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Re-start『Tea Party』02




「やあ、僕。また会ったね」



そいつの声と同時に意識が浮上する。真っ白な空間に浮かぶテーブルと椅子。気がついた時にはいつの間にか、そいつと僕はテーブルを挟んで相対していた。


先ほどまで自分が何をしていたのかはっきりしない。別に記憶喪失というわけではなく、僕が何者であるかとか、そういうことは見失っていない。


それはまるで、職場でパソコンに向かい合っていたとか、食事をしていたとか、家路についていたとか、そういう日常の何気ない場面から、突然、なんの前触れもなく弾き出されてこの場所に『いた』かのような、説明しようのない感覚。



「大変だったね。さあ、紅茶を淹れよう。まずは一杯飲んで落ち着いたらどうだい?」



そいつはまるで旧知の仲であるかのような気安さで僕に声をかけてくる。表情は見えない。なんというか、そいつは影か何かのように真っ黒で、シルクハットを被っていて、そのシルエットは人型、それも僕自身の姿に良く似通ったシルエットをしていて、その声は自分のものによく似ている。


それは確かどこかで見たことがあるような気がするが上手く思い出すことが出来ない。おそらくは意識が覚醒したばかりで、脳が上手く働いていないからだろう。


僕はぼんやりする頭で周囲を良く観察する。感想といえば白だ。真っ白な、どこまでも真っ白な空間が上下左右に広がっている。そして僕と言えば相対する帽子を被った誰かと共に、どこまでも無限に広がる白のただ中、空中にて、宙に浮かぶ椅子に座っている状態だ。


しかし、無限の高度に浮いている状態にもかかわらず、僕は高所にいることに由来する恐怖を覚えていなかった。それは、足から伝わる視覚とは全く別の解答のためであった。視覚の上では宙に浮いているように見えるが、足はしっかりと地についている感覚を伝え、どうにも言いようのない不思議な感覚と安心感を僕は覚えていた。


僕は目の前の人物を訝しみながらも、彼に不思議と恐れやそれに類する感情を覚えておらず、差し出された紅茶の入ったカップを何の疑いもなく手にし、口を付ける。芳醇な茶葉の良い香りが口いっぱいに広がり、苦味と渋味の中に絶妙な甘さを感じ、そして僕はこのすばらしい紅茶を以前、どこかで飲んだような気がするという一種のデジャブに襲われる。


いや、きっとそれはデジャブではなく、本当に飲んだことがあるのだろう。目の前の人物が言っていたではないか。『また会ったね』と。その言葉から察するに、上手く思い出せないが、僕は確かに以前にこの人物と会い、そして同じ紅茶を振る舞われたのだろう。


茶器は金や青色で見事に装飾された磁器製のもので、とても高価に見える色ガラスの花瓶には不思議な七色の花弁を持つ花が生けられている。


だからふと思う。



「これは夢なのか?」


「また同じ質問だね」


「僕は前にも君に同じ問いかけをしたのか?」


「そうだよ僕。だから同じ解答をしよう。その認識は違うとも言えるし正解だともいえる」


「どっちなんだ…」


「どちらでもあるんだ。ここは境界線の上だからね」



意味の分からない、何かかみ合わない問答。一瞬目の前の人物は僕のことをからかっているのではないかと訝しむ。



「僕は前にもここに来たことがあるのか?」


「答えはYESだよ。ただ、本来なら二度と来るはずはなかったんだけれどね」



表情の見えない帽子を被った人物が含み笑いをした、ように見える。そういえば、初対面ではないらしいが、僕は目の前の人物の名前を知らない。



「君は誰だ?」


「僕は僕だよ」


「馬鹿にしているのか?」


「いいや、そんなことはないさ。そうだね、僕が納得できるような答えを用意するとしたら、僕はこの場所における案内人だと答えよう」


「案内人…?」


「この場所、夢と現実、意識と無意識、真実と虚構、生と死、希望と絶望、他者と自分、それらの間にある境界における案内人。最近では『帽子屋』なんて呼ばれているけどね」


「よく分からない」


「別に無理に分からなくて構わないよ僕。僕は案内人であり、ウェイターでもある。僕は願望を聞き届けることが仕事なのだから」


「願望を?」


「そう。さあ、何を望んでいるんだい? 自分の中にある願望を言葉にするんだ。ここは万象の境界線。その願望は須らく実現される。僕は何を望んでいる? 力? 名誉? 金? 女? 自由? 才能?」


「待て、待ってくれ」


「うん、もちろん、答えを急いているわけじゃない。ゆっくりと考えて欲しい。これは強要なんかじゃないんだから」



突然の話に僕は戸惑い混乱する。望みを言えと? それを叶えるとこの目の前の人物は言っているのだろうか。のどがカラカラに渇き、僕はカップの紅茶を一気に飲み干した。そしてその香りが、再びデジャブを呼び起こす。


いや、馬鹿な。既視感などでは説明できない記憶の奔流が脳の中で走馬燈じみた速度で再生される。ひどい頭痛が僕を襲う。ああ、そんな、僕は、確かにかつて僕は、この場所で、目の前の人物の前で望みを口にした。僕はあの時、力を求めて、それを得た。そして、そして-










「落ち着くんだ僕」


「!?」



再生される記憶の奔流が、唐突にかけられた声によって中断する。だけれども頭痛は治まらない。頭が割れるようだ。そうだ、僕は殺されたのだ。詳しい部分ははっきりしないけれども、僕は望みを叶えたその先にある世界で、僕よりも貪欲に力を求めた誰かに殺されたのだ。ああ、頭痛が、痛い、痛い、頭が割れそうだ。



「さあお茶を飲んで。特製のハーブティーだよ。気分を落ち着かせる効果がある」



いつの間にか手元に新しい磁器のカップが置かれていた。不思議な薄紅色の液体が淹れられたティーカップ。僕は何の疑いも持たずにそれを飲み干す。きっとそれが、このドクドクと脈打つような強烈な頭痛を抑える唯一の方法だと思いこんで。


するとどうだろう。何とも表現できない、熟したリンゴか何かに似た芳しい香りが鼻を抜けて、あれほど酷かった頭痛がゆっくりと治まっていく。そして同時に、先程まで自分が思い出していたこと、もう霞がかって判らないが、それら全てが思い出せなくなっていた。



「無理に思い出さなくて言いんだよ僕。それは失敗した記憶だ。何の意味もなく、これからの君にはなんら益をなさない。思い出さなくて良いものは、そのままそっとしておくのが一番さ」


「そう……なのか?」


「そうとも。僕は僕の幸せを望んでいる。この世界は境界線。辛いだけの現実と甘い夢の、閉ざされた不幸と満ち足りた幸福の、底なしの絶望と明るい未来の境界線。だから、僕に任せてくれれば、きっと幸せにしてあげよう」



先ほどまでの頭痛は薄れ、思い出そうとしていた何かは遠く霞がかって良く思い出せない。だが良くない事だったということは判る。なるほど確かに、そんな記憶は僕の何の益ももたらさないだろう。



「落ち着いたかい。じゃあ、お菓子を食べよう。今日はモンブランを用意してみたよ」



目の前の人物がそう言うと、いつの間にか僕の目の前に栗の甘い香りのする黄色いモンブランが置かれていた。


僕はフォークを使って目の前のモンブランを一口食べてみる。すると口の中に控えめながらも甘く、奥深い栗の風味が感じられる、今まで食べたどのモンブランよりもすばらしい味と香りが広がる。甘味がそれほど得意ではない僕も、素直に美味しいと思えるケーキだった。



「美味いな」


「気に入ってくれてなによりだよ」


「ああ、こんなに美味しい洋菓子は初めてだ」



僕は目の前のケーキをあっというまに平らげてしまう。食べきると、僕はフォークを置き、椅子の上で両手を伸ばして伸びをした。そうして目の前の人物に向き直る。


僕はもう目の前の人物になんの疑いも持ってはいなかった。この人物はなんの嘘も言っていないのだろうと、なんとなくだが信じてしまったのだ。



「なあ、君は僕の望みを叶えてくれるといったけど、それはどんなことでも叶えてくれるのかい?」


「限度はあるよ、何事にもね。僕は神様じゃないんだ。だけれども、人間の望むあらゆる欲望を文字どおりの意味で満たすことは可能だろう」


「欲望を満たす」


「全ての生物に共通する原理だよ僕。快と不快こそが生物の、人間の原理じゃないかな? だから僕はそれを叶える」


「どうしてだ? 君はなんの益があってそんなことしているんだ?」



願いを叶える、それは別にいい。いや、どうでもよくないが。とにかく、それだけの力がありながら、どうして他人のために力をふるうのか。


目の前の人物は快と不快こそが生物の、人間の原理だと言った。だとしたら、他者の願いを叶えることに、目の前の人物はどんな快楽を得ているというのか?



「もちろん、願いを叶えることが嬉しいからだよ。皆が願いを叶えて幸せになってくれれば、これほど嬉しい事はない」


「皆…、僕一人じゃないのか?」


「もちろんだよ。僕は全人類を救済する。それが僕の役割なんだ。だから考えてほしい。望みを、幸せになる方法を」



話が大きくなってきた。どうやら目の前の人物は全人類のために奉仕しているらしい。実に馬鹿げた話で、途方もなく不可能にしか思えないけれども、目の前の人物はそれがあたかも可能であるかのように話す。



「焦らなくてもいい。ゆっくり考えて僕。僕が僕の望みを叶えてあげる」



僕は目を閉じる。自分の望みを、願望が何かを今一度考えてみる。それはとても身勝手で、醜い願いで、だから僕はそれを口にするのをためらってしまう。



「なるほど僕、僕の望みは、それは■■■■■■■■■■■■なんだね」


「っ!? なんで…?」


「言っただろう僕。僕は僕だと、ここは境界線なんだと。自己と他者の境界線なんだと。僕の考えていることが僕に判らないはずがない」


「いや、でも」


「恥じることはないよ僕。僕はどんな願いでも受け入れよう。どんな願いも欲求も、それが救いになるのなら僕が叶えて見せよう」



そうして、目の前の人物は僕に手を差し伸べた。僕は戸惑いがちに手を差し出して、そうして僕はその人物の手を握った。それが正解なのか、正しい事なのかは判断できないけれど、僕は『再び』その人物の手を握ってしまった。






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