王は宣す
玉座に座ったウィリアムの脇に、一人の男が進み出てくる。その両手には厚手のクッションのようなものの上に置かれた一本の杖がうやうやしく掲げられていた。
柄の部分は金銀で彩られ、杖の先端はやや丸みを帯びて膨らんでおり、その回りにダイヤやルビーで装飾が施されている。
何より目を引くのはその球状の天頂部分に据えられた大きなホープ・ダイヤで、その存在を主張するかのように青い光を放っている。
これは親任式において、代行府の長へと任命された「執政」に王家から貸し与えられる「王家の儀杖」と呼ばれる物である。この儀杖と王家が持つ国璽の印が押された親任状、この二つを以って晴れて代行府が正式に認められるのである。
とはいえ、執政を含めた三組織の長を任命するためには代行府の助言と承認が必要であるために、権限などあって無いようなものだが。
ウィリアムは玉座から立ち上がり、儀杖を掲げる男の方を向く。杖の横に添えられていた真っ白な手袋に片方ずつ手を通し、そのまま両手でゆっくりと儀杖を持ち上げる。
ウィリアムが儀杖を持ったまま廷内の観衆の方に向き直る。それと同時に、
「ドナルド・フェルト・マクドゥガル、前へ。」
という声が謁見の間に響き渡る。
一人の男がうやうやしく前へと出る。背はそこそこ高い、170センチほどか。頭には白髪が混じっており、その白髪の下にやや赤みを帯びた顔が乗っかっている。美形と呼べる容姿ではないが、丸めの輪郭、団子鼻、つぶらな瞳、やはり白髪が混じったふさふさの眉毛、つるつるした肌、それらの要素がどこか人当たりの良さそうな印象を与えている。
体格はやや太めではあるが、ギリギリ中肉と言える部類である。むしろ顔と相まって恰幅の良い雰囲気を纏わせる事に成功しているのではないだろうか。
ウィリアムより権力は大きく勝っているであろう男が目の前でうやうやしく膝をつき、頭を下げる光景を見るのは、何とも複雑だ。
そのドナルドに対して、ウィリアムは告げる。
「ドナルド・フェルト・マクドゥガル、面を上げよ。」
「はっ」
ドナルドを顔を上げる。一瞬の間の後、ウィリアムは続ける。
「卿はこれより先、その与えられたる職責に基づき、時に国の手となり、時に国の足となり、その責務の継続し得る限り、国家第一の僕となる事を誓うか?」
「はい、誓います。」
「卿はこれより先、王より与えられ給う、英知と恵みをその臣民に等しく分け与え、臣民の艱難と辛苦をその身に受け、臣民の繁栄と栄光を共に享受する事を誓うか?」
「はい、誓います。」
「卿はこれより先、その力ともたらされる利権に奢る事なく、常にその職務の責任と誇りを重く受け止め、よく国と臣民の範となって、教導者足り続ける事を誓うか?」
「はい、誓います。」
「ならば、余は、偉大なる始祖、初代アーノルド・ブリスケン王が子孫、第五十四代ブリスケン王の名に基づいて、卿がその誓約に忠実であり続ける限り、遍く天下、余の権限の及ぶ所全てにおいて、余の代行者、執政としての権限を認める事を誓おう。」
そういって、ウィリアムは高らかに儀杖を掲げる。
「余は、その誓約の証として、ここにドナルド・フェルト・マグドゥガルに王家の儀杖を授け給わん。」
ドナルドが両手を差し出す。掲げた儀杖を少しずつ下ろす。宮廷の内部が拍手で包まれる。儀杖が顔に近づくにつれて、ドナルドの顔がより輝きを増していく。
「とでも言うと思ったか、このたわけが。」
その言葉と共に、ウィリアムの手がぴたっと止まった。
パチパチパチ、パチ、パチ、パチ・・・・。
場内の拍手も急速に萎んで消えた。
ドナルドは未だ状況を理解できず、視線を右往左往させている。
ドナルドだけではない、新代行府の閣僚達は皆、状況が理解できず、消えた拍手の代わりにざわざわとした呟きで廷内は満たされた。
そんな状況を他所に、ウィリアムは掲げていた儀杖を元あった場所に戻し、先程より更に笑みの度合いを深めながら、再度ドナルドを見下ろす。
「ドナルド・フェルト・マグドゥガルよ。先程誓った誓約は本当か?」
事態が理解できず後ろの閣僚達を確認するように見ていたドナルドは、急に降ってきたウィリアムの言葉にビクっと身体を震わせて振り向いた。
そのドナルドに再度確認する。
「本当か?」
ドナルドはやや青ざめた顔で、それでも懸命に笑顔を取り繕おうとしながら
「は、はい。勿論です。」
それを聞いた瞬間、ウィリアムの顔から笑みが消える。
「嘘を言うな。」
その言葉をはっきりとウィリアムは切り捨てる。その強い物言いに再度、ドナルドの身体が震える。
そのままウィリアムは更に畳み掛ける。
「余は知っておるぞ。貴様が臣民から金を不当な方法によって吸い上げている事も、貴様が誤魔化している金が幾らであるかも、その金がどこから出たモノで、どこに流れているかも、余は全て知っている。お前も心当たりがあるだろう?何なら、ここで全て吐露してやろうか?それはさぞかし楽しいだろうなぁ?」
そう言ってウィリアムはちら、と視線を移す。
そこには国営メディアの記者達が数人固まっていた。親任式典はその厳粛さから、国営メディア以外はほぼ立ち入る事を許されない。
が、それでもこんな所で発言されたが最後、その真偽はともかくとして、明日の各種メディアのトップを飾るのは馬鹿でも分かる事だ。
ウィリアムが確証を持って言っているのかどうかは問題ではないのだ。 このタイミングで、今まで不当な方法で手に入れた資金が露呈されるのは不味い。非常に不味い。今まで必死になって築いてきた地位が崩れかねない。
もうほとんど真っ青になった顔で、ドナルドは何度も首を大きく横に振った。
その様子を見たウィリアムは軽蔑したように顎を引き、嗜虐的な笑みを漏らす。
「それ見た事か、やはり卿は余に嘘をついていたではないか。まぁ、良い。罪を暴き、裁きを下す権限は余に無いのだから、それは然るべき者の手に任せるとしよう。余が今日、述べにきたのはこのような事ではない。」
そういって、未だにざわめく廷内をぐるりと見渡す。そして、すうっと息を吸って
「余は今日、ここにおいて代行府の長、執政を任命しない事を宣言する。これは余個人の独断ではない。王家の、引いては宮内省の総意である。」
執政を任命しない、つまりは代行府の組閣を認めないという事である。
それを聞いた新代行府の閣僚達は一度驚きに息を呑み、そして驚きは怒りに転じた。
「馬鹿な、王が代行府を認めないなどと、そんな事が許されるものか!横暴だ!」
「全く、ふざけている。実に不愉快だ!」
「一体王は如何なる権利があって、組閣を妨害するのか!これは違憲だ!」
などという野次が公然と飛ぶ。ウィリアムはこの国において、如何に王の存在が形骸と化していたかを目の当たりにした気分だった。
だが、そのような言葉で怯む彼ではない。
「横暴だと?ふざけているだと?違憲だと?どの口でそんな言葉を吐けるのだ?」
ウィリアムは、野次を飛ばした者達を睨み付けた。そして言う。
「今から数える事、百六年前、我がブリスケン王家が政から退き、全ての権限を捨て、ただ民の象徴足る存在となったのは何故か?」
ウィリアムは代行府の閣僚達を見回すし、声を上げる。
「簡単だ。それは、より良く国を治め、永らく臣民の心を安んじるためには、臣民の自主性に任せた政治が不可分と感じた故である。ところがどうだ、民の自主性に任せた政治は、初期の三十年こそ大躍進時代と呼ばれ、千年の国家繁栄を約束したかに見えたが、それより後、国の経済は日に日に逼迫し、政治家はかつての熱意を失って、ただ権力闘争、ただ自らの利潤利益を拡大させる事のみに腐心し、臣民の心は退廃していく一方である。」
その言葉を聞いて、何人かが俯く姿が見えた。
「現在の選挙の投票率、あるいは政権の支持率を見れば、それは一目瞭然ではないか。だからこそ、余はこの形骸化した王家の最後の権利を行使するに至ったのだ。憲法には、各機関の最高責任者を任命する際に代行府の助言と承認を必要とするとあるが、任命しなかった時の責任は何一つとして明文化されていない。余が言っている事が間違っているか?誤っているか?ならば、そんな所から野次を飛ばすのではなく、余の前に立って堂々と申すが良い。」
先程の野次と違って、それは静かでゆっくりとした調子だった。
しかし、いつの間にか水を打ったかのように廷内は静まり返っていた。