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第19話 日常を取り戻した日

 いつものように鈴花が運転する車で登校して、裏門で待っていると自転車に乗った広瀬君が現れる。俺が三十秒以上は待たないことを彼は知っているから、日増しにそのタイムが短くなる。俺が待ち始めてから彼が到着するまで、ついに十秒を切った。

 だからと言って誉め称えることもせず、朝の挨拶すら交わさないで、俺が校舎へ向かって歩き出すと、広瀬君は自転車を降りて手で押しながら並んで歩いていた。


「ありがとう」

「え、何が?」

「警察に通報してくれたんでしょう」

「正確には校長に報告して、校長が通報したんだけどね」

「大した違いじゃないわ」


 広瀬君が自転車を駐輪場に置いてワイヤーロックを掛ける間、俺は待っている。そして、二人で肩を並べて校舎へと歩いて行った。


 もう広瀬君が毎朝女子と一緒に現れることは、彼のクラスメイトには知られているようだ。小突かれているのは何度か見掛けたことはあるが、次の展開としては付き合っているのかと聞かれるだろう。それを広瀬君は否定したらしい。

 まあ、付き合っていないから当然のことだが、校舎へ入ると一人の男子が駆け寄って来た。


「広瀬、付き合ってないなら彼女、紹介しろよ」

(やだ…怖い…)


 俺は広瀬君の背中に、スッと隠れた。いつも愛想のない喋り方をしているから、彼にとっては意外な行動だったかもしれない。でも本来、未亜はこういう性格なのだ。

 広瀬君と普通に会話をしていたのは、周りに誰も居ない状況で、しかも逃げ場がないような場所で、こっちが拒否反応を示しても彼がへこたれなかったからだ。

 俺自身は人見知りでもないし、男嫌いでもないから、初対面でも普通に会話は出来る。でも、未亜はお嬢様なんだから、他の生徒が居る中で知らない男子に紹介しろと言われても怖いだけだろう。


「悪いな。この子、そういうの苦手なんだよ」

「苦手かどうか、その子に聞いてくれよ」

「うるせーな。嫌がってるの、分かれよ」


 広瀬君は男子の肩を押しながら、俺を残して廊下を歩いて行く。途中で振り返ってこっちを見た時に、俺は軽く手を振ってから階段を上って行った。



 教室に入って自分の席に辿り着くまでの間、クラスメイトにチラチラと見られていた。誘拐されてから一日休んだだけで登校したのだから、気になるのは仕方がない。ただ、冷たい視線ではなく、心配するような温かい目で見てくれているのが有り難い。

 席に着くと、前の席の藤森さんが振り返った。


「未亜ちゃん、これプレゼント」


 そう言って渡されたのは、小さなビンに入ったポプリだった。以前に貰った物とビンは同じだが、中身は違っている。


「バラの香りはリラックス効果があるんだよ。嫌なことも忘れられるから」

「ありがとう。気を使ってくれたんだ」


 早速、コルクの蓋を取って臭いを嗅いでみる。


「なんか、落ち着くね」

「でしょ」


 そこへ東條さんが、スマホを持ってやって来た。彼女がモデルをした時の写真がホームページに掲載されたので、何かしらの反応があるだろうとは思っていた。


「未亜ちゃん!私の写真を使ってくれて、ママが大喜びだよ」


 ちょっと興奮気味なので、ポプリが零れないように蓋を閉めた。

 東條さんがモデルをやったことを知らなかった藤森さんは、スマホを持つ彼女の腕を自分の方へ引き寄せて画面を見ている。


「夏海ちゃん、モデルやったんだ。超可愛いね」

「メイクマジックよ。実物は大したことないけどね」

「そんなことないよ。夏海ちゃん、可愛いよ」


 俺も藤森さんの意見に賛成だが、未亜に言われると嫌味にしか聞こえないと思って口には出さなかった。


「坂上さんがコラボ企画やりたいとか言ってたけど、どうなったの?私、ノータッチだから、全然聞いてなくて」

「ママがもう、ノリノリでカットモデルやってくれそうな子に声掛けてるよ。ビフォーアフターやりたいから、バッサリ切っても大丈夫な子探してる」


 案外、洋服の販促とは直接関係のないことをやるんだなと思った。ホームページはファッション雑誌のような作りになっているから、若い女性の興味を引くことが大切なのだろう。


「私のことは気にしなくていいから、どんどん話しを進めちゃっていいよ」

「うちのママも私のことなんか気にしないで、勝手に話しを進めちゃってるよ」

「大人って怖いね」


 昨日、東條さんから来たショートメッセージは、何事もなかったように話し掛けるということだった。その通り、いつもと何も変わらない調子で話しをしている。

 藤森さんは、犯罪に巻き込まれたことで多大なストレスが掛かったと思い、彼女なりに癒やしの方法を考えてくれたのだろう。

 そこへ、クラス委員の武藤さんがツカツカとやって来た。ニコリともしないが、別に機嫌が悪い訳ではない。


「杉浦先生から伝言よ。次の休み時間に校長室へ来てほしいって」

「また校長室…」


 次の休み時間は一限目の後だから、そんなに長い時間ではない。大した用件ではないということだ。

 それよりも俺は、ちょっと気になることがあって立ち上がると、武藤さんに顔を寄せて臭いを嗅いでみた。


「な、何?」

「いい香りがするけど、シャンプー変えた?」

「ま、まあね。桐生さんが教えてくれた、エトランジュのフレグランスシリーズが昨日届いたから…」


 そう言えば、以前にシャンプーは何を使っているのか聞かれたことがあった。同じ物を使いたいというのは、未亜に対する憧れがあるのだろうか。その割には、愛想があまりよろしくない。

 俺は更に顔を寄せて、武藤さんの耳元で、


「女子力、上がったね」


 と囁くと、彼女は顔を赤らめながらヘナヘナと膝から崩れ落ちていた。



 一限目の授業が終わると、急いで俺は校長室へ向かった。二限目の授業に間に合わなかったとしても、それは校長のせいで俺は悪くない。しかし、授業が始まっている教室へ入って行って、注目を浴びるのが恥ずかしい。

 校長室のドアをノックすると、返事が聞こえたので中へ入る。そこに居たのは校長と担任の杉浦先生、そしてスクールカウンセラーの武井さんだった。

 こんな短い休み時間の間に呼び出されたのは、スクールカウンセラーの都合なのだろう。授業中じゃないだけでも、まだ譲歩した方か。

 杉浦先生が手で合図したので、武井さんと向き合う位置に俺も座った。


「怖い思いをしたようね。夜はちゃんと眠れてる?」


 武井さんは優しくそう言ったが、校長と杉浦先生は何となく顔が強張っている。大企業の社長の娘が一度ならず二度までも被害者になって、腫れ物にでも触るような気持ちなのだろうか。


「夜は眠れてますけど、相変わらず電車には一人で乗れないです」


 PTSDの原因が電車の事故ということなら、学校の不祥事とは直接は関係のない話しだ。でも、小松崎が売春の相手を用意した当日に事故に巻き込まれるなんてタイミングが良すぎるから、言わないだけで自殺未遂だと察しているのだろう。学校へ来た刑事さんも秘書の斉藤さんも、そんな口振りだった。


「きちんと治したいなら専門医に診てもらった方がいいと思って、今日は紹介状を持って来たの。費用は自己負担になるから、それで良ければお渡しするけど」

「あ、頂きます」

「きちんと治せば、先生方も安心できるものね」


 武井さんは床に置いていた手提げ鞄を膝の上に乗せると、中から大きめの封筒を取り出して渡してくれた。

 用事はこれだけのようだが、校長と担任の杉浦先生は俺が紹介状を受け取って、治療に取り組む意志があるのを見届けたかったのだろうか。

 何とか二限目に間に合いそうなので、俺は立ち上がってお辞儀をすると、急いで校長室を出て行った。



 昼休みになると、いつものように屋上にある塔屋の上へと梯子を登って行ったが、まだそこには誰も居なかった。今迄、広瀬君の方が先に来て待っているのが当たり前だったから、珍しいこともあるもんだなと思いながら、腰を降ろしてトートバッグから弁当を取り出した。

 弁当を食べ終わる頃、ようやく広瀬君が梯子を登って来て顔を出した。


「やあ、お待たせ。遅くなって悪いね」

「別に待ってないけど」

「それは失礼しました」


 いつもの定位置に広瀬君は座ったが、いつものようにパンを食べる前に、来るのが遅くなった理由を言いたいようだ。


「昼休みに俺が居なくなるのは、あの綺麗な女の子と一緒に昼食を食べてるんじゃないかってクラスメイトに疑われててね。付いて来ようとするから、逃げるのにちょっと時間が掛かったよ」

「いっそのこと、みんなが見てる所で堂々と一緒に食べた方が気が楽かもね」

「えっ、マジで?」

「ウソ」

「桐生さんってホント、ツンデレだよなぁ…」

「だから、デレはないから」


 事件に巻き込まれて、心配してくれているのは広瀬君も同じようだ。普段と変わらない俺の物の言い方に、安堵の表情を見せてからパンを食べ始めた。


「また一つ問題を思いついたんだけど、答えてくれる?」

「何でも答えるよ」

「広瀬君のお父さんって、何やってる人なの?」

「自動車の修理工場を経営してるよ。旧車のレストアとかもやってて、結構マニアックな車を見られて面白いよ」


 この学校の生徒の家庭に自営業者が多いのは、名門校だからかもしれない。普通のサラリーマンでは、授業料が高くて払えないだろう。


「百点」

「え?」

「私もそのマニアックな車を見たいと思ったから百点なんだけど、こんな些細な希望を受け入れてくれる度量はないのかしら?」

「まさか!うちの修理工場に来てくれるなら、いくらでも見せてあげるよ」

「私、一人で電車に乗れないから、近くにランドマークみたいなのがあれば、そこで待ち合わせしたいんだけど」


 以前、広瀬君に彼氏のフリをしてもらった時も待ち合わせをしたので、一緒に電車には乗っていない。また今度も同じようにすれば良いと思っていた。


「俺が桐生さんの最寄りの駅まで迎えに行くよ。二人なら乗れるんだろ?」

「行きと帰りで二往復することになるよ」

「別に構わないよ。一往復分は、桐生さんと一緒に居られるからな」

「そう…それじゃ、お願いするわ」


 ただ一緒に乗っているだけでは、未亜の気持ちが落ち着かない。広瀬君と手を繋ぐことになるのは必至だ。

 男と手を繋ぐのは不本意だが、未亜のためだ。仕方がない。


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