第15話 縁を切った日
ショッピングモールのイベント広場では、縁日をイメージした屋台が立ち並んでいる。期間限定のイベントで、お祭り気分の親子連れは小さな女の子に浴衣を着せて楽しんでいた、
射的の屋台で俺は、キャラメルの箱すら落とせずにいた。コルクを飛ばす空気銃は銃身が金属で出来ていて、ズッシリと重たい。片手で持って銃口を標的に近付けた方が有利なのだが、未亜の体は非力でライフルのように両手で構えるしかなかった。
「普通に買った方が安くないか?」
全弾使い切って何も落とせなかった俺に、温かく見守っていた広瀬君がそう言った。
屋台の店主は残念賞だと言って、子供用の小さな菓子袋をくれる。
「こういう時は広瀬君がキャラメルを落として、私にプレゼントしてくれるんじゃないの?」
「それが出来たら、俺のこと見直すかな」
そう言いながら、広瀬君は店主に小銭を払ってコルクの弾を受け取った。さすがに力があって、片手で空気銃を持ち銃口をキャラメルの至近距離へ近付ける。
一発だけではキャラメルは落下せずに、後方へ移動しただけだった。二発目で更に移動し三発目ではついに落下した。
店主からキャラメルを受け取った広瀬君は、それをそのまま俺に渡してくれる。
「お嬢様にプレゼントでございます」
「ありがとう」
俺は広瀬君の顔を見て、ニッコリと微笑む。笑顔を見たいと言っていたから、ちょっとしたサービスだ。広瀬君は結構背が高いから見上げるような形になっているが、彼の方は俺の顔だけでなく服装も見ている。
今日の服装は未亜が選んだ物だ。まあ、大体未亜が選んでいるのだが、今迄は俺が自分で服装を選べるようになるための教育的な意味合いが強かった。それが、今日に限っては未亜自身が乗り気だったのだ。広瀬君に対して悪い印象は持っていないことは分かる。ただ、俺が思っている以上に好感度が高いのかもしれない。
菓子袋とキャラメルの箱を斜め掛けのショルダーバッグに入れてから、もう一度広瀬くんの顔を見上げると、その視線の動きで俺の背後から誰かが近寄って来ているのが分かった。
背中をポンと叩かれて、俺は振り返った。
(やだ…日向さんよ)
それは言われなくても分かっている。日向からのビデオメッセージを見ているので、彼女の顔は知っている。ただ、実際に俺が会うのは初めてだ。
「未亜ちゃん、久し振り。こんな所で会えるなんて思わなかったよ」
この場所を指定したのは日向の方だ。二度と未亜の前に現れないと約束させられているから、偶然を装いたかったのだろう。
別に誰かに監視されているということでもないのだが、後でバレた時に言い訳が出来るとでも思っているのだろうな。
「あ、日向さん、紹介するね。彼氏の広瀬君」
「未亜ちゃん、彼氏が出来たんだ…」
軽く頭を下げる広瀬君に対して、日向は意外そうな表情をする。未亜が薄っべらい人間関係しか構築できないことを彼女はよく知っているから、彼氏という友達よりも深い関係が不思議なのだろう。
「私が意識不明の間に日向さんが転校しちゃって、急にどうしたのかと思ったよ」
「事故に巻き込まれたんだってね。ちょっと、その辺で座って話さない?」
初めからそのつもりだが、俺は広瀬君の顔を見て彼は黙って頷く。こんな無言のやり取りも、日向に見せておきたかった。
ショッピングモールの中にある甘味処へ三人で入ると、俺と広瀬君が同じ側の席に座り、向かい側には日向が座った。
広瀬君は甘い物が得意ではないらしく、抹茶と三色団子のセットを頼んだが、手を付けたのは抹茶の方だけだ。そんな広瀬君に構わず、俺と日向は蜜豆を食べていた。
「未亜ちゃん、元気にしてた?二人はいつから付き合ってるの?」
「日向さんが居なくなった後だよ。小松崎先生がまだ逮捕されてないから、一人で出歩くなって言われてるの。メイドを連れて来るのもどうかと思ったから、彼にお願いしたんだけど」
「小松崎先生が逮捕?」
「知らなかったの?この間、学校に刑事さんが来て事情を聞かれたよ」
「そ、そうなんだ…」
担任の杉浦先生に口止めされていたことをあっさりと喋ってしまって、我ながら口が軽いなと思う。でも、言ってみれば日向は事件の当事者なんだから、別に問題はないだろう。
「私はてっきり、日向さんはアレと縁を切るために転校したんだと思ってたけど」
「ええ、まあ、そうなんだけどね。ところで未亜ちゃんは、お父さんの秘書とはよく会ったりするの?」
「秘書って何人か居るみたいだけど、斉藤さんって人なら時々会うよ」
「その斉藤さんが、未亜ちゃんへのビデオメッセージを撮ってくれたのよ。ちゃんとお話ししたいから、連絡先とか分からない?」
「知ってるけど、広瀬君はどう思う?」
「連絡先だけで済まないだろ。間に桐生さんを入れて二回も三回も、お金を引き出せると思ってるのかな」
「こっちに弱味があるって、勘違いしてるのかしらね。私は後ろめたいことなんて、何もないんだけど」
「み、未亜ちゃん…お金に苦労してるのは間違いないけど、私はもう騙して稼ごうなんて思ってないから。ただ、割のいいバイトとかあったら、紹介してもらえないかと思って…」
割のいいバイトって、何だろう。普通に働くだけなら、リスクを犯してまで未亜に会わなくても良い筈だ。
純粋に広瀬君の意見が聞きたくて、俺は彼の顔を見る。
「ちまちまと働くよりも、まとまったお金が欲しいってことだろう。そういう人から俺は、桐生さんを守りたいって思ってるけどね」
「その気持ちは嬉しいけど、日向さんだって妹さんを守りたかったんだよね」
日向は一瞬、悔しそうな表情をして顔を伏せた。テーブルの下では、両方の拳を握り締めている。
「お父さんも、お母さんも信用出来ない。だから、妹は私が大学まで卒業させるから」
信用するのか?という疑問符の付いた目で広瀬君が俺の顔を見る。日向からのビデオメッセージを見せられた時に、斉藤さんはボロクソに言っていたが、妹の話しについては否定をしなかった。多分、本当のことなのだろう。
普通に学校へ通っていた女子高生が、体を売ったり同級生を騙してまでお金を手に入れようとするのは、それなりに事情があると思う。それを肯定するつもりはないが、俺には日向が根っからの悪人だとは思えなかった。
「体の免疫細胞みたいに、私のことを守ろうとしてくれる人を私自身がコントロール出来ないのよ。免疫が暴走して日向さんが酷い目に遭う前に、もう会わない方がお互いのためだと思わない?」
暫く下を向いて黙っていた日向は、考えがまとまったのか顔を上げて真っ直ぐに俺を見た。
「未亜ちゃん、変わったね。きっと彼氏が、いい人なんだ」
「私もそう思ってる」
「ごめんね。もう、連絡しないから」
日向が立ち上がってレシートを取ろうとするのを、俺が手で押さえて自分の方へ引き寄せる。彼女は軽く頭を下げて、そのまま店を出て行った。
空いた席へ俺が移動してメニューを開き、追加注文をしようとしていた時だった。
「桐生さん、あれ」
顔を上げて広瀬君を見ると、ガラス越しに外の様子を見ているようだった。
甘味処のお店は鰻の寝床のような奥行きが長い構造になっていて、ショッピングモールに面している側は全面がガラス張りになっている。
俺も振り返って外の様子を見てみると、日向が人相の悪い二人組の男達に呼び止められていた。
遠くてよく分からないが、男の一人が手帳のような物を開いて見せている。多分、刑事だろう。そのまま日向は二人の刑事の間に挟まれて、どこかへ連れて行かれてしまった。
慌てて俺はショルダーバッグからスマホを取り出すと、斉藤さんに電話を掛けた。
「斉藤さん、今どこに居るの?」
『困ったお嬢さんね。悲惨な結末を見たくなかったら、関わるなって言ったでしょう』
「答えになってないでしょう。今、どこに居るのか聞いたんだけど」
『お嬢さんが居る甘味処から、五十メートルほど離れた所ね』
「私の後をつけてたの?」
『人聞きが悪いわね。後をつけてたのは日向の方よ。お嬢さんに会うことは分かっていたから、結果的には同じことかもしれないけど』
「日向さんは、これからどうなるの?」
『未成年の売春容疑だから、それほど重い罪じゃないわね。せいぜい、高校を退学になって、保護観察処分くらいかしら。私も鬼じゃないから、働き口くらいは紹介してあげてもいいけど』
「妹さんは今、日向さんが面倒を見てるんでしょう?」
『お嬢さんの前に二度と現れない約束で独立を支援したから、児童養護施設に入れられる直前で引き取ったみたいね』
そこはビデオメッセージで言っていたことと違っている。撮影したのは斉藤さんだから、意図的に親戚に引き取られると言わせたのだろう。
「児童養護施設ってことは、虐待されてたのね。どうして教えてくれなかったの?」
『お嬢さんがあの子に同情した挙げ句に、電車を緊急停止させて三日間意識不明だったことをお忘れかしら?』
「忘れてない…忘れてないけど…」
『お嬢さんが首を突っ込んでも、ろくな結果にならないことは』
斉藤さんが喋っている途中で、俺はブチッと電話を切った。
東條さんが車の中で日向の話しをした時点で、こうなることを予想しておくべきだった。鈴花は第一に未亜の身を案じている。危険だと判断すれば、それなりに対処をする筈だ。斉藤さんとは直接繋がりがなくても、父親を通じて情報を共有するだろう。と言うことは、父親もこの状況を把握しているということか。
せっかく未亜が父親にも母親にも心を開き始めているのに、俺が日向に悪い結果をもたらしてしまって、どう思ったのだろうか。そんな俺の心配をよそに、
(ありがとう)
という未亜の声が聞こえた。何がありがとうなのか俺には分からないが、聞き返すことが出来ない。
(葉月は私のために、やってくれたんだよね。生きてる間に、こんなに必死になってくれた人なんて居なかったから嬉しいよ)
まだ生きてるだろう、と大声でツッコミを入れたいところだが、広瀬君の手前それも出来なかった。未亜にまで気を使わせて本当に情けない。
免疫細胞が暴走したことを察した広瀬君は、まだ手を付けていなかった三色団子を一本取って、俺の目の前に差し出した。俺は手を使わずに、パクッと食い付く。
「桐生さんは優しいな。自分を騙した相手にも情けを掛けようとして」
それは、ちょっと違う。俺はただ未亜の代わりに、日向との関係に終止符を打ちたかっただけだ。
自殺する理由は、一つだけではない。色んな要素が重なり合って、思い余ってのことだろう。でも、日向が未亜を騙したことが引き金になっているのも、否定できない事実だ。未亜自身で決着をつければ、何かが変わると思っていた。冷徹に日向を切り捨てられなかったことが、俺の失敗だったのかもしれない。