【1話】旦那様の本当の声
「毎度ながらに思うことだが、貴様の顔を見ながら食事をすると飯がまずくなるな。せっかくの昼食が台無しだ」
理不尽な罵倒を飛ばしてきたのは、私の対面の席に座っているレオン・ゼレブンタール様。
二十五歳の侯爵家当主で、私の夫だ。結婚してからもう一年になる。
続いて聞こえてきたのは、
【今日もオリビアはかわいいな。一緒に食事が出来て本当に幸せだ!】
先ほどとは、まったくもって正反対の声。
これも対面に座るレオン様の声だった。
でも、今の声は普通の人には聞こえない。
これは、レオン様が心で思っていること――心の声。
他人の心の声を聞くことができるという、世にも特殊なスキルを持つ私――オリビア・ゼレブンタールだけが聞くことができる。
私がそのスキルに目覚めたのは、つい五時間ほど前のことだった。
朝食を終えた私は食堂から私室に戻ろうと、通路を歩いていた。
通路では、私に背を向けて一生懸命に窓ふきをしているメイドがいる。
彼女はアンナ。
二週間ほど前からここ、ゼレブンタール邸で働いている。
アンナは十八歳で私と同い年。
何度か話したこともあるが、元気で明るい真面目な女の子だ。
頑張ってね!
すれ違いざま、アンナの背中へ向けて心の中でエールを送る。
そうしたら、
【どうしよう、背中がかゆいわ……。あー、かいてかいてかいてー!!】
という声が聞こえてきた。
なんだろう。ものすごく変な聞こえ方だわ……。
その声は普通とは少し違っていた。
耳から入ってくるのではなく、頭に直接響いてくるような感じがする。初めて体験する感覚だ。
違和感を覚えながらも、私は首を動かして周囲を確認する。
……どうやら私に言っているみたいね。
この場にいるのは、私と彼女の二人だけ。
他に人がいない以上、私に言っていることは明らかだった。
それにしても、アンナってこんな口調だったかしら?
私と話す時、アンナは敬語を使っている。
同い年だから敬語はいらないと言っても、頑なに崩そうとはしなかった。
それなのに今日に限っては、めちゃくちゃフランク。
どうして急に、そんな口調になってしまったのだろうか。
【ちょっと、どうしようこれ……ほんとにかゆいんだけど! 早くかいてー!!】
分からないけど……とにかく背中をかいてあげなきゃ!
かけられた声を無視するというのは気が引ける。
困っている人がいて私を頼っているのなら、力になってあげたい。
こういうことって初めてだけど、どんな風にすればいいのかしら……。
生家であるリルテイル子爵家で、一通りの令嬢教育は受けてきた。
一般的な教養やマナーは身についている。
しかし、人の背中のかき方、というのは教わっていなかった。
難しいけどやってみるしかないわ……!
今、アンナを助けられるのは私しかいない。
決意を固めた私は、アンナの背中に爪を立てる。
いきなり強すぎると痛いかもしれないから、最初は優しくがいいわよね。
ひとりコクコクと頷いてから、背中に立てた爪をそーっと動かしてみる。
「ひぃいいっっ!!」
瞬間、アンナの口から上がった大きな悲鳴が通路に響いた。
私に向けて、アンナがバッと振り向く。
大きく開いた瞳を何度もまばたきして、肩を上下させている。
「いきなり何するんですか!?」
「えっ……背中をかいてって、私にお願いしたでしょ?」
「そんなこと言ってませんよ!」
「言ってたわよ。『あー、かいてかいてかいてー!!』って。子供みたいでちょっと可愛かったわ」
アンナの顔が真っ赤になる。
顔を俯かせ、メイド服のエプロンの裾を両手でくしゃっと握った。
「…………どうして知ってるんですか」
「どうしてもなにも、口に出してたじゃない」
「言っていません! 思っていただけです!!」
思っていただけ? それじゃあさっき変な声は、アンナの心の声ってこと? …………なんとなく分かってきたわ。
頭の中で歯車がカチリと噛み合う。
アンナの声が変な聞こえ方をしたのは、口から出た言葉ではなく心の声だったから。
そう考えれば納得できる。
私、心の声が聞こえるようになったのね。
世の中には色々なスキルがあるが、他人の心の声が聞こえる、というのは聞いたことがない。
とんでもなく珍しいレアスキルのはずだ。
そんな特別なものを私が会得したなんて信じられないけど、信じるしかない。
論より証拠。実際に起こった出来事がそうだと証明していた。
さて、話を今に戻そう。
こうしてスキルに目覚めた私は、ただの興味本位でレオン様の心の声を聞いてみることにした。
どうせ罵倒の声が聞こえるだけなんだろうけど……。
私はレオン様にひどく嫌われている。
結婚してからのこの一年、冷たい言葉や態度を浴びない日はなかった。
この結婚は、両家にとって利益があるという理由だけで、互いの親同士が勝手に取り決めたもの。
私もレオン様も、自分から望んで夫婦となった訳ではない。
たぶんそれが、嫌われている理由。
好きでもない女と夫婦生活を送らなければならないのが、嫌で嫌でたまらないのだろう。
だから、心の中でも罵倒されているに違いない――そう思っていたのに、
【今日もオリビアはかわいいな。一緒に食事できて本当に幸せだ!】
聞こえてきたのは、まったく正反対のものだった。
どういうこと!?
あまりの衝撃に、私は緑色の瞳を大きく見開いた。
ビクンと跳ねた背中の動きに合わせて、金色の髪が揺れる。
「なんだその反応は? 俺の言葉に傷ついたのか?」
【急にびっくりしたようだけど、どうしたのかな……】
「…………いえ、なんでもありません」
大きく動揺しながらも、なんとか平静を保っているふりをする。
とても、あのレオン様が思っていることとは思えない。
まるで別人だ。
本当に心の声が聞こえているのよね……?
スキルに対する不信感がつのっていく。
「わ、私もレオン様と一緒に食事ができて幸せですよ!」
スキルが本物なのか確かめるため、そんな言葉をかけてみる。
レオン様がどんな反応をするかで、答えが分かるはずだ。
「……っ! な、なに意味不明なことを言っている!」
恐ろしいくらいにパーツの整っているレオン様の顔が、一気に真っ赤に染まった。
美しい銀髪の合間から覗く真紅の瞳が、右へ左へ落ち着きなく動いている。
あ、これ本物だわね。
レオン様は動揺丸だし。
このスキルが本物なのだと、私は確信した。
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