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第9話 電車で登校した日①

 登校するのに電車の所要時間は分かっていても、その前後の徒歩に掛かる時間は推測に過ぎない。だから、いつもより早めに自宅を出ていた。

 俺が前を歩き、鈴花が鞄を持って後から付いて来る。学校指定の鞄は持ち手が付いた横長で、背中に担げるようにストラップも付いている。担いだ方が楽だと思うのだが、手に持っているのはメイドの気質だろうか。

 そして、服装だけ見ると鈴花の方がお嬢様のようで、普段あまり着ない洋服に照れながら歩いている。


「未亜様。私、浮いてませんか?」

「どうして?可愛いと思うけど」

「なら、いいんですけど…」


 鈴花は先日ファッションビルで購入した、ヒラヒラのフリルが付いた可愛らしい洋服を着て、斜め掛けのショルダーバッグに頭にはリボンまで付いている。あのショルダーバッグの中身は確認していないが、きっとスタンガンが入っているのだろう。

 それに比べて俺が着ているのは、いつもの制服だ。どう考えても、鈴花の方が目立っている。決して意図的ではないのだが、守られるべき対象が目立たないようにするのは、基本的なことなのかもしれない。


 駅の構内に入りホームを進んで行くと、見覚えのある光景が目に入って来る。未亜が線路に落ちて、俺がその後を追って飛び降りた場所だ。

 その場所へ来ると、電車に衝突した時の記憶がフラッシュバックして、心臓の鼓動が早くなり息が苦しくなる。立ち止まって胸を押さえながら苦しそうにする俺に対して、鈴花が手を差し出した。


「未亜様。私の手を握ってください」


 言われた通りに鈴花の手を握ると、彼女は鞄の左右のストラップをまとめて肩に掛けてから、空いた手で俺の体を抱き締めるようにして自分の体に押し付ける。


「怖い…怖い…」

「大丈夫です、落ち着いてください。ゆっくり呼吸をして」


 人目も(はばか)らずに駅のホームで抱き締められていると、次第に鼓動や呼吸が正常に戻って気持ちも落ち着いて来た。


「PTSDです。今迄、お元気そうだったので問題はないかと思っていましたが、やはり事故の現場へ来ると、お体に変調を来すようですね」


 PTSDとは心的外傷後ストレス生涯のことで、事故の時に精神的な強いストレスを受けた後遺症だ。しかし、フラッシュバックで蘇ったのは、俺が死んだ時に見た光景ではなく、未亜からの視点だった。目の前で俺が死んだことが、よほどショックだったのだろう。

 俺の頭の中には、未亜の謝る声がリフレインで聞こえている。


(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい)


 魂だけになっても、後遺症は残る。逆に言えば、この体と未亜の魂はまだ繋がっているということだ。

 俺は未亜が事故に見せ掛けるために、計画的に自殺を計ったのだと思っていた。しかし未亜の記憶では、今なら事故に見せ掛けられると、発作的に飛び込んでしまったようだ。

 あの日、電車に乗ろうとしていたのは小松崎が売春の相手を用意していたからで、鈴花が同行すると都合が悪いからだ。だから、自分の過ちで俺が死んでしまったことに対する罪悪感も半端ではないのだろう。


「もう落ち着いたから、大丈夫です」


 そうは言ってみたものの、まだ平常心とは言い難い。鈴花は体を離したが、手は握ったままだ。


「一度自宅へ戻ってから、お車で登校しませんか?時間的には、まだ間に合います」

「電車に乗ってしまえば、大丈夫だと思います」

「それでは私が誘導しますから、足元だけを見て周りは見ないようにしてください」


 鈴花は握っていた手を持ち替えて、手を繋ぐような形になった。そして、電車を待つ人の列に並ぶ。

 暫く待っていると、ホームに電車が入って来た。俺は鈴花に手を引かれながら、電車へと乗り込む。サラリーマンの通勤ラッシュよりは少し時間が遅いので、混んではいるが寿司詰めという程ではない。

 すぐに電車が発車して、ドアの近くにある支柱に俺と鈴花が、それぞれ空いている方の手で掴まっていた。


「外の景色を見た方が、気が紛れますよ」

「ありがとう。もう、大丈夫だから」

「大丈夫じゃありませんね。手が冷たくなっていますよ。電車自体が怖いんですね」


 そりゃあ、電車に衝突して人間の体がバラバラに引き千切られるところを見たら、怖くもなるだろう。

 俺はあの時、脳内麻薬のせいか幸せな気分になっていて、さほど苦痛は感じていなかった。でも、やっぱり自分の遺体を見る前に火葬されてしまったのは、結果的には良かったのかもしれない。


「どうして鈴花さんは、そんなに詳しいの?」

「色々と勉強してますからね。未亜様が社会人になってからも、必要とされるようになりたいですから」


 また未亜の感情が高ぶって、目に涙が溜まってきた。それが零れないように俺は上を向いて、天井を眺めるしかなかった。



 不思議なことに電車を降りて駅の構内から出ると、すっかり気分は良くなった。体の変調が精神的なものであることの証拠だ。

 駅を出るまではずっと鈴花と手を繋いでいたが、そこから先は自宅を出た時と同じように俺が前を歩いていた。


「未亜様、そっちじゃありません。左です」


 何事もなかったように、俺は向きを変えて歩いて行く。

 裏門から出入りしていた時は他の生徒を殆ど見掛けなかったが、今回は正門に向かっている。学校が近付くにつれて、歩いている生徒が多くなってくる。目立つ格好をしている鈴花に視線が集まりがちだが、普段はメイドの格好をしている彼女にとっては、他人の視線には耐性があるようだ。

 そして正門の前まで来ると、立ち止まって鈴花から鞄を受け取った。


「未亜様、お帰りはどのようにいたしましょうか?」

「電車で帰るつもりだったけど、ちょっと行きたい所が出来たから、いつも通りに車で迎えに来てくれる?」

「はい、私もその方がよろしいかと思います」

「あ、服装はそのままでね」

「わ、分かりました…」


 俺が正門から学校の敷地内へ入るまで、鈴花はその場から見送ってくれていた。



 一限目の授業が始まってすぐに、俺は担任に呼び出されてカウンセリングを受けることになった。

 スクールカウンセラーと言っても、学校に常駐している訳ではない。外部に委託しているから、こちらの都合には合わせてくれないのだ。ただ、校長室に呼び出されたのが金曜日で、土日を挟んで月曜日の朝にはもうカウンセラーを手配しているのだから、素早い対応だと言える。

 また校長室かと思ったら、その隣の会議室に案内された。スーツを着た中年の女性が席を立って挨拶をする。


「カウンセラーの武井です。よろしくね」

「あ、こちらこそ、よろしくお願いします」


 そこまで一緒だった担任は軽く会釈をして部屋を出て行き、カウンセラーの武井さんと二人きりになった。広い会議室の中央でポツンと、机を挟んで向かい合って座った。


「経緯については聞いてるけど、以前と何か変わったことがあったら教えてもらえる?」

「今日、電車で登校したんですけど、事故現場に来たら急にあの時の記憶が蘇って、真っ直ぐ立ってられないくらい気分が悪くなって」

「典型的なPTSDね。心的外傷後ストレス障害って言ってね。事故や事件に…」

「あ、知ってます」

「そう。それじゃ、その蘇った瞬間の記憶について、あなたはどういう気持ちなのか聞かせてもらえる?」


 俺は少しの間、黙って未亜の答えを待っていた。PTSDなのは未亜だから、俺が答えても意味がない。そして、ここからは未亜の代弁になる。


「取り返しのつかないことをしてしまったと思いました。私のせいで人が死んだのに、悪意がないだけ救いようがないですよね。どんな代償を払ってでも、償わなければならないと思っています」


 また心臓の鼓動が早くなり、息苦しくなってきた。胸を押さえる俺に対して、武井さんは鈴花がしたように手を握る。


「落ち着いて、ゆっくり深呼吸をして」

「大丈夫です…落ち着きました…」

「あなたを助けてくれた少年は、代償が欲しくてそんなことをしたと思う?そんなことのために、命を懸けられると思う?」


 その通りだ。俺の代わりに言ってくれて有り難い。


「あの時、私が死ねば良かったんです。そうすれば、こんなに苦しまなくても済んだのに」

「過ぎてしまったことは、変えられないのよ。その少年が今ここに居たら、私が死ねば良かったって言えるの?」

(ごめんなさい…)


 その言葉は未亜が俺に対して言ったので、口には出さなかった。

 未亜が自殺しようとしたのは発作的な衝動だ。魂だけになって自分が昇天しようとするのは、俺に対する贖罪の意味も込められているのだろう。

 人間関係を修復しても、自殺の原因を取り除いても、それだけでは駄目だということかもしれない。



 教室へ戻った時は、もう一限目の授業は終わっていた。休み時間になっていて、二限目の授業にはギリギリ間に合ったようだ。

 教室を横切るようにして自分の席まで行こうとすると、クラス委員の武藤さんに呼び止められた。


「桐生さん、これ一限目のノートだからサッサと写しちゃって」


 自分の席に着いたまま、そう言ってノートを差し出した。

 武藤さんは可愛い女の子や綺麗な女の子が大好きらしい。変な意味ではなく、母性的なものだろうか。元来、面倒見が良い人なので、俺が女の子の日を主張したことが切っ掛けで声を掛けやすくなったのではないだろうか。

 俺はノートを受け取ると同時に、武藤さんへグッと顔を寄せる。美少女の笑顔にやられたとか言って照れまくっていたので、ちょっとしたサービスだ。


「ありがとう。本当に助かります」

「ち、近いんだけど…」

「私が至らないから、武藤さんには迷惑を掛けて申し訳ないとは思ってるんだけど」

「だから、至らないのは知ってるから、いちいち申し訳なさそうにしなくていいわよ」


 見る見る内に武藤さんの顔が赤らんで行くのを眺めながら、駄目押しで俺は更に顔を寄せて行く。


「こんな私でも、役に立てることがあったら遠慮なく言ってね」

「シャンプー、何使ってるの?」

「え?」

「凄くいい香りがするから、何を使ってるのかなと思って」

(エトランジュのフレグランスシリーズよ)

「エトランジュのフレグランスシリーズだけど」

「エトランジュ?聞いたことないけど」

(ネット販売のみだから)

「店頭では販売してないから、ネットで検索してみて」

「そ、そうなの?ありがとう」

「昼休みでもいい?」

「え、何が…?」

「ノートを返すの」

「あ、ええ、大丈夫よ」

「ありがとう」


 俺が顔を離すと、武藤さんはガクッと体の力が抜けて片手で心臓の辺りを押さえていた。圧倒的に女子の方が多い学校では、有りがちなことだろうか。


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