第46話 ペリドットの瞳
「じゃあ、お父さんは?」
「…………あれ」
アイシャが聞いて、トリスは言葉を詰まらせた。
なぜなら、……思い出せないからである。
「…………えっと…………」
「お父さんはいっしょに暮らしてないの?」
「わ、わからない……」
「え?」
トリスは、困ったような顔をした。
「せっかく家族のことは思い出せたと思ったのに……」
「えっと……別居かもしれないし……! いないのかもしれないしっ!」
「…………いや……」
トリスは考え込んだ。
(いない、にしては……。なにかが、引っかかる……。)
「……父さんはいた、と思う……。ただ、思い出せないみたいだ」
(……思い出したい。……と僕は思っている)
思い出そうとしても、頭の中には関係ない映像ばかりが流れる。大司祭様の作った料理が失敗した日、修道院で子どもが転んだ日――
(ちまちました――日常もいくつか思い出したのに。こんな……他人のことを思い出したのに、……自分の父さんのことは思い出せないのか?)
トリスは、自分への怒りと……やるせなさもあった。
うつむいたトリスは、うなだれる。
その落とされた肩を、――
アイシャは、ぱこーん! と軽く叩いた。
「大丈夫だよ! また思い出せるかもしれないじゃん! 今度はお父さんの記憶がドバーッとでてくるかも!」
「……!」
トリスは目を丸くする。
――アイシャは、笑顔だ。
アイシャは両手でトリスの手を包んだ。
「全然心配ないでしょ! 一回記憶が戻ったんだから、今後もどんどん思い出せそうじゃない?! ていうか、王都に帰ったらお母さんに聞いたら一発じゃない!」
「そ、そっか……。そう、かも?」
「そうだよ!!」
「…………」
トリスは、アイシャの強い目力に押される。
包まれた両手が、じんわりと温かい。
(そうだ、そんなに深刻にならなくても、大丈夫なんだ――……。)
トリスは矢倉から人間の街の方角を見る。ここからさらに南の方だが、街らしきものは全く見えない。
でも。不思議とそこまで不安でもない。
トリスは、アイシャに向き直って言った。
「……ありがとう、アイシャ。励ましてくれて……」
「ううん! 少しでも記憶が戻ったなら、それだけで本当に良かったって思ってるよ! また思い出せるといいね!」
「うん……」
アイシャは――明るくて。
その瞳は、優しさと明るさを兼ねていて。
だからトリスは言った。
「アイシャの瞳は、ペリドットのようだね……」
「ぺ、ぺりどっと……?」
アイシャは、聞き慣れない単語にきょとんとして首をかしげる。
(本当に、なにも知らないんだ)
なんだかそれがかわいく思えて、――“らしさ”を感じて――トリスは「あはは」と少し笑った。
「そう。宝石の名前だよ。王都では宝石が人気なんだ」
「宝石……」
宝石。いろいろな色の鮮やかな輝きを持つ石のことだ。
ドリアードは宝飾品を身につけないため、アイシャは宝石に詳しくなかった。
「それって、いいってこと?」
「もちろん。いつも明るくて、キラキラしてて――綺麗だってことだよ」
「きききき、綺麗……っっって?!?!?!」
慌てふためくアイシャの隣で、トリスはゆっくりと思い出した。
(そういえば……最初に村で目を覚ましたとき……大人たちばかりの中で、アイシャだけが子どもで、僕の周りにいてくれたんだっけ……)
アイシャの顔は、どういうわけだか少し赤い。
でも、その瞳はさっきよりもなんだか揺れて見えて、より一層ペリドットに近付いたかのようだった。
トリスは、アイシャの顔をもう少し近くで見た。
「本当は、初めて会った時からちょっと思ってたけど……。でも、近づいて見るともっと綺麗だね」
初めて会った時――。
意識の朦朧とする中。森の中の花畑にたたずむ、緑の髪の女の子。
花びらが舞って――彼女の白いスカートが揺れて。
(本当に、森の精霊かと思ったんだよ)
思い出したトリスはなんだか嬉しくなって微笑むと、
「………………っ」
アイシャはしゃがみ込んだ。
「……? アイシャ?」
アイシャはそのまま四つん這いで歩き、トリスから離れたところでべしゃっと潰れた。
「あれ? アイシャ? 一体なぜ…………?」
どこまでも天然な、トリスなのであった。
***
しばらくして、アイシャが復活したので、会話を再開する。
「私、トリスのこともっと知りたいな! 思い出したこと、小さなことでもいいから、教えてよ!」
「え、うーん。じゃあ……」
トリスは、「たいした話しじゃないんだけど」と前置きして、話し出した。
「僕はアップルパイが好きだったんだ。でも、シナモンは嫌いで、……」
「あー! 苦手な物が好きな物に入っているという地雷だね!」
「そう。僕もなまじ好きだから、街で売っているのを見かけたときも、思わず立ち止まってしまうんだ。そして、もしかしたらはいっていないかもと思って、買ってしまうんだよ。でも店のはだいたい……うっ……」
……どうやら、何度か引っかかったことがあるみたいだ。
トリスの真剣な表情がなんだかおかしくて、アイシャは「あはは」と笑った。
「そっか! でもさ、好きなものが思い出せて本当によかったね! 私、今度アップルパイ焼いてくるよ!」
「それ、蜂蜜パイになっちゃったりしない?」
「……よく分かったね!」
アイシャとトリスは、くすくすと笑った。
(記憶が少し戻って、トリスってば少し明るくなったかも? 安心できたのかな。……笑ってくれてよかった。……さっきのはちょっとびっくりしたけどっ)
アイシャは顔をぷるぷると振った。
(か、考えちゃダメー! さっきも『まだお父さんの記憶がもどらなくてつらい』って聞いたばっかりでしょー! トリスは自分のことで大変なんだからー!)
アイシャは、邪念を振り切るように立ち上がった。
「よしっ! じゃあさっそく作ろう!」
「えっ――えっ?」
アイシャは、トリスの手を引っ張り立たせる。
「アップルパイ! 今から作りに行こう!」
「い、今から……?」
「頑張るぞー!」
「お、おー?」
こうして、蜂蜜パイ――いや、アップルパイをつくるための準備ががはじまるのだった。