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第4話 別れた母親に会った日

 昼休みに俺は屋上にある塔屋のメンテナンス用の梯子を登って、その上で鈴花が作ってくれた弁当を一人で食べていた。

 昼休みに屋上へ来る生徒は多少は居るものの、ここまで昇って来る生徒はまず居ない。校則で何処へ入ってはいけないとか細かく規定はされていないものの、メンテナンス用の梯子という時点で校則違反だ。

 学校には学食もあるのに未亜は昼食を一人で食べたいから、ずっと鈴花に弁当をお願いしていたそうだ。

 クラスメイトとは普通に会話をしているのに、友達と言えるかというと自信はないらしい。自分は友達だと思っていても、相手はそう思っていないかもしれない。やっぱり、人間関係が希薄だ。


(足!)


 胡座(あぐら)をかいていた俺は未亜に注意されて足を伸ばし、膝の上に弁当箱を置く形になった。

 人間関係が希薄な未亜だが、俺に対しては堂々と物が言えるようだ。全裸や排泄まで見られているのだから今更、遠慮するようなことは何もないということか。


「こんなんで、私の人生を全てあなたにあげるとか、よく言えるよなぁ」

(仕方ないでしょう、自殺を選択するような人生なんだから。あとは葉月の裁量で何とかしてよ。用が済んだら、私は昇天させてもらうから)

「まだ、未亜の代わりに生きて行けるようにはなってないんだけどな」


 弁当を食べながらスマホを下に置いて、俺はロングヘアのまとめ方を見ていた。縛るだけなら出来なくはないが、髪の長い女性は鏡も見ずに後頭部でお団子にしたりする。あれが出来ないと、体を使った作業をする時に髪が邪魔になって大変そうだ。


 不意に男子生徒が一人、梯子を登って塔屋の上に顔を出した。パンを持っているので目的は俺と同じだろう。


「あれ、話し声がしたけど、一人?」

(友達じゃないわ。知らない人よ)


 面識がないなら、一人で喋っていた理由を説明する必要もないと思った。音声入力だとか、音読だとか、勝手に想像してくれるだろう。


「俺もここで、パンを食べてもいいかな?」

「どうぞ。私はもう食べ終わるところですから」


 俺の素っ気ない態度に、男子生徒は溜め息をついた。


「ごめん、正直に言うよ。綺麗な顔した子が屋上へ行くのが見えたから、俺も急いでパンを買って来たんだ」


 俺もつい最近まで男子高校生だったから、その気持ちはよく分かる。美少女が一人で弁当を食べていたら、声を掛けたくもなるだろう。ただし、声を掛けられる側としては面倒臭いだけだ。適当にあしらうつもりだったが、自供しただけまだマシか。

 男子の友達を作るのも悪くはないかもしれない。しかし、得体の知れない奴と仲良くなったら、この体に未亜が戻った後に裏切られて傷付いてしまう可能性だってなくはない。取り敢えずは、女子の友達の方を優先したい。

 ある程度の距離を取って男子生徒が横へ座ったので、俺は弁当箱とスマホをトートバッグへ仕舞って立ち上がった。


「もしかして、俺のこと嫌がってる?」

「私の方が先に梯子を下りないと、下から見えるでしょう」

「それは純白のパンティーのことかな?」

「鎌を掛けてるつもり?否定も肯定もしないから」


 俺はトートバッグを肘に掛けると、梯子に手足を掛けてゆっくりと下りて行く。その様子を男子生徒は、上から眺めていた。


「ごめん、気を引こうとしたんだ。悪気はないから許して」


 正直な奴だ。友達としては悪くないのかもしれない。でも、優先順位はずっと下の方だ。

 屋上に足が付いて梯子から手が離れると、その手を上に向かって小さく振る。そして、そのまま外階段を通って、下の階へと下りて行った。


(凄いわね。私より私らしいわ)


 一段下りる度にカンカンと鳴り響く階段の音に紛れて、そんな未亜の声が聞こえていた。

 自己評価が低い未亜とは違って、俺は正当に彼女のことを評価している。育ちが良くて美少女なんだから、もっと自分に自信を持っても良さそうなものだ。



 女子高生としての一日は、大した成果も上げられずに終了した。未亜の行動パターンは把握できたから、初日としては上出来だ。

 校舎を出て裏門まで行くと、もう鈴花は迎えに来ていて、路肩に車を停車していた。

 そのまま車に乗り込もうとすると、反対側の少し離れた場所に停車していたタクシーから人が降りて来て、


「未亜!」


 と声を掛けられた。中年の女性で、走って道路を横断して来ると、息を切らして俺の両肩に手を掛けた。その女性を見た第一印象は、未亜に似ているなということだ。


「良かった。なかなか会えないから、ずっとチャンスを窺ってたのよ」

(私を捨てた、お母様よ。今更、何の用があるのかしらね)


 なるほど、未亜に似ている筈だ。それにしても、未亜の機嫌が悪いのは声の調子でよく分かる。男を作って家を出て行ったのだから、仕方のないことだろう。


「何の用ですか?」


 俺は別に母親に対して恨みはないのだが、未亜の声を聞いていれば冷たい対応にならざるを得ない。

 慌てた様子で鈴花が運転席から降りて来ると、母親と俺を引き離して自分の方へ引き寄せた。鈴花は標準的な体格の女性なのに腕の中にすっぽりと収まって、改めて未亜は華奢なんだなと思う。


「申し訳ありませんが、未亜様とお話しすることは出来ません」

「一日だって、未亜を忘れたことなんてないわ。お願いだから話しをさせて」

(話すことなんて、何もないわよ。いいから、断って)


 俺は鈴花の肩に手を当てて自分の体を離すと、母親の方へ向き直った。


「ここで大きな声を出されても困りますから、車に乗ってもらえますか」

「未亜様、私が旦那様に叱られます」


 母親がいつ接触して来るか分からないから、未亜と会わせないよう父親から指示されているということだろう。

 父親の立場からすると、母親に会わせたくないのは理解できる。ただし、それが未亜にとって良い結果になっているのかどうか、ちょっと疑問だ。


「私が言うことを聞かなかったって、お父様には伝えて」

「そこを何とかするのが、私の仕事ですから」

「それで鈴花さんがクビになったら、私も一緒に出て行くから」

「分かりました、未亜様がそう仰るなら」


 鈴花は渋々車に戻り、俺は無言で後部座席のドアを開けて母親の方を見る。母親が軽く頷いて車へ乗り込むと、続いて俺も隣りへ座ってドアを閉めた。


(ちょっと、何考えてるのよ!話すことなんか何もないって言ったでしょう)


 繰り返しになるが、俺は母親に対しては何の恨みもない。ただ、未亜の気持ちになって、冷たい態度を取っているだけだ。


「鈴花さん、喫茶店にでも行ってもらえる?」

「分かりました」


 鈴花は車を走らせて、学校からはそれほど遠くない、幹線道路沿いの喫茶店の駐車場に入った。その間も母親は俺の手の上に自分の手を重ねていた。

 一日も忘れたことがないと言うのは、あながち嘘ではないのかもしれない。ただし、その言葉が免罪符になるとも思ってはいない。


 車に鈴花を残して、俺と母親は喫茶店の中へ入った。各テーブルがパーテーションで仕切られていて、込み入った話しをするには良い場所だ。

 俺は自分の好みでアイスコーヒーを注文してしまったが、未亜の舌はコーヒーが苦手なようだ。一口飲んだだけで口の中が苦くなり、思わず眉間に皺を寄せて舌を出す。

 母親は大人ぶってアイスコーヒーを注文したと思ったのだろう。自分のクリームソーダと、そっと交換してくれた。上に乗っているアイスクリームが熊の顔になっていて、初めからこうするつもりだったようだ。


「あの人が未亜に会わせてくれないから、こうするしかなかったの。驚かせて、ごめんなさいね」


 俺はストローでクリームソーダをチューチュー吸いながら、色々と考えを巡らせていた。未亜の機嫌が悪くて注釈があまり聞こえて来ないので、自分の考えで話しを進めるしかない。


「私を捨てたんじゃなかったんですか?」

「そう思われても仕方ないわね。でも、信じてほしいの。あの頃は生活基盤がなかったから、とにかく安定した生活を手に入れたら未亜を迎えに行こうと頑張ってたのよ」

「男を作って出て行ったんでしょう?その人に面倒を見てもらえば良かったんじゃないですか?」

「順番が逆よ。その人はただ、離婚や自立の手助けをしてくれただけ。その後ビジネスパートナーになって、今では入籍してるけど」

「それで今頃、迎えに来たんですか?」

「もっと早く、迎えに来るつもりだったのよ。でも、あの人が未亜に会わせてくれなかったし、私が勝手に会えないよう車で送り迎えしたり、使用人を雇って近付けないようにしたりして、どうしようもなかったのよ」


 それは母親の勝手な言い分だ。確かにそういう理由も、あるのかもしれない。でも、車で送り迎えしたり使用人を雇っているのは、母親が居なくなったその空白を埋めるための方が大きいのではないだろうか。


「今なら未亜に、不自由のない生活をさせてあげられるわ。あの家を出て、一緒に暮らしましょう」


 そう言って母親は両手を伸ばし、俺の手を握った。そう言われても、俺が決断するようなことじゃないだろう。


(好きにすれば?これからは、葉月の人生なんだから)


 多少は未亜の機嫌が直っている。いくらか誤解は解けたようだが、娘を置いて出て行った母親を簡単に許す気にはならないだろう。


「今は家を出るつもりはありません。私にとっては、鈴花さんも大切な人ですから」

「そう…仕方ないわね…」


 俺がずっと他人行儀なのは、未亜ならそうするだろうと思ってのことだ。母親はその態度で、そう簡単には心を開いてくれないことが分かっただろう。


「せめて連絡先だけでも交換させてくれない?今日みたいに突然、声を掛けたりしなくて済むように」

「分かりました。用がある時は、電話じゃなくてショートメッセージにしてください」


 俺は鞄の中からスマホを取り出すと、設定画面を出して番号を見せた。母親は自分のスマホに番号を登録すると、今度はこっちのスマホにショートメッセージを送信する。これで、お互いの番号が交換できた訳だ。

 用が済んだので、俺は席を立った。レシートは初めから母親の方にある。


「ここで別れたいので、帰りはタクシーを呼んでください」

「そうさせてもらうわ」


 ここで別れたいと言われたら、一緒に店を出て行く訳には行かないだろう。席に着いたままの母親を尻目に、俺は出入口の方へ向かって歩いて行った。


(ありがとう)

「何が?」


 思わず返事をしてしまい、俺は周りに人が居ないかを確認する。居ることは居るのだが、短い言葉が聞こえるような距離ではなかった。


(鈴花さんを大切な人だと言ってくれたことよ)


 それは、未亜に言われなくても分かっていた。きっと、鈴花の方も未亜のことを大切に思っている筈だ。


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