■第1章 始まりと過去
以前短編で書いた「罰則」をエピソードを増やして連載版にしました。主人公を大学4年から3年などすこし変更はしましたがおおむね同じです。時間の許す方読んで頂けるとありがたいです。
■第1章 始まりと過去
10月のはじめのある夜。その日もいつもと変わらない夜であった。星は出ていたが薄い雲で覆われていた。ただ秋の夜の少し冷えた風の流れで季節の移り変わりを通行人がなんとなく知る。変わらない薄ぼんやりとした駅の風景。そして雑音。市の中心部から少し離れたその駅はそこから帰宅する人々も疎らだった。
ミチルはその日も駅前でギターの弾き語りをしていた。
アコースティックギターからこぼれるその音はその駅の雑音の一つとして溶け込んでいた。
ミチルが演奏していると後ろから一人の女の声が聞こえた。
それは小さいが雑音に潰れない透る声だった。
「おっ、君は今日もひとりかい?独りぼっちはさみしいねえ。」
ミチルはこの言葉にドキリとして思わずリズムを崩してしまった。
「別に好きで一人で・・」
言いながら振り返ると同じ大学生くらいの女の子がしゃがみこんで野良ネコに話し掛けていた。
ボブヘアーの似合う女の子だった。
「(泣いてる?でも誰だろう。知り合いではない。)」ミチルは思った。
「あっ、ごめんなさい。あなたに言ったんじゃなくてこの猫ちゃんに・・。」ミチルに気付いた女の子が早口で言った。
猫は足早に逃げていった。二人ともその猫を目で追った。
「いやごめん、オレも勘違いしたみたいで・・。」
ミチルは気まずく感じとっさにそう言った。
そしてその後少しの沈黙が流れた。
すると女の子が口を開いた。
「ねえ、あなた歌嫌いなの?」
「え?」ミチルは意味が分らなかった。
ギターを持って駅で歌ってる人間が歌が嫌いなはずがない。
何かの罰ゲームで歌ってる様に見えたのだろうか。
いやそんなはずはない。
ミチルはそう思った。
「いや。好きだけど。ロックとか。」ミチルは答えた。
「そうなんだ。」女の子は意外そうに答えた。
「ごめんなさい。なんか邪魔しちゃったね。じゃ。」
そう言って女の子は歩いて行った。
「(変な子だったな。意味分かんないし。猫と話せるのか?)」ミチルは思った。
ミチルはまた弾き語りを始めたがどうしてあんなこと聞かれたんだろうという疑問はその日ミチルの頭の中からは消えなかった。
次の日の夜、ミチルはまた同じように駅前でギターを弾いていた。
するとミチルに話掛ける声がした。
昨日の女の子であった。
「こんばんわぁ。ギターのお兄さん。ねえ、お兄さんアレ誰か知ってる?」
「アレ?」
ミチルは妙な違和感を感じながら言った。
そしてミチルは気付いた。
「(この子飲んでるな(汗)。)」
結構なアルコールの匂いがしていた。弾き語りなどやっていると酔っ払いに声を掛けられることもある。相手をするのは慣れている。あまり関わらず話を聞き流すのが一番だと自分の中で決めていた。
「あのさ、さっきコンビニで流れてたんだけどさ、外人で”ソー♪サリキュウェー♪”って歌ってるやつ。」と女の子は話を続けた。
「あーそれね。たぶんオアシスってバンドの曲だよ。」ミチルはあえて愛想良く答えた。
「そうなんだ。いいよね。あの歌。さすがギターのお兄さん!。」女の子は典型的な機嫌のいい酔っ払いの口調で言った。
「(ギターのお兄さんって・・なんだこのフレンドリー感・・(汗)昨日と全然感じ違うし・・。)」ミチルは早めに会話を終わらせようと思ったが頭にあの事がよぎった。
昨日この女の子に言われた言葉であった。
“あなた歌嫌いなの?”
ミチルはその言葉がどうしても頭から離れなかったのである。実際今日も何度も思い返してしいた。
寝たら忘れるだろうと思っていたが今日になってもミチルの中で何か引っかかっていた。
「あのさ昨日オレに歌嫌いなのかって聞いたよね?」ミチルは思い切って尋ねた。
「うん。」
「どうして?」ミチルはまた尋ねた。
「そうねえ。あなたがギターのお兄さんには見えても歌のお兄さんには見えないから。かな。」女の子はさっきと同じ口調で言った。
「は?」ミチルはそのよくわからない答えに拍子抜けした。自分は昨日からあんなに考えていたというのに歌のお兄さんやギターのお兄さんなどよくわからない曖昧な回答が返ってきたからであった。
そして女の子は人差し指でミチルの眉間の方を強く指差しながら続けて言った。
「てかあなた人をホントに好きになったことないでしょ?そんな気がするわ。」
「あ、あるよっ!」ミチルはその行動に少し驚いたがそれよりも反射的にそう答えた。
ミチルはちょっとムキになってしまったと後悔したが大学に入って付き合ってきた7,8人の女の子の事を一瞬考えた。
「そ?じゃあたしの聞き間違いかもね。」女の子がサラリと言った。
「あたしは音楽の事はよく分からないんだけどさ。昨日あなたの歌声を聴いてとても、なんか悲しいカタマリみたいのを感じたわ。映画で言えばロバート・デ・ニーロのやってたフランケンシュタインみたいな。歌で題を付けるなら~そうね”愛をください”って感じ?。」
「それか“僕は誰も信じません!”みたいな?。でもロックってそういうのも大事なんでしょ。たしかなんかの雑誌に書いてあった記憶が。」女の子が斜め上に目線を向け、自分のアゴを人指し指と親指で挟みながら言った。
それは推理小説で探偵が最後に犯人を言い当てる場面の様にミチルには映った。
「・・・・。」ミチルは言葉が出なかった。逃げ場のない殺人犯の様であった。
電撃が体中に走りまるで真っ白な光線で心の中を丸見えにされた気分だった。
ミチルにはある過去があった。
今から7年前ミチルは大きな大会を控えた中学2年生のサッカー部だった。
その日はミチルの地元には珍しく雪が降り少しではあるが積もっていた。
「ミチル・・お前呼ばれてるよ。」
ミチルが部室で着替えてると同じクラスの今井がボソッと言った。
「だれに?」ミチルが答えた。
「いいから来て。隣のB部室。オレ呼んでくるよう言われただけだから・・。」
妙な雰囲気を感はしたがミチルは隣のB部室に行ってみた。
サッカー部は人数も多いため部室がA部室とB部室とある。
A部室は主に上級生がB部室は下級生が使うのが慣例だった。
B部室の方がはるかに広かったがほぼ道具置きがメインでA部室と比べるとキレイとは言えない部室であった。
薄暗いB部に室入るとなぜか学校の不良グループの新庄がいた。
新庄は学校1番の不良として認識されていたがケンカが強いのに合わせて蛇のようにしつこい。怒らすと何をされるかわからない。
だからみんな関わりたくないのだ。しかしそれが新庄を助長させているのか自分が一番だと言って学校での行動をエスカレートさせていた。
何をしでかすかわからないタイプで先生達も触らぬ神に祟り無しといった感じになっていた。
ある先生は注意したら車のボンネットを金属バットでボコボコにされた。大人の事情で先生の泣き寝入りとなったようであるが真相は誰も知らなかった。
ミチル達がガムを持っていただけで烈火のごとく怒る生活指導の先生も新庄が廊下でガムを噛んでいても注意すらしない状況だった。
そんな新庄がなぜ関係のないサッカー部の部室にいるのか。
ミチルにはまったく理由がわからなかったが何か良くないことがあるのは確かだというのだけは感じ取っていた。
B部室には新庄の噛んでいるガムの香料とつけているキツイ香水の匂いが充満していてミチルは少し顔をしかめた。
ミチルを見て新庄が口を開いた。
「お前らサッカー部さあ、俺の文句言ってるらしいじゃん。」知っているぞと言わんばかりの高圧的な言い方だった。
「何のこと?」まったく意味がわからないといった表情でミチルはすぐに答えた。
「田辺から聞いたんだよ!。」部室にいやな感じの大声が響いた。
見ると薄暗い部室の隅に田辺がいた。昨日まじめに練習しない態度を注意したサッカー部の後輩である。練習にも平気で遅れて来るし、やる気も見られない。ミチルは人に注意などあまりするタイプではなかったが昨日は田辺の不注意から同級生がケガをしそうになった。それで言っておかなければと注意したのである。
この田辺は新庄の不良グループと最近仲良くし始めていた。
「(態度を注意した腹いせか。)」ミチルは思った。
田辺はミチルと目が合わない様に目線を壁に合わせる様にして立っていた。
「昨日の帰りに”新庄みたいな不良は死んでほしい”って確かに言ってました。」田辺がボソッと言った。
ミチルはそれを聞いて思い出した。
「(中井と木田だ。それ言ってたの。)」
中井と木田はサッカー部のキャプテンと副キャプテンで部の中心的存在だがかなり人の悪口を言う癖がある。
昨日も帰りに部室で着替えてる時、新庄の事をいろいろと悪く言っていた。
いつもミチルは中井と木田のそんな話に加わるのが嫌で話に参加することは無かったがもしかしたら昨日木田と中井のやり取りを隣のB部室の田辺が聞いたのかもしれない。
部室と言っても薄いプレハブで音は筒抜けであった。会話なんてすぐに聞こえてしまう。
「俺はそんなの言ってないよ。」ミチルがきっぱり言った。
「じゃあ誰が言ったんだよ!」ミチルにゆっくりと顔を近づけ般若の様な顔で新庄が凄んだ。
「誰かは知らないけど。」ミチルは目を合わせたまま言った。
「じゃあサッカー部のやつ全員ボコる。とりあえず次木田呼んでこい。」新庄がかなり苛立った表情で言った。
「(今井がオレを呼びに来たのはこういう流れだったのか。)」ミチルは思った。
「待ってくれよ。問い詰めても誰も怖くて口割らないだろうし、もしかしたら聞き間違いかもしれないしさ。」ミチルは言った。
木田は犯人だが今井の様に次の人を呼びに行く行為自体が”友達を売る”様に思えたからであった。同じ部員としてそんなことはしたくなかった。いろいろと各自問題はあるが今まで一緒に頑張ってきた仲間だ。ミチルはそう思っていた。
「はあ?呼んでこいや!!コラ!」
「いやだ。」ミチルはそう言うと同時に殴られていた。
ミチルはよろけた。
顎と口の内側にジンジンとした痛みを感じた。口の端を指で拭うとかなりの赤い色がついた。口が切れたんだと分かった。今まで部活で転んで擦り剥いたり、包丁で指を誤って傷つけるなどして傷からの血を見る経験はあったが殴られて自分の血を見るなどみんなと平和にやってきたミチルにとって初めての経験であった。そんなものは映画やテレビドラマでしか見たことが無かった。
自分の手にべっとりついた血に対してミチル自身多少驚きはあった。しかしその時のミチルにとっては流血などよりもこの目の前にいる、自分の部の部員たちを脅かすであろう悪に対しての怒りの方か勝っていた。
ミチルはキッと新庄をにらんだ。そして拳に力を込めた。
ミチルは部活で鍛えている。ミチルは今までケンカなどしたことは無かったがたとえ新庄であろうが勝てるかは分からないが一方的に負けるなどとは思わなかった。
しかしミチルはその握った拳の指を開いた。
もちろん殴り返そうと思えば出来た。
しかし昨年陸上部の男子が喧嘩で大会出場停止となっていたのが頭をよぎったのであった。
「なんだお前?喧嘩もできんのか?根性ないのぉ!!!」新庄の前蹴りでミチルは後ろの棚に激突しその勢いで木製の古い棚板達はバリバリッと大きな悲鳴をあげて壊れた。中に入れてあった昔サーキットトレーニング用に使っていた三角コーンや誰かの使い古したスパイク達が長年溜まったホコリと共に無残に投げ出され、床に倒れこんだミチルの上に転げ落ちた。
そしてにやけながら関節を鳴らす新庄のパンチや蹴りでミチルは十数分間サンドバック状態となった。薄暗い部室で汚い罵声と重いものが壁やドアにぶつかる振動、激しく叩きつけられる椅子、壁やドアに跳ね返るボール達の音が絶え間なく続いた。流血とホコリまみれになりボロボロのミチルは床に倒れこんだが絶対に新庄のいう事には従わなかったし殴り返しもしなかった。
そして先に体力が尽きたのは新庄の方のようであった。
殴られる方はもちろんダメージで体力は消耗するが殴る方も常にフルスイングなので体力は減る。
「ナメやがってこのクソが!!絶対お前から口割らせるからな!!明日待ってろよ。」
新庄は床に倒れこんでいる汚くヨゴレたミチルに捨て台詞と噛んでいたガムを吐いて部室から出て行った。
そして田辺も。
田辺はそれ以来部活にも来なくなったがその出て行く田辺がチラリとこちらを見た横顔がうす笑っている様にも見えた。
バタンとドアが閉まりミチルはゆっくりと起き上がった。そして体の痛むところを押さえた。顔を触ると試合後のボクサーの様に腫れているのが分かった。
横腹もミゾオチも背中も痛い。服が足跡だらけだ。
しかしそれよりも親になんて言おう。ホントの事言ったら心配するだろうし。ミチルはそう思った。
しかしミチルはこの行動に後悔はしていなかった。
ゆっくりとドアを開けてB部室を出ると薄暗い部室から出たせいか部室の前に少し積もった雪がやたらと白く輝いているように見えた。ミチルはしっかりとA部室のドアノブを握りドアを開いた。ドアを開けるとミチルは少し驚いた。もうすぐ練習開始時間だというのに木田と中井がいたのである。二人はミチルの腫れた顔のことなどには何も触れようとしなかった。しかし顔が引きつっていたのは確かだった。
おそらく隣のB部室でのやり取りは聞いていたはずだ。ミチルはそう思った。
ミチルは丁度いいと思い今回のいきさつを改めて二人に話そうと口を開いた。
「実はさっきさ、新庄がさ・・」ミチルがそう言った瞬間
「知らないよ!。お前の問題だろ。」木田が言った。
「オレ達関係ないから。」中井が言った。
そう言い放って二人は急いで部室を出て行った。
「(え!?・・。)」
ミチルは一瞬意味が分からなかった。
「(どうして・・。)」
「(まさかそれを言うためだけに二人は残っていたのか?。)」
それ以外の答えはどうしても不自然で自分自身に違うと説明しても納得させることができなかった。
「(今まで自分が信じていたものって・・一体なんだったんだろう・・。)」
しばらくミチルはその場に立ち尽くした。
そしてその時、ミチルは昔出会ったある不良に言われたある言葉を思い出した。
それは去年の夏祭りにミチル、木田、中井、川田、吉川というクラスメイト5人で行った帰りのバスでの出来事だった。
そのバスはミチル達の他に誰も乗客は無く、バスの最後部のシートにゆったり5人で座ってその日あった面白かったことなどを話して騒いでいた。
するとあるバス停から偶然隣町の不良二人組が乗ってきたのである。
瞬時にミチル達の会話は止まった。
その二人組は見るからに図体も大きく高校生くらいはある体格で正真正銘の不良だった。
二人組の不良はすぐにミチル達小さな五人に目がいった。
「お前らオレらと喧嘩せいや!」
すぐにその二人組はミチル達5人の前を塞ぐように座り因縁をつけてきた。
とても重い威圧のある声だった。
ミチル達は5人とはいえ中1の小さな身体。
相手は2人とはいえ向こうの方が強いのは明らかだった。
ミチル達は恐怖しながらも当たり障りの無い会話でなんとかやり過ごそうとしていた。
そしてミチル達が降りる予定2個前のバス停にバスが止まった瞬間だった。
バタバタバタッ!
バスの床が走る足音で鳴った音だった。
木田と中井と川田の3人は座席を飛び越えて走って逃げていったのである。
ミチルと吉川の2人は何が起こったか分からなかった。
しかしすぐに取り残されたという事実だけは理解出来た。
「けっ!ショボイ奴らが!」不良の一人が自分が座っている一つ前の席の背をドンと勢いよく蹴りながら言った。
そしてバスは何事も無かったかのようにまた動き出した。
ミチルと吉川はまずい事になったとお互いの顔を見合わせた。
するともう片方の不良がポツリと言った。
「お前ら置いてけぼりくらったな・・。」
それから降りるバス停までミチルはその不良達と少し話をした。
というより不良達が意外にも気さくに話してきたのだった。
もちろん話題はその不良の好きらしい格闘技やアイドルであったが。
そしてミチル達が降りるバス停でバスは停車しミチルはその二人組みの不良に別れを言った。
すると不良の一人がミチルに言った。
「おいお前。ダチはダチだからダチなんだぜ。」
その時は何事も無く無事に帰宅できたことで特に気にも留めて無かったがその言葉が今になって強くミチルの頭に思い出されたのであった。
開いたままの部室のドアから入り込む冷たい風。
その冷風でミチルはハッとした。
鼻の奥と切れた口の内側からの止まらない血が垂れてきていた。
ミチルは誰もいなくなったA部室の外に出ると口一杯に溜まったそれをさっき見た白い雪の中にブッと吐き付けた。薄く積もった白い雪の中のミチルの血は白と赤のコントラストを作り悲しくもミチルには鮮やかに見えた。そしてミチルはそのコントラストをしばらくジッと見つめたままだった。
次の日の昼休み、新庄がまたミチルを呼び出した。ミチルは殴りこそはしなかったが今度は激しい取っ組み合いになった。それを見かけた女子が先生達を呼んで事が公となった。
その後いろいろと事情聴取じみたことが行われたが結局誰が新庄の文句を言ったとか言わなかったとかそこら辺は迷宮入りにしたままミチルと新庄はもうお互いに手は出さないということで一件は決着ということになった。
「これからは何かあった時はちゃんと私に相談しなさい。」
そう部の顧問の先生に言われたが、明らかに殴られて血のにじんでる昨日のミチルの顔を見て、ミチルが言ったボールが当たったという言い訳の方を選んだ人に相談なんてしてもホントの解決なんて無理だとミチルは思った。
その事件以来、ミチルが美術で描いた絵にガムが付けられるなどちょっとした不良からの嫌がらせはあったもののそれ以外はミチルに対して特に変わった事は何もしてこなかった。
しかし変わったと言えばミチルの方であった。表向きの理由は受験勉強に専念したいからというものであったがミチルはあの事件以来部活には行かなくなった。顧問の先生の計らいで在籍扱いにはしてくれたがミチルにはもうそんなものはどうでも良かった。
時間は流れ、中学3年の冬の受験シーズンが過ぎ、春になった。そしてミチルも高校生となった。
勉強に打ち込んだ甲斐もあったのかミチルもそこそこ名の通った進学高に入学できた。
予想以上の進学校合格にミチルの両親も満足しているようだった。ミチルは喜んでいる両親を見て少し嬉しく思った。
でもミチルは高校で部活なんてやろうなどと思うことは一度も無かった。
そして高校時代ミチルは何もしないまま何もないまま過ごした。
思い出なんて特になかった。
ただ流れる時間を過ごした。
そして大学受験となりミチルも大学を受けた。
一人暮らしが出来る地方の小さな大学を。
ミチルは誰も自分を知った人がいないところへ行きたかったのである。
そしてもう一つ。
あることを始めたかったからである。
それは『音楽』であった。
実は唯一高校時代ミチルを支えてくれたものがあった。
それが音楽だった。
中でも洋楽のロックバンドの曲を聴いている時が一番の至福の時だった。
音楽は裏切らない。
ミチルはそう思った。
誰も知っている人がいない大学で音楽を始めて新しい自分に新しくスタートを切りたい。
心の中でそう思っていたのだ。
だから面白くも無い受験勉強にもなんとかやる気が出た。
その甲斐あって希望通りの国立の大学へ進学できた。
みんなからはなぜその成績であえて地方に行くのかと不思議がられたが。
そしてミチルは大学へ入り文字通り新しいスタートを切った。
軽音サークルに所属しすぐにバンドを結成した。
刺激的な毎日だった。
みんな音楽に熱い。
ミチルはボーカルとしてオルタナティブロック系バンドを組んだ。
ピストルズみたいな感じで男が集まるような攻撃的なバンドにしようとみんなで話して盛り上がった。
ピストルズやニルヴァーナなどのコピーバンドとして学内外でイベントライブをこなして行く度ミチルの声と激しいパフォーマンス性もバンドの個性となり人気も出た。
そしてミチルも大学2年となりそれぞれのメンバーの演奏レベルも上がった。
そして今度はオリジナル曲をやることになった。
ミチルは今まで書き溜めていたオリジナルの歌詞と楽曲をみんなに見せそれをベースに編曲を行った。
すぐに21曲が完成した。
感じとしてはレイジアゲインストマシーンの様なヘビーな音色伴奏にグリーンデイの様なキャッチーなメロディーイメージのミクスチャーパンク系のバンドスタイルだった。
大学3年になる頃にはどのライブハウスで演奏しても客は満員のソールドアウト。
ワンマンライブをやるまでになった。
激しいパフォーマンスと過激な歌詞でライブ中は喧嘩やケガ人も当たり前に出た。ライブハウスからクレームなども多数あったが地元では名実ともに超人気のミクスチャーパンク系バンドという位置付けとなった。
ミチルは充実を感じていた。
これが自分の求めていた幸せだと。
音楽は一生懸命弾けば必ず同じように鳴ってくれる。
努力と時間を費やせば必ず答えてくれる。
求めても去りはしない。
最高の友であると。
しかし事態は一転した。
それはメンバーからの突然の解散の申し出であった。
「お前は音楽に対して熱すぎる。学生バンドなのにそこまで要求しないでほしい。付いて行けない。」
「オレはもっと楽しくやりたいんだよね。人気のビジュアル系から誘われててさ。」
「毎回ライブの度乱闘起きるのも勘弁。客も過激過ぎてなんかヤバイし。」
確かにここまで軌道に乗ったのは”ミチルの音楽に対して求めるもの”がファンに激しく受け入れられたからではあるがそれはいつしかメンバー全員の総意ではなくなっていたのである。
「そんな・・・。」ミチルは驚きを隠せなかった。
みんなで向かっていたはずのゴールがミチル一人のゴールになっていたのである。
いつの間にかみんな別の方向を向いていたのである。
ミチルはみんなを説得したが無理だった。
長い時間かけてここまでみんなで作り上げてきたのに。
バンドとしてここまで息が合うメンバーはいないと思っていただけにミチルは落ち込んだ。
しかしこうなったら新メンバーを集めよう。幸い楽曲は自分が作ったものがあるのだから。ミチルはそう思った。
元々人気バンドだったため新メンバーはすぐに集まった。それは全て大学外のメンバーだった。
そして新メンバーで再活動を始めようとした。
しかし直後異変が起きた。
突然ミチルの声が出なくなったのである。
出なくなったとは高音部分で普段の生活には支障はないがミチルの作った高音を大きく出す曲は歌えないのは確かだった。
医者の診断は最終的に原因不明で特定出来ないというものであった。原因が分からない。強い高音部分は声はかすれて出ないという現実だけが残った。とりあえずリハビリを続けるしかないという事であったが治るという確証はないと言われた。
ミチルは求めていた音楽に対して自分の身体がギブアップしてしまったことを情けなくも思った。
声の出ない自分を忌々しく思った。
もちろんバンドは空中分解した。
そしてミチルは何をしていいか分からなくなった。
そうして季節は春から秋になりもう今は10月になった。
ミチルの声はまだ出ないままだった。
ミチルはリハビリも兼ねてここ2週間くらいこの駅前で軽い弾き語りをしていた。ミチルにとっては弾き語りをしたいというよりも外にいた方が気が紛れるという理由の方が強かった。ミチルにはこの少し寂れた駅前の雑音が自分の気持ちを少し紛らしてくれるように感じていたのである。
弾き語りをしていると、解散したバンドを知っている人達からは幾度となく声をかけられたが聞かれるのは何故解散したかだけだった。
ミチルはハッとしてフラッシュバックした過去の記憶から現実に戻った。
そして目の前にいる女の子にさっき言われたあの言葉を思い出した。
ミチルは何か言わなくてはと思った。
「あんたおれの何知ってんの!?酔っぱらいにはデリカシーってのも無いの!?」それがミチルから出た精一杯の言葉だった。
しかも怒鳴ってしまった。
「あーデリカシー無くて訳わかんなくてすみませんでした!だからあたしはダメなんですよっ!。」女の子はカチンときたのかそう言って走って行ってしまった。
「(あ~どうしてあんなこと言ってしまったのだろう。しかも女の子に怒鳴るなんて最低だ。)」ミチルは思った。
偶然だろうが自分の心を見通されたような言葉に、ミチルは自分を守るのに必死になったのである。
ミチルは自己嫌悪に陥った。
それから3日間ミチルは駅には行かなかった。
またあの女の子に遭遇するのを心の隅で恐れていたからだ。
その次の日、いつもと時間をずらして夕方駅に行った。
駅はいつも通りの風景だった。疎らに歩く人々に暇そうに待つタクシー。そしていろいろな音が混ざって聞こえる雑音。ミチルは何か少し安心感を覚えた。
そしていつもの様にギターを弾こうと腰を下ろそうとした。
その瞬間ミチルは後ろから左腕を強く捉まれた。
「!?」
ミチルが振り向くと、あの女の子だった。
「あ!」ミチルは驚いた。
「やっと見つけたわ!。」女の子は言った。
女の子はミチルを見つけて走ってきた様で息を弾ませていた。
「え?」
「あなた22時までここいるよね?ね?いるよね?」女の子が早口で言った。
「え?まあ・・」ミチルは曖昧に答えた。
「じゃあ絶対ここで待ってて!。お願い!」そう言って女の子はまた駅の改札の方へ走っていった。
ミチルは訳がわからなかった。
自分と会いたくないだろうと思っていた女の子が自分を見つけて待っていてくれというのである。
「(怒られる?)」ミチルはそうも思ったが自分が怒鳴ったことは謝ろうと思ったのでとりあえず待つことにした。
「(22時ってあと5時間もあるな(汗))」ミチルは思ったがとりあえずいつもの弾き語りを始めた。
すると一人の駅員がミチルのとこへやってきた。
すると駅員はミチルに言った。
「君どこへ行ってたんだい?2、3日見なかったけど。」
見知らぬ駅員がミチルに話しかけてきたのだ。ミチルは少し驚いた。
「え?はあちょっと。いろいろありまして(笑)」ミチルは造り笑顔で答えた。
「じゃあ今日はやっと大丈夫みたいだね。まったく。」駅員は苦笑いしながら去って行った。
駅員がなぜミチルに話しかけてきたか謎だった。
今までそんなことは一度も無い。
何が大丈夫なのだろうか。誰か自分の演奏を聴いている人でもいるのか?ミチルは持ってきたアコースティックギターで好きな曲の間奏部分を弾き始めた。
ミチルは何か考えたい時や考えがまとまらない時よく曲の間奏部分を繰り返し弾いた。
ミチルは曲の間奏部分をひたすら繰り返し弾いていると自然と心が落ち着いて考えがまとまったり新しいアイディアが浮かんだりするのだった。それは弾き語りを始めてから気が付いたことである。間奏部分というサビへの橋渡し的な静な構成場所を繰り返し弾きながらふと顔を上げるとその繰り返しのフレーズが作り出すうねりが歩道を歩く人のリズムや鳩の飛び立つ羽音まで全ての雑音を一体化したように感じさせミチルにある一定の静かな落ち着いた感覚をもたらすのであった。それはミチルが無意識の内に合わせているのかもしれないしただの錯角なのかもしれない。しかしそうすることでミチルは自然と心が落ち着き冷静に物事を考えることができた。
5時間という時間は長いがそうやってミチルはギターを弾きながら”あの子になんて謝るのが一番いいだろう”とかあの女の子の不思議な行動のいくつかを考えていると意外に22時は早くやってきた。
そしてまたしても息を弾ませた女の子に腕を捉まれて今が22時であることにミチルは気が付いた。
「ごめんなさい。今日バイトどうしても遅れられなくて。」女の子が言った。
またしても走ってきたのだろうか。ミチルはそう思った。ミチルは少し気後れした。
「あ、あたしパン屋でバイトしてるんだ。これバイト先の残り。もらい物だけど。よかったらあげる。」女の子はそう言ってパンが5,6個入った袋をミチルに渡した。
「あ・・ありがとう・・。」
ミチルは意外なプレゼントに驚きながらも一応お礼を言って受け取った。
そして怒ってはいなかったようだど少し安心もした。
「あたしずっとあなた探してたんだけど。あれからあなた駅来なくなったでしょ。」女の子が話を続けた。
「え?あ、たしかに・・。」
「ごめんなさい!。」ミチルが言い終わらないうちに女の子がそう言って深々と頭を下げた。
「え?!あ、いやオレの方がごめんなさい。怒鳴っちゃってさ。」とっさにミチルも謝った。
「いいの。あたし思ったことすぐ言っちゃうのが悪い癖っていうか。そんな感じだから。この前あなたの事知ったような事言っちゃってそれからあなたを駅で見なくなったから。謝ろうと思ってたの。」
そう言った女の子の声にとても爽やかなものをミチルは感じた。
「いやオレの方が悪いよ。ごめん。てか探してたってマジで?」ミチルは何かつながる言葉を探し女の子に訊いた。
「探すって言っても学校とバイトあるからバイト前後駅をちょっとだけどね。駅員さんにもちょろっと聞いたりして。」女の子が少し笑った。
ミチルはその時はじめて駅員が話しかけてきた理由がわかった。
しかし駅員の言い方からして”ちょろっと”ではない気がした。
ミチルは申し訳なさと同時に遭遇を避けていた自分が恥かしくなった。
「そうなんだ。オレ2,3日ちょっと用事あったからさ。ありがとね。」ミチルはもらったパンの袋を見つめながらウソをついた。
遭うのを避けてたとは口が裂けても言えなかった。
ミチル一人とても気まずい気持ちになった。
ミチルがふと下に目を遣るともらったパンの入った袋に紙が入ってるのに気付いた。
それはレシートだった。パンはバイト先の余りではなくバイト先でお金を出して買ってきたものではないのか。ミチルは思った。そしてさらに何か申し訳ない気がしてならなかった。
「あのさ、良かったら一緒食べない?なんかたくさんあるみたいだし。」ミチルはもらったパンの袋を指差した。
そして二人はイスと同じくらいの高さの座るのに丁度良いロータリーの縁石に腰掛けてパンを食べながら少し話をした。
「あ、オレ名前清水ミチル(シミズミチル)。ミチルて呼ばれてるからミチルでいいよ。」
「へー。君ミチルって言うんだ。女の子みたいでかわいいね。」
「だからあんま気に入ってはないけどね。あ~君名前聞いてもいい?」
「ごめんあたし自己紹介もしてなかったね。田中千尋。千尋でいいよ。」
そうして二人はお互い自己紹介した。
二人は同い年であること、
千尋はミチルの大学の隣の女子大であること、
ミチルと初めて会った日千尋は彼氏にフラレた帰りだったことが分かった。
「(だから猫に独りぼっちとか話していたのか)」ミチルは妙に納得した。
独りぼっちはミチルでも猫でもなくて千尋は自分のことを言っていたのだ。
そして失恋話で友達とかなり飲んだ帰りが二回目に会った時だったことがわかった。
浮気した彼氏に新しい彼女について問い詰めると変な事をベラベラしゃべらないデリカシーのある子と言われたのが自分と逆でショックだったらしい。
そういうこともあってミチルに謝ろうと探したのもあるようであった。
ミチルは何かいろいろと話が繋がった気がした。
しかしミチルは自分の事をほとんど喋っていなかった。
なぜミチルがあんなに怒鳴ってしまったのかも。
しかしこの千尋という子はそういうのは特に気に留めていないようだった。
二人は特にアドレス交換などはしなかったがすぐに仲のいい友達になった。
いつも千尋のバイトが終わるくらいに丁度ミチルは駅で弾き語りをしていたのでミチルと千尋はよくロータリーのいつもの縁石に座って話をした。
大学のことバイトのこと。
好きなお笑い芸人のこと。
ハリウッドスターは誰が好きかなど。
話題は何でも良かった。
何も気を使わず話すことができた。
千尋はミチルの名前が女の子みたいだからと言ってよく男性口調の低い声を出して「ミチルちゃん」と呼んでミチルをからかったりした。
千尋は自分でそれを「ナイスガイ口調」と呼んでいたがミチルはそれで呼ばれるのを嫌がった。そしてそれをまた千尋がからかった。
しかしミチルはこういう関係も悪くは無いかもしれないとも思っていた。
大学へ入って付き合った女の子も何人かいたが体だけ的な感情しか抱かなかった。
そういうものに虚しさを感じてはいたがそういうものなのかなとも思っていた。
しかし千尋のように会話だけでこんなに楽しいと思う相手は初めてだった。
ミチルにとって自分自身をつつみ隠さない性格の千尋はとても新鮮に眩しく見えた。
しかし心の影を持つ自分には眩し過ぎる存在にも感じ始めていた。
自分とはまったく違う世界の人間にも見えて仕方なかったのである。
それから何週か過ぎたある日の夜。
いつものように駅の縁石で二人は楽しく話をしていた。
話も一段落すると、ミチルはおもむろにギターを取り出しオアシスというバンドのDon't look back in angerを弾き語りで歌った。
以前千尋が”誰が歌っているのか”とミチルに聞いてきた曲であった。
千尋は神妙な面持ちで聴いていた。
歌い終わるとミチルが言った。
「感想は聞かなくても分かってる・・。実はさ・・。」ミチルはそう静かに言うと自分の過去のことについて千尋に話し始めた。
中学の部活でのこと、音楽を聴く以外何もなかった高校のこと、大学で始めたバンドと解散と自分の声のこと。
そして自分の歌声から千尋に全てを見抜かれたと思ったこと。
全てを話した。
とても暗い話ではあると思ったがミチルは全てを話した。
千尋に自分を知って欲しいと思ったのだ。
そして話してしまわなければ何か心苦しいという気持ちもあった。
長い話が終わると今度は長い沈黙が訪れた。
その場所にはいろんな音が混じった雑音があったがミチルはお互いの息が聞こえるくらい静かに感じた。
しばらくして千尋が口を開いた。
「じゃあミチルはホントに誰かを好きになったことないんだ。」
「・・・たぶん。」ミチルは自分の汚れたスニーカーを見つめながら言った。
「じゃあ好きって言った事もないんだ。」
「・・・うん。」ミチルは言った。
「なんかそういうの苦手ってか恥ずかしいしさ・・。」ミチルは少し弁明するように続けた。
「だろうね。」千尋が言った。
「だろうねって・・。」ミチルが聞き返すように言った。
「だろうねだからだろうねよ。」
「は?意味がわかんないよ!。」ミチルが言った。
ミチルはまた意味のわからない曖昧な返答だと思った。自分はまじめに話しているのに。ミチルは千尋にそう言おうと思った。
その時突然千尋は縁石を立った。
ミチルは急に立ちあがった千尋を見上げた。
そして千尋は縁石に腰掛けているミチルの唇にそっとキスをした。
それは10秒くらいの長い時間だった。
ミチルは何が起こったかわからず目を開けたままだった。
今初めて見た目を閉じた時の千尋とその長いまつ毛をただじっと見てしまっていた。そして感じた事のないゆっくりとした時間の流れをミチルは感じた。
そして千尋は少し首を傾けて言った。
「意味わかったかな?ミチルちゃん。」いつものナイスガイ口調で千尋が言った。
ミチルは急に恥ずかしくなった。そしてからかわれたと思った。
「は?! わ、わかんねーよ!!」ミチルは言った。
「じゃ、わかるまで続けようか?ベイビー。」千尋がまたナイスガイ口調で言った。
「いいよ!もう。」ミチルは強く言った。
それを聞いて千尋は笑った。
「ミチル、手出して。」
そう言って千尋はミチルの手首を掴むと手の甲を上にした。
「何?」ミチルは言った。
「マジックだよ。」千尋が答えた。
「手品?」ミチルが訊いた。
「そう。油性のね。」千尋はそう言って自分のバックから油性マジックを取り出した。
「マジックってペンじゃん!?まさか・・」
「動かないで!このドリトル千尋におまかせあれ!」
「おいっ!」
「ちょっと動かないでって言ってるでしょ!」
千尋はミチルの手の甲に油性マジックで字を書いた。
『この人はチヒロの彼氏です。』縦横まっすぐな綺麗な字でそう書いてあった。
「何これ?(汗)」ミチルが言った。
「ハートも入れる?」千尋が軽く答えた。
「いやいいよ(汗)!」
「てか何これ?」
「だからあなたは私の彼氏です。てことだよ。」千尋がまた軽く答えた。
「え?!いつから!?」
「今から。」
「どうして!?」
「いやなの?」
「いや・・いやじゃ・・ないけどさ。」
「じゃあいいじゃん。あ、携帯貸して。」
千尋は赤外線機能を使い自分でアドレスを交換した。
「さみしい時はいつでも電話していいぜベイビー。」
千尋はミチルの肩をポンと叩きいつものナイスガイ口調でそう言って帰っていった。
ミチルはしばらくポカンとしていた。
ミチルは狐につままれるどころか擽られたような何とも言えないな感覚であった。