第9章~暦の○(マル)~
その日の午後、休憩時間の事。
昭吾は、東京日帰りツアーのパンフレットを、
先輩に見せながら、夏期休暇の交渉をした。
「若いんだから、いいよ、行っておいで。」
すんなり承諾された。
夏期休暇は五日あるが、
職種の都合上交代制。
その点は、昭吾にとって好都合だ。
その日の夜、水曜日でもないのに、
桃子に電話した。
「えー?昭吾くん来るの?いつ?」
「八月最終週の土曜日だから、二十七日だよ。」
「八月二十七日だね、カレンダーにマルつけとこっと。」
「僕も今、しるし付けたよ。」
「なんか、夢みたい。」
「どうしたの?」
「だって、昭吾くんが東京へ来てくれるんだもん。」
「僕も、夢のようだよ。」
「やっと会えるね。」
「うん。」
電話を切った昭吾は、暦の○印を見つめながら、
松本ちあきの『きっと夏休み』を、
繰り返し聴き始めた。
上京まで二か月以上、待たねばならないが、
会えない時間が、愛育てる。
昔のこんなフレーズの歌を思い出した。
梅雨が明け、昭吾は初めて、夏の職場を経験した。
昼間の火の上での格闘。
しかし、バテるわけには行かない。
毎週水曜日の、桃子との電話と、
暦の○印を励みにしながら、
初めての夏を、疾走している。
始発電車で、先輩たちより一足先に出勤する事も、
辛くなくなった。
暑さのピークが過ぎる、晩夏の頃、
上京する時の服について、悩み始める昭吾。
いちばん歳が近い先輩に、相談した。
広島市内のブティックを紹介してもらい、
公休日に、服を揃えた。
八月最終週の水曜日も、
桃子に電話をする昭吾。
「いよいよだね、会えるの。」
「うん、なんか、緊張してきちゃった。昭吾くんは?」
「僕もドキドキだよ、凄く。」
「明後日の夜、電車に乗るんだよね?」
「うん。そして、土曜日の一〇時一〇分。」
「東京駅のホームで、会えるんだよね。」
「到着ホームと何両目に乗るかは、出発前に電車するね。」
「うん、待ってる。昭吾くん、どんな服着て来るの?」
「真っ赤なボーリングシャツだよ。」
「真っ赤?広島カープの赤だね。」
「広島じゃけえね、今年は凄い左腕が入団したし、」
「私、野球の事よくわかんないけど、
カープの話題を聞くたびに、
昭吾くんの喜んだ顔、想像するなぁ。」
「カープは広島の誇りじゃけえね。」
「真っ赤なボーリングシャツ、覚えておくね。」
「じゃまた明後日、電話するからね。」
「うん、待ってる。」
「おやすみ。」
「おやすみなさい。」
電話を切った後、
何気にラジオのスイッチを入れ、
いつも聴いていた、深夜番組を聞く昭吾。
突然、松本ちあきの『きっと夏休み』が流れ始めた。
「リクエストは東京都の、恋するキャンレディちゃん。」
桃子の、リクエスト曲だ。
「なに、何?今度の土曜日に広島のペンフレンドが、
恋するキャンレディーちゃんに会いに来るんだ。
すごいですねえ、
この番組でも繋がってる、彼の事だね。
なんか僕、このDJの仕事やってて良かったなぁ。
今夜は僕、祝っちゃいます、お二人に。」
なんとなく照れくさい、暦の○印まで三日前、
窓の外からは、虫の声が騒々しい夜の事でした。




