張子の虎が動く時
朝食を摂り終えたウィリアムは、今日届いた書簡に目を通していた。ウィリアムの食事が終わると同時に、エルザが手渡したものだ。
書簡を一通り読み終えると、もう一度手紙を便箋に入れなおしてエルザに返した。
エルザはにこっと微笑を零すと書簡を懐にしまう。そして、新たに小さなグラスと薄い袋に入った薬を主の前に差し出した。
「飲まねばならんか?」
ため息混じりにウィリアムがそう聞く。
「はい、飲まなければいけません。」
笑ってはいるが、有無を言わせない語調である。
グラスに水が注がれていく。
「難儀な身体だ。」
言いながら、白い粉状の薬を口に注ぐ。なんとも言えない風味と苦味が口内に広がる前に、水で流し込んだ。
ウィリアムは病気だ。それも今の所不治の病である。
とは言っても、昨日今日で死ぬような病気でもないが。
ウィリアムの患っているのは原因不明の病で、まだ名前が無い。症状は細小血管障害、つまり毛細血管がボロボロになっていき、剥がれた毛細血管の断片が血栓になって脳梗塞や心筋梗塞を引き起こす。また、ボロボロになった毛細血管が気道にある場合、最悪気道出血を起こし窒息する可能性もあるそうだ。
元々、糖尿病等の罹患者に多い症状だが、ウィリアムの場合は違うようだ。
薬で症状を抑えているものの、問題の根本的な解決ができない以上、やはり着実に悪化していく。
医者の見立てによると、このまま何らかの治療法が見出されない限り四十歳まで生きられれば良い方、という事だった。
ウィリアムは今年二十三だ。つまり、後十数年でまず間違いなく死ぬという事になる。
だが、その事に対してウィリアムは余り悲観していなかった。この症状が発露した頃、即ち十六年ほど前は、丁度母の死が重なった事もあって自棄になる事も多かった。しかしそれはもう、とうに過ぎた話である。
自棄を乗り越えたウィリアムは、今度は使命の炎に燃え上がった。
かつて栄光を誇り、今や見る影もなくただ衰退の一途を辿るだけの王家
その王家に生まれ、類稀な美貌を持ちながら、夭折を約束された自分。
そして、初期の三十年こそ大躍進時代と呼ばれたが、今や深刻なデフレに悩まされる大国ブリスケン。
この歪なトリニティに何か運命的な繋がりを感じたのかも知れない。
彼は決意した。
他人より少ない命の限りを尽くし、必ずやブリスケンの経済を回復させてみせる。
そう思って、彼は今日に至るまでの日々における、王の公務の間を縫って、勉学に勤しみ、宮内省を通じて密かにコネクションを作り、そしてできるだけ国内外の大小の祭典に顔を出し、多くの人々に自分を認知させる事に務めた。
そして今日、それらの努力が集大成を迎える。
しかし今日という日はあくまで始まりに過ぎない。
「行くぞ、支度せよ。」
そう短くエルザに告げる。エルザは深々とお辞儀して、手早く食器類をトレーに乗せると部屋から出た。
窓の外の景色を見る。春のうららかな日差しが差し込んでいる。
ウィリアムの文字通り一世一代の大事業が幕を開ける。