林田の姿
その日も林田の様子に変わりはない。私は定期的に無線連絡を入れた。
「日比野です。林田に動きはありません。」
「わかった。続けてくれ。」
倉田班長からはそれだけだった。だがその時、隣の部屋から聞こえる音楽が急に止まった。そして林田の声が聞こえた。
「ああ、疲れた。少し外の風でもあたるか・・・」
林田は部屋の外に出るようだった。彼を監視してからこんなことは初めてだった。この機を逃さず、彼に接触しなければならない・・・私はそう思って先に外に出た。外の廊下を吹く風が涼しくて、部屋の中のよどんだ空気と違ってすがすがしかった。そこで私は伸びをして、仕事の気分転換でもしているように装った。
やがてドアが開いた。私が振り返ると林田と目が合った。彼は私に気づいて笑顔で会釈した。私もニコッと笑って会釈を返した。
「お出かけですか?」
「いえ、ずっと部屋にいたから、ちょっと外の風にあたろうと思いまして。」
林田はこう答えた。彼は疲れた目をパチパチとしていた。私はここぞとばかりに少し踏み込んで尋ねてみた。それは彼の反応を見るためだ。
「私はリモートワークなんです。林田さんも在宅でのお仕事なんですか?」
「仕事というか・・・実は僕は修理屋なんです。送られてきたものを修理しているんです。」
林田はこともなげに答えた。だがそれは巧妙なウソのはずだ。そう言っておけばずっと家にいても怪しまれないと考えたのだろう。
「じゃあ、ずっと家に?」
「ええ。たまに直接手渡しと言われて出かけることはありますけど、ほとんど家にいます。今は難しい修理だからしばらくかかりそうです。ずっと家にこもっています。」
林田はこう答えた。彼は久しぶりに人と話せてほっとしているのだろうか・・・優しい微笑みを浮かべていた。私にはその様子がとても演技には見えなかったのだが・・・。
しばらくするとアパートの前に小学生くらいの男の子が走って来た。
「おにいちゃん。治った?」
「ああ、そうだった。治ったよ。ちょっと待って。」
林田は部屋に戻ると、手に車のラジコンを持って出てきた。
「うわーい!」
「動かしてごらん。」
男の子がラジコンを操作すると車はちゃんと動いた。
「ありがとう!」
男の子は車を抱えて帰っていった。それを林田はうれしそうに手を振って見送っていた。私はその光景を2階の廊下からすべて見ていた。
(とても犯罪者には見えない。それに彼の話に矛盾はない。林田が本当に犯人なのか・・・)
私は迷い始めていた。
◇
次の日、私は部屋を離れて外出した。ずっと買い物にも行かずに部屋にいると周囲からおかしく思われるし、部屋を出ることで林田が動き出すかもしれない。もちろん機器のスイッチは入れっぱなしだから、向かいのマンションの張り込み部屋で音声だけはチェックしている。
私は、アパートの前で掃除している大家さんに呼び止められた。
「お出かけなのかい?」
「はい。少し買い物に。」
「そう。心配していたんだよ。あまり外に出てこないから。」
「いえ、仕事が忙しかったから・・・」
「それならいいんだよ。若いんだからもっと外で発散させないと腐っちまうよ。」
大家さんは冗談交じりにそう言った。すると黒い帽子を深くかぶり、大きめのマスクをしたおばあさんが階段を下りてきた。腰が曲がっていたがしっかりした足取りだった。
「矢野さん。」
大家さんは呼び止めたが、矢野さんは会釈だけして行ってしまった。
「おかしいわね。いつもなら長話していくのに・・・」
大家さんがぽつりと言った。そういえばあれから矢野さんの姿を見なかった。彼女もずっと家に閉じこもっていたのか・・・。
「呆けてきたのかねえ。年取ると人づきあいが億劫になって言うから。」
大家さんはため息交じりにそう言った。私としては長話に付き合わされなかったことにほっとしていた。あまり部屋をあけていてはいけないからだ。
「じゃあ、行ってきます。」
私は頭を下げてその場を離れた。大家さんはつまらなそうにまたアパート周りの掃除を始めた。
私は怪しまれないように、辺りを一回りした後に向かいのマンションに入った。そこの3階の1室が張り込み部屋である。誰にも見られていないのを確認して部屋に入った。するとすぐに、
「ご苦労だった。奴の様子はどうだ?」
倉田班長が聞いてきた。
「怪しい動きはないようです。外出した様子はありません。」
私はそう答えた。部屋の隅で藤田刑事がヘッドホンをつけて205号室の音声を聞いている。彼は私に気付いて半分だけヘッドホンを外して言った。
「日比野が外出した後も変わりない。相変わらず、音楽を聞いている。それもロックだから頭から抜けないよ。」
私が外に出ても特に林田に動きはないようだった。本当に犯人だとしたら、そろそろ動き出すのだが・・・。倉田班長も、動きのない林田に少し焦っているようだった。
「ご苦労だが、部屋に戻って林田の行動をチェックしてくれ。今は奴をマークするしかない。」
「はい。」
私は食料品などを買い込んでアパートの部屋に戻った。こうなったら長期戦かもしれない。