表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/21

第8話 メイドが変身した日

 日曜日に俺は、鈴花と一緒に買い物に来ていた。いくら住み込みで働いていると言っても、きちんと休みはあるから、これは休日労働になる。しかし鈴花としては、これはプライベートな付き合いなんだそうだ。


 俺としては制服のスカートならまだ割り切れるのに、私服のスカートはちょっと抵抗がある。見た目は美少女なんだと分かってはいても、男子高校生だった俺がスカートを履いて街に出るなんて自己嫌悪に陥りそうだ。

 俺に女子のファッションセンスなんてある筈ないから、洋服選びは未亜の言いなりだ。せめてもの救いは、丈の短いスカートを未亜があまり好んではいないということだろうか。

 部屋のクローゼットの中は清楚な洋服ばかりかと思いきや、意外にもバラエティーに富んでいる。ファッションにはそれなりに拘りがあるようで、俺に対するアドバイスの中では洋服選びが一番しつこいかもしれない。

 この先も女子として普通に生活できるように、早く慣れてほしいという意図があるのだろうか。未亜の作戦にズッポリはまって、鏡に映った自分の姿を見ると、ああ綺麗だなと溜め息が出てしまう。


 そんな女子の洋服に囲まれながら、店内を見て回る。ファッション関連のテナントばかりが入る通称ファッションビルでは、ちょっとしたアクセサリーから高級ブランドまでが手に入る。

 上の階へ行くほど高額な商品になる傾向があり、その最上階にあるブランドショップに俺達は入っていた。

 レースやらフリルやらが付いた手の込んだ作りで知られているブランドだそうで、見た目に可愛らしいフェミニンなファッションだ。

 さすがに鈴花は、メイドの格好ではなく私服を着ている。本人はプライベートだと言っているのだから、それで別に構わないのだが、年齢の割に地味な服装で、意図的に目立たないようにしているのだろうか。

 未亜のアドバイスを聞きながら、ハンガーに掛かった洋服を次から次へと見て行く。


(それ、いいと思うわよ)


 ようやく未亜のOKが出た。ちょっとロリータっぽい、ヒラヒラのフリルが付いたセットアップをハンガーごと手に取り鈴花に見せた。


「これ、どう?」

「素敵です。とっても可愛らしいと思いますよ」

「そう。それじゃ鈴花さん、これ着てみて」

「わ、私ですか?」

「私が電車で学校へ行くつもりなら、鈴花さんも同行するって言ってたでしょう。さすがにメイド服で電車に乗るのもどうかと思ったから」

「電車で学校へ行かれるおつもりなんですか?」

「今度は鈴花さんに同行してもらうから、問題ないでしょう。今着てるそれでも構わないけど、やっぱり仕事とプライベートは切り替えないとね。はい、これ」

「本当に私が着るんですか?」

「冗談を言ってるように見える?」

「わ、分かりました。着させて頂きます」


 覚悟を決めるようなことだろうか。

 鈴花は俺に渡された洋服を持って、フィッティングルームへ入る。きちんと扉が付いた小部屋なので中の様子が分からず、その前で俺はただ呆然と待つしかない。

 着替えが終わったのか、鈴花は扉を少しだけ開けて顔を出した。


「あ、あの、未亜様。このお洋服、可愛すぎませんか?今年でもう、二十三歳ですよ」


 無理に扉を開けるようなことはせずに、俺は少しだけ開いた隙間から中を覗き込んだ。前日に未亜と打ち合わせをして、初めから鈴花の洋服だと分かって選んでいるから、童顔の鈴花にはよく似合っている。


「これに決めた」

「未亜様、聞いてますか?」

「お会計するから、脱いで」

「未亜様…」


 パタンと俺が扉を閉めると、暫くの静寂の後に再び鈴花が元の服装に戻って、フィッティングルームから出て来た。

 試着した洋服を受け取り、それを持ってレジへ向かう。カードでさっさと会計を済ませると、ブランドのショッピングバッグに入れられた洋服だけを鈴花に渡した。

 高額な商品をカードで買い物をするお嬢様に対して、店員は応接室へ案内しようとしたが、それを断ってさっさとブランドショップを出て行った。


「バッグも必要だね。斜め掛けのショルダーバッグがいいと思うけど」


 壁にある案内表示を見付けると、バッグの売場を探す。こういうことも以前の未亜なら鈴花に任せていたらしいが、そこまで模倣する必要はないと思っていた。


「未亜様、わがままを言ってよろしいでしょうか?」

「どうぞ」

「二階のフリーダムでお願いします」

「了解しました」


 さすがに最上階で買い物をする客は、それほど多くはない。エレベーターの中では、俺と鈴花の二人きりだった。


(頭にリボンとかあったら可愛いかも)

「頭にリボンとか…」

「み、未亜様、私で遊んでいませんか?」

「楽しんでることは間違いないけど、ちょっと調子に乗りすぎた?」

「いえ…光栄です」


 鈴花の表情を窺うと照れながらも、ちょっと笑みが浮かんでいる。きっと、未亜が自分のために何かをしてくれるということが嬉しかったのだろう。



 その日の夜、夕食を食べて歯を磨き、お風呂にも入って、もうすることがなくなった。することがないのに、夜遅くまで起きているのは大変だ。

 俺は未亜の部屋でドアを背もたれにして、カーペットの上に足を伸ばして座り込んでいた。パジャマを着て、シーリングライトはスモールランプになっている。

 また日付が変わりそうなので熊を抱っこして、その頭の上に顎を乗せ眠気に耐えていた。


(いつまでも、何やってるの?また学校で眠たくなるわよ)

「ちょっと、黙っててくれないか?」

(何よ。素行が悪くなったら、また人格分裂症だって言われるでしょう)


 微かに物音が聞こえたので、俺は人差し指を唇に当てる。その仕草で、未亜は静かにしてくれた。

 体の向きを変えて音を立てないように、ちょっとだけドアを開ける。その隙間から聞き耳を立てた。吹き抜けになっているお陰で、一階の音が僅かに聞こえる。ようやく父親が帰宅したようだった。


「旦那様、お帰りなさいませ」


 帰りが遅い時は先に寝ても良いと鈴花には言っているらしいが、いつも起きて待っているのだろうか。俺の方が先に寝てしまうので、実際のところは分からない。


「その服装は、未亜が選んだのか?」

「申し訳ありません。旦那様から一言感想を聞いてほしいと未亜様が仰るので」

「似合ってる」

「ありがとうございます」


 本当に一言だなと思いつつ、俺は物音を立てないようにして、遥か遠くで話しているような聞き取りづらい会話を必死に捉えていた。


「未亜はもう寝ているのか?」

「はい、お休みになっています」

「あの一件以来、未亜は積極的に行動するようになったな。周囲の状況が変わった効果があったか」

「記憶が少し混乱しておられるようなので、そのせいもあるかと思います。特にあの事故の前後は曖昧なようで、私に対しても他人行儀だったくらいですから」

「三日も意識不明だったから仕方がないか」

「ご自分で何かしようとされるのは、記憶の足りない部分を補っているんだと思います。それでも、未亜様は楽しそうだから、私もご一緒させてもらって楽しいですけど」


 なかなか鋭い指摘だ。記憶の足りない部分というのは、元々俺にはなかったものだ。だから、それを埋める作業を今しているところだ。


「もう少し、未亜のわがままに付き合ってくれるか?鈴花がこの家に来てから、未亜も少しずつ変わっているようだ。あの子の支えになってくれて、本当に感謝している」

「私の方こそ感謝しています。事故で両親を同時に亡くして、絶望していたところを救っていただいて」

「亡くなった安座間には、借りがあるからな。もう二度と返せなくなってしまったが」

「そんなことありません。もう充分に、返して頂いていると思います」


 俺の目から涙が一粒、ポロッと零れ落ちた。未亜の感情が同調しているらしい。ただ、それが父親に対してなのか、鈴花に対してなのかはよく分からない。


「明日は電車で登校するつもりらしいな。スタンガンを用意したから、携帯してくれるか?」

「スタンガンですか…?」

「まだ、事態が収まったとは言い難い状況だからな。鈴花を盾にするようで申し訳ないとは思う。私にとって鈴花は大切だが、それ以上に未亜が大切なんだ。いざという時には、身を挺してでもあの子を守ってほしい。頼む」

「そ、そんな。顔を上げてください。旦那様に言われなくても、全力でお守りするつもりですから」


 あ、ヤバい…。涙が止まらなくなってる。未亜は何も言わないが、これで父親の気持ちがよく分かっただろう。一人だけになるなと言われた時は過保護だとも思ったが、父親としては未亜を守りたい一心なのだ。

 聞きたいことは聞けたので、音を立てないようにゆっくりとドアを閉めると、熊を抱えてベッドへ戻る。足元の隅っこの方が熊の本来の定位置だ。

 いいかげん、泣き止んでくれないかなと思いつつ、ティッシュで鼻をかんでからベッドの中へ潜り込んだ。


 もしも、こっそりと未亜を助けようとしていた人物が居たとすれば、未亜の危機的な状況を伝えていた者が身近に居た筈だ。未亜は誰にも相談できずに自殺しようとしたのだから、悩みを抱えて苦しんでいることを察して、それを報告できる人物は一人しか居ない。

 思った通り、電車の件は父親に伝わっているようだ。ある程度は自由にさせようというのは、母親の件で自己主張をしたのが効いているのだろう。

 たかが電車で登校するくらいで、スタンガンを携帯させるのは大袈裟な気がする。社長の娘だから身代金目的で誘拐されたり、父親を逆恨みして娘に危害を加えたりもなくはないだろう。他に考えられるのは、小松崎がまだ逮捕されていないから、接触して来る可能性だろうか。

 ただでさえ借金を抱えているのに、収入がなくなってしまったのだから、切羽詰まっている筈だ。直接、未亜から金を引き出すことは出来ないだけに、暴力的な行為へ走る可能性があるということか。


 そう言えば、身を挺して未亜を守った男子高校生も居たな。

 俺の両親がいくら貰ったのか知らないが、未亜の父親が訴訟を逃れるためだけに大金を支払ったのではないという気がする。鈴花に対して言った言葉が、そのまま男子高校生の俺にも当てはまっているだろう。

 そう思えただけでも、夜中まで起きていた甲斐があったというものだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ