第68話 出発前夜
それから、3日が経った。
アイシャは両親に説明し、両親は1年だけだからとしぶしぶOKをだした。
準備も色々しないといけなかったし、アイシャは忙しく飛び回った。
「ふぅー。明日はついに出発かぁ~!」
アイシャは自室にいた。
窓を開けていると、丸い月が見える。
少し早めの晩ご飯のあと、自室にあがってきたのだ。
今日、今月は最後になるだろう手紙たち――矢文・ボトルメール・伝書鳩だ――も、出し終わった。
……どうせ一ヶ月後にはまた村へ帰ってこなければならないのだ。手紙は出しておきさえすれば、来月返事を確認できる。
確率を少しでもあげておくのだ。
アイシャは、一冊の本を手に取る。
それは外の世界の種族と恋愛の憧れのきっかけとなった本だった。
本のページを捲る。
「セイレーンの男の子と海でのダンス……ドワーフの男の子と鉱山で宝石の原石デート……ハーピーの男の子と遊覧飛行……へへっ」
アイシャは自分がそのようなデートをしているところを想像した。
(いろんな種族の村?街?に行ってみたいなぁ~! 楽しみ!)
ページを捲る。
「人間の男の子と……パンケーキを食べて映画館へいってショッピング……? ってなんだろ……」
よく分からない記述もある。
「でも、これを体験したセイレーンの女の子は、すっごく素敵だったって書かれてるし、きっと素敵なんだろうなぁ~! 人間って言ったって、キールとかじゃ全然村の人と変わんないし~……」
「俺がなんだって?」
「ひゃっ!?」
見ると、窓からキールの顔が覗いていた。
「なぁ~にぶつぶつ言ってんだ」
「ちょっと~! なんなの~? あ! とうとう外に行くもんね! 残念でした~!」
「…………」
キールはの眉がピクピクと動いた。イラッとしたのだろう。
アイシャはくすくすと笑う。
「ま、明日からの旅路も、キールが付いてきてくれるからあんまり不安じゃないってとこもあるんだよね~。キールは長老とか護衛団長に言われて仕方なくかもしんないけど、助かるなぁ!」
「別に。仕方なくじゃねーけど」
「へっ……?」
「ずっ、ずっといっしょにいるだろっ!」
キールの声は、少しうわずった。
「えと、」
「あの日からっ! あの時からっ! ずっといっしょにいるだろっ! だから……っ! ……っ」
6歳のあの日から。
キールの声は、だんだんと語尾が小さくなっていった。
「だから……これからもずっといっしょにいる……けど」
「そっ、……っそうだよねっ! キールはずっといっしょにいるのが当たり前だもんねっ! だから……」
(だから、私の恋探しにも付き合ってくれ……て)
アイシャは、まばたきを数回した。
(あれ……それって……)
(本当に当たり前?)
今まで当たり前だと思っていたが、何かが引っかかる。
(……なんだろう?)
「…………」
月明かりに照らされて、キールの黒い髪が艶やかに光った。
風が吹いて、それがふわりと揺れる。
アイシャはそれを黙って見ていた。
(私たちとは違う、黒い髪と、黒い瞳――……)
今、初めて気付いたかのように、人間の特徴を見ながら、アイシャは立っていた。
アイシャが急に黙ってしまったので、キールは眉をひそめた。
「なんで黙ってんだよ?」
「わ、わかんない……」
「はぁ?」
「なんか……わかんなくなっちゃって……」
「なにがだよ」
「どうしてキールはいつもいっしょに付いてきてくれるの? 村は? お父さんは? お母さんは? 護衛団のみんなは? 友達は? 学校は? どうして全部……置いていけるの?」
「……逆だぜ」
「逆?」
キールは言った。
「お前をほったらかしにできねーから、ついて行ってやるんだよ」
「……心配ってこと?」
「……そー」
「……親友ってこと?」
「………………………………………………そー」
少し間が多かったが、キールは頷いた。
アイシャは、はっと気がつく。
「てか! 何しに来たの?」
「………………明日以降、もし、もしお前が…………」
キールは歯切れが悪い。
アイシャは、気温が下がってきていることに気がつき、
「えと、とりあえず部屋に入る?」
「い、いや、俺は帰るぜ! ……ちょっと顔見に来ただけだし! じゃーな!明日寝坊すんなよ!」
キールはそそくさと帰って行ってしまった。
***
キールは、自室に帰った。
明日から、……アイシャの結婚相手を探す旅とかいう不本意なものに付き合わされる。不本意ながら……命じられたから仕方なく、ではない。
(護衛団の他の男がそばにいるより、俺がいるべきだ)と、そう思ったからである。
人間の結婚時期は、自由だ。ドリアードのように18歳でする人は珍しく、20代か30代くらいでするのが一般的だ。
「……あいつが、けっ……こん、したら……っ。俺は村から出て行くしかない……だろうな」
(耐えられる自信が、ない)
キールは、ため息を吐いた。
だからこの旅は、キールにとってもあと1年の猶予なのだ。
***
トリスは、各所に挨拶を終え、長老の家にいた。
長老はロフィマと話をしている。
荷物はまとめ、あとは出発するだけだ。
「…………」
トリスは家の外に出る。
夜空に星が光る。
(王都より星がきれいに見えるなぁ)
トリスは、犬のブローチを握った。――マーケットでもらったものだ。
(家に帰れば……母さんとメアリ(犬)が待ってるんだ。……記憶を取り戻せて、よかった)
父と弟は捜す。
しかしとりあえずは――家に帰りたかった。
(……この村も楽しかったけどね)
トリスは、村を見渡す。
「…………」
「そういえば昔――森で父さんと暮らしていた頃もあったなぁ……」
幼いころ。
トリスは一日中ホワイトドラゴンの姿で過ごしていた時期があった。父からホワイトドラゴンの生態を学び、狩りの仕方を学び、――そして失敗して怪我をした。
(そうだ。あの時、あの時だ。父さんが、精霊の花を持って来てくれたんだ――……)
『これを食べれば滋養がある』と、おぼろげに思い出せたのは、このためだった。
「父さん……」
トリスは、空を見上げた。
飛行しているホワイトドラゴンはもういない。
皆、巣にもどっているらしい。
(そして、なんといっても――……)
トリスは、アイシャの姿を思い浮かべた。
ラタトスクが――みゅん太郎が、僕を犯人だと言った時。
――「そんなわけないっ! 絶対ないっ! あるわけないっ!!」
――「違うよっ! 違うのっ! 違うはずだよっ! だって、だって……っ! トリスは嘘なんかつかないよっ! 私知ってるもんっ! 仲良くなったんだからっ! そんなことしないよっ!」
「――……」
アイシャは――泣きながら、トリスを庇ってくれた。
(僕なはずがない、と……)
「………………」
トリスは、そのことを思うと……なんだか胸がきゅうと締め付けられるような気がした。
こんなにも自分のことを信じてくれる女の子は、とりもどした記憶を含めても――初めてだったのだ。
それぞれの思いを包んで、夜は更けていく。