第52話 聖獣ラタトスク
「ねぇ、ここって……」
謎の小動物を追いかけて森を走っていたアイシャたちは、やがて開けた場所に出た。
そこは――、
「精霊の木……」
森の奥深く。花祭りの日にもきた、渦中に身を置く――精霊の木の前だった。それは、以前と変わらず悠然とたたずんでおり――そしてやはり花は咲いていなかった。
アイシャは、精霊の木を見上げた。
「どうしてここに……」
精霊の木の場所へは、簡単に辿り着くことは出来ないようになっている。やみくもに歩いて、たどり着けるような場所ではないのだ。
辺りには誰もおらず――今日は精霊の木の周りで誰も捜索していないのだろうか――静かな空気の中、小さな声が漏れた。
「みゅん……っ」
三人は顔を見合わせた。
「今のって……!」
「僕じゃないよ。……キールじゃない?」
「んなわけあるか! みゅん太郎だろ!!」
木の裏から、ふわふわした尻尾が見え隠れしている。……何者かが、ちらちらっと顔を出したり引っ込めたりしている。
「……もしかして」
アイシャが木に近づくと、木の後ろから顔を出したのは、
「みゅん……っ」
やはり、先ほどの小動物だった。
小動物は――みゅん太郎(暫定)は、ぺこりと御辞儀をする。
「お……っ、お疲れ様みゅん!」
「え……」
「今日は巫女にお話があって……その…………みゅん?」
「しゃ、」
「喋ってるーーーー?!」
アイシャは、みゅん太郎をがしぃと抱えた。
「すごい! かわいい! なに?! あなた何者?!」
「ボ、ボクは精霊の木の聖獣・ラタトスクみゅん……っ」
トリスも目を輝かせながら近づいてくる。
「ラタトスク……精霊の木に住んでるって長老が言ってたけど、実在したんだ……」
ユニコーン・フェニックス・ホワイトドラゴン・そして、ラタトスク。これらは、滅多に見ることの出来ない聖獣たちだ。
「私はアイシャ! こっちはキールとトリスだよ! 私、ラタトスクって初めて見た!」
「みゅん……。初めて見たみゅん?ボクたちは、この森にたくさんいるみゅん」
「えぇっ?! そうなの?!」
みゅん太郎は、こくんと頷いた。
「兄弟が多いみゅん」
「へぇ~! こんなふわふわちゃんがたくさんいたら、可愛いだろうなぁ!」
アイシャは、みゅん太郎を抱きしめながら言った。
トリスは寝そべると、みゅん太郎と同じ高さになった。
「一匹でも天下一品のかわいさだよ。……僕と暮らそう」
「みゅ、みゅん?」
「変な口説き文句みたいなのやめろ!」
キールが突っ込んだ。
「それで、私にお話ってなにかな?」
「それは……あの……」
アイシャが聞くと、みゅん太郎はもじもじした後――、地面に飛び降りた。それから、アイシャを見上げて言った。
「『今年の巫女は凄いらしい』と噂を聞いたのみゅん……! だから、ボクにもお手伝いさせて欲しいみゅん!」
「『凄いらしい』……? あぁ!」
アイシャは、ノアに――去年までの巫女役に――「アイシャの魔力は同世代より凄い」と言われたことを思い出した。
「どうやら、そうみたいなの」
「みゅん。男の子を二人も連れて歩いてるみゅん。間違いないみゅん……!」
「いや、これは力で従えてるとかじゃないからね?」
「そうなのみゅん……? わかったみゅん」
みゅん太郎は、こくりと頷いた。
キールは、みゅん太郎に言った。
「……お前、『アイシャの力が凄いから、周りの奴らみたいにその取り巻きになろう!』って思ったってことか?」
「みゅみゅっ……!? そんなつもりじゃないみゅん……。恥ずかしいみゅん……っ」
みゅん太郎は、長い耳で顔を隠した。
「もーっ。意地悪言わないの!」
アイシャは、キールの体をとんっと小突く。
「すまんすまん」
「かわいいね……」
小さく丸々みゅん太郎を見て、トリスはまだ寝そべったままにこにこしていた。
キールもしゃがみこんだ。みゅん太郎の目線だ。
「確かに、アイシャは魔法の授業でも一番最初に終わっちまうもんなー。ってことは、みゅん太郎はなにか教えてくれるのか? 事件の犯人とか?」
「……みゅん?」
みゅん太郎は、首をかしげた。
「じけん、みゅん……?」
「そうだよ。花祭りの日に、精霊の花がなくなったんだ」
トリスが言うと、みゅん太郎はじっと考えこんでいるようだった。
やがて口を開くと、
「……花は、今はないみゅん。みゅん……。……はんにん? って何みゅん?」
「そこから?!」
アイシャは、肩透かしを食らった。
しかし、すぐにあの時――花祭りの日の夜――見つけた幹の傷のことを思い出した。
アイシャは、幹の小さな傷を指さして言った。
「そうだ! 精霊の木に登るのって、出来ると思う?」
(犯人って単語が分からなくても、こうやってひとつひとつ聞いていけば、犯人の手がかりになるはず……!)
しかし、みゅん太郎は首を振った。
「精霊の木には――マザーには、魔除けの力があるみゅん」
「マザー?」
と聞き返したキールが、精霊の木にもたれようとした。
しかし――、
「うわっ!?」
キールは、木から弾かれる。
――体内を鋭い電撃が走り、あまりの衝撃に、キールは地面を転げ回った。
「ぐあ……っ! なんだ、これっ……! 痛てぇ!」
「キール!?」
アイシャとみゅん太郎が駆け寄る。
「……みゅん……。精霊の木は、普通の人間は登るどころか触れもしないみゅん……」
「えぇ?! でも私、触れたけど……」
アイシャは、最初の捜索時に幹に触れていたが、こんなことはなかったはずだ。
みゅん太郎は言った。
「“森の管理者”であるドリアードは大丈夫みゅん……っ。ボクらラタトスクは“精霊の木の子ども”なので、ボクたちも大丈夫みゅん……っ」
「へぇ……」
トリスが言って、幹に手を添えると――
バチンッ
ゴロゴロゴロ……
トリスも転がっていった。
「なんでやったの?!」
「バカなんじゃね?」
「大丈夫?」
アイシャは、今度はトリスに駆け寄る。
トリスは言った。
「……こないだは花輪を枝にかけただけだから……木自体には触ってないから……気付かなかったよ……がくっ」
「と、トリスー!」
アイシャはトリスを揺さぶったが、トリスは気絶してしまった。
一方、キールは立ち上がった。
「こいつ、前の怪我が治ってねーのに、無茶するからだろ……。てかこんなトラップあったのかよ。毎年司祭様危険すぎるだろ……。司祭様って人間なんだからさぁ」
「人間が危険というより……ドリアード以外が近づく設計じゃないみゅん……」
「なるほど」とアイシャは言ってから、
「キールは人間だから、痺れたんだね」
「痺れるって感じだったか?! バチィっっつったぞ!」
キールは自身の肩をさすりながら叫んだ。
アイシャは、むむむとうなって、
「人間には、花を持ち去るのは不可能……ってことは……じゃあドリアードが登ったってこと……?」
しかし、みゅん太郎はまたしても首を振った。
「邪な気持ちがあっても、……痺れることになってるみゅん。上に登れば登るほど、痺れは強くなっていくみゅん……。花のところまで我慢できないはずみゅんっ……」
「じゃあ、ドリアードであっても、花を『盗ろう』と思って登ることはできないってことかよ?」
「そうみゅん」
アイシャは木を見上げた。
「そんなにすごい守りの力があって、どうして花はなくなってしまったの……?」
キールが言う。
「登らなくてもさ、魔法で盗ったとか? 実際、幹にあんまり傷がねーわけだし。足とかかけたら、もっと皮に傷があるんじゃね?」
「魔法かぁ……」
アイシャは、試しに簡単な魔法を詠唱する。精霊の木の、銀の葉を揺らすように力を込める。いつものように魔法の光が集まり――しかしその光は、精霊の木の中に吸い込まれていった。
「……あれ?」
「……なんともならねーな」
みゅん太郎は言った。
「マザーはボクたちの……森で暮らす生き物の力の源みゅん。だから……魔法はマザーに還ってしまうみゅんっ」
これもまた、母なるオークの木と呼ばれる所以のひとつだった。
みゅん太郎が首をかしげた。
「アイシャはどうしてこんなことを聞くみゅん? 植物は、花を付け、やがて枯れるし、それでもまた花が咲くみゅん」
「……この木は――精霊の木は、ドリアードだけじゃなく国のみんなが大切にしてるんだよ。花を付ける時期も、普通の植物とは違っていつ付けるか分からないみたいだし……。私は、それを解決したいんだよ」
「みゅん……?」
「あはは、国のことはわかんないよね……」
アイシャは、みゅん太郎の頭を撫でた。
アイシャは、「う~ん」と再びうなる。
「じゃあ、この電撃に負けずに我慢強い人が登ったとか……?」
「だとしたら、大怪我してるんじゃないか?」
キールが、自身の肩を見ながら言った。
幸い、傷にはなっていないが、肌が赤くなっている。
「結構まじで痛えぞ。登るほど電撃が増すなら……こりゃ上の方まで行ったら、結構な怪我になってると思うぜ」
「怪我……」
アイシャは、倒れているトリスを見た。――いまだ、腕や……服で見えないが、体中に包帯が巻かれているはずだ――……。
「どうしたみゅん?」
みゅん太郎は、きょとんとした顔でアイシャを見つめている。
アイシャは、ふるふると首を振った。
(……そんなわけ、ない!)
「ねぇみゅんちゃん! もし木の上の方まで登ったら、どれくらいの怪我になるのっ!?」
「みゅん……。みゅ~ん……」
みゅんちゃん――みゅん太郎は、少し考えてから言った。
「人間なら頭蓋骨粉砕、ドリアードなら骨折くらいみゅん……!」
「頭蓋骨粉砕かぁ……よかったぁ……」
「よかった?!?!?!?!」
アイシャの妙な反応に、キールは目を丸くした。
「い、いやぁ~。あはは……」
(そこまでの怪我なら……、トリスは関係ないよね)
トリスの怪我は、草や枝での切り傷や打撲、擦り傷ばかりだったはずだ。
アイシャは、胸をなで下ろした。
「てことはさ、解決の糸口だぜ!」
「えっ?」
「村へ帰って、骨折してるやつがいないか、探せばいいんだよ!」
「あ! そういうことね! さすがだね!」
アイシャは頷いた。
(村へ帰って……骨折している人を探す! ついに具体的な目標が!)
アイシャは、手をギュッと拳にした。
(……でも、本当にこれでそういう人がいたとき、どうすればいいんだろう……)
キールは、トリスを揺さぶる。
「お~い! 帰るぞ~! 起きろ~! よわよわ司祭様~!」
「う~ん。むにゃむにゃ……」
「おーい、アイシャ! 帰るぞ!」
「あ、うん! みゅんちゃん、色々ありがとう! じゃあ、またね!」
アイシャたちは、みゅん太郎に手を振ると、村へと戻っていった。
みゅん太郎は、アイシャたちが見えなくなるまで手を振り――、
「あっ……お話全然出来なかったみゅん……っ!」
あわあわとその場を右往左往する。
「今年の巫女は恋愛力が凄いと聞いていたから、お願い事があったのに、帰っちゃったみゅん……!」
精霊の木は、銀の葉を風で揺らす。葉っぱ同士がぶつかり、シャラシャラと音を立てた。
みゅん太郎は、しばらく耳をたて、その音を聞いていた。
やがて音が止むと、こくりと頷いた。
「みゅん……。マザーがそう言うなら……」
それから、みゅん太郎は精霊の木に登ると、丸まって眠った。