第58話 蓋
次の日の……昼。
アイシャはゆっくりと目を覚ました。
あれから――整理はついた、はず、だ。
(大丈夫、大丈夫――……)
そっと蔓のカーテンを開けると、昨日からの雨は止んで、曇り空が広がっていた。灰色の空を見て、アイシャの気分はどんよりと重くなった。
(せめて晴れだったなら……)
ジト目で空を睨んでみるが、何も変わらない。
「…………」
窓の外から顔を出す。
……キールの姿は見えない。
「また、護衛団の稽古にでも行ってるのかな」
誰も、傍に居ないような感覚がして――アイシャはぶるりと身震いした。
「………………」
と、そこへ
「アイシャ~」
「! マリィ!」
マリィが手を振って立っていた。
***
一時間後
「っていうわけで、……っうぐっ……っ。トリスには彼女がいたんだよぉ~っ」
「お~よしよし。そ~だったんですねぇ~」
アイシャは、昨日見聞きしたことをマリィに話していた。
ふたりの姿は、アイシャの自室にあった。
アイシャは愚痴やけ食いモードに入る気満々で、蜂蜜菓子をたんまりと部屋に運び込み――マリィも蜂蜜クッキーを作って持ってきてくれた――、普段開けない禁忌のジュース――はちみつレモンだ――を開け、タオルを抱えて床に座っていた。
時折零れる涙を自分で拭く。
マリィは、アイシャの頭を撫でながら聞いてくれた。
「まぁ~正直あのルックスで恋人ナシはあり得ないっていうかぁ~」
「そ、そーなのぉっ!?」
「いやだって、アイシャみたいなのがわんさかいたら、そりゃ~司祭様だって選び放題ですよぉ~」
「え、選び放題……」
「しかも王都ですよぉ~? 流行の最先端! 美の最先端! 美女揃いに決まってますぅ~!」
「び、美女揃い……」
ガーンとショックを受けながら、アイシャはうなだれた。
「まあ、アイシャもかわいいと思いますけどねぇ~。……ですが井の中の蛙だったのかもですぅ。なにぶん、都会の美女がどんな感じかは見たことがありませんしぃ~」
「いや使い方おかしくない? 私全然『村一番の美女だからイケる』みたいなこと言ってないよね? 井の中の蛙は違うよね?」
「所詮は村娘なんですぅ~」
「ちょっと!」
アイシャは、マリィと話していると少し気が紛れてくるのを感じた。
(……ちゃんと明るく話せてよかった)
アイシャはそう思った。
「…………」
(アイシャがしくしくモードじゃなくてうわーん系できたので、そーいう感じで話を聞いてきましたけど……。どーもやっぱり、空元気ですねぇ。……こーいう時、キールはどこへ行ってるのやら……)
わざとおどけて話していたマリィは、ここで小さく「ふぅ」と息を吐いた。
キールは剣の稽古で、件の司祭様は療養中という噂だ。
(……マリィがきてみてよかったですぅ~……)
アイシャはふとした瞬間にまたぼうっとした目になり、慌てて首を振るのを何度か繰り返していた。
今は膝を抱えて気力なさげにしている。
(まぁ、……彼の記憶が戻ったのなら……仕方ないですよぅ……)
マリィは、トリスのことを思い出す。
司祭様は、まず顔がいい。
アイシャが言うには穏やかだし、優しいらしい。
……年も近そうだ。
(……もう少し、滞在日数が短ければ)
花祭りの後、すぐに帰ればアイシャが惚れることもなかったのに、とマリィはトリスのことを憎らしく思った。
(……いえ。イケメン司祭様が外の世界からやってきた時点で、わかりきっていたことなのかもしれないですぅ~……)
複雑な気持ちで、マリィは眉を下げた。
「……なんだかんだいって、アイシャが外の世界の男の子~って言ってるのは、言ってるだけかと思ってましたぁ」
「え? どういうこと?」
「…………いえ。そういっても、結局は憧れたまま、精霊の森の中で一生を終えるのかと」
「そんなぁ!」
「でも、…………」
その続きを、マリィは言わなかった。
アイシャは、小さく笑って――「うん」と頷いた。
それから、ぐっと拳を突き上げた。
「やっぱり、外の世界に行くしかないね!」
「およ? どうしてですかぁ~?」
「外の世界にいけば、それこそ男の子がたくさんいて、私だって選び放題なんだもん!」
「……あ~……はい」
マリィは(『美女選び放題だった』って言葉、選び間違えたかもぉ~……)と思い出していた。
「それには手紙を書いてー……。あ、手紙を書いても、結局通行手形がいるんだよねー……」
「やっぱり難しいんじゃないですかぁ?」
「ううん! そこはもう長老に約束を取り付けたし!」
アイシャは、長老の家でのやりとりを思い出す。
――「私たちが事件を解決します!」
――「……そうは言ってものぅ。アイシャたちが加わったところで、解決するとも思えんのじゃ」
――「お願いします! きっと解決してみせます! そして……! そして……っ! 解決出来たら、私に通行手形をください!」
――……。
「なんでですかぁ? そんなの急に、おかしいじゃないですかぁ~?」
「……あ」
「何か隠してるんじゃないですかぁ~?」
「ううっ……」
「アイシャ~? ねぇねぇ、通行手形なんておかしいですよねぇ~? ねぇねぇ~?」
「あうう……」
アイシャは、マリィに「秘密だからね」と何度も念押しし――精霊の花の事件の話を、洗いざらい話したのだった。