第50話 キールとアイシャ
桜が舞い散る花びらの中、春の妖精のような君は、にっこり笑って、俺に手を差し出したんだ。
***
俺が6歳の4月。
ドリアードの村に引っ越すことが決まった。
元々王都で騎士団に入っていた俺の親父は、王直々の命令で、ドリアードとかいう妙ちくりんな種族を保護するための、護衛団にされちまったんだ。
「キール、ちゃんと挨拶するんだぞ」
「わぁってるよ!」
馬車でいけねーような森の奥に、その村はあるらしい。
おかげで俺達は必要最低限の荷物だけを持って、引っ越しする。
森の入り口までは馬車で来られたのが幸いだ。
慣れてる奴だと1週間で着くところを、俺達は2週間以上かけてやってきた。
「キール。ほら、あそこだぞ」
「もうすぐね、キール」
親父とお袋に励まされて、ようやく辿り着いたその村は、
「うわぁ、すっげぇ……」
巨大な木を吊り橋で繋ぐ、見たことのない村だった。
(かっこいい……)
おとぎ話の世界のような、村だった。
「グオォォオオオ……」
「な、なんだっ!?」
大きな獣の声がして、頭上を見上げると、そこには見たことのない白い竜が飛んでいた。
「…………」
なにもかもが、珍しく。なにもかもが、期待に満ちている。
森の木々は花をつけ、明るい日差しが、村を照らしていた。
***
「こんにちは、村長さん」
「どうも。クナープさん。話は聞いております」
親父達は、この村の長老だという老婆に会いに行った。
木の幹にドアがついているもんだから、驚いた。そんなことが可能なのか。
親父は、『仮通行手形』を返却した。
なんか妙な術がかかっている……紙切れだ。
長老が本当に俺達を信頼したとき、本物の通行手形をくれるらしい。
(なんか……けっこー厳しいんだな)
先に村に着いている人間に挨拶に行く。まだ予定の全員は引っ越してきていないようだ。
護衛っつっても、この村は治安もイイらしいし、必要ねーように思う。
まあ、俺に親父の仕事はよくわからない。
だけど。
俺は俺なりに、親父の仕事の助けになりたいと思っていた。
親父がドリアードを護衛する仕事をするなら、俺もそうすべきだと、思った。
途中、村人に会った。……会って驚いた。
長老は白髪っぽかったからわかんなかったが……
村人は皆、緑の髪をして、髪から花を生やしていたんだ!
「これが……ドリアード……あっ、またっ……」
でも、……俺は彼らの姿をちゃんと見ることが出来なかった。
彼らは俺達を遠くから隠れて見るばかりで、全然姿を見せてくれなかった。
先に引っ越している人間も、同じ事を言っていた。
彼らと仲良くなるには、時間がかかるらしい。
「ここが、俺達の家だぞ」
「着いたわよ、キール」
「え、ああ……」
吊り橋を渡り繋ぎ、村の東側に、その巨木はあった。
「すっげぇ……! これが俺達の……家……!」
俺はドアをあけ、ダダダッと部屋へ駆け込む。
幹の中は部屋だ。壁はごつごつとした木そのものだったが、ちゃんとした部屋だ。
二階がある。階段をかけあがった。……三階もある。……四階も。……。
一通り部屋を見て、俺は家から飛び出した。
「すっげー! まじかっけぇ!」
「ははは。子どもは気に入ると思った」
「すごい造りね。よかったわね」
親父とお袋も家に入って行った。
俺は家からの景色を見ようと、
俺は家の前の足場から、村をぐるりと1周見て――
1周した時。
目の前に急に女の子が現れたんだ。
「!」
さっきはいなかった、若草色の髪の毛の女の子。
桜の花びらが舞って、彼女の周りでキラキラと光った。
彼女の大きな瞳から長い睫毛が伸びていて――その目がぱちぱちとまばたきをするので、俺は目が離せなくなった。
白いワンピースは暖かな日差しを反射し、眩しい。
俺と同じくらいの背丈だ。年も同じくらいに見える。
桜の花びらが彼女の若草色の髪にひっかかって、――そこではじめて、彼女の髪からもピンク色の花が咲いているのに気がついた。
春そのものの――妖精のような女の子だ、と思った。
彼女はにっこりと笑って、俺に手を差し出した。
「こんにちは。私、アイシャっていうの! あなたのお名前は?」
***
他のドリアードは警戒しているらしい。
なかなか人間である俺に近付いてこようとしなかった。
それでもアイシャだけが、俺に興味津々で近付いてきた。
「あのねー。魔法でねー。花を咲かせまーす。ぽんっ!」
アイシャが自分の髪の毛の近くで、花を咲かせる。白い色の花を咲かせて、
「じゃーん! 花2種咲きでーす! なんちゃって―! あははっ!」
「……ふはっ。はははっ!」
春そのもののみたいな、女の子だった。
アイシャは隣の家だったから、ずっといっしょに遊んでいた。
俺が人間の生活を教えると、なんでも嬉しそうに聞いた。
ドリアードの友達と遊べなくなるんじゃないかって言ったら、
「あ! そっか! 今度みんなにも紹介してあげるね!」
と笑って言った。
他の、のんびりしているドリアードと違い、アイシャだけがあっちへいったりこっちへいったり、森を飛び回っていた。
俺は護衛の名目もあり、ずっといっしょにいることにした。
森で遊んで、川で遊んで、農地で遊んで、蜂の巣を採りに行って、いっしょに飯を食って、いっしょに走って、いっしょに学校にも行って、
アイシャはたくさんたくさん笑うから
俺がアイシャを好きになるのに、それほど時間はかからなかった。
***
14歳の夏。
俺はアイシャとは結婚できないことを知った。
「ドリアードはドリアード同士、分かるだろう?」
分からなかった。
***
15歳の春。
アイシャが妙なことを言って騒ぎ始めた。
「運命の恋活動をする! キール! 字を教えて!」
アイシャの字は汚かったし、簡単な――童話のような本は読めても、手紙は書けなかったらしい。
ペンの持ち方から教えるために、俺はアイシャの腕を後ろから支えて、指導してしまった。
俺は馬鹿だから、アイシャが俺の腕の中で勉強する魅力に、負けてしまったんだ。
俺の鼻孔をアイシャの髪の匂いがくすぐって、幸せな気持ちになった。
あいつがドリアードと結婚するっていうから俺は我慢しているのに、あいつはドリアードの村じゃないところで男を探そうとしている。
俺に出来ることは、せめてあいつの邪魔をすることだけだ。
あの馬鹿みたいな手紙の束が送り出されていることが苦しい。
それでも。
言えも出来ない。
言ったところで、叶いもしない。
俺は……どうすればいい?