ウシ之首
ソレ は。
血が滴り落ちる、もぎたての新鮮な状態がよろしくてよ。首のみですが、ソレはその成りで生きているのが、当然。
アヤカシですもの。人が口伝てに生み出した事によりコチラに呼び出され、乾ききった世界で喰うに困り、クタクタに疲弊しつつ居場所を探し彷徨う、
アヤカシですもの。
未知なる存在、開けてはいけなぬ扉の向こう側で、トプリとした羊水に満たされた、母なる闇の中でヒソリ、と。無邪気な赤子の様に呼吸しているモノ、の一種ですから。
ボトボトと、血潮を滴り落とし鮮血の道を作りながら、空を飛ぶのもよろしいのですが、足元をゴロンゴロン。転がり進む毎に後ろに、ジグザグと斑に跡を残す方が、わたくしの好みでしてよ。
『ウシ之首』程、そそられる存在はありませんわ。
黒玉の如き澄んだ両目は見開き、ふさふさとしたまつ毛は愛らしく。粘液で濡れた瞳は潤み、恨めしげに見上げるのが素敵。
可愛らしい木の葉のような両耳には、やはり黄色いタグがある方が人間臭くて良いわ。引き摺り込む様な、因縁、怨讐、怨嗟は人が人で在る故、持っているモノですものね。
肉になるために生を受け、程よく育った時、決められた死を迎えるモノ達は生きる時間が短く、羨み妬む暇等、なさそうですものね。
角は。無いよりある方が……、鼻筋はスッと通り、クチャクチャ、モグモグ。反芻する口元。そこから分厚く長い舌を時折、ベロリと出して器用にクルリと拗らす動きが面白くてよ。
白黒斑なホルスタイン種、赤茶色のジャージー種、それとも漆黒の天鵞絨の黒毛和種。他にも種類は他にもたくさんありますが、鮮血がより美しく映えるのは、黒毛和種……、ですかしら。
ゴロンゴロンと動く毎に、血飛沫飛び散り、長きまつげの先に、涙のように宿る。その耳に、頭頂部に顔に、小さな柘榴石の如く点々と飾り立てますの。
素敵にゾクゾクしましてよ!
大きさは……。赤子の頭位かしら、それともオッサンの頭位?それともいっそのこと小さくして……、ガチャポンフィギュア、手乗りサイズ程の大きさとか……。
出現する場所により、決まりますわね。何処が良いかしら。そう……。手乗りサイズならば。
『トイレ』が、どの場よりより一層、心惹かれる存在でしてよ。
はばかり、便所の時代から、アヤカシと相性が良い場ですもの。
――、さて、一日の仕事を終えると、ミント系入溶剤の香り漂う、優雅なバスタイムを堪能されたご様子ですわね。あとは空調が適温に設定された寝室で、趣味の読書を楽しむご様子。
あら……。キッチンに向かわれました。そこで、熱中症対策にグラスいっぱいの水を飲み干した後……、出るもの構わず。お次はトイレに向かい、パチンと灯りをつけましたわね。。
シュルル……。一瞬、何かが居て消えた気配を感じたご様子。ぎょっとなさってから、極々狭い空間に、くるりと視線を動かされて。
ゴキさんかしら……。それもそれで、恐怖ですけれど……。便器の背側の壁も、恐る恐る確認をなされて。でも何もいらっしゃらないご様子に、ホッとされ、下着をずり下ろすと、ストンと便座にお座りに。
本能に従った、当然なる行動なのですわ。
用を足して。右手をペーパーホルダーにおかけに、決められた行動ですわね。
カラリ。
ペロンと出ている、トイレットペーパーを引っ張り出しましたわね。
ボトボト……!
「?」
ボトボト、ボトボト、ボトボト、ボトトトトトトトト!
「ひぃぃぃぃぃ!」
もしくは、
「キャァァァァ!」
ペーパーホルダーから、延々と落ちる落ちる落ちる、
『ウシ之首』
小さくとも勿論、新鮮な生首でしてよ。
コロンコロン、ゴロンゴロン、ボトトトトトトトト、コロンコロン、ゴロンゴロン、ベチャベチャベチャベチャ!
クビは続々と落ちてウコウゴと広がり、クッションフロアーの床をたちまち鮮血に染めますわ。ペーパーホルダーから落ちて無数に広がる、手乗りサイズの『ウシノ之首』が。
あまりのことに無防備な姿で、口をハグハグさせていますわね。はっと、助けを求めるアイテム、携帯機器を思い出すのですが、残念ながらソレは手元に無いご様子。残念でしてよ。
下着は膝の上の位置で帯のように、もしくは足元にストンと落ちてますわ。座ったままで、動けなくなったのですわね。床を埋め尽くした『ウシ之首』のつぶらな眼が一斉に見上げ、注視。
左右にモゾモゾ動くモノ。
目玉をキョロキョロするモノ。
舌を出したり入れたりするモノ。
無数の『ウシ之首』が、トイレの床をドア迄、みっちりと埋めつくしておりますの。もっとも近い1頭が、ベロンと舌を出してスリッパをひとなめ。
「ヒッ!(キャッ!)」
思わずつま先立ちになるスリッパ。するとそれまでスリッパが支配していた僅かな床に、ゴロンとウシノクビが入り込みますの。そしてそこにも広がる、ウシの血。
「ヒィィィ(キャァァ)」
バレリーナの如く、トゥの態勢のスリッパ。
座っているとはいえ、この態勢はとても大変でしてよ。ふくらはぎがプルプルになりますの。
絶対絶命の危機ですわ!
勇気ある、一歩を踏み込み、つぶらな眼で見上げるソレらを、ヌチャヌチャ踏みつぶしながら、スリッパを足元を、溜まったウシの血でズックリ濡らしつつ、モーゼの如く出口迄、歩いて数歩、いっぽん道を開くか……。それともこの怪異はいずれ消える、朝まで待てば。と、芳香剤に混ざり込む鮮血の香りに辟易としながら、待ちに入るか……。
懸命にお考えになられて、後者を選びましたわね。朝まで待つ、作戦ですわね。賢明な判断かどうかは判りかねますわ。ほら。
……、ンモォ!
声が……。
「ヒィィィ!(キャァァ!)」
声が……。
どうやら『ウシ之首』は、空腹になったご様子。赤ちゃんもそうですが、持つべき肉体が小さいと、それだけ早く空腹が訪れます。
……、ンモォ、ンモォ、ンモォ、ンモォォォォォ!
ポチポチとした、小さなか細き声がアチラコチラから上がりましたの。乳を欲するかのように、モグモグ動く口元。
プ・プ・プ・プ・プ・プ・プ・プ
涎を四方八方に飛ばし始めましたの。混じる鮮血の効果で、マーブリング模様の水晶の粒みたいでしてよ。あら。顔を両手で覆われに。一度目を逸らすと、次に現実を直視することが、とても恐ろしいと思いましてよ。
ほら……。奇妙な音が……。
ペ・ペ・ペ・ペ・ペ・ペ・ペ・ペ
レ・レ・レ・レ・レ・レ・レ・レ
ロ・ロ・ロ・ロ・ロ・ロ・ロ・ロ
スリッパのつま先は、プルプルと。
ペ・ペ・ペ・ペ・ペ・ペ・ペ・ペ
レ・レ・レ・レ・レ・レ・レ・レ
ロ・ロ・ロ・ロ・ロ・ロ・ロ・ロ
チャ・チャ・チャ・チャ・チャ・チャ
恐る恐る……。指の隙間から確認、されますのね。
「ヒィィィ!(キャァァ!)」
チャ・チャ・チャ・チャ……、
何という事でしょう。身喰い?それとも共食いが始まりました。『ウシ之首』は、手っ取り早く、チャポンと浸かっている、自ら垂れ流している血を舐め始めましたの。
目を細めて旨そうに。乳を飲むが如く舌を出して、すくって回転しつつ口の中に戻す。を喜々として繰り返しておりますのよ。
そして粒ぞろいだった個体が、取り入れる量により、たくさん飲んだモノはムクリとひと回り大きく、少ないモノはそのままで。
ペ・ペ・ペ・ペ・ペ・ペ・ペ・ペ
レ・レ・レ・レ・レ・レ・レ・レ
ロ・ロ・ロ・ロ・ロ・ロ・ロ・ロ
プウ・プウ・プウ・プウ・プウ・プウ
大きい個体が育った事により、ただでさえ狭い空間がミチミチッとなっていきますの。苦しいのでしょう。大きくなった分、もっと喰いたい『ウシ之首』
「ヒィッ!ヒィィィ!(キャッ!キャァァ!)」
スリッパのトゥが、ガクガク。 膝はブルブル、歯の根はカチカチ。
ザーリ・ザーリ・ザーリ・レロレロ
お食事は段階を進みました。液体から固形物へと。大きな個体が手短な小さな個体にロック・オン!
レロレロ・レロレロ・レロレロ
灰青の舌を出し目を舐め始めました。魚でも蟻でも、最初に突く場所は『目玉』ですのよ。そこを征すれば、後は柔らかい中身に突入を果たせるでしょう。道理ですわね。
逃れようと蠢く小さな個体。
離すまいとがっつく大きな個体。
「ヒィィィィ!(キャァァァァ!)」
ズズズゥ・ズゥゥゥ・ズゥゥゥ
モチョ・モチョ・モチョ・モチョ
貫通したのかしら。ドロリとした中身を、器用にパッキングみたいな唇をぺたりと当て、吸い出しておりますのよ。
ザーリザーリ、舐めるに従い徐々に赤剥けになる、頬、額、角の間……。
ズゥゥゥ・レロレロ・ズゥゥゥ・レロレロ・ザーリ・ザーリ・ザリザリ・ブチン・ザーリザーリ・ブチン
喰い始めました。
ブチン
ムッチャ・ムッチャ・ムッチャ・ムッチャ
ブチン
ムッチャ・ムッチャ・ムッチャ・ムッチャ
肉を喰うと大きな個体は更に大きな『ウシ之首』に、成長を遂げますの。そして大きくなると、喰い足らぬのか、己より小さな個体にロック・オン!
無数にひしめいていた、『ウシ之首』が徐々にその数を減らして行ってましてよ。床はじんわりと濡れてはいますが、先とは違いあまり溜まりはありません。
舐め尽くしておりましたから。そしていつの間にか、『ウシ之首』の血が滴り落ちる場は、肉に覆われ産毛がチョロチョロ、生え揃っておりましてよ。
成長をするために、懸命に喰う『ウシ之首』。
ソレを目にしつつも、少しばかりこの場にお慣れになられたのか。そろりと……。つま先をおろし、下着を上げ身支度を整えてはおられますが、ガクガクとした震えが止まらないご様子ですわ。
生存を掛けて、懸命にこの先の末を考える人間。
ガ・ガ・ガ・ガ・ガ・ガ・ガ
ボ・ボ・ボ・ボ・ボ・ボ・ボ
ブ・ブ・ブ・ブ・ブ・ブ・ブ
大きな個体が牽制を始めます。喰うか、喰われるか。キィンと……張り詰めております。
ガ・ガ・ガ・ガ・ガ・ガ・ガ
ボ・ボ・ボ・ボ・ボ・ボ・ボ
ブ・ブ・ブ・ブ・ブ………、………。
弱肉強食を勝ち抜き、ゴロンゴロンと転がる優秀なる『ウシ之首』の眼が……。ロック・オン!
カラリ……、カラカラカラ・カラカラカラ!
ペーパーホルダーに手をかけると、トイレットペーパーを高速で引き出し、グルグルと丸められて。一体何をなさるのでしょう?
ソレで、アレと対決いたしますの?
ニマ。
澄んだ美しい黒玉の眼が、クニャリと嬉しそうに、歪みました。
フフフ。
ホホホ。
――、『ウシ之首』程、そそられる存在はありませんわ。そうでしょう、
皆様。ではごきげんよう。今宵も熱帯夜でしてよ。
寝る前の、水分補給はお忘れにならないでくださいましね。
就寝前及び、もよおされた折は勿論……。
終。
お読み頂きありがとうございました!