第18話 夢が叶った日
小松崎が逮捕されたニュースが流れると、さすがに学校側も隠し通せなくなった。既に免職扱いになっているとは言え、父兄からの問い合わせや苦情への対応で大変なことになっているらしい。
名門校の不祥事ということで、ワイドショーでも取り上げられていた。そんな番組を延々と見ている趣味はないので、どういう扱いをされたのか詳しくは知らない。
誘拐された生徒の名前は公表されてはいないが、クラスメイトは察しているだろう。さすがに今日は混乱を避けて、登校するなと担任から連絡があった。
鈴花が未亜の部屋を掃除しているので、俺はソファーに寝そべってスマホで友人からのショートメッセージを見ていた。
(お行儀が悪いでしょう)
「ん…」
吹き抜けになっているので、一人で喋っていると鈴花に聞こえてしまうかもしれない。久々に未亜から小言を言われたので、俺は最小限の返事だけをしてソファーに座り直した。
朝から一歩も外に出ないで部屋でゴロゴロしていたのに、その時は何も言われなかった。部屋でゴロゴロするのと、リビングでゴロゴロするのは違うらしい。
俺、と言うか未亜はSNSアプリを使っていないので、全てショートメッセージだ。アプリを入れたところで、やり取りする相手が居ないそうだ。
藤森さんからのショートメッセージ。
『未亜ちゃん、大変だったみたいだけど元気出してね』
東條さんからのショートメッセージ。
『明日からは何事もなかったように登校してね。何事もなかったように声掛けるから』
武藤さんからのショートメッセージ。
『桐生さんの顔が見えないと物足りないから、早くその顔を見せてよね』
他にも、さほど親しくないクラスメイトからのショートメッセージまである。
(何だか嬉しい…)
そりゃそうだろうな。しかし、広瀬君からのメッセージがない。何やってんだアイツ、と思っていたら電話の着信音が鳴り始めた。相手は秘書の斉藤さんだ。向こうから電話が掛かって来るなんて、珍しいこともあるもんだなと思いながら電話に出た。
「未亜ですけど」
『今日は一日、空いてるんでしょう。ちょっと、出られないかしら?』
今日、登校していないことをどうして知っているんだと一瞬思ったが、父親は知っているから秘書の斉藤さんが知っていても別に不思議はない。
「斉藤さんと、お出掛けするってことですか?」
『メイドさんに、新幹線の駅の南口にあるコインパーキングまで連れて来てもらって。そこから私が案内するから』
「分かりました。今から出ます」
『待ってるわ』
電話を切ると、スマホを持ったまま階段を上がって未亜の部屋へ行く。もう小松崎が逮捕されたんだから一人で出歩いても良さそうなものだが、電車に轢かれそうになったり誘拐されたりで、周りの大人達から見ると心配の度合いが増しているようだ。
ノックもせずに部屋のドアを開けると、鈴花がコードレスの掃除機で絨毯の上を掃除しているところだった。いつも学校へ送り迎えしてもらっているから運転手のように錯覚してしまいがちだが、こっちの方が本業だ。
「鈴花さん、ちょっといい?」
「はい、どうかされましたか?」
鈴花は掃除機を止めて、ベッドの横に立て掛けた。
「斉藤さんに呼び出されたんだけど、ちょっと駅まで送ってくれる?」
「では、掃除は戻ってからやりますので、すぐに車を出します」
部屋を出て行く鈴花と入れ替わりに、俺は中へ入って洋服を着替える。家の中ではラフな格好をしていたので、そういった時間が必要なことは、わざわざ言わなくても鈴花は分かっている筈だ。
もう、お嬢様としてもやって行けそうだなと思いつつ、ショルダーバッグに必要な物を詰め込んでから、鈴花の後を追って部屋を出て行った。
鈴花の運転する車が指定されたコインパーキングに到着すると、既に停めてあった車から斉藤さんが降りて来た。
こちらも車を停車させると、俺が車から降りて、鈴花もエンジンを切ってその後に付いて来る。
「お嬢さんは私が家まで送り届けるから、メイドさんは帰ってもいいわよ」
鈴花は少しだけ、ムッとした表情をする。父親が個人的に雇っているのはどちらも同じだが、斉藤さんは鈴花の上司ではないから、指図をされる筋合いではないということだ。
「鈴花さん、ありがとう。助かりました」
俺がそう言うと、鈴花は軽く頭を下げて素直に指示に従う。
「失礼します」
そう言ってから精算機で駐車料金を払って車へ戻ると、エンジンを掛けてコインパーキングを出て行った。
「よく出来たメイドさんね」
「案内するって言ってましたよね。どこかへ連れて行ってくれるんですか?」
「新しいお店が出来たから、お嬢さんにシフォンケーキでもご馳走しようかと思ったのよ」
それだけの理由だろうか。何か裏がありそうだが、斉藤さんが未亜を騙すようなことはないから、素直に従うことにした。
そこから暫く歩いて、商業施設が立ち並ぶ通りを進んで行く。そして、一軒の喫茶店に到着した。
新しいお店と言っていたが、看板以外はそれほど新しくはない。居抜きの物件だろうか。驚いたのは店の名前が、『Cafe はづき』になっていることだ。
「どこかで聞いたことがあるような名前だけど」
「お嬢さんを助けてくれた少年の名前よ。ご存知ないかしら?」
「知ってるけど…」
店の中へ入って、更に驚いた。店を切り盛りしているのは、俺の両親だった。桐生未亜ではなく、式神葉月の方の両親だ。
俺が電車に轢かれて死ぬ前は、父親は営業マンだったし、母親はスーパーでレジ打ちをしていた。どこにでも居る普通の夫婦で、喫茶店を経営するようなタイプの人ではなかった。
「いらっしゃいませ」
俺と斉藤さんが店に入って来ると、父親は笑顔で迎えてくれたが、母親はやはり複雑な表情をしている。今生での別れはもう済ませたつもりだったのに、再び両親に会ったことで、俺も複雑な心境だった。
店の一番奥にあるテーブルに着くと、父親がコップに入った水を運んで来た。本来は母親の仕事のようだが、敢えてそうしたのだろう。テーブルにコップを起きながら、俺に話し掛けて来る。
「息子の葉月は人間観察が趣味で、将来は自分の店を持つことが夢だったんですよ。葉月がやりたいのは喫茶店ではなかったんですが、脱サラで始めるにはこれくらいしか出来なくてね。斉藤さんが尽力してくれたお陰で、葉月の夢を叶えることが出来ました。だからもう、お嬢さんは葉月のことで気に病まないでください」
俺が泣くことを予想していたのか、先に斉藤さんはポケットティッシュを渡してくれる。それを受け取って鼻をかんでいた。
「紅茶とシフォンケーキのセットでいいかしら?」
「アイスコーヒーでお願いひまふ…」
斉藤さんは、飲めないくせにまたアイスコーヒーを注文するのかと言いたげな表情をする。それを口に出すことはなく、アイスコーヒーとシフォンケーキを二人分注文した。
「お嬢さんもアイスコーヒーが好きなんですか?葉月も猫舌で、冬でもアイスコーヒーを飲んでたんですよ」
そう言ってから、父親は厨房へ戻って行った。
「斉藤さんが尽力したんでふは…」
「誰よりも社長が一番、お嬢さんを助けてもらったことに感謝してるのよ。出来ることがあれば、何でもしてくれってね。お嬢さんが、ずっと気に病んでるんじゃないかと思って今日は連れて来たのよ」
「ありがとうございまふ…」
我慢できずに、涙がポロポロと零れてきた。半分は未亜の涙で、残りの半分は俺自身の涙だ。
父親が注文した物を運んで来ると、俺はアイスコーヒーをストローで吸い込んだ。やっぱり未亜の味覚では苦くて飲めないが、それを我慢して最後まで飲み干した。父親が入れてくれたアイスコーヒーを飲めるなんて、俺にとって冥土の土産になる。
泣きながらアイスコーヒーを飲み干す俺を見て、斉藤さんは
「少しは大人になったみたいね」
そう呟いていた。
帰りは家の前まで、斉藤さんが車で送り届けてくれた。鈴花は窓を拭いていて、俺が帰ったことに気付いて家の中で出迎えてくれた。
「未亜様、昼食はどうなさいますか?」
「斉藤さんとシフォンケーキを食べて、結構お腹一杯になったから、三時くらいにパンケーキでも作ってくれる?」
「分かりました。では、三時にお部屋へお持ちします」
「シフォンケーキをテイクアウトしてきたから、これ鈴花さんが食べて」
「ありがとうございます」
ケーキ箱に入ったシフォンケーキを鈴花に渡すと、そのまま俺は階段を上って未亜の部屋へと向かった。
部屋に入った勢いでベッドに寝そべったら、未亜に小言を言われてしまう。だからベッドの上に座っただけで、熊を抱きかかえてその頭の上に顎を乗せていた。
未亜の持っている洋服は値が張るような物ばかりだから、お嬢様らしくてよく似合っている。その反面、雑に扱えなくて面倒臭い。
「なあ、未亜。もう俺の夢は叶ったから、思い残すことは何もないよ。生まれ変わって人生をやり直したいから、そろそろ代わってくれないか?」
(私、葉月みたいに人付き合いが上手じゃないから、元に戻っても上手くやって行く自信がない)
「人付き合いも大切だけど、それだけが人生の全てじゃないだろう。やりたいことがあるなら、それに向かって進んで行けばいいじゃないか」
(それだって、お母様がお膳立てしてくれたことだし)
「もう母親とは仲良くやって、甘えさせてもらえばいいじゃないか。相手が手を差し伸べてるのに、それに気付かないから、こんなことになったんだろう」
(葉月が私のために、色々頑張ってくれてたのは分かるわよ。でも、一人になるのが怖いの)
一人になるのが怖いから、昇天もせず元にも戻らずということか。
最初の頃に比べると、生きる気力は取り戻せていると思う。でも、あと一歩が踏み出せていない。
俺だって、いつまで未亜のために頑張れるか分からない。日向や小松崎のように魔が差して、他人の人生を欲しくなるかもしれない。
俺は壁に掛かっているカレンダーに視線を移して、休日を確認する。明日、登校すれば土日は休みだ。
仕方ない。もう少し面倒を見てやるか。




