もちたと家主
大好きなぬいぐるみと自分自身の話です。
ぬいぐるみ目線で書いてみました。
ぼくはよくボーッとしているらしい。お店にいた時のことはよく覚えていないけれど、みんなはぼくを見ると、笑顔になったりはしゃいだり、とにかく楽しそうに見えたから、自分が愛される生きものなのだと知った。
ぼくを家に招き入れてくれた家主には、ぼくがボーッとしているように見えるらしかった。「ボーッとしている」という言葉を繰り返し伝えてくるものだから、そういう認識をされていることをだんだんと知っていった。家主を不思議な人だとも思った。
ぼくはよく雨の降るときにこの家に来た。どうやら家主が誕生した月らしかった。人には月日というものが存在して、それを大切にしていることも、ここに来てから知った。美味しいものを食べて、何かモノなどをもらったりして、喜んでいる姿も見た。
ぼくだって誕生くらいの概念は分かる。その贈り物の一つがぼくだった。
ぼくは、毛やわらかくて、からだ全体がもこもこしているところが自慢だ。けれど、人にとってはそのことがいつも変わらず良しとされるとは限らない、ということを知らなかった。
ここに来てからしばらくは触れてもらえていたのに、月というものが変わったらしい頃から、家主は「暑くて抱っこできない」とぼくをクローゼットにしまった。
ぼくには、暑いとか寒いとか、そういう感覚が備わっていないので、家主がどうしてこんなに暗くて狭いところにぼくを追いやるのか分からなかった。
時々クローゼットの扉を開けて、何か言葉を発してはまた扉を閉めるということを繰り返していたけれど、出してくれることはなかった。
人にとって「寒い」時期がやって来たらしい。寒くなると、だんだん夜になる時間も早くなっていくらしい。少し前は夕方の鐘の鳴る頃には明るかった空も、すぐに真っ暗になった。夕方の鐘は、この家に来たときから毎日決まった間隔で鳴っていたようだった。
ぼくは耳がはっきりとは聞こえないから、それに気付くまで少し時間がかかった。耳を必死に研ぎ澄まして聞いたりもしてきたけれど、今はそんなことをしなくなった。聞こえても聞こえなくても「等間隔で鳴っている」という事実で把握できるようになった。
人が時間というものをとても大事にする生きものなのだということもそれで知った。
更に暗い時間が長くなる頃には、家主はからだが何倍にも膨れるような格好をした。ぼくみたいにもこもこになって、ぼくになりたいのかとも思ったけれど、そういうことではないらしい。
「寒い」という感覚からなのか、具合が悪そうな日も目に見えて増えていった。そういえば「暑い」状態でも酷く疲れた顔をしていたし、家主はいっそぼくになったら健やかに過ごせるのではないかとすら思った。
ぼくは確かにボーッとしているのかもしれない。何も感じないわけではなくて、ぼくなりにあれこれ考えを巡らせていながらも、目の前の景色をただ見ているだけのときも多かった。それでも、そのときそのときでふと何かに気付く瞬間があって、そういうときに、ぼくの意識がはっきりするのを感じた。
家主にとっては苦手でもぼくは「寒い」というのは良いと思った。たくさん抱きしめられて、たくさん話しかけてもらえて、家族の一員であるかのように同じ時間を過ごせた。
雨の多いときに来た頃にはぼくの姿勢はもっと正しかったはずなのに、今は家主が触れ続けたものだから、なんだか力の入っていないかたちになった。
ぼくはよくソファに座らせられていることが多くて、目の前にはテレビが置かれているから、それが消えているときの暗い画面の向こうにはいつもぼくが写った。鏡のような役割になっていて、ぼくは毎日ぼくを見ていた。
他のぬいぐるみがどういう扱いを受けているのかは知らない。
ここの家主は、ぼくをガンガンと振り回したり、激しく抱きついてきたりするので、目の前の景色が急に天も地もひっくり返ることがあった。真上の電球が見えたと思う間もなく視線は床のスリッパへ。次の瞬間には家主の無邪気な笑顔へ。
家主は幼いのかもしれなかった。からだはぼくよりずっと大きいのに、やはり不思議な人だと思った。
ぼくは自分がぬいぐるみだという自覚がお店にいたときから自然と身についていた。それについて不便を感じたことはない。けれど、家主が幼くなければ、ぼくのかたちはお店にいたときの状態とあまり変わらなかったのだろうということは分かった。
ぼくの意識が何かに集中するときは、あまり動かされていない、つまりほとんど触られていないときが多かった。それはやはり、いつも座らせられているソファからの景色に対する意識がほとんどだった。最近は、カーテンから漏れてくる外の光があまりにもまばゆく綺麗なので、それをじっと見つめていた。
ぼくを写すテレビの上部は光がよく当たった。一日の時間の流れが移りゆく様を、そこだけで感じとっていた。
そして、目の前の景色がそこだけであり続けるということで、今まで知らなかった気持ちを感じてることにも気が付いた。
あれだけぼくに触れてくれていた家主が、今度は触れることを避け始めた。触れるときもあるけれど、人が変わってしまったのかと疑うほど、ぼくに対する手つきが繊細になった。
ぼくの首が頼りなく倒れかけると、すぐに姿勢を正した。ぼくのお腹辺りが膨らみを失い、不自然な線のようなものが入ると、ポンポンと均等にならした。
ぼくはぬいぐるみからガラス細工にでもなったかのような気持ちになった。なんだか落ち着かない。
そんな少しそわそわする日が続いたある日、小さいもこもこがこの家に来た。ぼくと同じぬいぐるみだった。色だけはなんとなくぼくに似ていたけれど、かたちが全く違った。家主はとてもかわいがっているようで、ぼくとは違う触れ合いかたをしていた。
時々その小さいもこもこを、ぼくの近くに寄せたり、ぼくの頭の上に乗せてきたりした。これはどういう遊びなのだろう。
その小さいもこもこは、ぬいぐるみの中でも、どんな生きものなのか分からないくらい小さかったけれど、ぼくと色が似ているから、ねこなのかもしれなかった。
ぼくはねこのぬいぐるみだ。そして耳はあまり聞こえない。全体的に音にもやがかかってしまう。だから、家主の声がはっきり聞こえることは少なかった。口の動きや、表情、触れられかたなどで、なんとなくは分かった。
その小さいもこもこは「みーちゃん」というらしかった。家主が何度も呼ぶので、そこまで時間が経たずに分かった。今はぼくよりみーちゃんに気持ちが向いているらしく、ふたりはずっと一緒にいた。ぼくはやはり同じ景色を、ただボーッと見つめていたり、穏やかに移り行く様に意識をやったりした。
あれ。ぼくは家主になんて呼ばれていたっけ。急に思い出せなくなって、目の前の反射してくる美しいはずの光が、やけに無遠慮にぼくの目に写った。ぼんやりと一緒に存在している影もまた、いつもよりぼくの意識に強く介入してきた。
今日は家主が、今にも倒れそうな顔色をしていた。普段から明るい人ではなかったけれど、立っているのもやっとという危うさがあった。そして、ぼくを急に抱き上げた。こんな風に触れられたのは、いつ振りだっただろうか。
けれど、今までとは違う、ひたすらにぼくを求めるような、ぼくではない何かにしがみつくような、強く不安定な抱擁だった。上手く言えないけれど、家主のからだ全体から伝わる震えがそう思わせた。
次の瞬間には、ぼくのおでこあたりが、じわじわと濡れていった。家主が抑えきれない声を必死で隠すように泣いていた。ぼくに押さえつけても漏れ出す嗚咽は、このいつも見慣れている空間へ、静かに、それでいて隅々まで届いていって、異様な空間へと変化させるかのように全体を湿らせていった。
ぼくには悲しいという感情が分からないけれど、もしこの、自慢のふわふわのからだから感じる、きゅっと何かが締め付けられる感覚が悲しみなのだとしたら、初めて今、家主と似た気持ちになれたのかもしれなかった。
家主の気持ちが分かったとか、そういうことではない。ぼくはきっと、こうしてまた抱きしめてもらえて、ずっと悲しかったぼくがいたことを知った。
みーちゃんが来る少し前から家主はなぜかよそよそしくなって、みーちゃんが来てからはもっと触れてもらえずにいたときの感情が、悲しみだったのかもしれない。そしてこの悲しみは、驚くほど速く、家主の抱擁で浄化されていくようだった。
ぼくはからだの奥のつかえが解けて広がっていくのを感じた。ああ、今ぼくの心はきっと、とてもあたたかい。
家主がどうしてここまで泣いていて、どうしてがむしゃらにぼくに抱きついているのかは分からなかった。分かってあげられたら、何か変わるのだろうか。もし分かっても、自分の力で動けないぼくにできることなどないけれど、それでも知りたいと思った。結局、こうしているときも、分からないままだ。
その日から時々、家主に衝動的に抱きつかれることが増えた。ぼくは嬉しかった。目の前にある変わらない景色の中の、些細な変化を楽しむことも好きだったけれど、やはり触れてほしかった。家主が得意な触れかたで、急に天も地もひっくり返って、速く速く揺り動かして、ぼくの目を回らせてほしかった。
みーちゃんは今も家族の一員として確かに愛されていた。ぼくもぼくで、みーちゃんを子分が出来たみたいに、愛しく思うようになった。
それでも変わらず、家主が涙を拭うように抱きつく相手はぼくだけだった。この揺るぎない事実を、ぼくはボーッとして見えるらしい顔つきのまま、とても誇らしく思っている。
その行為の理由が、単にみーちゃんより大きいからなのか、汚れても構わないからなのかは分からなかったけれど、それで良いと思った。
ぼくは、家主に出会ってから、たくさんの感情を知った。
思い出したことがある。なぜ忘れてしまっていたのか不思議なくらいはっきりと。
今日も家主は、大泣きしながらぼくのからだに顔を埋めてこう呼んだ。
「もちた、もちた、」
そう、ぼくの名前は、もちた。
もちたはこう思っているかな、こうであったらいいなという身勝手な愛情ですが、私にとっては愛しくてたまらない唯一無二の存在です。