【18話】そのお気持ちだけで十分です
隣では、レオン様が目を大きく見開いている。
瞳に宿っているのは、とてつもない驚愕だ。
「今のままではムペード公爵家との繋がりを得ることはできない。であれば、それが実現できるよう現状を変えればいいだけのこと。非常に簡単な話だ。まさかこんなことも理解できんとはな……。レオン。私を失望させないでくれ」
両の手のひらを上に向けて肩をすくめたゼリオ様が、深いため息を吐いた。
「オリビア。お前には悪いことをしたな。だが安心していいぞ。大量の金をくれてやる。今後の人生、遊ぶのに困らないくらいの大金だ。本来ならばここまでしてやる義理はないが、私からの好意だ。感謝してくれたまえ」
……なによそれ! ふざけないでよ!!
どこまでも身勝手な決定に、思考を止めていた脳が動きを再開。
ぐつぐつと煮えたぎるものが込みあがってくる。
それは紛れもなく純粋な、怒りと言う名の感情だった。
大金をちらつかせれば喜んで離婚を受け入れる――きっとゼリオ様は、そんな風に思っているのだろう。
ダメだ。
この人は何一つだって、私のことを分かっていない。
大好きなレオン様とお金なら、私は迷わず前者を選ぶ。
金で解決できると思っているのなら、そんなのは大間違いだ。
言ってやるわ!
間違いを正そうと声を上げる、その直前。
「い、嫌です。オリビアと別れたくありません……!」
聞こえてきたのは、せいいっぱい喉から押し出したかのようなか細い声。
それは、レオン様からだった。
【父上に逆らうなんて初めてだ……。怖い。押しつぶされそうだ。でも、それでも……! 俺はオリビアと一緒に居たいんだ!】
ゼリオ様の瞼がピクリと動いた。
口元は歪み、表情全体にイラつきが浮かんでいく。
「……レオン。お前今、なんと言った?」
「オリビアと別れたく――」
「レオン!!」
ゼリオ様の怒号が響き渡った。
見るもの全てを芯から震え上がらせるような、威圧的で恐ろしい雰囲気を放っている。
かつて湖でレオン様が見せた殺気を孕んだ雰囲気と同じ――いや、それ以上の迫力だ。
私はとっさに、ゼリオ様から視線を逸らす。
あまりにも恐ろしくて、直視なんてとてもできなかった。
「愚かなお前に、もう一度だけチャンスをやろう。今度こそ本当のことを言え!!」
「…………ッ!」
拳をぐっと握るレオン様は、答えようとしない。
必死で何かをこらえているような、苦々しい表情を浮かべている。
幼い頃より教育されてきたゼリオ様に逆らうという行為は、相当怖くて恐ろしいはず。
見ている私まで痛々しい気分になってしまう。
【ごめんなさい父上! 言うこと聞くから、もうそんな怖い顔しないで……! 殴られるのはもう嫌だよ!!】
レオン様の心の声は悲痛な叫びを上げていた。
でもレオン様は、その気持ちを口にしていない。
ずっとこらえている。
それはきっと、私のためだ。
私と離れたくない一心で、必死になって我慢してくれているのだろう。
…………ありがとうございます。その気持ちだけで私は十分です。
震えているレオン様の拳を、両手で包み込むようして握る。
「レオン様。今までありがとうございました」
「――!? どういうことだオリビア!!」
「離婚しましょう」
もう辛い顔を見たくない。
私のためにこれ以上苦しんでほしくない。
だから私は、自分から関係を終わらせる道を選んだ。
「物分かりが良くて助かる。……さて。あとはお前だけだぞ。くだらん意地を張るのはもう止めろ。お前が私に逆らえないことは知っている」
顔を俯かせたレオン様は、「…………父上の言う通りにします」と呟く。
消えてしまいそうなほどに弱々しいその声には、悲しみと後悔がたっぷりに詰まっていた。




