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Prologue『Tea Party』01

プロローグは読まなくてもいいです。




「やあ、僕」



気がついたとき、そいつはまるで旧知の仲であるかのような気安さで声をかけてきた。その声とともに、僕の意識は浮上し、いつの間にか僕はテーブルを挟んでそいつと対面していた。


先ほどまで自分が何をしていたのかはっきりとしない。別に記憶喪失というわけではなく、僕が何者であるかとか、そういうことは見失っていない。そんな前後不覚。


それはまるで、学校の授業を受けていたとか、食事をしていたとか、家路についていたとか、そういう日常の何気ない場面から、突然、なんの前触れもなく弾き出されてこの場所に『いた』かのような、説明しようのない感覚。



「ここは…?」



僕はそんな間抜けな、相手への挨拶にもならない間抜けな問いを発する。というものの、この場所が日常の延長線上には在り得ない場所であったからで、そこは白い、真っ白な空間、虚空のただ中であったからだ。


目の前の話しかけてきた何かは、影のように真っ黒で、シルクハットを被った青年で、今更ながら気づいたのだがそいつは寸分違わず自分と同じシルエットを持っている。


そいつと自分の間には白いテーブルクロスがかけられた円形のテーブルがあり、その上には虹色の不思議な色をした花弁を持つ蘭に似た名前もわからない花が生けられた、流れるようなほっそりと美しい形状の瑠璃色のガラスの花瓶が中央に置かれ、


さらに僕と目の前の人物の前には青を基調に金で装飾された華やかなティーカップやソーサーといった磁器で出来たティーセット一式があった。


白い空間は地平線すら見えず、地面、確かに足から伝わる触覚からは地面というかガラス質の床があるように感じられたが、目視においてはその地面を視認できず、つまるところ視覚の上では自分と目の前の存在とテーブルは真っ白な虚空のただ中を宙に浮いているように見える。


つまり、僕は視覚的には優美な曲線を多用した高そうなアンティークの椅子に座ったまま宙に浮いているような錯覚を覚えるのだが、足からは地面があるという奇妙な感覚を覚えていた。



「僕は夢を見ているのか?」


「その認識は違うとも言えるし正解だともいえるね、僕」



僕の独り言にも似た問いに目の前の存在が答える。ただしその返答は十分なものではなく、困惑させるだけであった。夢であり夢でない。いったいどういうことなのか。



「どういうことだ?」


「僕の肉体は確かに睡眠をとっている状態だよ。だけれども、僕の精神は覚醒している。だから僕は起きているとも言えるし、眠っているともいえる」


「すまない、君の話をしているんじゃない」


「同じことだよ僕」


「……」



僕は二の句が継げなくなって押し黙る。どこか、何か話がかみ合わない。その理由は明白で、つまり目の前の人物、そいつが二人称を用いないからだ。そしてなんとなくだが、このことについて追及しても徒労に終わるような、そんな気がする。



「…話を戻すが、これは明晰夢みたいなものか?」


「それはどうかな? ここはそうだな…、一言で表現するなら境界線の上のようなものかな」


「境界線?」


「夢と現実、意識と無意識、真実と虚構、生と死、希望と絶望、自分と他者。それらの間にある境界線。そして僕はこの場所においての案内人といったところかな」


「案内人……、ああ、そうか、『いつも』の場所か」


「やっと思い出してくれたね。さあ、紅茶が冷めてしまうから、まずは一杯飲んで落ち着いたらどうだい?」


「わかった」



唐突に合点が行った。そうして僕は視線を下におろす。するとどうだろう、空だったはずのティーカップにいつの間にか紅茶が注がれていた。僕はミルクと少しの砂糖を紅茶に入れてスプーンで混ぜる。


ゆっくりと香りを楽しんだ後、僕はカップに口をつけて紅茶を口に含む。程よい苦味と渋味、その奥にある甘味と香りを楽しみ、嚥下する。こんなに美味しいお茶はここ以外では飲んだことが無い。


この芳しい香りを立てる紅茶は、一度飲めば普段飲んでいるような安物のティーバッグで淹れるようなモノが物足りなく感じてしまうほどの、特別紅茶に詳しくない僕でもはっきりと判るほどに美味しい紅茶で、ここのところはいつもコレを楽しみにしているほどだ。


そう、自覚してしまえばなんということは無い。これはいつもの夢だった。起きてしまえばいつもの代り映えのない現実が待つ、一時の夢、明晰夢だ。この足元すら覚束ない奇妙な空間で落ち着いていられるのもそのせいだ。いつもの慣れ親しんだ夢の中。僕はそう認識する。


帽子を被った案内人の口調にも慣れたものだ。彼にとって彼と僕は等価で、故に自分のこともこちらのことも僕と呼ぶ。二人称は無く、常に一人称で喋る。そして僕はこの後の展開も知っている。



「ここには僕を追いつめるものも、圧迫するものも、不快させるものも何もない」


「ああ、そうだな」


「いつも大変だね。僕はがんばってると僕は思うよ。ああ、もう一杯どうだい」


「もらう」



ティーポットが独りでに宙に浮き、そして僕のティーカップに温かな紅茶を注ぐ。このティーポットのお茶は尽きることは無くいくらお茶を注いでも枯れることは無く、そして僕はこの紅茶をいくら飲んでも満腹になることはない。



「菓子も用意している。今日は洋梨のタルトを用意してみたよ」


「へぇ、これは初めて食べるな」



いつの間にか目の前にきつね色に焦げ目のついた艶のあるタルトが乗った皿が用意されていた。洋梨のタルトは、というか洋梨自体初めて食べるものだ。


奇妙なことに、この夢の中では自分が経験したことがないこと、初めて食べるお菓子や、初めて飲む飲み物が出てくる。夢なのに不思議なものだ。


僕はタルトを一口大にフォークで切り離し、口の中に放り込む。さっくりとしたタルトの生地は程よい甘みで香りがよく、アーモンドの香ばしさも口に広がる。そして何よりジューシーな洋梨の滑らかな食感と芳香が非常に美味しい。



「不思議なもんだな。僕はこんなに美味しい紅茶や菓子を食べたことがないのに、夢の中で食べることができるなんて。夢って現実の記憶から再構成されるものじゃなかったか?」



夢の中に登場するものは現実で見聞きしたもの、過去の記憶から構成されると聞いたことがある。ならば、見たことも聞いたこともないものが夢に現れるはずはない。


頭蓋骨という密閉容器に入れられた思考の中枢は、視覚や聴覚といったものから間接的にしか現実を認識することはできない。入力手段は限られていて、故に脳から自発的にまったく新しい情報を出力することはできない。



「言っただろう僕、ここは境界線なんだ。君が経験したことがなくても、他の誰かが経験したことが流れ込むこともある。ここはそういう所だ」


「集団的無意識とかそういうのか?」


「似て非なるものかな。第一、集団的無意識じゃ洋梨のタルトの味や香りを共有なんてできないじゃないか」


「そんなものか」


「そうだよ僕。じゃあ、本題に入ろうか」



目の前の影がやさしく微笑んだような気がする。もちろん目の前のそいつは真っ黒な影で表情も何も分からないのだけれど、僕はそいつが笑みを浮かべたようなそんな気がした。



「なに、答えを急いているわけじゃない。聞き流してくれたって構わない。強要はしていないんだから。大事なことはよく考えてから決めたほうがいい」



そうして、少し間を空けてそいつは語る。



「つらくはないかい?」


「……」


「分かるよ。僕はひどく疲れている」


「そうだな」


「将来が見いだせない」


「ああ」


「死にたいって、何度も思っただろ?」


「今でも思ってるさ」



自嘲気味に笑う。すばらしい紅茶や洋菓子も、虚構にすぎない。それでも僕はもう、この場所でしか安寧を得られないまでに、そんな状態に陥っていた。


どこで間違いが起こったのか、何を間違えてしまったのか。全てはもう手遅れで、無関心を装ったところで、植物のように静かに無害に生きたところで、それは遅効性の毒のように僕を侵し、苦しめる。


セカイは優しくなんか作られていない。分かり切ったことだ。呪詛の言葉をわめいたところで何も解決せず、内心はすべてが無価値なのだと、自分の存在価値をも否定する。


僕なんかが生きていても仕方がない。誰のためにもならず、むしろ害悪でしかない。ああなんて醜い生命。



「意味のないものなんてないよ僕」


「下手な世事はいらない。僕は、僕は…、消えてしまいたい」


「それでも僕は僕を肯定するよ。消えてしまっていい命なんてない。だから、願いを叶えてあげよう」


「願い…、ああ、いつものあれか」



いつもの展開だ。彼は僕の願いを叶えるという、胡散臭い、そんないつもの台詞。どうせこれはいつもの夢で、そんなことを口にしたところで何も解決しない。



「君の望む世界を思い描いてごらん。僕は救いたいんだ」


「救う? 何を今更。神様にでもなったつもりか?」


「そんなつもりじゃないよ。でも、大丈夫、手遅れなんてことはない。その願いが真に正しいものなら、僕は救われる」


「僕は何を望んでいるんだ?」


「僕の望みは、それは■■■■■■■■■■■■だよ」


「…そうか、そんなのが僕の願いなのか」



なんて身勝手で醜い願い。



「恥じることじゃないよ僕。抑圧からの解放を望むことは恥ずべきことじゃない。ほら、仏陀だって同じようなことを言っているじゃないか。逃げ出すことは罪じゃない。少なくとも、死んでしまうよりは余程マシじゃないか」


「そうなのかな?」


「そうだよ僕。僕がそれを肯定する。大丈夫、僕は案内人に過ぎないけれど、君を導くことぐらいはできる」



そうして、そいつは僕に手を差し伸べた。いつもなら僕はそんな世迷言に付き合うことはなく、手を振り払っていただろう。


だけれども今日は、ここ最近は酷く疲れていて、もういいかなって、そんな風に思っていて、だから僕は-


差し出された手を握ってしまったんだ。







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