ネットとかで、他の転生者たちの状況とかも調べたら、同じように考えて、方法を探っている奴がいるかもしれないしな」
「…え、あの、手伝ってくれるんですか?」
「同じ転生者同士だしな」
「うん、そういうことなら僕も手伝うよ」
「あの、ありがとうございます!」
また、おもいっきり、直角以上の角度でお辞儀をするアトリ。そんな彼女の純朴さが、少しだけ好ましく思えた。しかし、
「ごめんなさい、私は手伝わないわ」
「卯月?」
「私は、この世界を否定しない」
それはアトリの決意表明にも似た強い意志で、俺は一瞬呆けてしまった。
「ごめんなさいね、水原さん」
「いえ、そんなことはありません」
そうして卯月は弁当箱を片づけ、立ち上がり、屋上の扉までまっすぐに歩いて行った。一度も振り返らずに。
◆
「んと、ここだ」
「へぇ、僕は初めて見るや」
「マジか?」
「あの、それで、何か書いてますか?」
放課後、俺と辰巳とアトリは学校近くの繁華街にあるネットカフェに立ち寄ることになった。高度情報化社会に生まれ育った我らゆとり世代は、レポートでもなんでも調べ物があればネットに頼るものなのである。
とりあえず、俺は転生者たちの多くが利用している電子掲示板を開いてみる。
「とりあえずめぼしいのはっと、これは…、この世界についての議論だな」
「この世界について?」
この世界は何なのか。自分たちに何が起こったのか。転生という現象に遭遇した者たちが適当に自論を述べたりしている。そんな暇人たちの集まりだ。
議論は諸説様々百家争鳴の様相で、死後の世界とする者もあれば、異世界であると言う者もいて、あるいは世界そのものが変革したのだと言う者もいる。自分たちは死んだのか、あるいは異世界に弾き飛ばされたのか。
こういった論争は、新しいPCの発生などによりいくつかは答えが得られ、また新しい疑問が発生したりしていた。共通するのは、真っ黒の謎の人物に導かれてというもので、しかし、その人物が何かという答えも又存在せず、神であるとか、天使であるとか、宇宙人であるとか議論は尽きない。
「霊魂の存在が真面目に議論されているってのはどうなんだ?」
「ハルキさんはそういうの信じないヒトなんですか?」
「少なくとも幽霊とかは信じてないな」
霊魂というものがどういう物かという前提から論じなければならない問題なので話は複雑だ。
たとえば事故などで脳の一部が損傷し、その人物の人格が大きく変化するという事象が存在する。例えば脳に外科的な処置を施すことで精神疾患のいくらかを劇的に治療できたという事例が存在する。
それは人間の精神や人格などが脳の機能に深く関係していることを示し、そこに霊的なオカルトが何らかの作用をするという余地はないことを証明する事例だ。
では、よく描写される霊魂というものが、なんらかの精神活動を行っているとして、それが脳の損傷前と後で変化することはあるのだろうか? だとすれば、脳をケーキのように切り分けていけば霊魂はそうなるのだろうか? 興味は尽きない。
「死後説は一応否定されてるみたいだな」
新規の転生者がもたらした情報によると、元の世界は今、ロボット症候群なる奇病が蔓延しているらしい。この奇病はある日突然その人物の自我が消失し、ロボットのように命令だけを聞く存在になるという恐ろしい病気だ。
「主流なのが『夢落ち論』と『精神だけが異世界に飛ばされた論』みたいだな」
「夢落ちっていうことは、今僕らは夢を見ているってことだよね。だとすれば、僕たちは誰かの夢が生み出した存在ってことになるの?」
「それが『夢落ち論』の弱点だな。全員が共有する夢を見ていることの根拠がユングとか間違ってるだろう。テレパシーも論外だな。それにそれじゃあ『ロボット症候群』の説明がつかない。感染性のある夢落ちってなんだ」
「もうひとつの方はどうでしょう?」
「その場合も『ロボット症候群』の説明がつかない。精神が飛ばされたなら、当然そいつは昏睡状態になるはずだ。自律的に動くわけがない」
「はぁ」
「ここにも書いてあるが、どうも作為的なものを感じるな」
「それで、神様とか宇宙人がでてくるわけだね」
「すべての人間がロボット症候群になれば、すべての人間が救われ、地球環境の問題も解決する…ね」
現在、畜産に消費されている穀物が人間の食料に用いられれば、世界の飢餓の問題はおおかた解決する。全員がロボットみたいに自我を失うなら戦争も紛争も犯罪もなくなるだろう。政治だって不正もなくなるし、いいことだらけじゃないか。
そうして神による救済だとか、宇宙人による家畜化、あるいは300人委員会の陰謀だとか、現実味のない仮説が打ち立てられている。
「ロボット症候群になったヒトが転生してるっていうのは完全に正しいのかな?」
「元の世界での患者は二億人か。ネットで確認されてるのは100万人だったか?」
「あくまでもインターネット上での統計だから信頼できないね」
「私たちもロボット症候群になってるんでしょうか?」
「さあな。だが、そうだとしても、原因が何か分かったとして俺らに出来ることなんてあるのか? 流行型自律性自我喪失症候群だったか」
治療は発症していない人間が行うことで、俺たちが出来ることは皆無だ。それとも悟りでも開いたら目が覚めるのだろうか? 仏陀的な意味で。
「あのっ、『アリス』のこと、昨日ハルキさんが言ってましたよねっ」
「ああ、あれか…」
アリス。一度だけネットを騒がせた奇論。中心となったのは教授という一人の人物だ。曰く、『アリス』こそが世界の鍵なのだと。手に入れたものは世界を我が物に出来るのだと、そんな話だったと思う。
「眉唾なんだけどな」
俺はそう言いつつ、当時のスレッドを掘り下げる。そうして件の怪文書にたどり着いたころ、ポケットの中の携帯が震えるとともに着信音を響かせた。
「もしもし、卯月か?」
『ハルキ君っ、助けて!』
◆
「クッ、厄いわね」
「ねぇどうしよう卯月」
「とにかく走るわよ」
岩崎卯月は追われていた。理由はわからない。転生者ではない仲の良いクラスの友人、藤井真弓と帰宅途中に寄り道をしていた時だった。突然男たちに囲まれた。下卑た目で私の身体を舐めまわすように見て、ナンパなんてそんな軽いものじゃなくて、害意が初めから漂っていた。
使い古されたナンパの台詞とは裏腹に突然腕を掴んできて、有無を言わさない態度。ハイキックを喰らわせて、友人の腕を掴んで包囲を突破した。しかし彼らは追ってきた。この世界に犯罪は無いのではなかったのか。朝の会話が思い浮かぶ。
ビルの隙間、小路を縫うように逃げ回る。隠れる場所があれば最適だ。体力はこちらが不利で、地の利も無いに等しく、兎狩りにでも遭っているような気分。エアコンの室外機とポリバケツの後ろに隠れ、一時しのぎをする。
「とにかく助けを呼ばないと」
私は携帯電話をとり、電話をかける。出たのは東ハルキ。どうして彼に電話したのか分からない。どうして警察に電話をしなかったのか分からない。ただその時は気が動転していて、無意識にアイツの携帯に電話をかけていた。
『もしもし、卯月か?』
「ハルキ君っ、助けて!」
◆
「どこにいる!?」
『駅の向こうの、繁華街の、ビルとビルの間。正確な場所は分からない』
「分かった。携帯はそのまま電源いれとけ。警察呼んだか?」
『ううん、まだ』
「俺から連絡しておく。今から行くから!」
俺は電話を切ると、次は自宅に連絡する。ヨミにだ。
「ど、どうしたのハルキ君?」
「卯月が物騒なのに追いかけられてるらしい」
「えっ、岩崎さんが?」
電話がヨミに繋がる。
「ヨミ、頼みたいことがある」
「はい、ハルキさん何ですか?」
「卯月の携帯の位置を特定してほしい。緊急事態だ」
「…わかりました」
そうして、その後、警察に電話する。事情を説明するが、場所が分からないとどうにもならないらしい。俺はネットカフェから飛び出て、駅向こうの繁華街に走る。通行人が邪魔でなんどもぶつかりかけるが、今は緊急時だ。
と、繁華街にたどり着いた時、ヨミからの返信があった。
「卯月さんの携帯電話の位置特定できました」
「流石」
「今から場所を送ります」
繁華街は一歩裏に入ると胡乱で怪しげな場所に早変わりする。性質の悪い人間が集まるといって、学校でも注意されている場所だ。俺は携帯電話に表示されるマーカーを目指して走り出した。
◆
「見つかった!?」
「卯月、後ろからも…」
ビルの合間の暗い一本道。私たちは追ってきた男たちに挟み撃ちされる形で追いつめられていた。片側は一人、もう一方は二人。なら、賭けるなら一人の方!
「真弓っ、走って!」
「あっ、待ってっ!」
友人の腕を掴んで一気に走り出す。この際、鞄はどうでもいい。一気に鞄を投げつける。鞄を投げつけられた男は両手を交差してそれを防ぐ。私たちはその隙に男の横を駆け抜ける。
「痛って、ちょっと待てやこらっ!」
男の怒声は知らんぷり。その時、
「あっ」
真弓がつまづいて転倒してしまう。このまま見捨てれば私だけは助かる。だけどもそんなことは出来なくて、
「よくもやりやがったな、このアマ!」
「くっ、離しなさい…よ!」
「ガハッ!?」
合気の要領で腕を掴んできた男を投げる。その男はアスファルトの地面に落ちる。
「真弓、立って」
「ごめん卯月」
「いいからっ…、ちっ」
「美人の癖に気が強ぇえなあ」
「いいじゃん、そういうのの方が燃えるっしょ」
後ろの二人も追い付いてきた。そして前からもう一人。真弓の足じゃ逃げきれない。真弓を後ろに下げ、庇うように前に出る。三人同時。処理能力を上回る。
「ハイッ!」
「グオッ!?」
一人にミドルキックを叩き込むが、その隙に後ろの真弓が捉えられる。すぐさま奪還に動くが、もう一人に腕を掴まれてしまう。
「クソ、このアマ、好き勝手暴れやがって。友達がどうなってもしりませんよぉ?」
「んで、マジなんだろうな」
「ああ、間違いない。この女、転生者だぜ」
「なんでっ!?」
「さあ、行こうか。大丈夫だって、これから気持ちいいことするんだからよ」
両腕をとられ、手錠をかけられる。
「こっちの女はどうする?」
「顔はそこそこだな。一緒に連れてくぞ」
「あ、聞こえてる? うん、じゃあ、またあの廃工場に集合」
男の一人が携帯電話で誰かに連絡をとっている。私は最後の手段にと大声を上げて助けを求める。だけど、
「ごふっ!?」
「喚くなや。こっちの嬢ちゃんがどうなっても知らないぜ」
腹にパンチを入れられ、私はくの字に身体を曲げる。男たちはナイフをちらつかせて、友人ののど元にそれを突き付けた。
「じゃあ、一緒に来てもらおうか」
しばらく歩かされると、人気のない場所へと連れてこられる。私たちはそのまま人気のない工場の敷地へと入っていく。
工場のそれぞれの棟は遠目からみても薄汚く、プラスチックや紙などが散乱している。不潔な場所というのが第一印象。その中の一つに私たちは連れてこられた。
トタンの屋根に穴があいてそこから差し込む陽光に埃が漂い反射するのが見える。錆びたにおいのする廃工場の一角に、灰色に変色したマットレスが敷いてあるのが見えた。
「えらく準備がいいのね」
「俺たちは紳士的だからなぁ」
「こんなこと何度も繰り返してるの?」
「そうだな、前はNPCを狙ったんだがチョロくていけねぇ」
男たちは私たちをマットレスの上へと転がす。下卑た笑みを浮かべ、まずは私の腕、手錠のされた両腕を右手で押さえ、私は両手を上げるような形にされる。そして男は私の太もももを舐めまわすように撫ではじめる。
「ちょっ、触んないでよっ!」
「へっ、いいじゃねぇか、前座だよ。それともいきなりぶち込まれたいのか?」
「何が目的なのよっ、性欲が有り余ってるなら人形でも抱いてればいいでしょっ」
「ああ、メイドロボか。あれも悪くないんだが、いまいち燃えねぇのな。俺たち悪い子だから無理やりってのに憧れるわけよ」
「この変態!」
「見た目はいいが、口が悪いな。お仕置きしないとな」
そういって、男は別の男に目配せをする。そして別の男は鞄から注射器をとりだした。
「な、なんなのよソレ」
「気持ち良くなる薬だよ。さて、お楽しみの時間-」
その時、カツンと、第三者の足音が、
「誰だ?」
男が振り返る。私も男の腕の間からそれを見てとろうとした。見えるのは皮のブーツと黒のストッキング、青色のスカートまでが見て取れる。その様相からして私たちよりも年下の少女。にもかかわらず、
男たちの視線は現れた少女に釘付けになり、微動だにせずそれを見て固まっていた。それは少しだけ非現実的で、そして、
- タァン!-
という工場にこだまする大きな、大気を引き裂くような、端的にいえばアクション映画などでよく耳にする銃声が鳴り響いた。