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第17話 誘拐された日

 機会があれば、また電車で登校したいとは思っていた。朝夕の通勤ラッシュ時は常に周囲からの人の目があるので、ある意味安全だろう。

 定期的にカウンセリングは受けているものの、俺自身はPTSDではないから、あまり進展はない。無駄に未亜を怖がらせても仕方がないので、いつものように鈴花の運転する車で学校へと向かっていた。


「お母様が鈴花さんは丸顔で幼く見えるって言ってたから、制服とか似合うかも」

「未亜様、良からぬことを考えていませんか?」

「また電車で登校したいと思ってるんだけど」

「勘弁してください」

「電車を?」

「制服です!」


 車の中では、そんな話しをしながら学校の裏門に到着した。


「未亜様、お帰りはいつもの時間でよろしいですか?」

「はい、お願いします」


 自分で後部座席のドアを開けて車を降りた途端に、物陰に隠れていた大柄な男がぶつかって来た。再び車の中に押し込まれて、その男も後部座席に乗り込んで来た。そして、ドアを閉めると片腕を俺の首に回し、もう片方の腕で刃渡り十五センチ程のナイフを突き付けられた。


「未亜様!」

(やだ…小松崎先生よ…)


 未亜は怯えているのか、声が震えているように感じる。

 俺が男子高校生のままだったら、素手で刃を握ってナイフを奪っていただろう。キャンプで使うような殺傷能力はそれほど高くないナイフだから、握ったところで指が無くなるようなことはない。十針も縫えば済むことだ。

 そんな無謀なことをする奴だったから、電車に轢かれて死んでしまったのだ。しかし、華奢な未亜の体では到底敵う筈もない。そして何よりも、女の子の体に傷を負わせたくなかった。

 鈴花はウエストポーチに手を掛けたが、躊躇してそれ以上は動かなかった。多分、スタンガンが入っているのだと思う。それを使えば、小松崎と体が接触している俺まで感電してしまう。それに、ナイフを突き付けられていては、無傷で救出するのは無理だと判断したのだろう。傷一つ負わせたくないのは俺と同じ気持ちのようだ。


「こんなことをして、あなたに何のメリットがあるんですか!」

「煩い!いいから車を出せ。こいつがどうなってもいいのか!」


 小松崎が俺を自分の方へ引き寄せると、首が締まって苦しくなる。声も出せずに顔を歪めると、ピクッと鈴花が動いてから再び躊躇する。


「未亜様、申し訳ありません。暫く、辛抱してください」


 鈴花は歯軋りをしながら、言われた通りに車を発進させた。

 いつも俺が裏門で待っている三十秒以内に広瀬君が登校して来れば、連れ去られる場面は目撃されているだろう。そうでなくても、いつもと違う方向へ走って行く車を見れば不審に思う筈だ。何かしらの手を打ってくれることを期待したい。

 小松崎がこんなことをすれば、間違いなく未成年者略取、誘拐罪になる筈だ。こんな学校の至近距離で、売春斡旋よりも重い罪を犯す意味があるのだろうか。

 小松崎の体が接触しているので、悪臭が漂って来る。もう、何日も風呂に入っていないのだろう。

 冷静に考えれば自分の立場を悪くしているとしか思えないが、そんなことも判断できないくらいに追い詰められているのだろうか。


「駅裏のタワーパーキングへ行け!」


 車は表通りに出ると、駅の方へ向かう。恐らく車を乗り換えるつもりだろう。警察に通報されれば車種やナンバーも分かっているし、あの父親のことだからGPS発信機も付いているかもしれない。


 十分足らずでタワーパーキングに到着すると、鈴花が運転席の窓から駐車券を取ってゲートが開く。


「2Eに車を停めろ」


 随分細かい指示だが、そこに小松崎の車が停めてあった。その隣りの空いたスペースに駐車する。

 俺は小松崎の腕を首に回された状態のまま、車から降ろされた。未亜が怯えているせいか、体が小刻みに震えている。

 鈴花も車から降ろされ、小松崎はナイフを俺の首に回している方の手に持ち替えて、隣りに停めてあった車の後部座席のドアを開ける。


「お前が運転しろ」


 小松崎に指示されて、鈴花は運転席のドアを開けると、その車がスマートキーの仕様であることを確認した。スマートキー自体は、小松崎が持っているのだろう。

 俺は先程までと同じように後部座席に押し込まれて、鈴花も仕方なく運転席に乗り込んだ。


「行き先はカーナビにセットしてあるから、そこへ行け」


 慣れない車のせいか、鈴花はシートやルームミラーを確認してからエンジンを始動した。後部座席の様子を見えるようにしたかったのか、ルームミラーがやや下を向いている。


「未亜様から腕を離してください。苦しそうじゃないですか」

「駄目だ!お前が変な気を起こせば、こいつの綺麗な顔に傷が付くからな」


 鈴花は憤慨するのを必死に抑えた様子で、仕方なく車を発進させた。

 車が国道に出て北上しているところまでは俺にも分かったのだが、道路にはあまり詳しくないので、どこへ向かっているのか途中で分からなくなった。

 未亜が怯えているせいか、頭の中でブツブツと声が聞こえている。聞き取れたのは『助けて』と『ごめんなさい』くらいだ。俺自身はそれほど精神的なダメージは大きくないが、早く何とかしないと未亜が持ち堪えられそうにない。


 どれくらいの距離を走ったのかよく分からないまま、車は高級マンションの地下駐車場へ入った。

 小松崎の腕を首に回されたまま車を降りて、鈴花も付いて来るよう指図をされる。小松崎は未亜に売春をさせようとしていたのだから、俺はその相手に引き渡されて強姦されるのかなと思っていた。

 意外なことに、マンションの中へ入る前に地下駐車場で厳つい男が待っていた。まるで格闘技でもやっているような体形で、麻薬の取り引きでもするかのような雰囲気だ。


「桐生の娘だ」

「こっちへ引き渡してもらおうか」


 言われた通りに小松崎は、俺を引きずるようにして厳つい男の方へ連れて行く。その男は俺の肩を抱いて自分に引き寄せると、次の瞬間には懐からスタンガンを取り出して小松崎の体に押し付けた。

 バリバリという放電の音が鳴り響くと、小松崎の体が地べたに崩れ落ちた。


「は、話しが違う…」


 追い打ちを掛けるように、厳つい男は倒れている小松崎にスタンガンを押し付け、二度三度と放電する。一回だけでも相当な衝撃だと思うのだが、立て続けに放電されて小松崎は、ビクンビクンと跳ね上がり口から泡を吹いて失神した。


「安心してください。警護の仕事をしている者です。桐生氏のお嬢さんを保護するよう依頼されています。対応が後手に回って申し訳ありません」


 小松崎が未亜を売ろうとした相手が、裏切ったというこただろうか?初めから未亜を保護するつもりで、小松崎を炙り出したのだろうか?

 未亜の父親に対しては、弱味を握るよりも恩を売った方が得策だ。そんな根回しも、あの父親なら簡単にやってしまうんだろう。

 未亜が自殺をしようとした日も、きっとこんな展開だったのかもしれない。こっそり助けようとしていた人は、事前に手を打っていただろう。小松崎が逮捕されて、日向が転校させられて、ジ・エンドだった筈だ。

 イレギュラーだったのは、未亜が自殺をしようとしたことだ。どうして周りの人を信じて、頼ることが出来なかったのか。一言、助けてと言えば堂々と助けられた筈だ。


「依頼人は誰ですか?」

「それは守秘義務のため、申し上げられません」


 結局、掌の上かと思いつつも、PTSDの時のように未亜の感情が同調して体の震えが止まらない。一定の距離を保つよう小松崎から指図されていた鈴花が、すぐに駆け寄って来て俺の体をギュッと抱き締めた。


「どんなことがあっても、私は未亜様を見捨てたりはしません。どこに居ても必ず迎えに行きます。だから落ち着いてください」

「私を一人にしない?」

「一人になんかしません」

「私を裏切ったりしない?」

「裏切ったりしません」

「信じていいの?」

「信じてください」


 俺が発した言葉は、未亜が言ったことをそのまま口に出しただけだ。不思議に震えが治まり、未亜の気持ちも落ち着いて来たようだ。

 斉藤さんは世の中は善人ばかりじゃないと言っていたが、大切に思ってくれる人が一人居るだけでも俺なら生きて行ける。自分が居なくなってしまったら、悲しむ人が居ることを俺はよく知っている。


「小松崎を警察に引き渡すので、あなた方は被害者として事情を聞かれることになりますが、よろしいですか?」


 俺からは警護の男は見えていないが、話しが出来る状態ではないと判断したのか、鈴花に話し掛けているようだ。


「はい、問題ありません」


 鈴花は、そう答えていた。



 マンションの地下駐車場にパトカーが乗り入れて、小松崎が逮捕されるのと共に俺と鈴花も警察署へ同行することになった。事情聴取ではなく、保護という扱いだ。

 広瀬君が連れ去られるのを目撃して、学校側が警察へ通報したそうだ。やはり、使える男だ。

 被害者が警察に保護されたからには、小松崎の未成年者略取、誘拐の罪は免れない。売春斡旋で逮捕されていた方が、余程罪が軽かっただろうに。

 小松崎も教師を志すくらいだから、初めから悪人ではなかった筈だ。どこで道を踏み外してしまったのだろうか。

 俺と鈴花は個別に事情を聞かれたが、殆どは鈴花が説明してくれたらしい。俺は事実確認をする程度だった。

 事情聴取が終わっても未成年ということで、保護者が迎えに来ないといけないらしい。警察署の一階フロアで待っていると、正面の入り口から父親が入って来た。仕事を全部、キャンセルして来たのだろうか。

 未亜ならこうするだろうと思って、俺は父親の胸に飛び込んだ。父親も俺の体をギュッと抱き締める。


「お父さん…」

「未亜、無事で良かった」


 泣き虫な未亜は、それだけでもう号泣だ。次から次へと涙が溢れて、父親の胸から顔を離せなくなった。


「旦那様、申し訳ありません。私が付いていながら、こんなことになってしまって」

「鈴花が居なかったら、未亜は精神的に耐えられなかっただろう。未亜を守ってくれて、感謝している」

「恐縮です。ありがとうございます」


 そのままでは父親が身動き出来ないので一旦俺は引き離されたが、またすぐにその腕にしがみついた。いつもポーカーフェイスで淡々としている父親の表情が、心なしか緩んでいるように見える。

 制服の警察官に保護者の方ですかと聞かれて、そのままの状態で移動する父親だった。


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