真の聖女とばっちり未遂事件
この国では、というかこの世界では王族と聖女、または聖人が婚姻を結ぶのは常識である。
この世界を作った神様直々にそう決めた。
――というのも、王侯貴族たちは自らの血を尊いものとしその血を絶やすなとした結果、見事なまでに近親婚が繰り返されるようになってしまったのである。
そうなると今度は血が濃すぎて子が生まれなくなってくる。血を絶やさないために仕出かした事が結果として首を絞める形となる。本末転倒だった。
だがしかしそんな仕組みをまだ人々は理解していなかった。
平民たちは数を増やすというのに貴い身分の我らは中々子をなせぬ……ま、そういう宿命なのだろう……なんて選民思想バリバリで妄想して各々納得させていたのである。
神はそんな人間たちを見て「なんと愚かな」と微笑んでいた。馬鹿な子ほど可愛い、そんな気持ちで。
だがしかしその結果王侯貴族たちが滅んだなら、平民たちだけが残されそこから民を導くものがすんなり現れるかとなると……まぁ厳しい。
自分たちも王になれる機会があるとなれば、今までの貧乏生活とはおさらばして民からの税で裕福な暮らしをしたい、なんて思う民はどうしたって存在する。
となれば、次の王は俺が! とばかりに戦乱の時代を迎える可能性はとても高かった。
結果として人類の数が激減……なんて事になるのも神としては困る。
新たな人類を作り出すのは容易だが、世界を作る際の理としてその際は旧人類を根絶やしにしなければならない。そこまでは流石にやりたくなかった。
全ての旧人類が滅んだあとならともかく、こういうのは大体少数でも残り続けるのだ。細々と。
なので、神は考えた。
血が濃すぎるのなら薄めるしかない。
そのためにどうするべきか。
自分たちは選ばれたと思っている愚可愛い人間が、平民と結婚しても構わないと思わせるだけの付加価値をつければ良い、と。
そうして生まれたのが聖女や聖人である。
神の祝福を与えられた選ばれし存在。
その祝福により土地に実りを、風土病などを抑える効果を、魔物を遠ざける聖なる力を――と無力な人間たちからすれば絶対に手放したくないような祝福を与えられた彼ら、彼女らは神の思惑通りに王族やそれに近しい血の貴族の家へ迎え入れられる事となった。
能力だけをアテにして、結婚した後で聖女や聖人が蔑ろにされるのはとても困るのでその場合は適度に神罰を与えた。そうする事で、最初のうちはやらかしていた貴族たちの数も徐々に減ってきたのである。
神の目論見通りであった。
だがしかし。
人間とは代替わりをするものである。
時代の移り変わりとともに過去の出来事は徐々に記憶から薄れ風化し、忘れ去られていくものである。
過去の人間が教訓として残したものも、所詮は過去の出来事として軽んじられるようになってしまう。
それこそがまさに歴史は繰り返すという事になってしまうわけだが。
そう、つまりは今回も出てしまったのである。愚かな権力者が。
――聖女や聖人として神の祝福を与えられた者は必ずといっていいほど平民から現れる。それは神がそうしているからだ。そうしないと近親婚繰り返して血をどんどん濃くして子孫ができなくなっていく貴族たちへの神様なりの配慮でもあった。
ところがそんな平民と自分が結婚など、ましてや子作りをするなど冗談ではない! と思う者も中にはいる。嫌なら他の相手にしてもらうなどの方法がないわけじゃないのに、大抵やらかす奴は話し合いをすっ飛ばしてことに及ぶのだ。
第一王子アスターは自分の結婚相手にと選ばれた聖女に不服であった。容姿は見れなくもないけれど、平民であるが故に礼儀作法は貴族に及ばず、自分たちにとって常識だと思う事すら理解できていない節がある。
聖女に選ばれたという事で、神殿でそれなりに教育を施されたりはしているが、それでも王子にとって求める水準以下。学ぶ意欲はあるので今後に期待すればそれなりになると周囲は言っていたけれど、アスターはどうしても我慢ならなかったのである。
そんなに嫌なら他に聖女と結婚したいという相手に譲ればいいのに、しかしアスターはそれをしなかった。
聖女や聖人と結婚し子を作るのは昔からほぼ王族であり、また確実に血を残さなければならない相手だ。
つまり聖女や聖人と結婚した相手が次の王になる――とアスターは思っている。
実際は必ずそうとは限らないが、しかし過去の出来事からそういう傾向にあるのは否定できない。
そして聖女と結婚してもいいと言っている相手がよりにもよってアスターの弟でもあるミケルだ。
そうなると、聖女を譲った時点で次の王としての地位も譲るとアスターが思い込んでしまうのも、多少は仕方がなかったのかもしれない。
そうして次の王という立場を絶対に譲りたくはないけれど、でも聖女と結婚するのはいや、という我儘をどうにか実現させようとしたアスターは、自分とそこそこ良い雰囲気になっていた公爵令嬢を巻き込んで、聖女に向かって真の聖女は彼女でお前は偽物だ! よくも王家を謀ってくれたな! 追放してやる! とやらかしたのである。
「――それで、ミレイユ、お前はアスター王子と本当に結ばれたいと思っているのかい?」
やらかしたといっても、事態はすぐに終息した。
した、というか完全解決にはまだ至っていないが大体片付いている。
王子に命じられて無理矢理聖女を馬車に乗せ港町付近に追放しようとしていた者たちはしかし流石に不味いと思っていたのでなるべく不自然に思われない程度に様々な事を引き延ばして出発を遅らせたし、その間に方々に速やかに報告を入れた。
結果として聖女は追放されるわけでもなく、早々に第二王子ミケルが保護した。
聖女は現在ミケルと一緒に多くの使用人に囲まれて、のんびりお茶とお菓子を楽しんでいる。
そしてそれとは別の場所で、やらかした相手に事情聴取としゃれこんでいるのは、この国の宰相であり公爵であった。ミレイユというのは王子が妻にと望んでいる公爵令嬢、つまりは宰相の娘である。
「あの、そうは言ってもわたくしそもそも真の聖女ですらありませんし……殿下とは確かに何度かお話をする機会はありましたけど……わたくしには婚約者がおりますでしょう? どうしてこんな事になってしまったのか、わたくしにもわかりませんの」
ミレイユは明らかに困惑していた。
この時点で完全にアスターの暴走であった事が判明する。
「勿論、これが王命である、というのでしたらわたくしも従わざるを得ないのでしょうけれど……ですが、そんな事にはなりませんよね? お父様」
「そうだな」
何せ血が濃いが故にそれを薄める事として現れるのが聖女や聖人だ。
定期的に現れるわけではないが、聖女も聖人もいない時は権力のつり合いだのなんだのと言ってすぐに身内同士で固まろうとすることもあるせいで、油断してるとすぐ血が濃くなる。
仮に王家と公爵家とで結びついたところで、子供はできにくいだろうし、そうなれば家を継ぐ者が絶える。もっとずっと遠い未来でなら旨味も出てくるかもしれないが、現時点では何も利点がなかった。
それでもどうしても、子ができずとも愛しているから結ばれたいのです、と訴えられたならば少しくらい考えたかもしれない。
別にアスターでなくともミケルと聖女が子を作れば、そうして多く生んでもらえれば養子を迎えて家を続かせていく事は可能だろうし。
アスターとミレイユに子がいなくたって、そういう風に跡取りを確保できれば問題はない。公爵家だって王家の血が流れているし、そういう意味では家を乗っ取られるという事にもならないので。
けれどもミレイユはアスターに対して特にこれといった恋情を持ち合わせてはいないようだ。
どちらかといえば親戚だからそこそこ親しい、といったところだろうか。
一応、昔からの付き合いがあるからそれなりに親しいけれど、しかしそれだけ。
「ですがお父様、殿下がああも自信たっぷりに他の誰かを真の聖女だとか言いきるなら、そうする根拠があった、という事なのかしら?」
そもそも神に選ばれた聖女や聖人を、王家がきまぐれに別人に挿げ替えるなど果たしてできる事なのか。
ミレイユはあるはずないと思いながらもふとそんな疑問を抱いてしまった。
「可能性は、ゼロではないよ」
「えぇ!? そうなのですか!?」
あるわけないだろうそんな事、と一蹴されると思っていたミレイユは思わず驚きで声を上げた。
だって、もしそんな方法があるのなら、それこそどの家だって我が家から聖女が出た、と箔付のためにやらかしそうではないか。
「聖女や聖人は平民の中から現れる。つまりは、平民落ちすれば可能性はゼロではない」
「まぁ」
その言葉を聞いてミレイユはじゃあどの家も実行しようとはなりませんわね、と納得した。
ちょっと市井に行って実家と比べれば粗末な家で生活して、平民ごっこをした程度で聖女や聖人になれるとは思わない。それ以前に市井での平民生活を体験させるにしたって、やんごとなき身分の令嬢や令息を一人で放置させるわけにもいかない。大体一人で生活できるような令嬢や令息が果たしてどれだけいる事か。
使用人を連れて護衛を密かにつけてなんちゃって平民生活をさせた程度で聖女や聖人になれるのなら、それこそ誰だってやっている。
そしてそういう存在になれたのであれば、記録にも残っているだろう。
だがそんな記録は存在していない。つまりはそれが答えだ。
家が没落し、国を追われ他の国へ渡りそこで平民として生活していればもしかしたら可能性はあるかもしれない。けれどもそれも中々に難しい問題だった。
何せこの国はそれなりに広いとはいえ大きな島なのだ。周囲は山と海で囲まれている。
他国へ行く際は船が必須だ。
家を追われた貴族が果たして他の国へ行くだけの船賃を持ち合わせているだろうか?
大抵は人のいない山へ追いやられそこで獣に食われて終わりそう。
そう考えるとミレイユはまぁ恐ろしい……とかすかに震えた。
「しかもだ、可能性はゼロではないというだけで確証はない。それどころか、平民落ちした本人ではなくそこで平民とまぐわって生まれてしまった子の方が聖女や聖人となる可能性は高い。
そうなった時、果たして平民落ちした元貴族が生きているかどうか……賭けるにしてもとても分の悪い賭けだろう?」
「なんてこと……」
聖女や聖人に神が与えた祝福は捨てがたい。なくてももしかしたら困らないかもしれないが、それでも限られた土地で不作に陥らないという安心感があるのとないのとでは大きく違ってくる。魔物だって今はあまり人里に来ないけれど、それでも海辺はそうもいかない。聖女や聖人の祝福がなければ他国との交流だって今以上に命懸けだ。
「ともあれ、ミレイユが聖女の立場になってでもアスター殿下と結ばれたいなんて言い出さなくて良かったよ。聖女の立場になるにしても、果たして本当になれるかわからないしそうなれば一度平民落ちさせなければいけないからね」
「流石に無理ですわお父様。わたくし、使用人の助けもなしにたった一人で生活しろだなんて無謀すぎます」
「あぁ、可愛い我が娘がそんな事も理解できないなんて事がなくて本当に良かったよ」
父が笑う。ミレイユもまた笑った。
だがしかし内心は怒りが煮えたぎっている。
ただ口先だけで真の聖女だ、とごり押すだけならまだしも、もしミレイユが真の聖女になってみせますわ、なんて言えばもしかしたらあのアスターはミレイユを一度平民に落とすかもしれなかったのだ。
平民の暮らしをほんのり体験してみよう、くらいのソフトなものであれば決してなれるはずもない。
誰の手も借りず、いつまでかはわからないがたった一人で平民として暮らして、そうして選ばれる可能性に賭ける。父の言う通りとんでもなく分の悪い賭けだ。
今までロクに働いた事もない令嬢が生きていくために、使用人や誰の手も借りずにとなれば最終的に行きつく先は想像がつく。
針子のような仕事にありつければいいが、そうでなければ身体を売る事にもなるかもしれない。
そうでなくとも貞淑であれと育てられてきた令嬢が、複数の男に日銭を稼ぐためだけに身体を売るだなんて、果たして精神がもつか。早々に心を壊してしまうかもしれない。
まぁ、もしかしなくてもアスター殿下はわたくしをそのような状況に落とそうと……? と思っただけで今まであった情はすっかりと消えてしまった。
仲の良い親戚が、今ではあれに国王は任せちゃいられませんわ、といったものに変わる。
大体、アスターにとって聖女は確かに気に食わないかもしれないが、ミレイユから見れば別にそこまでではない。確かに今まで学ぶ機会がないまま暮らしていたのだから色々と目につく部分はあるけれど。
でも今では一応男爵家の娘と言われたならそうなのねと言える程度には身についてきているのだ。
まだもう少し時間はかかるかもしれないが、いずれはきちんと高位身分の令嬢にも並べるくらいにはなると思える。
ミレイユだって聖女と話をする機会があった。
確かにこちらの常識に疎くはあるけれど、学ぶ意欲は充分にあったし、何度か会っていくうちに前回よりも確実に知識を蓄えてきているな、とわかるのだ。
公式の場では取り繕わなければならないけれど、でも今はそうじゃないから、とにっこにこの笑顔をミレイユに向けてくる聖女を、ミレイユもあらまぁ仕方のない子、と思いつつも悪い気はしない。
本当に、ただ身分だけが平民であるというだけで。
それ以外は学ぶ意欲もあって努力を惜しまない勤勉な、なんだったら一部の貴族に見習ってほしいわと思えるもので。
どうして殿下は彼女の事をそこまで嫌ったのかしら……とミレイユはきっと理由を聞かされても理解できそうにないわ、と頭の中で早々に切り捨てた。
結果としてアスターの暴走である事が確かであるとなったので。
アスターの避けようとしていた事態でもある第二王子ミケルの立太子が決まってしまった。
その婚約者には勿論聖女が。
アスターは、といえば。
自らが聖人になれれば返り咲くことも可能であろう、と言われ王家が所有する寒村へ送られ平民生活を体験する事となってしまった。
断種措置などは特にしない。
彼のプライドを考えれば平民を相手にするとは思えないし、そもそもアスターを送る村は一番若い娘でも既にその年はアスターの倍だ。
間違いなく彼は自分からそういう行為をしないと思われる。
それでも万が一子供が生まれたのならば、王位継承権はともかく、どこぞの貴族の家に養子として迎えて教育を施せばいい。
平民と違って貴族は中々子が生まれないので、アスターが馬鹿みたいに種をばら撒かせすぎるのは困るけれど、適度にばらまくくらいなら許容範囲内であった。
なお、その後の王家の記録書には、特にアスターが聖人として返り咲いたという記録は存在していない。
次回短編予告
二人は婚約者であった。けれども、二人は共に他に結婚したい相手ができてしまった。
故に陳情する。
その結果は――
次回 真実の愛とまでは言いませんが
以前書いた短編 流石に公表できなかった真実の愛 の感想を見てふと思いついた話になります。
投稿は明日か明後日くらいを予定。