お義父さんのこと
鮎釣りやるか。
お義父さんが自分に尋ねたのは結婚した年のことだった。
やりますと答えると、釣り竿やウェーダー、鮎舟のみならず鮎の年券まで買って用意してくれた。
膝を冷やすと良くないとの配慮でウェーダーは靴から腰上まで一体型が用意された。
それから、仕掛けの作り方を教えてもらった。
解禁日には、お義父さんの行きつけの場所に同行し、常連にわしの婿が釣りを初めた。と紹介し、釣りをしやすい環境を作ってくれた。
川に入った時は近くで、竿の振り方や錘の流し方をレクチャーしてくれた。
自分がギックリ腰を悪化させ椎間板ヘルニアと診断され、回復していくまでの間、毎回釣行の前には仕掛けを20ほど作成して持たせてくれた。
同じ時期、山陰でのヒラマサ釣りにハマっていたが、坊主で帰ってくると、何で海なんか行くんか。川に入れば坊主なんかないぞ。とよく言われていた。
確かにお義父さんが坊主で帰ってきたことはなかった。
いつも2人で釣りに出た。
会社のバーベキューなど色々な行事のために鮎がいると言うと、一緒に川に出て、惜しげもなく釣った鮎を譲ってくれた。
釣れない年には、釣り友達に連絡をとり、連れている場所の情報を教えてくれた。時には、漁協事務所へ行き、釣れない原因。例えば熊本産の鮎を放流したが上流へ上がってしまった等を教えてくれた。
その内、子供が生まれると、釣りよりも孫と遊ぶのが嬉しいらしく、釣りは自分、子守りはお義父さんとなり、1人で川に出る事が増えてきた。
今まで誰が言っても聞かなかったタバコの喫煙についても、お義父さんは孫ができるとすっぱりやめた。
孫が歩けるようになると、孫を連れて河原に連れて来るようになった。
岸辺から浅瀬に小鮎が群れている事を教えてくれた。
父親の釣る姿を見せて釣りに興味を持たそうとする英才教育だったのか。
お義父さんはそうして少しずつ鮎釣りをやめていった。
初物を食べると寿命が延びる言い伝えがあるので、大量に釣れた時は帰る途中でお義父さんの家に持っていった。
鮎を釣ってきたことを喜んでもらい、クーラーの中身を見ながら今年の釣果について予想した。
鮎釣りと言う最高の楽しみの全てを教えてくれたお義父さんを尊敬している。
ところで、書きながら誤解されそうな流れになったなと思ったのだが、お義父さんは今も大変元気です。