【13話】ピンチ
昼食を食べ終わる。
私に爪痕を残したレオン様の笑顔。
あれから私は変になってしまって、あまり喋れなかった。
どうにも緊張してしまい、うまく言葉が出てこなかったのだ。
今までこんなことなかったのに。急にどうしちゃったのかしら……。
せっかくの楽しい空気を壊してしまった。
草木が生い茂っている茂みに向けて、小さなため息を吐く。
「シートを片付けようか」
「はい」
「いや、片付けは俺ひとりで大丈夫だ。君は休んでいてくれ」
「え、でも――」
「湖にもう少し近づいてみるといい。なびく風が心地いいんだ」
「……分かりました。そうしてきます」
目の前の湖に向けて、トボトボと足を動かしていく。
レオン様はきっと、元気のない私を心配してくれたのだろう。
何やってんだろ、私……。
余計な気を遣わせてしまった申し訳なさと、そうさせてしまった自分への憤り。
二つの感情が胸の中に渦巻く。
「私今、どんな顔しているのかしら」
しゃがみ込んで水面を覗き込んでみると、落ち込んだ顔をしている自分が映った。
こんなんじゃ、レオン様に心配されるのも無理ないわね……。
水面に向けて自虐的な笑みを浮かべた、そのとき。
グルルルル……!!
唸るような獣の声が、背中越しに聞こえてきた。
恐る恐る後ろに振り向く。
そこにいたのは大きな狼だった。
銀色の体毛を逆立て、猟奇的な目つきで私を睨んでいる。
鋭利な牙がついた口からは、ダラダラとヨダレが垂れていた。
良い獲物を見つけた――とでも思っているのだろうか。
早く逃げないと!
このままじっとしていたら、あの鋭い牙に喉笛を噛み千切られてしまう。
一刻も早くここから動かないといけない。
頭では分かっている。
でもそれなのに、体が言うことを聞いてくれなかった。
立ち上がることはおろか、指先ひとつ動かせなくなっている。
お願い! 動いてよ!!
こんなにも必死になっているのに、びくともしてくれない。
絶対的な『死』を前にして、私の体は私のものではなくなってしまった。
嫌だ! 死にたくない!!
「助けてレオン様!!」
目を瞑った私は、真っ先に心に浮かんだ人の名前を大声で叫ぶ。
「もう大丈夫だ」
優しい声が私の体を包む。
目を開けてみれば、膝立ちになったレオン様に抱きしめられていた。
私の頭はレオン様の胸元にすっぽりと埋まっている。
レオン様の厚い胸板にぴったりついている耳に、ドクンドクン、という心臓の音が流れ込んできた。
その音が、私に大きな安心をくれた。
恐怖で動かせくなっていた体が、元の機能を取り戻していく。
「怪我はないか?」
「ありません――って、そうじゃないです! 早く逃げないと!!」
レオンが助けに来てくれたことに安心していたが、そんな余裕はどこにもない。
今もなお、狼に狙われているという状況は変わっていない。
このままでは私もレオン様も、狼の餌食になってしまう。
「その必要はない。俺に任せろ」
「任せろって――!?」
スッと狼へ顔を向けたレオン様。
瞬間、豹変した。
真紅の瞳がナイフのように鋭く尖った。
見るもの全てを怯えさせるような、ギラギラとした眼光が宿っている。
それだけではなく、雰囲気も変わっている。
温かくて優しい雰囲気が、一瞬のうちに威圧的なものへと変わった。
全てを押しつぶすような空気は、殺気までをも孕んでいるかのように重くてとげとげしい。
今すぐ立ち去れ。でなければ殺す――この場において絶対的な捕食者である狼に対し、そんな無言のメッセージを放っている。
今までのレオン様とは、まるで違いすぎる。
あまりの迫力に、ただただ私は圧倒されるしかなかった。
「ク……クゥゥン」
怯えた表情を見せた狼は、私たちに背を向けて茂みの向こうへ消えていった。
何に怯えて何から逃げたのか。
そんなものは考えるまでもなく明らかだった。
「助けていただきありがとうございます。すごい迫力でしたね。私までひやひやしちゃいましたよ」
「父上に色々と教えられてきたからな。……それにしても」
私の目をじっと見つめてきたレオン様は、そのままずいっと顔を近づけてきた。
え、ちょっと! 近い! 近すぎるんだけど!!
いつもよりずっと距離が近いせいか、ものすごくドキドキしてしまう。
私の顔がみるみるうちに真っ赤になっていく。
もう危機は去ったというのに、どうしてだろうか。先ほどよりも心拍数が上がっている気がする。
私はプイっと顔を逸らした。
恥ずかしすぎて、レオン様の顔をまともに見ていられない。
いったん別のことを考えましょう! こういうときには、それが効果的なはずよ!
そんな現実逃避のために私が選んだ方法は、レオン様の心の声を聞いてみるというもの。
手近な現実逃避は、これ以外に思いつかなかった。
【間近で見るオリビア、いつも以上に可愛いな! 好きだ! 大好きだ!】
しかしながら、逆効果。
とっさに取った行動は、私の顔をより一層真っ赤に染め上げるだけだけ。墓穴を掘ってしまった。




