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【19話】オリビアの嘘


 ゼリオ様の話を受けてから一週間。

 

 この間私は、レオン様と顔を合わせていなかった。

 たったの一度もだ。

 

 私たちは別れることが既に決まっている。

 一緒の時間を共有しても、レオン様の傷をいたずらに広げてしまうだけだろう。

 

 彼はもう、十分ボロボロだ。

 これ以上私のことで傷ついてほしくなかった。

 

 私は今日、この屋敷から出て行くことになっている。

 ひとまずは生家であるリルテイル子爵家に戻ろうと思っているが、その先のことはまだ決めていない。

 

 そうだ! お菓子屋さんのケーキ、全部買い占めてしまいましょうか!

 

 子供の頃からの夢を思い浮かべる。

 いっぱいお金を持っている今だったら、それを叶えることは容易いだろう。

 

「なんてね」


 小さく笑ってみると、私だけしかいない寂しい部屋に虚しい笑い声が広がった。

 

「この部屋とも今日でお別れか」


 ベッドの縁に腰をかけた私は、部屋全体をぐるっと見渡す。

 

 生活の大半をここで過ごしてきた。

 この光景を見るのが最後だと思うと、ちょっとだけ寂しい気分になる。

 

 扉の方からノック音が聞こえてくる。

 

「アンナです。馬車の準備が整いました」

「ありがとう」

 

 馬車の行き先はリルテイル子爵家。

 ついに出立のときが来たようだ。

 

「今までありがとうね。それじゃ、さようなら」

 

 部屋に別れを告げて、私は立ち上がった。

 

 

 部屋の外へ出てみると、ガクリと肩を落としているアンナが立っていた。

 

「あれ、どうしたのアンナ? 今日は元気ないじゃない」


 アンナはいつだって、元気ハツラツな女の子。

 見るだけで元気を貰えている。

 

 それなのに今日は、いつもの太陽のような明るさがない。

 どんより曇った顔で、見るからに沈んでいた。

 

「私、もっと奥様といろんなお話をしたかったです……!」


 エプロンの裾をギュッと掴んだアンナ。

 涙がポロポロと溢れ出て行く。

 

「私もよアンナ。あなたのことを友達のように思っていたもの」


 ハンカチを取り出した私は、アンナの濡れた頬にそっと押し当てる。


「ありがとうね。あなたに出会えてよかったわ」

「どうかお元気で」

「これからも元気なあなたで頑張ってね」

「はい……!!」

 

 大きな声で返事をしたアンナは、泣きながらも笑ってくれた。

 それは私が大好きな、彼女の元気な笑顔だった。

 

 

 屋敷を出ると、すぐ目の前に馬車が停まっていた。

 アンナが言っていたのはこれのことだろう。

 

 馬車の出入り口のところには、ローエンが立っていた。

 アンナと同じく、暗く沈んだ顔をしている。

 

「このような結果となってしまったのは、私の力が至らなかったせいでございます。大変申し訳ございませんでした」


 深々と頭を下げるローエンは、手の甲に血管が浮き出るくらい力いっぱいに拳を握っている。

 押し出すような言葉には、たっぷりの後悔が乗っていた。

 

「顔を上げてちょうだい。あなたは何も悪くないわ。気に病む必要なんてどこにもないわよ」

「ですが私は、何もできませんでした……!」

「そんなことないわ」


 声を詰まらせたローエンに、私はにこりと笑いかける。


「ねぇ、ローエン。庭で話した時のことを覚えてる?」

「もちろんでございます」

「あなたはあのとき、私を信用してくれた。ちゃんとした理由を話せなかった私のことをね。本当に嬉しかったわ。だから、それだけで十分よ」

「奥様……!」

「レオン様が困っていたら助けてあげてね。お願いできるのはあなたくらいだわ」


 ローエンはハンカチを目にあてながら、力強く頷いてくれた。

 

 まるで、お任せください、と言わんばかりの返事に私は満足。

 胸をなで下ろして馬車に乗った。

 

 アンナ、ローエン。

 関りのあった人にはお別れの挨拶ができた。

 

 レオン様に言えないのは心苦しいけど、こればかりはしょうがない。

 

 でも大丈夫。私たちは心で繋がっているんだもの。

 

 首にかけているエメラルドのペンダントを撫でる。

 レオン様から貰った宝物――これがある限り、離れていても繋がっていられるような気がした。

 

 ソファーに座った私は、車窓から外を眺める。

 

 この景色を見るのは、今日で最後になるだろう。

 レオン様と過ごした思い出いっぱいのこの場所を、しっかりと瞳に焼き付けておきたかった。

 

 最後…………か。

 

 レオン様と過ごした楽しい日々が、数々の幸せな思い出が頭によぎる。

 それももう、これで終わってしまう。

 

 ポタリ――。

 涙の雫が頬からこぼれ落ちる。

 

 もう我慢の限界だった。

 

 この一週間、私は自分に嘘をついてきた。

 

 レオン様と顔を合わせないのは、彼の心の傷を広げたくないから。

 そう自分に言い聞かせてきた。

 

 でも、本当の理由は違う。

 

 私だ。

 私が傷つきたくなかったからだ。

 

 これ以上レオン様との思い出を作っても別れる時に辛くなるだけ。

 だったらもう、思い出なんていらない。

 

 傷つくのが嫌で、嫌で嫌でたまらなくて。

 それで私は逃げた。

 

 ガタン。

 車内が揺れ、馬車が動き始めた。

 

 大切な私の居場所が、どんどん遠ざかっていく。

 

「嫌……嫌だよ!!」

 

 誰にも言えなかった本音を叫ぶ。

 

 レオン様とずっと一緒にいたい。

 離婚なんてしたくない。

 私以外の女の人と結婚なんてしないでほしい。

 

「お金なんていらない! 私はまだここにいたいの! だからお願い……戻ってよ!!」


 けれども、馬車は止まってくれない。

 

 ヒヒーンと、馬が陽気な声で鳴く。

 その声は、未練がましく叫んだ私を嘲笑っているかのようだった。

 

 私は下を向いたまま泣くことしかできない。

 嗚咽と涙が、車内をいっぱいに満たしていく。

 もういっそこのまま、消えていなくなりたい。

 

 そのとき。

 門扉を出る手前で馬車が急停止した。


 出入り口の扉が開く。

 悲しみでいっぱいの車内に、一人の男性が入ってきた。

 

 彼は私の目の前までやってくると、私の手を掴み上げた。

 優しくて逞しいその腕は、私がよく知っているものだった。

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