第20話 天国へ旅立つ日
広瀬君は、最寄りの駅まで迎えに行くと言ったことを後悔しているようだった。
一人で電車に乗れないということを、単純に二人なら大丈夫だと思っていたのだろう。未亜がこんなにも電車を怖がっているのは、予想外だったようだ。役得だった筈の手を繋ぐことも、心配させるだけになってしまった。
その反面、電車を降りて駅を出た後のケロッとした様子が、安心感を増幅させていた。
広瀬君の父親が経営する自動車の修理工場には彼のお兄さんも働いていて、更に従業員も居る。旧車の販売なども手掛けている、なかなかマニアックな商売だ。
修理工場は素人が中に入ると危ないということで見せてはもらえなかったが、その代わりに販売用の旧車を見せてくれた。
屋外の駐車場には整備前の旧車が停めてあり、見た目はお世辞にも綺麗だとは言えない。しかし、巨大なガレージの中にあるレストア済みの旧車は、新車と見紛うようなピカピカの美しさだ。
「今の車と違って、角ばってるね。これで街中を走ったら目立ちそう」
「良かったら、運転席に座ってみる?」
「えっ、いいんですか?」
まだ高校に通っている広瀬君は家業についてはあまり詳しくないようで、彼のお兄さんが案内をしてくれていた。ツナギの作業服を着ていて、背中には会社のロゴマークが入っている。
弟が女の子を連れて来ただけでもニヤニヤしそうな出来事なのに、美少女で旧車を見たいと言われたら、もう上機嫌で対応してくれる。
車のドアには鍵が掛かっておらず、お兄さんが開けてくれて、俺は運転席に乗り込みハンドルを握った。
「わぁ、一周回ってお洒落な感じ」
「多分、君のお母さんよりもこの車の方が年上だろうな」
「この中で一番古い車って、どれですか?」
「あれだな」
そう言って、お兄さんは小振りな車を指差した。
「通称ヨタハチと言って、一九六五年発売だよ」
「えっ、そんな古い車がまだ走るんだ」
実は有名な旧車なので、俺も知っている。ただ、未亜がそれを知っているのは不自然だし、今後のことも考えて知らないフリをしていた。
「広瀬くんも免許取ったら、古い車に乗るの?」
「見てる分にはいいけど、日常の足として使うのはどうかな」
「ふーん、そういうものなんだ」
「そういうもんだよ」
それについては、お兄さんも同意見のようだ。声に出しては言わないが、ウンウンと頷いていた。
広瀬君の自宅は修理工場とは別になっているが、距離は殆ど離れていないそうだ。すぐ裏手にあるということだが、母親が亡くなっているので家には誰も居ないらしい。だから、遊びに行くのは遠慮した。
彼のことを信用していない訳ではないが、そんな思わせぶりなことはしたくない。これから大切な話しをするつもりだから、フラットな状態で聞いてほしかった。
昼時になると、広瀬君がよく行くという近所のお好み焼き屋さんへ連れて行ってもらった。未亜がお嬢様だから、逆に庶民的な食べ物が喜ばれると思ったらしい。
お店も店員も年季が入っていて、中央に鉄板のあるテーブルで、おばちゃんが目の前でお好み焼きを焼いてくれる。
ジュージューと音を立てるお好み焼きを箸で食べながら、俺は軽い口調で真面目な話しをする。
「広瀬君は私の人格が別人に変わっても、今と同じように接してくれるのかしら?」
「え、どういう意味?」
「私のことを見てて、見た目と言動にギャップを感じたことはない?」
「それは、確かにあるけど…」
「私ね、人格分裂症なのよ。小学生の時に両親が離婚して母親は家を出て行ったし、父親は会社の社長だから毎晩帰りが遅くて淋しかったの。それで無意識に、もう一人の人格を自分の中に作り出したのよ。それが私。未亜は私のことを葉月って呼んでるけどね」
「マジで言ってんの?」
「真面目な話しよ。本来の未亜は、こんなお喋りでもないし、ツンデレでもないわ。人付き合いが苦手な、気の小さい女の子なの。自分に出来ないことを、もう一つの人格に託したのかもね。自殺未遂が原因で、葉月の人格の方が強くなっちゃってね。定期的にカウンセリングを受けてて、私の人格が未亜の人格に統合されるのも時間の問題だから」
「それじゃあ、いつも俺と話してた桐生さんは居なくなるってことか?」
「そうね、広瀬君と話してたのは葉月の方だからね。でも、記憶は共有してるから、未亜もあなたのことはよく知ってるわ。だから、人格が元に戻っても同じように接してくれるかって聞いてるのよ」
かなり脚色してしまったが、未亜が元に戻った後のことを考えて、辻褄を合わせるための説明だ。
例えば本当のことを話して信じてくれたとしても、それでは葉月が全くの別人だということになってしまう。今迄、広瀬君と接していたのは別人でした、では身も蓋もない。
未亜がこの体に戻っても、もう自殺するようなことはないと思う。相談できる相手も居るし、その気持ちを受け止めてくれる人も居る。そして何よりも、未亜のことを大切に思ってくれる人が居る。
「今迄気付かなくて、ごめん…桐生さんがそんな問題を抱えてるのにデートだとか調子のいいことばかり言って、俺って本当にバカだな…」
「言っとくけど、私が消えてなくなる訳じゃないからね。人格が統合されて、一つになるだけだからね。でも、未亜は悪意のある人に騙されて自殺しようとする子だから、統合された後も支えてくれるような、信頼できる人が必要なの。あなたにそれが出来る?」
「俺に出来ることなら何でもするよ。でも、その葉月の人格が未亜に統合されたかどうか、どうやって判断すればいい?」
「そうね。明日の朝は広瀬君が来るまで学校の裏門で待ってるから、私に告白してくれる?葉月ならNO、未亜ならYESだから」
「それは、俺と付き合ってくれるってことか?」
「未亜ならね。私は絶対に嫌だけど」
「分かった。明日の朝、必ず告白するよ」
「期待してるから」
強引に話しを進めてしまったが、未亜からは何の反論もない。広瀬君に告白されても、問題はないということだろう。
真面目な話しをした後には、平然とお好み焼きを口へと運ぶ。そんな俺を神妙な面持ちで広瀬君は見ている。やがて居なくなる、葉月への悲壮感だろうか。
* * *
いつものように俺は、鈴花が運転する車で学校へと向かっていた。思えば鈴花には、随分お世話になった。一言くらいはお礼を言っておかないと、天国へは行けずに地獄へ堕ちそうだ。
「鈴花さん、今迄ありがとう」
「もう天国へ旅立たれるのですか?」
その答えに、俺はハッとする。
「いつから、気付いてたんですか?」
「シフォンケーキを頂いた後です。箱にお店の名前が書いてあったので、もしやと思い私も行ってみました。ご両親から式神葉月君の人となりを聞いて、同一人物だと確信を持ちました。あれは私に気付いてほしいという、あなたからのメッセージだったんじゃないですか?」
「最後に葉月として、鈴花さんと話しをしたかったのでね。気付かなかったら、そのままスルーするつもりだったんですけど」
「お嬢様が消えて無くなった訳ではないのですね。事故以前の記憶をお持ちだし、感情も共有されている。だから、あなたが何をしたかったのか理解できましたよ」
「それで、両親に俺のことは話したんですか?」
「いいえ。私の望みは、お嬢様が元に戻られることです。あなたのご両親が、同じことを望むとは思えませんので」
「賢明ですね。知ったところで、未練が残るだけですから」
「お察しします」
「ありがとうございます。未亜がまだPTSDを克服してないけど、専門医の紹介状は貰ってるから、後のことは鈴花さんに任せますよ」
「あなたに言われなくても、お嬢様のことは私がきちんと面倒を見ますよ」
「それは失礼しました」
「一つだけお願いがあるんですが、よろしいですか?」
「何でしょう?」
「天国で私の両親に会ったら、元気にやっているから大丈夫だと伝えてください」
「必ず伝えますよ」
さて、それじゃ未亜と入れ替わるとするか。
俺の魂が未亜の体からスッと抜け出すと、代わりに未亜の魂が入り込んで来る。こんなにもあっさりと入れ替われるのは、未亜が生きることを望んでいたからだろう。
久し振りに五感を取り戻した未亜は、両手を動かしてそれを見ていた。そして、その手で自分の顔を覆う。
「葉月…私を一人にしないで…」
(立場が入れ替わっただけだよ。最後まで見届けてやるから)
俺の声が聞こえて安心したのか、未亜は手を退けて顔を上げた。
鈴花は運転しながら、ルームミラーで未亜の顔をチラッと確認すると、元に戻ったことが分かったようだ。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「名前で呼んでって言われてなかった?」
「申し訳ありません、未亜様」
未亜の言葉の言い回しが、何となく俺の言い方に似ている。ずっと背後霊のように俺の言動を見ていたのだから、すっかり染み付いてしまったのだろう。
俺が居なくなっても、消えてなくなる訳じゃない。未亜の人格に統合されるだけだ。
鈴花とは大した会話もなく、車が学校へ到着した。未亜は魂だけになっていた間の状況も全て把握しているので、今更説明されるようなことも特になかった。
「未亜様、お帰りはいつもの時間でよろしいですか?」
「はい、お願いします」
未亜が自分でドアを開けて車を降りると、鈴花は窓越しに頭を下げてから車をUターンさせて来た道を帰って行った。そのまま未亜は、裏門で広瀬君が来るのを待っている。この辺の行動は、いつも俺がやっていたことと同じだ。
十秒程で広瀬君が到着すると、自転車を降りてスタンドを立てた。彼は未亜の正面に立って、大きく息を吸って呼吸を整える。
「桐生さん、俺と付き合ってくれないか?」
分かってはいても、面と向かって言われると恥ずかしいらしい。未亜は顔を赤らめながら、少し俯いて
「私で良ければ、お願いします」
そう答えた。
未亜の返事を聞いた広瀬君は、ホッと胸を撫で下ろす。
そして広瀬君は自転車を押しながら校舎の方へ歩いて行き、未亜は彼の制服の一部を指先で摘んで一緒に歩いて行った。
さて、そろそろ俺も天国へ行くとするか。もう、俺が居なくなっても大丈夫だろう。
いつか生まれ変わって、デザイナーになった未亜と再会できるといいな。
未亜、頑張れよ。




