CategoryⅡ『妄想系Heavens Miniature Garden』02
「お前さ、なんでいつも俺ん家でメシ作ってるわけ?」
「さあ、何でだろうね? 同胞のヨシミってやつじゃないかな?」
「転生者なんて他にいくらでも居るだろう? たとえばルークとか」
「あそこは騒がしいからね。ちょとあのノリにはついていけないんだ」
マンションの一室。それは間違いなく俺の部屋で、断じて目の前の優男、辰巳のものではない。
フローリングに敷いたカーペットの上に、ガラス製のテーブル。その上に並べられているのは昼食の餡かけチャーハン。目の前の柔らかい雰囲気を持つ青年が作ったものだ。
俺の部屋で、俺のマンションのキッチンで。
「まあ、お前の造るメシ、スゲェ美味いし文句は無いんだけどさ。ヨミっ、お茶!」
「はい、ハルキさん」
突き出したコップを、メイド服を着た美人さんが受け取り、冷えた麦茶を注いでくれる。メイドさん。甘美な響きのワードであり、その女性は間違いなく俺のメイドである。ロボだが。
そんなメイドロボであるところのヨミは俺がこの世界に転生したその時からの付き合いだ。
時々、彼女が本当にロボットなのかと疑わずにはいられないほど精巧に作られた人型のロボットで、人間と違うところがあるとするなら、筐体を内部に使用されている大量の金属に由来する体重と、耳のあたりについている流線型のコネクタぐらいだ。
ちなみに体重のことを言及すると夕食が少しグレードダウンしたり一品減ったりしてしまうので、気をつけなければならない。彼女は1体のロボットである前に1人の乙女なのだから。
「どうぞ」
「ありがと」
「ヨミさん、僕も」
「はい、辰巳さん」
ヨミが目の前の客人であるところの辰巳、好き勝手に俺の部屋で料理をするような客だが、のグラスを受け取り、同じように麦茶を注ぐ。よく冷えた茶を喉に流し込み、一息をついた。
「僕さ、他のヒトたちのいまいち話が合わなくて」
苦笑しながら辰巳が愚痴をこぼす。
「ん……、別にそこまで変な奴いないだろ?」
「NPCの人たちはね」
いつの頃からかそう呼ばれだした呼称。転生者以外のヒト達をNPCと呼ぶ慣習。見えない、しかし確実に存在する境界線。
「前の世界のコトとか話せるの、ハルキ君とルーク君以外にいないし」
「卯月はどうだ?」
「うーん、やっぱり女の子に相談するのはね…。それにハルキ君ほど彼女と親しいわけじゃないから」
「いや、俺もアイツとはそんなに仲いいわけじゃねぇし」
「そうなの? それにしてはよく一緒にいるよね」
「アイツの方から絡んでくるんだよ」
「ふうん、そうか。そういうことか」
「ん、何か言ったか?」
「ううん、別に何も」
そんな話をしていると―
「ん?」
振動音。携帯電話の呼び出し音。机の上に置いてあった俺の携帯電話が震えだし、ガタガタと騒音をあげる。俺は携帯を手に取り、誰からの電話かを確認する。
「なんだ、ルークか」
発信者の名前が表示される。ルーク・ライト。ギャルゲ主人公系転生者である。電話をとると開幕第一声が、
『た…助けてくれっ!!』
俺はポチっと電話を切った。何故ならどう考えても厄介事で、その厄介事の内容もおおかたの予想がついたからだ。どうせいつもの女絡みだろうし、巻き込まれたくないのだ。
しかし再び電話が鳴る。お約束なので出てやると、
『なんで電話切るんだよっ!』
「いや、流れ的になんとなく」
『鬼かっ! じゃなくてっ、ハルキっ、助けてくれ!』
「はぁ…、今日は何があったんだ?」
『それが、何故か僕の家で料理対決が始まって-』
「ああ、なるほど。良く分かった。じゃあな」
『切らないでっ! 頼むから!』
「いや、どう考えてもそれろくな結果にならねぇだろ。お前がそんなに焦ってるってことは、妹さんが参加するってことだろ?」
ルークにはギャルゲ主人公らしく義理の妹がいる。なかなか可愛い気立てのよい少女だ。少々嫉妬深いが。そんな彼女が以前、ルークのために手製の弁当を作ってきた。なかなか見栄えもよく、とても美味しそうな弁当だった。見た目だけは。
だから俺たちクラスメイトは、何も知らない無垢な子羊たちであった俺たちは、可愛い妹の手製弁当を貰ったルークに軽い嫉妬を覚え、こいつの弁当を一口喰わせろとたかったわけだ。ああ、あの頃の俺たちは何も知らなかった。無知は罪だったのだ。
そうして俺たちはルークの弁当を奪った。あの時ルークがなんの抵抗もせずに弁当を明け渡していたことの異常に気づいていればその後に待ち受けていたおぞましい惨劇も少しはマシなものとなっていただろうに。そうして惨劇は幕を開けた。
クラスメイトの一人が弁当の中から卵焼きとしか言いようのないものに箸を突き刺して一口食べた。彼は一口食べた後、稼働を停止した。俺たちはそれが何を意味しているのか理解できなかった。いや、理解しようとしていなかったのだろう。俺もまたミニハンバーグの形状をしたものを少しだけ口に入れた。
そして俺はどう言葉で表せばよいのか分からない、形容しがたい経験をしたのだ。まるで時空を超越した底知れぬ宇宙の深淵をのぞき見たような、あるいは不定形の名状しがたい菌類とも昆虫類とも知れない粘液質の狂気に満ちた何かを垣間見たような、そんな幻覚を体験したのだ。
次に気がついた時には俺は病院のベッドの上にいた。他のクラスメイトたちも同様で、しかし病院関係者が彼らに事情を聴取しても、彼らは一様にして自分たちが体験した恐ろしい事実について口を閉ざしていた。当然俺も同様に口を閉ざした。
何故ならば、宇宙の暗澹とした死の領域や計り知れない深淵については、かまわずにしておくことが人類の平和と安全にとってぜひとも必要なのだと無意識的に理解していたからだ。
そうして俺たちは病院で三日ほど入院した後、示し合わせたように何も語らず退院した。そして一つの逸話が残った。『必殺料理人』という言葉にすることもはばかられる一つの逸話が。
俺はあの時のことを、あの惨劇を再び思い出し、絶叫しそうになる自分の心をなんとか抑えながら、身体をガタガタと震わせ、ガチガチと歯を鳴らす。
『そうなんだ。僕はまだ死にたくないよっ! どうすればいいか教えてよ!』
「ハルキさん、お茶のお代わりいかがですか?」
「あ、ああ、頼む」「僕も」
ノドが渇ききったところに、ベストなタイミングでお茶を用意してくれるヨミ。彼女と一緒に居るとダメ人間になってしまう気がする。麦茶を飲み干し、ようやく一息をつく。
「だいたいだ、お前がさっさと一人に絞らないから、こんなことになるんだろうが」
『そ、それは分かってるよ。でも皆すごくいい娘たちで…、俺、決められないよ!』
「リア充爆発しろ。っていうか一回死ね」
『死にたくないから電話してるんだよぅ』
泣き言を言ってすがりついてくるルーク。あまり関わりたくないが、埒が明かないので助言をすることにする。
「で、妹さんと同レベルの怪物は他にいるのか?」
『あ、ありがとうハルキっ!』
「質問に答えろ」
『あ、うん、いないと思うよ。ただイヴの料理はまだ食べたことがないから…』
イヴというのは、この前転校してきたルークの許嫁とかいう女だ。見た目華麗ではあるがプライドが高そうなお嬢様という奴で、どう見てもツンデレです本当にありがとうございました。
「まあ、いい。攻略Wikiによるなら壊滅的に料理下手なのはヒロインの中でも一人ぐらいだそうだから、そこは無視しよう。5人がお前のために昼飯を作ってくれるわけだが、おそらく量的に言って全てを喰うことは不可能だ。そのあたりを利用して全員で食べ比べをすることにしろ。これで量的問題はクリアできる」
『そ、そうだね。でもそれだけじゃ……』
「妹の料理からは逃げられないだろ。分かってる。だからこそのアドバイスだ。言うぞ…、知らなかったのか? 大魔王からは逃げられない」
『それ助言じゃねぇ!』
「もう全員巻き込んじまえよ。お前の妹も自分の料理が必殺だって理解した方が今後のためじゃねぇか」
『たのむよハルキぃ』
「しょうがねぇな。まず味見をしたのか聞け。自分が納得できない料理を他人に喰わせるなとか理由をつけてゴネろ。妹の料理はまず妹に喰わせろ。先手を打て、後手に回るな」
『そ、そうか。わ、わかったよ。うん、やってみる』
「じゃあな、逝ってこい」
そうして俺はため息をついて電話を切った。どうして俺が奴のハーレムの安定のために手を貸さなければならないのかという不満でいっぱいだ。
「ルーク君なんだって?」
「ああ、妹の料理を食べることになったらしい。耐性はついてるだろうから死にはしないだろ」
「へ、へぇ。妹さんの料理かぁ」
辰巳はあははと顔を引きつらせて苦笑する。とはいえ、こいつはあの惨劇の目撃者ではあるが、被害者ではない。口から泡を吐いて昏倒した俺たちの姿しか見ていないので、アレの本当の恐ろしさなどしらないのだ。
「だいたい、アイツが優柔不断なのが元凶なんだ。いつか包丁とかで刺されるぞアイツ」
「笑えないところがすごいよね」
などといいつつも、辰巳は笑みを浮かべており、俺も辰巳に合わせて馬鹿な友人のことを思い浮かべて笑う。ルークはそんな感じで俺たちに笑いを提供してくれる気のおけない友人だった。
そんな感じで、今日はルークがいないが、俺たちはいつもの休日を過ごす。俺たちの休日は大抵が俺の家に集まるか、ゲームセンターやボーリング場などに繰り出したりして過ごす。
ルークの家に集まらないのは奴の取り巻きである女性陣を避けるためであり、辰巳の家に集まらないのは辰巳が辰巳の家族と距離を起きたがっているからで、自然に一人暮らし、とはいってもヨミがいるが、の俺の家が使い勝手が良く、たまり場になるのだ。
というわけで、最近買ったゲーム、夏と言うことでホラーFPSなどをやって休日を浪費する。ちなみに辰巳は意外とグロ画像に耐性が高い。
◆
「じゃあハルキ君、また明日」
「おう。夕飯まで作らせて悪かったな」
「いいよ、好きでやってることだし」
「お前は俺の通い妻か」
「あははは、じゃあね」
あの後、辰巳は結局夕食まで作り、結局その相伴に預かる形で夕食をすませた。そうして夜9時までゲームやらで遊び、ようやく辰巳は帰途につく。暇な奴である。
そうして俺は風呂に入り、といってもほとんど軽めのシャワーで済ましてしまうのだが。出てきたところで急にヨミから声をかけられる。
「ハルキさん」
「ん?」
「タツミさん、忘れ物です」
その手には携帯電話。白色のスマートフォン。
「はぁ、あの馬鹿」
「私がお届けに参りましょうか?」
「いや、俺が行く。自転車で飛ばせばすぐだからな」
「はい。お気をつけて」
俺はヨミから辰巳の携帯電話を受け取ると、マンションから駆け出て自転車に飛び乗り、LEDランプが前方を照らす夜道を一気に走る。
「えーと、桜公園をショートカットすれば…」
もしかしたら先回りできるかもしれない。出来なくても近道になるし、この時間、桜公園の人通りは皆無なので自転車を飛ばしても事故る心配はない。
夜の桜公園をつっきる。
もちろん夏だから桜は咲いていない。怪しげな情報によると一年中桜が咲いている島があるとのことだが、別にこれはこれで十分に綺麗な公園だ。
ライトアップされる木々。噴水。街灯はお洒落でノスタルジックなガス灯風。幾何学模様のタイルの合間に、夜道を案内する光るタイル。幻想的な。星は少なく、しかし、青白い月の輝きは闇を払い、タイルで舗装された小道に歩く少女を浮かび上がらせた。
「っ!」
「っ!?」
突然、木々の影から現れた少女に驚き急ブレーキをかける。ブレーキはなんとか間に合い、紙一重、あと数センチというところで自転車は止まってくれた。
「えと、驚かしてすまん」
「あ、はい…」
改めて少女を見る。月の光が照らし出してくれているので、夜のこの時間でも少女のそのかんばせがくっきりと見える。
幾分体格は小柄なので中学生ぐらい、自分より2、3歳年下だろうか。大粒の瞳と、少し丸っこい顔だからか童顔にも見える印象。肩にかからない程度のセミショートの髪は、少し染めているのか、あるいは地の色なのか僅かに茶色がかったようにも見える。
薄手のワンピースは清楚な風で、小動物的な彼女に良く似合っている。卯月のようなとびきりの美人というわけではないが、どちらかといえば可愛らしいという感じの少女。
だからか、大粒の瞳から一筋、月の光を反射する涙の流れた跡が、どこか無性に庇護欲をかきたてる。
「泣いてるのか?」
「あ、いえっ」
少女は急いで、おそらくはハンカチを取り出そうとしているのだろうが、焦っているせいで肩から下げたポーチを開けることに戸惑っていて、なかなか取り出すことができない。
「ほら、使え」
焦る彼女が微笑ましいものだったので、俺はついお節介を焼いてハンカチを差し出す。少し気恥ずかしかったので少々つっけんどんな対応になってしまったが。
「あ…、あの、すみません」
少女は少し戸惑いながらも俺のハンカチを受け取り涙を拭きとる。そして俺はハンカチをいつも用意してくれるヨミに内心感謝する。
「んで、何でこんな時間にこんな場所で一人でいるんだよ? しかも泣いて」
「それ…は……」
すると少女は急にポタポタと、電光で光るタイルの上に涙を落とす。ハルキは異性の涙に戸惑い、どうしていいか判らずにただ立ちすくむ。もしかしたら地雷を踏んだのかもしれない。例えば今さっき恋人に振られたとかそういうの。
「いや、あの、すまん。不躾な質問だったな」
「いえ、私も、こんな、すみません…」
少女の涙は止まらない。いやむしろ、涙が次から次へと瞳から湧き出し流れ落ちる。
「なんで、ごめんなさい、いきなりこんな。うっ、うっく」
少女は声を押し殺すように泣き出す。俺はどうしたものかと月を見上げ、携帯電話を忘れていった辰巳に心の中で恨み言をつぶやいていた。
◆
「おちついたか?」
「あ、はい」
少女が俯きながら、曖昧な笑みを浮かべて言葉を返す。
桜公園のベンチ。街頭の明かりの下。スポットライト。友人の忘れ物を届けに行くだけの簡単なお仕事だったのが、どういう訳か偶然出会った少女を世話するハメになっていた。
「温かい紅茶と冷たい紅茶、どっちがいい?」
ハルキは両の手で一つづつ、近くの自販機で購入した紅茶をぶら下げるように持って、少女の目の前に持ってくる。
「そんな、悪いです」
「遠慮するな。つーか、もう二つも買っちまったからな。アンタが飲まなかったら、俺の胃の中がタプタプになる」
「何で二つ一緒に飲む必要が?」
「家に帰ったら、こんな量産品より美味い茶にありつけるんだよ。どうすんだ? 答えなかったら自動的に温かい方に決定だぞ。つーか、投げつける」
ちょっとおどける様に言い、軽く投球フォーム。しかし少女は本気で投げるとでも思ったのか、焦った様子で、
「あああ、あの、温かい方で」
「ん」
「はわっ!?」
ハルキは頷き、軽く下手投げで温かい紅茶の入った缶を少女に向かって放る。少女は慌てた様子で缶をお手玉しながらも、なんとかそれを両手に納めた。
「ナイスキャッチ。なかなかの手さばきだったぞ」
「…フフ、変なヒトですね」
口元に手を当てて少女が儚げに笑う。よく見れば可愛らしい少女。
「隣いいか?」
「どうぞ。このベンチ、別に私専用じゃないので」
「そうなのか? 知らなかったな。じゃあ、失礼」
「クスっ。はい、どうぞ」
俺は鷹揚に礼をしてからベンチに座る。そんな様子がおかしかったのか、少女はクスクスと笑いっぱなし。俺は冷えた缶のプルタブを空け、紅茶を口に含む。甘くて苦い。茶葉の香りが鼻を抜ける。
目の前で泣く少女を独りで相手にするという困難なミッションのせいでノドがカラカラだったせいか、普段は飲まない缶の紅茶がいやに美味しく感じられた。
横では少女が、温かい紅茶を両手で持って、ゆっくりと口に含んでいる。俺は缶を片手にそんな彼女横目でマジマジと見つめる。
「あの…、何か?」
少女の怪訝な瞳。どうやらじっと彼女を凝視していたらしい。
「いや、何でもない。で、どうする? 家まで送って行こうか? まあ、嫌ならやめとくけど」
「…聞かないんですか?」
「何を?」
「私が泣いていた理由です」
「いや、まあ、気にはなるが、初対面で無神経にズカズカとヒトの事情に突っ込めねぇだろ」
なんだか和やかに話しているが、実のところこの少女とは初対面なわけで、俺は彼女にとっては通りすがりの村人Aなわけで、他人のプライベートに関わる事情に立ち入るのは気が引ける。
「私は…鳥になりたかったんです」
「は?」
思わず気の抜けた声を返してしまう。意味がわからなかったから。というか、鳥になりたいとか、この娘は電波さんとか、そういうのだろうか?
「あっ、いえ、すみません。ただの比喩というか、私は自由になりたかった。家から、母から、ううん違う。土地そのものから」
「ああ、なるほど」
今ある土地から自由になりたい。だから『鳥』。
きっと彼女の机の引き出しの中には、可愛らしいノートに素敵なポエムがしたためられていることだろう。覗いたら死亡フラグ。素敵な地雷。要注意。
「今、ものすごく失礼なこと考えませんでした?」
「いやいや、滅相もない。それに…理解できないわけじゃねぇ」
そうだ。自由になりたかったのは自分もじゃないか。多くのことに煩わされたくなかった。邪魔されたくなかった。だから俺は、あんな酷く自分本位で、醜い願いを-
と、ふと気がつく。似たような話。似たような願い。だとすれば、
「なあ、アンタ『帽子屋』って知ってるか?」
「はい? 帽子屋さんですか?」
「いや、違う。通称でそう呼ばれてんだ。自分と同じシルエットで、同じ声で、シルクハットを被った奴」
「……知ってます。でも、あれ? どうして貴方が?」
どうやら当たりらしい。
「なるほど。同じ穴のむじなか」
「え?」
「アンタもあの帽子屋に願いを叶えてもらってこの世界に来たんだろう。違うか?」
「あ、はい。っていうことは貴方も?」
「ああ、そうだ」
「え、じゃあ、同じヒトって何人もいるんですか!?」
「いるぞ。ダチ二人がそうだし、学校にそれなりの数がいる。んで、転生者とかPCとか呼ばれてる。それにネットでも転生者同士のコミュニティがある」
少女は唖然とした表情で固まって、そして突然、鬼気迫る表情で身を乗り出し俺の腕を掴んできた。
「あのっ、じゃあ、知ってますか!?」
「あ、え、何を?」
「元の世界への戻り方です!」
「は? 元の世界への戻り方?」
俺の間の抜けたオウム返しに少女は頷く。少女の目線がまっすぐ俺の瞳を射抜く。というか顔が近い。少女と俺の顔の距離は鼻同士がぶつかりそうなほど近くて、
「私、どうしても戻らなきゃいけないんです。ちゃんと謝らなきゃいけないヒトがいるんです!」
「待て待て、ちょっと落ち着け」
「あ、す、すみません。私ったら…」
俺の制止に自分の状態に気付いたのか、顔を赤くしてベンチに座りなおす少女。しかしと俺は考える。彼女の望み、それは帽子屋に願った祈りの否定だ。だとすれば、彼女は願いを間違えてしまったのだろうか?
「元の世界への戻り方か…。すまない、聞いたことねぇ」
「そうですか…」
少女は失望したような、そんな表情をして俯いてしまう。その時俺は、何か彼女にとんでもなく悪い事をしてしまったかのような気になってしまい、必死に、何でもいいから、気休めでもいいから、何かヒントになるような事を言わなければならないという焦燥感に襲われる。
「あ、ああでも、ネットで聞きかじっただけだから何とも言えねぇんだが、『アリス』っていう少女がこの世界の秘密を暴く鍵だとかなんとかって話は聞いたことがある」
「アリス…ですか?」
「ああ、まあ英語圏じゃありふれた名前だし、眉唾だけどな」
一時期ネットで話題になったことがある話だ。特に興味もなかったので詳しくは覚えておらず、情報の出どころも分からない話なのだけれども。
「ネットで一時期、転生者の間で話題になったから、詳しい奴が他にいるかもしれない」
「そうですか…」
「すまねぇな、あんま力になれなくて」
「いえっ、私と同じようなヒトが他にもたくさんいるって話だけでも聞けて良かったので。後は私一人で調べてみます」
「そうか。で、話は変わるが、どうする? もうだいぶん遅いし、家まで送ろうか?」
「いえ、大丈夫です」
「ん、遠慮すんな」
「いえ、家はこの近くなので…」
「そうか、じゃあ気をつけて帰れよ」
俺は紅茶を飲み干し立ち上がる。すると突然、少女が思い出したように声をあげる。
「あのっ、ハンカチ」
「ああ」
「洗って返しますので…」
「返すも何も、初対面だし、互いの連絡先も分からんだろ」
「あのっ、じゃあ、携帯電話の…」
「阿呆、そういう無防備なのは悪い狼に喰われるから止めておけ」
「貴方は狼さんなんですか?」
「そうだよ、赤頭巾ちゃん。ハンカチはやる、持っていけ。気に入らないなら捨ててもいい」
「あのっ」
「なんだ?」
「自己紹介、忘れてました」
「あ」
そういえばと、俺も声を上げる。
あまりにも気安く、まるで十年来の知り合いのように話していたので、彼女の名前すら知らないことに今はじめて気付く。
彼女は少し、楽しそうなステップでベンチから立ち上がり、クルリとスカートを円錐に広げ、一礼。スポットライトを浴び、愛くるしい笑顔の彼女。さながら月夜に舞う妖精の如く。
「初めまして私、水原アトリっていいます」
「ああ、初めまして。俺はハルキ。アズマハルキだ。また何か縁があったらよろしくな」
そうして俺たちは、いやに月が明るい夜にこうして出会った。