第12話 親交が深くなった日
朝は普段通りに、鈴花が運転する車で登校した。スクールカウンセラーから、無理に電車に乗ってPTSDを克服しようとしない方が良いと言われたからだ。
普段と違うのは裏門から入って、そのまま通りからは見えない位置に立っていたこと。すぐに自転車に乗った広瀬君が後を追うようにして裏門から入って来たが、俺に気が付いて慌てて自転車を停めた。
彼の自転車は前後に変速ギアがあるロードバイクで、チェーンの油でズボンが汚れないように裾バンドを付けている。このタイプだと速度の調節もしやすいから、時間をピッタリ合わせられるだろう。
「ストーカー」
その一言だけを放つと、俺は向きを変えて校舎の方へ歩き出した。広瀬君も自転車を降りて、手で押しながら横へ並ぶ。
「ごめん!小さな幸せを感じたいだけなんだよ」
「別に怒ってないよ。ただ、罵声を浴びせたかっただけ」
「それって、怒ってないか?」
「怒ってないって言ってるでしょう」
「ならいいけど…」
広瀬君は校舎の裏手にある駐輪場へ行く。彼が自転車にワイヤーロックを掛けて歩いて来るのを、俺は何となく待っていた。
「もしかして、俺に出したい問題とかある?」
「問題って言うか、ただ、母親との距離感って、どうなのかなと思っただけ」
(何、人に聞いてるのよ。葉月の好きにすればいいじゃない)
やっぱり、母親のこととなると未亜の機嫌が悪くなる。俺の好きにしたら、それこそ罵声を浴びせられそうだ。
いつも座って話しているので気づかなかったが、並んで歩くと広瀬君は結構背が高い。俺の方が男子高校生だった時よりも大分小さくなってしまったので、余計にそう感じるのかもしれない。
「その問題については、高得点を望めそうにないな」
「どうして?」
「もう死んじゃったから」
「あ、ごめんなさい」
「気にしなくていいけど、反抗期の真っ只中で死んだからな。どうしてあんなこと言っちゃったんだろうって、後悔の嵐だよ。だったら言わなきゃ良かったのにって思うけど、その時は分からないんだよな」
「九十九点」
「やった!あと一点でデートできる」
「誰が百点取ったら、デートするって言った?」
「あれ、言わなかったっけ?」
「そうやって約束を捏造するつもりなら、もう問題を出さないから」
「ごめん、全て俺の妄想だった」
そのまま二人で歩きながら校舎の中へ入ると、下駄箱で上履きに履き替えるために一旦別れてから、意識しなくても自然に合流する。
三年生の教室は一階で二年生の教室は二階にあるから、階段がある場所で広瀬君は軽く手を振りながら、そのまま廊下を歩いて行った。俺と一緒だったところをクラスメイトに見られて、肘で小突かれている。
(いいかげん、デートしてあげたら?)
俺は返事をしなかった。周囲に人が居るからというのもあるが、ちょっと複雑な心境でもある。
俺がまだ男子高校生のままだったら、いい友達になれた筈なのにという気持ちだ。でも、今の俺は葉月ではない。未亜が広瀬君に対して悪い印象を持っていないことはよく分かったから、そこは気持ちを切り替えて行こう。
教室へ辿り着くまでに東條さんに声を掛けられるのも毎朝のことだが、その場所は日によって違う。今日は少し時間が掛かったせいか、俺が教室に入って自分の席に着くまでは声を掛けられなかった。
「桐生さん!」
東條さんは片手にスマホを持ちながら、俺の所までやって来た。
「見たよ、見たよ、コレ。超絶美少女なんだけど」
そう言って見せられたのは、未亜の母親が経営する通販サイトのホームページだ。
通販サイトと言うと新聞の折り込み広告のような物を想像していたのだが、ファッション雑誌のような作りになっている。特集記事などがあり、普通に読むだけでも女子には面白いと思う。ただ、ファッション雑誌ほど季節は先取りしていなくて、せいぜい一ヶ月二ヶ月程度先の服装だ。
既に俺が撮影をした時の写真が使われていて、このサイトで初めて自分の姿を見ることが出来た。ただでさえ美少女なのに、メイクや衣装、カメラマンのお陰で、この世の者とは思えないほど美しい仕上がりになっている。
母親の会社へ行く前に、学校で俺がスマホで検索しているのを東條さんが横から覗き込んでいたので、改めて自分で検索してみたのだろう。
「そんなマイナーなサイト、見なくていいから」
「地元企業だから、業界人ならみんな知ってるよ。学校にバレたら停学にならない?」
そう言えば、東條さんの両親は美容師だった。ファッションに対する意識も高いから、興味があったのだろう。
「お母様がやってる会社だから、問題ないと思うけど」
「えーっ!ママが社長なんだ。どんだけ恵まれてるの」
今まで控えめな声だったのが、急に大きくなった。校則違反ではないと分かったから、周りに知られても構わないということだろう。
前の席の藤森さんが、何?という感じで振り向くと、東條さんがホレとスマホの画面を見せる。
「未亜ちゃん、モデルやってるんだ。綺麗だから天職だね」
すると近くに居た女子二人が興味を示して、スマホを覗きに来る。東條さんも校則違反ではないと分かったから、躊躇なく画面を見せてしまう。
「うっそー!この服注文したら、私も桐生さんになれる?」
「無理無理、土台が違うから」
いつも未亜のマイナスの感情が同調して涙を流していたが、珍しく別の感情が込み上げてきた。恥ずかしいのか照れ臭いのか、顔が火照って赤くなっているのが自分でも分かった。
これだけ美少女なのに、あまり人前に立つような性格ではないことを勿体ないと思いながら、俺はスマホを取り上げるとスリープ状態にしてから東條さんへ返した。どうしてそんなことをしたのかは、俺の顔を見れば分かるだろう。
「恥ずかしがってるけど、日本中の女子がこれを見てるんだよ」
「いや、世界中が見てるでしょ」
「もう許して…」
もうホームルームが始まるので、それぞれ自分の席へと戻る。その前に東條さんが俺に顔を近付けて、
「話したいことがあるから今日、車で送ってくれる?」
小声で、そう言った。
(以前、他の人に聞かれたくない話しがあるから、二人きりになれないかって言われたことがあるの。その時は東條さんを車で送って、中で話しをしたんだけど)
「ええ、勿論」
俺がそう返事をすると、東條さんはコクリと頷いて自分の席へと戻って行った。
学校が終わってから、俺は朝に約束した通り東條さんと一緒に裏門まで行く。既に鈴花が運転する車は路肩に停車していた。
俺が右側の後部座席のドアを開けると、東條さんは運転席の後ろが上座だということを知っているらしく、そこを俺に譲るために自分が先に乗り込んだ。
「東條さんを自宅まで送ってもらえる?」
「はい、畏まりました」
これで二回目らしいので、鈴花は場所を聞くこともなく車を発進させた。実質的には二人きりになっていないのに、メイドは頭数に入っていないのだろうか。東條さんは話しを始める。
「昨日、日向さんから電話があったのよ。スマホを水没させちゃって、桐生さんの番号が分からないから教えてほしいって」
「それで、教えたの?」
「まさか!前にも言ったけど、あの人エンコーやってるって噂だし、なんか信用できないんだよね」
東條さんが教えなくても他にも知っている人は居る筈だから、番号を知られるのは時間の問題だっただろう。この期に及んで連絡しようとするのは、未亜が疑うことを知らない無垢な性格だとでも思っているのだろうか。
斉藤さんとの約束を破って目の前に現れたら、今度は転校をさせられる程度では済まない筈だ。
(私、東條さんに謝りたいの。代わりに言ってくれる?)
前回、車の中でどんな話しをしたのか俺には分からない。でも、東條さんは日向に不信感を持っていることから、何かしらの警告だったのだろう。
「この前は私のことを思って助言してくれたのに、何が正しいのか自分では判断できなかったの。本当に、ごめんなさい」
「いいよ。桐生さんはお嬢様だから外野が煩いのも分かるし、誰を信じていいのか分からないのも理解できるから」
「ありがとう。今なら東條さんの言うことも、ちゃんと受け止められるから」
「もう、日向さんとは関わらない方がいいよ。変な噂があった小松崎先生も居なくなったことだし」
「私にも何か出来ることがあったら言ってね」
(ちょっと、余計なこと付け足さないでよ)
「えっ、言ってもいい?」
「どうぞ言ってみて」
「私さぁ、ファッションにすんごく興味があって、桐生さんのママの会社を見学したいんだけど、またモデルの撮影とかで行くことがあったら、ついででいいから私も連れてってくれないかなぁ」
東條さんが未亜のことを気に掛けているのは間違いないのだが、お調子者であることも間違いなさそうだ。
未亜の機嫌が悪くなるので、母親と会うタイミングは難しい。次はどうしようかと考えていたくらいだから、良い口実になるかもしれない。
親子の仲があまりよろしくないことは、会社のスタッフも見ていて分かった筈だ。直接、母親に言わなくてもチーフデザイナーの坂上さんに連絡すれば、仲を取り持ってくれるに違いない。
「ちょっと待ってて、チーフデザイナーに聞いてみるから」
坂上さんに名刺を貰っていたが、こっちの電話番号は教えていない。友達を連れて行きたいとショートメッセージを送ると、凄い勢いでいくつも返信が戻って来た。
『いつ来る?いつ来るの?そっちの都合に合わせるから、日時を教えて』
『未亜ちゃんがモデルやってくれた服、注文が殺到してるよ。追加生産を発注しなきゃいけないくらいだから』
『またモデル、やってくれるよね。やってくれるよね。新作用意して待ってるから♡』
こんな感じで、立て続けに三通だ。撮影をした時はお嬢さんと言っていたのに、もう名前で呼ばれている。
「今度の日曜日でいい?返事しないといけないから」
「全然OKよ。なんか、桐生さん変わったよね。こんな積極的に動く人じゃなかったのに」
「事故に巻き込まれた衝撃で、目から鱗がポロッと落ちてね」
「分かるーっ。いや、全然分かんないから!」
一人でノリツッコミをして見せるのも、友人関係が一歩前進した明かしかなと思っていた。