第四話 上杉謙信『第四次川中島合戦』
何故だ、何故勝てぬ。
この私のほうが上回っているはずだ。
この私のほうが強くて優れているのに。
毘沙門天の加護がある、この私が負けるなど……!
しかし、現状を見る限り、敗北を認めなければならない。
武田の別動隊を見破り、本陣に奇襲をかけたが、いまいち攻めきれずにいた。
ほんの少し長引いたせいで――別動隊の到着を許し、今度は私の軍が窮地に立たされてしまう。
「殿! このままですと――」
私は先頭に立って指揮を執る。
ゆえに弓矢に狙われる可能性があるが、生涯において当たったことはない。
しかし、御付きの者はそうではない。退却を進言した者は、その瞬間、頭に矢が突き刺さる。
死んでしまった者が言おうとしたとおり、このままだと全滅してしまう。
急ぎ退却せねばならない。
だが、頭の中では一体どうしてという気持ちが巡る。
信濃国を巡る一連の戦いでも。
この川中島で戦った四度の戦いでも。
最終的に武田の勝利を許してしまった。
私のほうが優れているのに。
あの男のほうが一枚上手なのか――
「殿! いかがなさいますか!?」
「……善光寺まで退却する。全軍に知らせよ」
私の判断に対し、その者は顔を青くして喚いた。
「ぜ、善光寺に退くには、敵の本陣を突破しなければ――」
「火中の栗を拾うようなものだと? いや、武田もまさか無謀を犯すとは考えない」
私は蒼白な家臣に説明する。
「私の軍の攻めから、本陣を守るために後詰めも投入している。ならば最も守りが薄いのは本陣だ。むしろ安全に退却できる」
「し、しかし――」
「全軍、善光寺に向けて――進攻せよ!」
家臣の言葉を無視して、戦場の味方に告げる。
敢えて退却という言葉は使わなかった。
本陣まで駆ける。
刀を片手に、馬を操りながら、雑兵どもを蹴散らす。
そして、本陣が見えた。
軍配を片手に持っている――私の好敵手、武田信玄。
「うおおおおおおお!」
咆哮を上げながら、あの男に向けて刀を振るう!
唐突に現れた私に、戸惑いながらも軍配で防ぐ!
「な、なんだ貴様は!?」
名乗りは上げるなどの愚行は犯さない。
三度振るって、時間がないことを悟り、そのまた本陣をすり抜けて去る。
追いかけてくる者はいない。
当然だろう。何故なら目の前の戦がまだ終わっていないからだ。
◆◇◆◇
四度目の川中島の戦いは、痛み分けだった。
しかし、武田の副将である信繁を討ち取れたのは僥倖であった。
家中の折衝役だったと聞く。不和が生まれれば良い。
さて。川中島や今までの勝敗について考えたいと思う。
局所では勝っているが、大局的には勝てていない。
理由は自分でも分かっている――目先の勝ちにとらわれているからだ。
戦に勝っても、大将を討ち取っても、戦国の世ではあまり意味がない。
戦に勝ったところで土地を抑えねば負けと同じだ。
大将を討ち取っても別の者に挿げ替えられてしまう。
一番大切なことは、土地を抑えて民を心服させる術だ。
土地と民を手中に入れて善政を敷けば、旧支配者など見向きもされなくなる。
それこそが戦国乱世で大事なことだ。唯一無二と言ってもいい。
しかし、越後国の大名である私にはできぬ相談だった。
まず、冬になる前に兵を引き上げなければならない。
兵は民が中心である。己の家に帰れぬとなればこちらの指示を聞かなくなる。
加えて本国の守りの問題や兵糧の補給の問題がある。
越後国を狙っているのは外部の者だけではない。一度出家しようと思うぐらい、国内は静まっていない。また現地調達だけでは限界がある。
一度考えたのだが、制した土地に補給地を作り、拠点を作る――駄目だ、行なう時間が足りない。あの武田はそれを作る時間すら与えてくれない。
要は土地の問題なのだ。
冬に厳しい越後国と比較的出兵しやすい甲斐国。
精強なる私の兵が負けるのはそれが原因なのだ。
川中島での戦いもそうである。
あの男は兵を犠牲にしながらも最終的には勝つ術に長けていた。
要所を抑える手段に優れているのだ。
分かっていたものの、私にはそれがない。
何故なら、その必要を感じることがないくらい強いからだ。
だから足元を掬われるのだ――
次の川中島はにらみ合いで終わるだろう。
あの男との決着はつけられない。
おそらくだが、あの男は私を恐れている。
そして私のことを理解できていないのだろう。
土地を目的に戦うことなく、義によって戦う私を。
その意味不明さが私の強さであり限界でもあった。
利害を度外視した作戦を立てられるのが私の強みだった。
しかし、もはや通じないだろう。
もう少し、私の戦い方がひねくれていれば。
あるいは弱さがあるならば。
逆説的にあの男に勝てたのかもしれない。
願わくば、私の跡を継ぐ者は義を持ちつつ、強かでありますように。